2020年8月15日

暑い夏、熱い浜松

昨日も全国的に暑さが厳しく、浜松も最高気温が39度に達して全国ニュースでも「浜松市で...」という場面が何度も流されました。その、全国でもトップクラスの最高気温を記録する「浜松市」なんですが、実は政令指定都市を目指して大合併した時に統合された、旧天竜市の佐久間とか船明とかの地域が「浜松市」の中でも最高気温を記録する場所で、正直南北に長い浜松市の中でも、かなり北側の地域。自分は市街地に住んでいますが、そこから直線距離で40km以上も北側の山間部に入った場所で、実は「浜松市」と聞くとビックリするけれど「の佐久間地区で」とか聞くと「なんだぁ、佐久間かぁ」と安心するのは内緒(笑)。でも、12日には市の中心地区である中区で37.7度と佐久間などよりも最高気温を記録したようで、これはコンクリートやアスファルトの照り返しが相当厳しかったんでしょうね。

何度も書いていますが、高校生くらいまでは「36度」とか「37度」とか聞いた記憶が無いので、やはり何か気候が変わってきているんでしょうね。あの頃は、毎日陸上部の練習があったけれど、33度位まででも「高い」という印象で、34度とか35度と聞くと「死んじゃうよ」と言っていたように記憶しています。だから、夏の練習の時は、練習終わりに街中に出てきて(※バスで帰宅するためには、一度駅で乗り換える必要がある)、わざとデパートとかに入り、自宅には無かったクーラーの恩恵を十分に感じてから帰宅したものです。当時は、自宅の周りは田圃ばかりで、結構夕方日が落ちてから風が吹くと涼しかったんですよね。扇風機しか無かったけれど、そんなに今みたいに「暑い」という記憶は無かったなぁ。

考えてみたら、高校卒業をして、浪人時代は予備校の寮には行っていたので、始めてクーラーのある生活を一年だけ経験しましたが、その後大学時代は勿論、就職してからも最初の10年間住んでいたアパート時代は、クーラー無かったなぁ。その後に引っ越したマンション(ちょっと奮発した)では、クーラーが備え付けだったので、やっと文明の恩恵を受けることが出来ました。それ以降は、幸いにもずっとクーラーのある生活が続いていますが、もう夏の必需品ですよね。何なら、ガス、水道、電気と同じ「ライフライン」と言ってもよいくらい。うちは、プロパンガスなどの販売店を父親が経営していたので、暖房器具は潤沢にあったので、冬は寒くなかったけれど、夏は大変でしたねぇ。でも、やっぱり昔は今ほどの暑さでは無かったと思うなぁ...

そんなことを考えていたら、「そうだ、昔は夏は行水だったんだ」なんて言うことも思いだしてきました。家は、自宅内に井戸があったりしたので、結構夏でも冷たい水を使うことが出来、だから夏休みなどは、殆ど毎日庭先にタライを出して井戸水を浴びて汗を流す「行水」だったなぁ。流石に、中学生くらいになるとやらなくなったけれど、それでも暑いときにはさっぱりして良かった。昔は、行水用(?)の木枠のタライがあったけれど、あれって本当は何のためのタライだったんだろうか。何か干したり洗ったりするための物だったのかなぁ。いまでは、アメフトなどでは練習後にクールダウンするために水のプールに入りますが、可能ならあれをやってみたい。ビニールプール何て言うのも、昔自宅にあったけれど、いい年したオヤジがあんな物に入っていたら、一寸異様かな。庭先にサマーチェアーとか出していれば、今の季節なら何となく辻褄は合うかもしれない。ただ、ここ数年のような「酷暑」では、文字通り焼け石に水ですが。

倒産件数の多寡

東京商工リサーチが発表した「新型コロナウイルスでの倒産410件」というニュースを見て、実は最初に感じたのが「あれ、想ったより少ない」ということ。実は、最初「8月で410件」と思ったんですが、今年2月からの累計が「410件」なんですね。だから、それを知ってますます「コロナの影響って、どうなんだろう」という疑問が。

まずは、年間でどれくらいの倒産件数があるのか知りたくなり、その東京商工リサーチの記録を見てみました。おおよそ直近3年間の推移が分かりますが、実は新型コロナウイルスが発生した2月からみても、直後は前年比で増加しているものの、5月には半減していて、6月7月は落ち着いている気がします。5月に大きく減少しているのは、このあたりから給付金とか支援策が効果を現してきたのだろうか。

  • 2020年 ※今年度と()内は前年同月
    • 7月: 789件(802件) / 1008億2100万円(934億円)
    • 6月: 780件(734件) / 1288億1600万円(869億5700万円)
    • 5月: 314件(695件) / 813億3600万円(1074億6500万円)
    • 4月: 743件(645件) / 1449億9000万円(1069億1600万円)
    • 3月: 740件(662件) / 1059億4900万円(971億1400万円)
    • 2月: 651件(588件) / 712億8300万円(1949億8400万円)
    • 1月: 773件(666件) / 1247億3400万円(1683億7400万円)
  • 2019年
    • 12月: 704件(622件) / 1568億6400万円(817億9200万円)
    • 11月: 727件(718件) / 1224億5200万円(1212億7900万円)
    • 10月: 780件(730件) / 885億7800万円(1176億1900万円)
    • 9月: 702件(621件) / 1129億8500万円(1841億9700万円)
    • 8月: 678件(694件) / 871億4900万円(1212億6800万円)
    • 7月: 802件(702件) / 934億円(1127億1100万円)
    • 6月: 734件(690件) / 869億5700万円(2195億2700万円)
    • 5月: 695件(767件) / 1074億6500万円(1043億9900万円)
    • 4月: 645件(650件) / 1069億1600万円(954億6700万円)
    • 3月: 662件(789件) / 971億1400万円(1326億7200万円)
    • 2月: 588件(617件) / 1949億8400万円(899億7900万円)
    • 1月: 666件(635件) / 1683億7400万円(1045億5900万円)
ただ、この集計に含まれない「負債額1000万円未満」の倒産は、実はもっと多くて中小企業とか個人店舗などは、もっと大きな影響を受けている気がします。またDIAMOND onlineの記事では、これからの「コロナ倒産」「コロナリストラ」を警告していて、下半期はさらに油断できない状態になりそうですね。
ちょっとビックリしたのは、2019年の全国企業倒産(負債総額1000万円以上)は8,383件で、ここ30年間で3番目に少ない件数で、かつ負債総額の1兆4854億6900万円は、30年間で最小。今年の後半の状況で、新型コロナウイルス倒産の影響がどれだけでるか不明ですが、これまでの状態が続くのであれば、実はコロナの影響はそんなでも無いと言えるし、今後の状況次第では「リーマンショック級」の影響もでるかしもれないし。ただ、株価を見ると、リーマンショック時の3倍位に戻っていますから、当時よりは良いのかも。

ところで、上の1994年からのグラフを見ていて思ったんですが、「経済が悪い」「デフレで」と言いつつも、途中リーマンショックでの停滞はあるけれど、少なくとも倒産や負債額をみるとかなり減少してきているんですね。負債額なんて、最大の2000年の23兆円余りと比較して6%程度(1兆4千億余り)と激減している。経済活動を「倒産件数・負債額」だけでは計れないけれど、現在はそんなに悪い状態では無いんじゃ無いかという気がしてきました。だからこそ、今大胆な改革なりをすれば、一気に大躍進する可能性もあるんじゃ無いだろうか。

旅館とバイキング

ここ数日TLを騒がせている、「旅館の料理が多すぎて食べきれない」という話題。とある人物が、GoToを利用して「一寸高級な旅館」に宿泊したところ、夕食に食べきれないくらいの内容の料理が出されて、「廃棄前提の料理」とツイートしたことで一気に炎上。そこからの展開が、単に炎上するだけで無いのが「ネットの面白いところ」なわけで、ハッシュタグ「#旅館の料理」で、各地の旅館が自慢の料理を紹介したり、その批判された旅館に予約が集まったりと、結果的には良い方向に振れたわけだけれど、単純にその行為の善し悪しだけで無く、一寸想うところがあったので備忘録として。

最初に思ったのは、この人物(仮にA氏)って、余り「旅館」を利用した経験が無いのでは無いかという事。多分食事が付いていない基本素泊まり前提の「ホテル」はそれなりに利用しているんだろうけど、所謂食事付きが前提である正当的な「旅館」というものはそんなにないのではと思うんですよね。普通旅館の場合は「一泊二食幾ら」のように食事付きが前提。その中でも夕食に関しては、ある意味その旅館の「売り」なわけで、品数も増やしたい、量もそれなりに満足出来るだけ出したい、内容もバラエティー豊かにしたいというのが普通。旅館が懐石風に料理を出すのも、その間に利益率の高い「お酒」を売りたいという事も有るわけで、そうなると色々と品数を増やす方が有利でしょう。一方で、原価計算も必要だから、そんなに最初から廃棄前提の分量なんて出せないしだすわけも無い。大体の場合は、最後の「ご飯」で調節すると思うんですが、結構分量的には融通も利くし。あと、今のように暑い時期は駄目かもしれないけれど、例えばご飯とか料理が余った場合、頼めばご飯は夜食用のお握りにしてくれたり、生物以外の煮物とか漬物なんかも、余ったら一緒に添えてくれることもあるはず。よほどのことが無い限りは、一度客に出した物をそのまま下がってきたからと言って裏方で食べるわけにも行かず、普通は廃棄するしかないから、それを後からでも食べて貰えるなら、全部の旅館では無いけれどそう言うサービスをしてくれるところもあるので、そのあたりは先ずは聞いてみる事が第一。最近の予約の場合は、殆どのケースで夕食の内容とかも事前に分かるわけだから、そこで判断して多いと思えば事前に減らすこともお願いすれば良いだけの話しだと想うんですよね。

ここでふと思ったのは、もしかしたらこのA氏は、バイキングみたいなものを何となく予想していたので、目の前にずらっと並べられた物を見て「えっ?」と思ったのかもしれないということ。バイキング形式の場合は、自分が食べたいものを食べたいだけ取れば良いから、自分目線で見れば「最適化された料理」とも言えるんですが、その為にはその人が取るかどうか分からないような物まで準備しておかないといけないわけで、そう言う意味では「無駄」はバイキングの方が多いような気がします。もちろん、出す側としても、その日の宿泊客の様子や実際に人気のある料理・不人気な料理で量を調整して、出来るだけ最後に無駄がで無いように努力するんだろうけど、一方で最後のお客さんまで満足するように品揃えは準備しておかないといけないわけで、その点は旅館の料理よりも所謂「ロス率」は高いような気はするんですけどね。そのバイキング形式も、今の社会情勢では新型コロナウイルス感染の原因になるという事で、バイキング形式を止めて事前に取り分けた物を取ってもらったり、スタッフがその場で取り分けたりと、サービスの形態も変わってきていますが、カジュアルな感じで満足したいバイキングに対して、有る程度フォーマルな感じで満足感を得たい旅館の夕食は、別物と考えないとそれぞれのビジネスモデルとして成立しなと思うなぁ。で、どちらも許容範囲内でのロス率に収めつつ、お客様の満足度が「足りない」よりは「足りること」を大前提に、量も質も内容も努力する物だと思う。

もともとのA氏の書込にしても、「量が多かった、食べきれないくらい」と終われば、何の騒動にもならなかったものなのに、「廃棄前提」と余計な憶測を入れたのがトラブルの元。確かに、「食べきれない」→「残る」→「廃棄するしかない」というのは正しい推測だと思うけれど、最初から食べきれないことを前提に準備することは、日本の風習的には先ず無いと思うなぁ。中国の場合は、食事が終わってもまだテーブルの上に沢山の料理が残っていることが「良し」とされるという話を以前聞いたことがありますが、日本でも冠婚葬祭の料理は多く出す事が美徳とされています。でも、少なくとも日本の場合は、残った物は「折に詰めて」持ち帰ることを前提にしているわけで(結婚式の尾頭付きの鯛とか)、そこは一寸意味が違うと思う。まぁ、A氏にしても、「食事も込みの旅館の楽しみ方」を分かれば、多分同じ物が出ても今度は違う印象を持つんじゃ無いかと期待するわけですが、それは無いかな...

2020年8月14日

初めはシンガポール?

シンガポールを訪問中の茂木外務大臣が、シンガポールとの往来再開に関して合意したという記事。「合意」と言っても、ビジネス関係者等の短期滞在や企業の駐在員などの長期滞在者が対象で、まだまだ一般旅行客の往来は制限が残ったままだけれど、次に向けて小さいけれど大きな一歩じゃ無いかと機体が膨らみます。自分が知る限りでは、ここまで具体的に合意したと言うニュースは、これが初めてじゃ無いだろうか。

オーストラリアとかニュージランドも少し前には候補に挙がっていたけれど、最近感染拡大が再発したので、こちらはまだ先になりそうですよね。肝心のアメリカは、まだまだ終息する気配が無く、しかもこの秋には大統領選挙があるから、どんなに早くても某かの進展があるのはその後だろうし。自分の知り合い等は、1年後の予定をそろそろ入れ始めているんですが、国内が混雑するであろう来年の東京2020の時期には日本脱出をしたいと思いつつも、まだどうなっているか不明ですし。

ロシアの世界初の新型コロナウイルスワクチン接種開始の話は、まだ時期尚早としても、9月位から各国のワクチンも臨床実験の結果が出始めて、少し光明が見え始めるんじゃ無いかと期待しているので、年が明けたら少し移動する事も出来るようになればと淡い期待を抱いているのですが。今のように、感染者を隔離して治療するだけでは、どうしても後手にまわるしかなくて、時間も手間もかかるんですが、ワクチンという「武器」が手に入れば、広がる前にクラスターを潰していくことが出来ますから、感染拡大のスピードはかなり抑えられるはずで、それは感染終息も早めるはず。

ただ、仮に日本が早く終息したとしても、渡航先が少なくとも同様程度の状況にならないと、日本から幾分には良くても、戻ってくるときが大変なまま。日本だけ突出しても駄目出し、かといって周りの国々が復活するまで待つのも大変。中国、韓国あたりは自力でなんとか出来るだろうけど、それ以外のアジア各国は経済的な事も有り、なかなか大変だろうし、欧州や米国は先ずは今の爆発的感染をどう収めるかというさらに一つ前の段階だし。今にして思うと「日本の猛暑になれば」という春頃の甘い期待は完全に間違っていた事を痛感しますが、となると今年の冬や来年はどうなるのか、いつまでたっても解けない難問を解かされている気分。日本の数値を見ていると、素人ながら個人的には第2波も収まりつつある状態で、今はこの状況をより確実にかつ早く終息させることだと思うのですが、今回の合意がその為の最初の切っ掛けになれば嬉しいです。

コップの中の嵐

未だ結論は出ていないものの、立憲民主党と国民民主党とその他無所属議員の「大合同」が、ほぼ確実になりつつあるんですが、注目は来週19日に開催されるという国民民主党の両院議員総会の結果。まだ態度を明らかにしていない議員も半数くらいいるみたいですが、解党した上で立憲民主党への合流組と、新党(新国民民主党?)結成組の「分党」になる事はほぼ間違いない様子。ただ、さらにどちらにも加わらないことを考えている議員もいるという報道もあり、何かシッチャカメッチャカ支離滅裂な状況。

よくよく考えてみたら、今回集まる殆どの議員は、10年程前は「民主党」として一緒に仕事をしていた人達な訳で、そこから毎年のように分裂したり、党名が変わったりを繰り返してきた人達。民主党以前は、自公政権がコロコロと首相が毎年変わるような状況になり批判を浴びたけれど、それ以上の状態が続いていて、やっと「立憲民主党」「国民民主党」「その他無所属」みたいな棲み分けが出来たのに、また元の木阿弥に戻ろうとするのは何ででしょうね。

国民民主党議員としては、なんとしても次の選挙を勝ち残るためには支援が欲しい訳で、その点では立憲民主党の「規模の効果」と、一桁台ではあるけれど野党の中では一番大きい「支持率」というのは強力な援軍になるはず。個人的には、政策活動としてはまだ国民民主党の方が多少まともだと思うから、彼らとしても地道にもう少し努力していくことを続ければ決行酔い政党になると想うのだけれど。でも、過去そう言う期待を持って生まれた小政党は、何故かそのうちに段々内部対立とか方向性がブレてきて、自滅するか吸収されるのが関の山。そう言う意味では、社民党は結構頑張ったと思うけれど、結局はその政策が評価されずに、今回の合流で霧散しそう。それよりは、国民民主党にとっては良いのだろうけど、でも合流したらしたで極々一部の有名議員を除けば冷や飯ぐらいになる事は明らかだよなぁ。それでも、「数は正義」なんだろうけど、そうなると自民党とか公明党の事をとやかく言えなくなる気がする。

この秋から、遅くとも来年の夏までは必ず衆議院選挙があるわけで、その為に合流を急ぐ野党議員達という構図は余りにあからさま。本当ならば、今の新型コロナウイルス禍対策であったり、景気対策であったり、色々やらなきゃいけないことは幾らでもあるわけで、そう言うものに対しての行動で国民の支持を取り付けるべき。でも、そんなことを露ほども考えていないんでしょうね。実際最新の支持政党の世論調査では、自民党公明党が支持率を上げる一方で、立憲民主党は大きく下げている。次の選挙に関係する両党の議員にとっては、この合流騒動をどうやって上手く生き残るかが最優先か大なのは分かるけれど、このコロナ騒ぎの時に何やってんだというのが国民の正直な気持ちじゃ無いだろうか。しかも、あれだけ「国会再開」を謳っているのに、こんなことをやっているのでは、本当に国会再開したら彼らはどうするんだろうか。まぁ、再開したとしても、直ぐに「総理の対応が不誠実」とか因縁を付けて、審議拒否をするという事は間違いないのだけれど。コップが倒れてこちらに水しぶきがかかるようになれば困るけれど、結局はコップの中で今は炭酸が抜けてシャワシャワしているけれど、それが全部抜けてしまったら単に気の抜けた炭酸水という「意味ない」物に変わっていくだけだな。それも、毎度の事だけれど。

ネットのバイアス

日本経済新聞が掲載していた「ネット民意 動かすのは誰」という記事。調査期間が6月11日から7月5日までなので、多少は偏りがあるとは思うのですが、それでもかなり興味深い内容。

まずちょっとビックリしたのが、リツイートが多いのは、所謂「リベラル」「左派」と言われているグループということ。
「ネトウヨ」という言葉もあるように、ネットの社会では「保守」「右派」と呼ばれる人が多いのかとおもったら、4倍位の規模で実は「リベラル・左派」が占めているんですね。ただ、この記事で5つのグループに分けられたうち、「リベラル・左派」と「保守・右派」は身内内のリツイートが多いのに比べて、残りの「専門家」「メディア」「サブカル」は外部からの参照が多く、いかに「左派・右派」の戦いというのが、コップの中の戦争みたいな物かを表している気がする。
リツイート数では圧倒的な「リベラル・左派」ですが、アカウント数と比較すると、この5グループ中最小で、これって少数の超アクティブユーザーが大量に活動しているという証拠になるのでは。あくまでも個人的印象ですが、左派系の人の書込は大量にやたらめったらツイートやリツイートしている印象がありますが、右派系はそれでもまだ少しはそう言う行為がまともな気がするのは、こう言う理由もあるのかもしれない。
で、結論としては「見かけの存在と実際の影響が必ずしも一致しない」ということで、これは凄く実感する内容。暫く前に「検察庁法改正案」のハッシュタグ騒動がありましたが、あれなんかまさに少数の左派系ユーザーが拡散して、何百万というリツイート数に達した事象で、それを「国民の声」などと都合よく利用した話。知ってて利用したのか、知らずに利用したのかまでは不明だけれど、ネットの世界が結構バイアスに満ちていることはもっと認識して自覚しないと、結構その時の流れに知らないうちに流されて、気がついたらとんでもない場所に流れ着いてしまうことになります。どうしても、自分にとって都合のよう意見、同意できる意見を見がちなんだけれど、よく言われる「多様性」を本当に尊重するならば、まずは「都合の悪い意見、反対意見」をまずは理解して、そこから自分達の意見との接点なり、妥協点を探すことをしないといけないはず。それが、いきなり「相手の否定」から入ってしまうから、ネットの世界は何か殺伐とした社会にどんどんなっていくんですよね。この記事は、そんな状況を説明する良い例だと思う。

2020年8月13日

御巣鷹山とTRON

3月12日は、JL123便が御巣鷹山の尾根に墜落して、日本の航空機史上最悪の航空機事故が発生した日。遺族の高齢化と新型コロナウイルスの影響もあり、今年の事故現場への慰霊登山はかなり規模が縮小したみたいですが、当時リアルタイムにこの事件を経験していた一人としては、やはり35年過ぎても記憶に深く残る事故だし、その後飛行機好きとなり毎年何度も利用している身としては、程度の差はあれ登場するときには毎回ふと心に浮かんでくる事柄の一つであることは間違いありません。

個の事故が発生した時は、丁度社会人一年生の時で、神戸で散々現場実習を体験して、やっと本来の配属先である開発部門に戻ってきたところ。当時は、個人的に飛行機に乗る機会などほとんど無かったので、個の事故の一報を聞いたときも「大変だぁ」みたいな印象でしたが、会社の社員が確か20名以上搭乗していた事がわかり、直ぐに社内は大騒ぎに。また、現場実習で言っていた神戸事業所の人は確か犠牲者は無かったはずなんですが、大阪の事業所関係者が10名前後含まれていて、大阪や神戸も大変な騒ぎになったと、現場実習時に指導して貰った先輩社員の方から聞いてびっくりしました。羽田-伊丹というビジネス幹線路線で、かつ使用機材がB747という大型機だったので、犠牲者数は520名近くとなり、弊社だけで無く多くの企業で多数の社員が犠牲になり、一時期東京や大阪はかなり動揺したように記憶しています。で、TLに流れていくこのJL123関係の記事を見ていたら、「TRONの技術者も多数犠牲になり、それによってWindowsを凌駕する機会を失った」という書込があって、そう言えばそう言うこともあったなぁと思い出しました。

生みの親である、坂村健氏がTORNをプロジェクトとしてスタートしたのが1984年6月。当時は、まだDOS全盛時代で、Microsoftが後のWindowsに当たるコンセプトみたいものをちょっと出していたくらいで、OSと言うよりはタスクスイッチャーみたいなもの。だから、当時のTRONはWindows対抗では無くて、DOS対抗のOSやH/Wも含めたシステムデザインみたいな物だったように想います。1985年位になると、既にIBM PC-ATも登場していて、AT互換機という市場も出来ていた時代だけれど、TRONはそれらを目指すと言うよりは、日本で当時流行っていた「マイコン(マイクロコンピューター)」用のOSみたいな印象で、個人的には大学でも弄っていたDigital Research社のCP/Mの派生形みたいな印象でしたね。まぁ、そのCP/Mの子孫であるSeattle Computer Productsの80-DOSがPC-DOSになり、Windowsへ繋がっていくわけだから、根っ子は同じというと言い過ぎか。だから、TRONがWindowsを意識しだして、GUIとかやるようになったのは、1990年に入ってからで、これもH/Wが早くなってきたことと、当時Windows3.1が大成功したために、「日の丸OS」とか「国産OS」とか言って、逆にTRONを追い込んでいったように気がするんですよね。JL123の事故が無くて、スタート当時のTRONエンジニアがそのまま開発を続けていたら、私はWindowsの対抗馬というよりは、今のApple/Macみたいなものが生まれていた可能性の方が高いような気がします。実際組込の世界では、TRONは世界中で使われているので、IoTの時代においては実は隠れた主役なんだろうけど。

TRONもそうだけれど、あの事故の時には520名もの人が犠牲になり、それらの人のそれからの人生も一瞬で消えてしまった。坂本九さんも犠牲者の一人であることは余りに有名だけれど、彼が存命だったらその後新しいヒット曲が生まれただろうか。仮に、ヒット曲が生まれなかったとしても、「上を向いて歩こう」は名曲だし、ずっと歌い継がれると思うけれど。そう言う意味では、生存していて救助された4人の人達の運命だって、多分想像を超える苦しみや苦労があったはずで、それを想うと今更ながらにこの事故の大きさを再認識しますよね。仮にTRONがあのまま続いていたら、今の世の中はもっと住みよくなっていただろうかというと、多分歴史の厚みと弾力性はそんなに変わらないので、結果的には今のようなWindows中心の世界になっていたように思います。当時、すでにDOSが席巻していたし、AT互換機の世界が事実上形成されても鋳たわけだし、そこに新規参入するには並大抵の努力では太刀打ちできないと思うし。でも、結果的に今もTRONは残っているし、見えないところで重要な役割を演じているわけで、それは犠牲者の気持ちを抱きながら残された家族も精一杯その分も含めて今も生きていることと同じような気がします。見えないところだろうが何だろうが、残っていくこと、続けて行くことが、一番大切だと思う。

デジタル化病院(4)

一寸したことでどうも喉を痛めたらしく、何十年振りかで耳鼻咽喉科に行ったのが二週間前。そこで、最近の病院のデジタル化にちょっとビックリしたりしましたが、今回はその「真逆」の経験をしたので備忘録として。

前回の初診から、二週間の間隔をあけての経過観察で再訪。受付開始の前から並んでいたので、3番目の順番を今回はゲット出来ました。本当なら、この二週間で完治したいところなんですが、以前よりは状態は良くなったとは言え、まだ時々食べ物が喉に引っかかって、酷いときには戻してしまうこともまだあります。しかも、二種類の薬を飲んでいるんですが、そのうちの一つ、胃酸を抑える薬がちょっと曲者で、錠剤の薬なんですがその錠剤が少し大きめのサイズ。一般的なワイシャツの袖口の丸いボタンをもう一回りくらい大きくしたようなサイズで、しかも錠剤なので一寸厚みもあります。この錠剤を、毎食後2錠飲むのですが、一つ目は飲み込めるんですが、二つ目が喉に引っかかってしまう。実は、二週間前の最初の頃は、もっと喉が酷い状態だったのに、この錠剤を飲むのはそんなでは無かったんですね。所が、段々喉の状態がよくなりつつあるのに、何故か今度は錠剤を飲むのが苦手になってしまいました。で、診察の時にそんな話をしたところ、先生が「同じ薬で、錠剤タイプの他にカプセルタイプと粉タイプが有るから、変えましょうか」と言います。で、粉の場合はオプラートで包むとかしないと、別の形で喉に詰まりそうだったので、「それではカプセルタイプの薬をお願いします」と言って診察が終わりました。

最近の病院は、大体薬局が隣接していて、ここも隣に薬局があり、前回もそこで薬を貰いました。今回も同じように、薬の指示書を渡して待っていると、準備が出来たと呼び出されます。確か前回も同じ人だったと思うのですが、若い男性の薬剤師さんが対応してくれて、「〇〇14日分と、△△の錠剤が14日分」と言って薬を出してきます。それをみてビックリ。今回はカプセルタイプになっているはずの薬が、前回と同じ大きめの錠剤タイプで出されています。そこで、前回と薬は同じだが錠剤タイプが飲みにくいので今回カプセルタイムに変更してもらったはずだがと説明します。すると、ちょっと慌てて病院からの指示書を確認すると、隣で聞いていた先輩らしき薬剤師さんに「そうなっています」みたいな事を言います。で、慌てて在庫を調べたようですが残念ながらカプセルタイプの在庫が無いとのことで、一寸不満は感じるものの薬に変わりないので、そのまま前回と同じ錠剤タイプの薬を貰って帰宅しました。薬の取り違い論外ですが、同じ薬でもちゃんと指定してあるんだから、それを見落として処理するのも一寸問題だよなぁ。

丁度今フジテレビ系列で薬剤師さんが主人公の「アンサング・シンデレラ」という番組を放送しています。以前、ホリエモンだったか誰かが、「薬を探して数を数えるだけの薬剤師は無駄」みたいな事を言って物議を醸したことがあったと思うんですが、実は薬の相性とか似たような名称の薬と間違えたりしないようにするとか、薬剤師さんの仕事は見えないけれど重要な「縁の下の力持ち」的仕事。だから「Unsung=表に出ない」と言われているわけですが、それは「でも、とっても重要な仕事」という意味もあるはず。勿論、どんなことにも「100%完全」と言う事はないわけで、だからこそ薬局では二重三重に確認して、患者さんに薬を渡すわけですが、どうもこの時は何か抜け落ちてしまったようですね。後で控えを確認しましたが、ちゃんと「カプセル」と印刷されていました。多分、前回と同じ薬が処方されていたので、それが頭に残ってしまい、「錠剤」なのか「カプセル」なのか勘違いしたまま、薬の準備をしてしまったんでしょう。ここまでデジタル化されているけれど、結局薬の準備は人手に頼るわけで、そこをもう少し工夫が必要かもしれませんね。それこそ、薬のパッケージにQRコードを印刷して、それで突き合わせをするとか、ピックアップする時に、指示書と薬が一致しているかやはりQRコードとかで管理するとか。今回の場合は、薬自体は同じ物なので大きな問題では無いけれど、それでも「指示された物」と違う薬を「渡してしまった」のは大きなミス。あの薬剤師さんには、この経験を糧にして今後は大きな間違いが無いように注意して欲しいです。(続く、か?)

10,000件目

完全に「私事」ですが、ここGoogleのBloggerでブログ記事を2007年12月10日から始めて、この記事が丁度10,000件目の投稿になります。試しに、「2007年12月10日」から本日「2020年8月13日」までの日数をGoogle先生に聞いてみると「4,630日」となるので、足かけ14年間、平均一日2件余りの記事を投稿していたことになります。「継続は力」「信じて飽きずに繰り返す」「ちりも積もれば山となる」など、諺だったり、高校時代の恩師の教えだったりが、走馬灯のように脳裏をよぎって思わず泪が出てきます(嘘-笑)。

初期の頃は一日1件の記事投稿が続いていて、それが一日2件になり、3件になって、基本この「3件/日」がデフォルトになっています。何でかという特に理由は無いのだけれど、ここはあくまで自分の備忘録というか、脳トレ的な意図でずっと書き込んでいるので、一日に分野の異なる話題に関して、あーだこーだ言うためにも、一日1件では少ないし、5件は多すぎるし、まぁ3件くらいが、書き込むワークロードと頭の体操的な意味で良い塩梅・落とし所かなと、自分で決めたもの。それって、実は1990年代に某所でこの手の書込を始めた頃からのお約束で、実はそのお約束をここでも踏襲しているだけなんですが。勿論、投稿していない日もあるし、逆に3件以上書き込んでいる日も有るし、それはその時々のコンディション次第(笑)ですが、とにかく書き込むことで、キーボードを使うからまず指先や手足の老化防止になるし、記事の内容も色々情報を探してみたり、自分で感じたことをまとめる動作が頭の体操になって、これも老化防止になるし、実は最近ではそっちの意図が大きかったりします。

ここを始めるのと前後して、SNS系のサービスも始まっていて、大まかにそれぞれのサービス開始の時期と自分が使い始めたであろう時期をで並べると、
  1. Facebook (2004年): 2007年11月12日が多分アカウントを取得した日
  2. YouTube (2005年2月): 2013年6月17日に初めての動画をアップしている
  3. Twitter (2006年7月): No Account (嫌いだもん)
  4. Instagram (2010年): 2013年8月2日に、最初のパスワードを変更している
となっています。Facebookを比較的早く始めているのは、丁度FBやtwitterが日本でも言われ出した頃で、でもtwitterというかどうも個人的にあの手のInstant Message系アプリが嫌いで、それならば文字数制限も無く、画像なんかも自由に扱えるFBを「呟き代わり」に使ってみようと、確かそんな理由で始めたもの。その後YouTubeは、USにフットボール観戦に行ったときに、動画を日本の知り合いに見せたくて無理矢理始めたものだし、Instagramは、当時「FBやtwitterはもう古い。世界はInstagramだ」という誰かの謳い文句に踊らされてアカウントだけ取得したもので、だからテストで投稿した事はあるけれど、今の所本来の投稿数は「0」(笑)。でも、何故か30人位フォローされているのが不思議(殆どが知り合いですが)。

世の中は、FB/twitter等も既に「時代遅れ」と言われるような状態で、どんどん変わっている中、相も変わらずテキストを打ち続けるのも能が無い話と思うけれど、まぁ、昔から本を読むことだけは好きだったし、そこから文章を書くことは(その内容は別にして)嫌いじゃ無いし、本当に「ぼけ防止」として続けるのも良いかなと、年齢を重ねる毎にますます感じるようになった次第。「数」だけ誇っても仕方ないけれど、いつまで続けられるのか... 取りあえず、次のマイルストーンである「20,000件目」の記事投稿は目指したいところですね。その為にも、あちこち飛んだり、宿泊したりしないと(えっ?)。

2020年8月12日

USカレッジフットボール

いつもの年なら、そろそろ日米のフットボール情報が溢れてくるタイミングなんですが、今年は全くそんな動向すら見えてこない。NFLは、一応予定通りいつものシーズンを始めるようですが、もう一つのメジャーグループ、USカレッジフットボールは大きく揺れています。

幾つかのメジャーカンファレンスでは、秋のシーズンを通常通り出来なければ、短縮した形での開催も模索していましたが、ここに来てシーズンの中止あるいは来年春まで延期という話が出てきました。まだまだ情報不足で、今後どうなるか分かりませんが、フットボールファンに取っては悲しいことは勿論、アメリカではこの秋のシーズンの出来不出来で、NFLへのドラフトにも響くから、目指している選手達は気が機じゃ無いでしょうね。日本でも、夏の甲子園が交流戦などの形で代替されて開催されていて、なんとか高校野球からプロ野球への道も維持されそうだけれど、アメリカはどうなるんだろうか。

勿論、開催することよりは、人の命や健康が優先するわけで、安易に自分の希望だけ言うわけにも行かないけれど、それでも再度今回の新型コロナウイルスの影響の大きさを感じます。日本でも、秋のシーズンは、学生も社会人も、かなり短縮したスケジュールを予定していて、それも今後の状況でどうなるか分からないけれど、フットボールは勿論、どのスポーツ選手にとっても厳しい一年になりそうですね。

こうなると、来年は通常通りにそれぞれのスポーツが開催されるように、今年はあえて全てリセットして取り止めるという判断もありかもしれない。その為に、今年に賭けていたた多くの選手は夢とか将来が消えるかもしれないし、それを補う何かがあれば良いのですが。何か、このUSカレッジの判断が、日本にも大きく波及してくる気がします。

香港危機

香港の民主化リーダーの一人、周庭(アグネス・チョウ)氏と、地元の民主化系新聞の「蘋果(ひんか)日報」の創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏が、先日施行された「香港国家安全維持法(国安法)」違反の容疑で逮捕され、国際的に大きな騒ぎに。その二人は、幸いにも一日で保釈されて一旦は落ち着いたかには見えるのですが、そのまま額面通りに受け取れないのが中国の政治というか共産党政治なわけで、今後の動向が注目されます。

今回の保釈も、新聞記事では国際的な反響の大きさを勘案しての処遇と記事には書いてありますが、個人的には一種の「見せしめ」というか、「ここまでやるときはやるよ」みたいな示威行為だったんじゃ無いかという気がするんですよね。それは、象徴的な二人に対してでもあり、香港の住民に対してでもあり、民主化を支持する海外に対してでもあり、なんじゃないかと。この手の恫喝行為は、お手の物ですしね。その波及効果を見ると、手段としては上手い気がします。勿論、それが正しい手法だとは一切思わないけれど。

かつての英国の統治時代、「香港」というのはアジアの中では別格な響きがあったわけで、それはある意味亜細亜を代表する国家と言えば、「日本」と「香港」という印象すら有ったことも。資源の無い日本よりも、さらに制限のある状態の中、国際金融に活路を見いだして発展していった香港が、まさか返還から20年余りでこんな状態になるとはと思っている人が多いとは思うけれど、でも中国のこれまでのやり方を見ていれば、大人しく50年間の「一国二制度の維持」をしているとは思わない人も多く居たんじゃ無いだろうか。

流石に日本国内でも多くの批判の声が上がって入るわけですが、その中で「これが日本の将来の姿」みたいなトンチンカンな事を言っている人も多いことにはガッカリ。そう言うことを言うから、いつもの発言の説得力がさらに下がるんだよなぁ。それと、リーダーの周庭さんが流ちょうな日本語でインタビューに答える映像が何度も流れるんですが、逆に日本人で中国語で対応出来る人、あるいは英語で対応出来る人は、どれくらいいるんだろうか。以前幾つかの新聞が、日本語版では訂正した内容を英語版では訂正もせずにずっと公開していて物議を醸したけれど、やはり世界が目を向けているのはまずは「英語」。私も仕事で必要だから多少は読み書き話しは出来るけれど、なかなか微妙な部分を正しく伝えることは難しい。日本語手もなかなか通じないようなことを、さらに英語で伝えるのは難しいのだけれど、でも例え片言でもまずは一歩踏み出す気持ちが無いと、次の扉も開かない。もしかすると、近い将来日本もそんな状態になり、世界に向けて支援をお願いしないといけない状況になるかもしれないわけで、「その時」を覚悟して準備していくことが必要かも。それ位、大きな出来事だと思います。

離合集散

揉めていた立憲民主党と国民民主党の、解党後の新党設立での合流を目指していましたが、国民民主党の玉木代表が、立憲民主党との合意形成が進まないために、国民民主党を解党して合流組と、別の新党設立をすると発言してまた物議

最初は、これが国民民主党の結論みたいな感じで報道されたんですが、その後まだ党内で合意されたものでは無いみたいな発言も出てきて、何か混乱の度合いここに極まれりみたいな感じ。合意形成なんて言い出したら、絶対まとまらないような違いがある両党ですが、それ以外の利益を目指して合流しようとしているもの。立憲民主党は国民民主党の人と金が必要だし、国民民主党は立憲民主党の知名度と低いけれど自分達よりは遙かにましな支持率を選挙に繋げたいという気持ちがあるわけで、そう言う意味ではどちらも党勢拡大には積極的。でも、この両党の成り立ちを以前の民主党時代から眺めてみると、「無節操」と言う言葉が一番しっくりくる気がする。

それでも、党首として、党の目指す先が異なるかもしれないのに、それを棚上げにしては合流できないという玉木氏の言い分は納得出来るし、本来「政党」なんだから政策とか目的を核に人が集まるべき。さらに、「立憲民主党」に拘る立憲民主党側は、政党名に関しても無理にでも残そうと露骨な主張をしているし、何か数だけは多いけれど立場的には「合流をお願いする」側がなんであんなに偉そうに言えるのか、そこが不思議。

最終的にどうなるのか分からないけれど、国民民主党は一時自公との連立構想も生まれていたと言われているくらいだから、それこそ「是々非々」の政治を進めてくれるなら、個人的には分党しての新党設立はいいんじゃないの。少なくとも、提案型の政党が例え小政党であっても生まれることが、次の大きな流れの源流になると思う。ところで、国民民主党が解党して、二分化されたときに、今の立憲民主党から新しい国民民主党へ移籍する議員はいるんだろうか。結構枚の立憲民主党って、閉塞感が強い「住みづらい政党」だと外から見ていると感じるんですが。解党しての新党なら、一切の柵み無く移籍できるんじゃ無いかと。でも、選挙の時には嫌がらせさせられるかな。まぁ、そう言うことをやりそうな人達だからなぁ、あの政党は。

2020年8月11日

料理の手間

少し前に、スーパーでポテトサラダを購入しようとした主婦に対して、男性が「そんなもの自分で作れ」と罵声を浴びせられたみたいな話があり、それが今度は冷凍餃子を夕食に出したら旦那さんから「冷凍かぁ」と言われて主婦の手間を理解していない話になり、さらにそれが今度は唐揚げに飛び火したらしい。これらを、新型コロナウイルスの影響によるイライラ・精神不安定というのは少し無理がある気がして、何か「美しき誤解=はた迷惑」の図式があるように思いますね。

私は、最近では実家に戻ったので自炊をすることは余り無いけれど、以前一人暮らしの時には基本自炊。さらに、母親は今でも昆布、鰹節、煮干し等から出しを取って、毎朝の味噌汁にしても、その他料理も作る人だし、和食以外にも洋食も中華も、今でも料理本とか買って試してみるような人。その血を受け継いでいるのか、自分も今では料理するのは嫌いじゃ無いし、そう言う環境で育ってきているので、味に関してもそこそこ五月蠅い方だと思っています。でも、そんな自分でも、打っているポテトサラダで美味しい物とか、一寸一品欲しいなと思えば買ってくるし、疲れて面倒なときには、それこそご飯も炊かずに、ビールと冷凍餃子だけの場合も有る。唐揚げなんて、よほどのことが無いと自分は自宅では揚げないし。そりゃぁ、何でもかんでも手作りしないと気が済まない、しかもその腕前が素人離れしている場合もあるだろうけど、多くの場合はそれが料理の準備とは言え手間は省きたいし、でも作った物は美味しく食べたい。だから、買って来た惣菜にちょつと一手間掛けても良いし、それこそ買ってきた容器から自宅のお皿などに取り分けるだけで、「味」は違ってくる物。今の時代、便利な物は使うべきだし、それで生まれた余裕をもっと別の物に有効活用するのが「文化」であり「利便性」だと思う。

仮に、ポテトサラダは自分で作れ、餃子は自分で作って焼け、と言われるのであれば、それなら材料のジャガイモは自分で植えろ、キュウリもニンジンもタマネギも自分で作れ、餃子の皮は買ってこずに小麦粉から練って作れ、と言われても仕方なくなってしまう。「材料の話と、調理の話は別」と言われるかもしれないけれど、それなら出来合のポテトサラダを買ってきて、何か追加で混ぜても「調理」になるだろうし、それこそ出来合のぼてとサラダをハムで巻いたり、レタスで巻いたり、それこそ春巻きの皮で巻いてあげてたって、立派な「一品」になる。家は、昔は農家もやっていて、それこそ自分の所で食べるお米も、それ以外に売る分も含めて結構な量稲作をして居て、それ以外にも味噌を造ったりとかもしていたけれど、それも外に無いから作る、高いから作らざるを得ない、と言う理由もあったんですよね。大量生産には廃棄などの批判もあるけれど、安定的に高品質の素材が安価に何時でも購入出来る事は大きな利便性だし、それが素材だけで無く半調理品とか調理品(=惣菜)まで広がることは、良い事はあっても悪いことでは無いと思うなぁ。

日本人の考え方として「苦労は買ってでもするべき」みたいな意識があって、それはそれで安易な方法に逃げずに挑戦することも大事という意味でもあるんだけれど、それが一寸ねじれ高いシャンになって、手作りで無いと駄目、出来合物は駄目、自分でやらないのは怠けているだけ、みたいな方向に解釈されるのは勘弁して欲しい。これ、製造業で言えば、部品から製品まで垂直統合された昔の日本の家電メーカーみたいな企業が正義で、OEM/ODMとかEMCは駄目な企業みたいな考え方が昔は結構有ったけれど、結局現状を見てみれば明らか。どちらが良い・悪いのは無しではなく、今有利なのは効率的なのはどちら、と言う話でしかない。「惣菜物が駄目」と言われたら、居酒屋とかファミレスにも行けなくなってしまうわけで、まぁ変な目くじらを立てない方が世の中上手く回るという話だと思う。

ワンパターン

新聞社はよほど暇なのか、こんな記事をトップにあげている。先日の、広島、長崎で行われた安倍総理の挨拶の内容が、度地も同じような内容で怪しからん、気持ちがこもっていない、とご不満な様子。で、有料記事のいやらしいところで、見出しや無料部分で「おかしい」と言いながらも、肝心のその内容部分説明部分に関しては有料部分に含まれていて、ごく一部の読者しか読めない。私企業として「有料記事」というビジネスモデルは認めるけれど、方や「報道機関」という公共性を考えるなら、無料部分でも完結した情報提供をするべきだと思うのだが。

で、この話、何となく朧気な記憶で「確か、毎年そんなこと言っていないか」と思うのですが、とうとう民主党政権時代の挨拶まで発掘されて、実は当時も同じような状態だったことが直ぐに明らかにされてしまう。まぁ、常識的に考えて、普通はそうなりますよね。だって、広島にしても長崎にしても、どちらも原爆投下されて甚大な被害を被り、その後懸命に復航して現在に至るわけだから。その歴史も同じような形で進んできたわけだし、「原爆廃止」「平和を」という気持ちも変わることは無いはず。となれば、そこで言うべき事も同一の事柄になるはずで、逆に違うことを言ってしまうと、では何故両者で違いが生まれるのか、何が違うのかという似て非なる議論になるでしょうし。これが、地名と日付け以外一語一句変わらず同じ、と言うのであれば、それは一寸首をかしげてしまうけれど、基本的な部分はどちらもブレずに同じ主張をして、そこにそれぞれの地域固有の話も含まれているわけで、それに難癖付けるのは単なる言いがかりでは無いのか。

例えば、熊本の水害被災地の挨拶と、福島の原発事故現場での挨拶が同じだというのは、それは確かに変でしょう。災害の内容も異なるし、その後の対策も異なる。関わり合う行政にしても、関連企業にしても異なるし、復旧の方法や期間も異なるそれぞれの事象において、冒頭の挨拶なりお悔やみの言葉とかが同じような内容になることはあるだろうけど、こちらは本質的な部分は違ってしかるべき。でも、同じ熊本の水害被災対策の挨拶で、訪問した地域によって毎回違うことを言ったら、それは変でしょう。特に、この広島長崎の被爆に関しては、世界に対してのメッセージでもあるわけで、それが一方で入っていることと、他方で入っていることに差異があったら、そっちの方が問題では。「いゃ、内容は一致していても、伝える言葉はそれぞれで返るべきでは」という反論もあるだろうけど、でも誤解され事無く、伝えるべき事が伝わるように言葉やメッセージは慎重に準備されるものだし、そうなれば最適と思われるものに統一する事が一番誤解を生まない方法だと思う。大体、その「自分の言葉」をネタに、有ること無いこと揚げ足取りをするわけだから、そりゃぁ余計なことは言わない方が必要な仕事も進むだろうし。結局は、批判している側の態度がこういう状況を生んでいるだけの話ですよね。

元の記事に戻ると、どう言う理由・葉池から「93%一致」と毎日新聞の記者が言っているのか不明だけれど、ではその93%一致している部分において、広島・長崎に対して不適切あるいはそぐわない部分はどれだけあるのだろうか。そこで語られている話は「原爆」という共通項の話なのだから、どちらにとっても必要な話だし、だからこそブレない主張をするべきでは。それに、そう言うことを言うのであれば、毎日新聞を始めとした全国紙が、「地方版」と言いつつも、全国版の一部だけ地方の記事に差し替えているのも、「誠意が無い」し「手抜き」だし「コピペ相当」の行為だと思うのだけれど。同じニュースであっても、その地域によっては重要度や優先順位が異なるわけだから、当然毎日新聞社においては、地方地方に応じた独自の紙面作りをしているんだろうなぁ(棒読み)。その時、彼らはどう言う言い訳をするのだろうか。新聞だってワンパターン、で、攻め方にしてもワンパターン。先ずは自分達の存在意義が理解されるような、独自性を自ら証明するところから始めたらどうだろうか。

Marriott、赤字250億円

産経新聞の記事から、Marriottの2020年4~6月期決算で、純損益が約250億円(US$234M)の赤字だったというニュース。前年同期は、その真逆のUS$232Mの黒字だったことを考えると、新型コロナウイルスの影響の大きさを感じられますね。

そんな中でも、売上高がそれでもUS$1.46B(約1560億円)もあるのは、やはり世界的なホテルチェーンと言う事かなぁ。それでも、72%減ということだし。それでもCEOは、回復基調に戻ってきているという認識のようで、確かに国際線はほぼ動いていない状態だけれど、国内需要が少しずつでも回復してきているんでしょうね。国内のホテルの様子を見てみても、まだ館内のレストランとか施設の利用制限は残っているけれど、一時に比べると大分戻ってきている様子に見えるし。

記事の最後に書かれていますが、4月初めには11%まで落ちた稼働率は、7月下旬で34%まで改善。8月に入って、夏休み需用でもう少し改善しているんだろうか。でも、一般的に営業的にペイできるのは80%位と聞くから、まだまだ道のりは遠いですよね。自分も、今年は年内の予約はMarrottは勿論、それ以外のブランドも白紙状態で、来年の予定すらも全く立たない状態。取りあえず現在のステータスは来年度も維持されるけれど、再来年のステータス用の来年のプランがどうなるか、全く未定だなぁ。

毎回思うこと、言う事は同じだけれど、早く感染が終息して、せめて移動する事くらいは以前のように自由に出来るようになって欲しいですよね。でも、なかなか陽性者数は減らない。ただ、実行再生算数を見ると、7月の初めに「2」近くまで上がったものが、最近に欠けて徐々に下がり、直近8日の値は「1.09」ともうすぐ「1」を着るところまで下がってきました。これが1未満になっていけば、感染しても拡大することは無いという指標だから、徐々に終息することが期待出来ます。でも、5月の中頃には0.5を斬っていた物が、そこからまた徐々に拡大して7月の感染拡大に繋がっているので、まだまだ道のりは通そう。だからこそ、こう言う脳天気なことをやっている人間には苛立ちしか感じないのだけれど。

2020年8月10日

フライト気分

もう、半年以上も海外に行けず、暫く前まではモンモンとした気持ちが高まっていましたが、最近ではもう諦めの気持ちも大きくなってきているのか、フライトする情熱もかなりしぼんできてしまった気分です。そんな「飛び族」の皆さんは、国内にも沢山いらっしゃると思うんですが、そんな中の一人の方の「疑似フライト体験」の記事。

暫く前に、やはり海外旅行できない気分を紛らわせるために、横型洗濯機の丸い扉の向こうにタブレットを置いて、そこにフライト中の映像を流して、恰も飛行中窓から外を見ているような雰囲気を醸しつつ、その横で機内食風の食事を食べて旅行気分を醸し出している外国の人の記事があったけれど、それに近いかも。実際の飛行機の座席に、大型プロジェクターで景色や映画を映しながら、本物の機内食のサービスみたいに食事やドリンクを飲む、「疑似フライト体験」を提供している「FIRST AIRLINES」という会社のサービスが、去年くらいに取り上げられていて話題になっていました。その当時は「ん中貧乏くさいなあ(失礼!)」と思いましたが、こういう状況になると貴重な体験かもしれない。

「機内食」って、エコノミーはもとより、ビジネス、ファーストクラスであっても、そんなに美味しいものとは思わないけれど、何故か独特の魅力が有るのも確か。事前に調理をしておいて、機内ではオーブンで温めるか、湯煎するか、お湯で溶くくらいしか「調理方法」がないので、あれだけのものが出てくるのは対したものですが、機内用に濃いめに味付けしてあったり、独特の調味料とかあったりするので、どうしても自分はお酒に逃げてしまうのですが(笑)。そう言う意味では、国際線ではこれまでの半数近くをUAのフライトを利用しているので、一番最初のドリンクサービスに出される「温めたナッツ」が妙に好きで、自宅でもミックスナッツを買ってきたら、アルミホイルに広げて、オーブントースターで温めて食べたりします。あれさえ有れば、個人的には「フライト気分」だなぁ(安上がり!)。

一部地域とは、ビジネスや留学など特定の目的渡航に限って出入国検査の簡略化等を適用して、渡航が再開されるような動きがありますが、以前のように普通に渡航できるようになるのはまだまだ先。来年の7月に、予定通りに東京オリンピックを開催すると想定して逆算すると、どんなに遅くても4月初めにはそれなりに自由に出入国出来るようにしないと駄目だろうし、出来れば年明けから以前のような状態に近い形に回復しないと、ANAにしてもJALにしても持たないだろうし。こう言う記事を見ていると、皆さん色々な方法で「旅心」を癒しているんだなと感心するとともに、場合寄っては余計にかき立てられる気分にもなるよなあ、逆効果だよなぁと、ちょっと恨めしくなることも。やはり特効薬は「実際に飛ぶこと」ですね。(当たり前か)

クラスターフェス

この週末に、渋谷駅前で「クラスターフェス」なるものが開催された様子。「三密」や「マスク」「ソーシャルディスタンス」なんてしなくても、新型コロナウイルスには感染しないし、仮に感染しても風くらいな程度、と言う主張らしい。新型コロナウイルスに対して、どの様な意見を持ち、それによってどの様な行動をしようとも、今の日本では「自由」ではあるけれど、だから取って無限の自由行為が許されるわけでは無い事は明らか。確かに、昨日時点での東京都の要請者数は約16,000人で、都下の人口1400万人で割れば感染率は「0.1%」。仮に100人集まっても、0.1人が感染している確率だから、それをどう判断するかではあるんですが...

でも、実際の所は無症状感染者が何倍も入ることは推計されているし、「0.1%」の感染率であっても、100人の集会を10回開催すれば、そのうちの一人は感染している計算になります。その一人から複数人に感染すれば、次の100人の中にその人が紛れ込む可能性もあるわけで、ひとたび感染者が含まれてしまうと、後は加速度的に感染拡大して行くでしょう。さらには、そのフェスの後マスクもせずに山手線に乗り込んで、車両ジャックをしようとしたことで、これも迷惑行為以外の何物でも無い。というか、アメリカだったかな、同様のクラスターフェスを開催して、そこで感染した青年男性が死ぬ思いをして反省したというニュースが配信されたのは、結構前の話だったと思うのだけれど。

自粛や、色々制限が続く生活に閉塞感を感じて、何か「開放されたい」という気持ちになる事は分かる。でも、そう感じているのは彼らだけじゃ無くて、多分日本中の殆どの人が同じ気持ちになっているわけで、そんな中でも多くの人は早く感染拡大を終わらせるために出来る努力をしているわけです。そう言う多くの努力を、彼らの行為は一旦止める、あるいは場合によっては無駄にする行動な訳で、それならばそれ相応の理由を聞かせて欲しいところだけれど、そう言う話は無いんでしょうね。勿論、お盆シーズンで帰省したら地元住民から嫌がらせの書込を投げ入れられたり、理由無く差別されることは排除されるべきだけれど、例えば都内でこう言う事が行われているという話が回り回って地方に伝わると、「だから東京からの人間は排除しろ」という理由無き差別を肯定してしまう理由の一つになってしまうこともあるんだろうなぁ。

これまで10回、このようなイベントを開催しているそうですが、その参加者から感染者とか問題になるような人は発生していないのだろうか。「誰も感染していないから問題ない」という理屈で、ずっと開催を継続しているのかもしれないけれど、ひとたび陽性者が発生したらどれだけの反発が生まれるか。それに、こう言う事が「自由」の名の下に無差別に続けられると、結局は多数の安全を守るために、その「自由」に制限が掛けられたり、今は慎重に判断されている「個人の権利」に関しても、一気に制限が当てはめられて、中国とか韓国みたいに強制的に管理することで感染の拡大阻止が実施されるかもしれない。そうなったときに、彼らは責任は負えないだろうし、そうなればなったで又「自由」と叫ぶのだろうか。こう言う行為が出来るのも「自由」ではあるけれど、無差別に与えられているわけでも無い「自由」を振りかざすことによって、自らその権利を放棄していることを理解して欲しいなぁ。

記憶は変わる

ジャーナリストの佐々木俊尚氏のコラムから、歴史に関わる映画の表現について。「時代を表す戦後映画史」シリーズとして、第一回第二回に続く第三回の記事。最近では、殆ど映画も見なくなり、かつここで取り上げられている映画にも詳しくないので記事もそんなに深く読めていないのですが、佐々木氏が「歴史改変かリアリティか」と第三回目で取り上げている内容に関しては、「現代に翻訳するか、当時を残すか」という言い方の方が適切なような気がしますが。というか、映画、あるいは歴史映像にしても、「ドキュメンタリー」とか「ノンフィクション」とか言われているものでも、結局は編集されて切り貼りされている時点で、すでに「歴史の事実」から変わっているわけで、そこに表されているものは100%の事実では無いと思っているので。

本当に「事実」を伝えるためには、一切の編集無しでライブで映像を流して、それも一方向だけじゃ無くてマルチアングルで撮影したもの以外は無理だと思うんですよね。でも、それは現実的には無理なわけで、どうしても発言は短縮されて編集されるし、場合によっては音声部分と映像部分が異なるタイミングのものが組み合わされたりする。時々ニュースでみる、例えば裁判の様子を伝える場合も、被告の発言を吹き替えで放送していますが、何となく悪い印象になるような声質だとか言い回しを使用しているんじゃ無いかと感じることが多々あります。本当ならば、本人が発言している映像を使うべきだけれど、それも出来ないから苦肉の策だとは思うけれど、そこはできる限り実際に近い形で再現しないと、試聴する方の印象が変わってしまうし、それは「捏造」とは言わないまでも「欺瞞」に近いものになるような気がする。

もう一つ考えるべき事は、近代くらいまでならそんなに今の言葉と違わないから分かるけれど、それでも当時の背景を知らないと成立しない言い回しとか、当時の社会状況を正確に表現しようと思うと、例えば喫煙シーンとか、男女の格差とか、今では問題になりそうな状況もそのまま表現しないといけない。実は、先日社内教育の一環で会社の創立からこれまでの変遷みたいなビデオ(アニメーションで再現した物)を見る機会があったんですが、創立当時の当時の関係者数名が、新しく設立する会社の理念や名前などを話し合うシーンがあったんですね。で、その中の一人が、タバコを吸いながら会話をしている。いゃ、当時は全くそれが普通の姿で、多分有る程度リアリティを考えて再現したアニメなんだろうと思うんですが、今の時代に当てはめたら、まず成立しないシーン。多分、多くの企業で同様のビデオを制作使用と思ったら、事実はそうであっても喫煙シーンは入れないだろうなと思います。まぁ、タバコを吸うか吸わないかは、当時の会社設立の状況に影響が無いわけだし、当時制作のアニメならまだしも、現在作成したものならあえて入れる必要は無いだろうなというのが正直なところ。

コラムの中では、当時は存在しなかったであろう、現在の問題を語らせることに疑問を呈しているんですが、それもその映画のメッセージ性というか、監督の演出の範囲だと思う。でも、「当時の史実に基づいて制作した」を理由に、その「演出」が「事実」として扱われることが多々あるから、それは止めて欲しいけれど。「実体験に基づいているから正しい」とよく言うのだけれど、例えば今自分の子供の頃とか学生時代の話を同窓会とかで話してみても、結構記憶違いがあるわけで、それは幾ら強烈な体験であっても時とともに変質してくるものだと思う。逆に、強烈な体験であればあるほど、その後の変質度合いも良くも悪くも大きくなるものだと思う。8月は、原爆の日や終戦記念日等、日本にとっては鎮魂の月ですが、そこで故人を偲び色々考えることは良いと思うけれど、戦後75年が過ぎ「個人の記憶」だけに頼ること無く、客観的な資料発掘なども進めて、何か一つ答えを出すのでは無く、色々な人が色々な方向から、色々な意見や考えを持つことが出来るようにして欲しいなと思います。そこで「平和」という大きな方向性にブレが無いのなら、その中で意見が違うことを排除するのでは無く、何が違うのか、どこか妥協点は無いのか、そう言う努力をして行くことが「平和」を継続していく原動力になると思う。

2020年8月9日

広島、長崎、福島、コロナ

今日は長崎に原爆が投下された日で、三日前の6日は広島に原爆が投下された日。それぞれ、厳粛に異例の人を迎えたんですが、同時にそれを利用して(?)いろいろな主張も。その中には核軍縮とか核廃絶言うものもあれば、全く見当違いなものも有るわけですが、そんな中で今回一寸心に引っかかったのが、当時の広島市民、長崎市民が、原爆投下後にその放射能による影響を恐れて、色々な差別にあったという話。戦後75年が過ぎて、未だにそう言う差別も残っているみたいな話には、ただただ呆れるしか無いけれど、よくよく考えてみたら現代ですらそう言うことはあるなと感じます。

同じ「放射能」と言う意味では、福島原発の事故直後から福島に対しての「放射能デマ」は未だに続いています。卑近な例では、発電所内に溜められている汚染処理水が飽和する前に、再処理をして海中廃棄するという話に、一部界隈から猛烈な反対が。中には「汚染水を流すな」と見当違いな理由もあるけれど、広島、長崎の当時もこんなものだっただろうなと想像出来ます。戦争当時は、今のようにネットワークも無いし、戦時中と言う事で情報統制もされていただろうから、その情報内容や伝搬速度に問題があったことは想像出来ます。それ故に、不正確な情報が蔓延してしまうことも理解出来るんですが、でもそこから何年、何十年過ぎてもその状態が変わらなかったのは、人間の弱さだけで無い他の要因の影響が大きいんじゃ無いかとも感じます。本来正しい情報を伝えるべき、当時の新聞、テレビ、ラジオといったメディアが、結局は必要な仕事をしていなかったというのが、大きな問題では無いかと。

それを現代において再現したのがまさに福島での例で、東京電力批判はまぁ許せるとしても、そこから原子力発電と原子力爆弾を結びつけたり、水素爆発で飛散した放射能の影響を言うのはよいけれど、そこには非科学的な検証や感情的なものを優先した、客観的報道とは程遠い行為をずっと続けている。あるいは、新型コロナウイルスに関しても、全国の感染者の状況を伝えるのは良いけれど、中にはプライバシー違反や行きすぎた報道もあり、それ故に全く本人には落ち度が無いのに感染を非難されたり、それが家族や周りにまで広がってしまう。本当ならば、そう言うことを正す役割もメディアでは必要なはずなのに、そう言うことは殆ど伝えず、単に陽性者数が増えたとか、政府のキャンペーンがとかしか言わない。

勿論、全ての責任がメディアにあるとは言いません。メディアだって、それを続けて行くのはよほど会社的にその件に関してのイデオロギーを持っているか、消費者からの引きがある時だけですからね。そう言う意味では、自分達に理由があるから、そう言う事柄がいつまでたっても改善も解決もされない。そこはこちらも反省しないといけないと思うけれど、あえて自分達のビジネスを諦めても「事実を伝える」という本来の役割を思いだして戻る勇気もメディアはもっと自覚するべきでは。例えば、核廃絶に日本政府の努力を要求するのは良いけれど、根本である「核保有国の核廃棄」を目指すのであれば、もっと核保有国に対しての圧力も実行するべきでは。その場合、特にアメリカが対象になるんですが、ロシア、中国、インド、欧州の国々、さらにはパキスタンに北朝鮮と、何カ国も存在しているのに、それらに対しては殆どメディアから何か聞くことは無い。年月が経過するにつれて、人々の関心が薄れていくことを憂うのであれば、それはメディアの責任も大きいことを自覚して欲しい。

独裁とリーダーシップ

「Go Toトラベルキャンペーン」で観光業などの活性化を要求しつつ、お盆の帰省は「自粛してください、慎重に」と制限を要求する政府に対して、「矛盾している」「無責任」と批判するメディアや一部界隈。どちらも「自宅から他所に移動する」事に違いは無いけれど、その目的も行動パターンも異なることだから、一方は推奨されて、他方は制限が求められているわけで、その違いがちゃんと認識されていない。同じ「道路」であっても、速度上限と共に最低速度も決まっている高速道路と、上限だけが決まっている一般道の違いみたいなものだと思うのだけれど、違うだろうか。いずれにしても、どちらも必要性があることだし、どちらか一方だけ許して他方は禁止すると言う事が出来ないから、100点では無いけれど、なんとか合格点となる60点、70点を目指して両立させるのが「政府」の仕事じゃ無いだろうか。

勿論、多くの国民がそういう事情をちゃんと理解して行動できるように伝えることも政府の仕事で、その部分も含めてまだまだ努力は必要と思う半面、その代弁者となるべきメディアは、相も変わらずイデオロギーに走って、都合の良いところだけつまみ食いをして報道をしている。特に、このキャンペーンと帰省のバランスに関しては「政府が決められない」みたいな事を言っているけれど、ちょっと前までの自粛要請に関しては「独裁政治」みたいな事を言っていたことを忘れているのだろうか。これまでも、都合良く「独裁政治」と「決められない政治」を繰り返して報道していて、一体今の安倍政権はどんな政治体制なんだよと、苦笑いすら生まれない。個人的には、これまで関係無い事象に関しても、一寸した切掛(多くの場合は「難癖」だと思うけれど)から騒ぎになって、それによって結果的に無駄な時間を浪費することになったことに懲りて、当たり障りの無い対応をしようとしているように見えるんですよね。それは駄目だと思う。そこは、もう少しキッパリと「やる・やらない」「出来る・出来ない」を明確に言うべきだと思う。そして、それに対して間違った解釈なり、曲解するようなことに対しては、厳しく対応するべきだと思う。

「独裁」と「リーダーシップ」って、やはり紙一重だと思うんですよね。良く「独裁」の代表として取り上げられる、ナチスドイツのヒットラーだって、最終的には恐怖政治になったんだろうけど、そもそもの成り立ちは国民の熱狂的な支持からなわけで、その時点では「リーダーシップ」が受け入れられていたんでしょう。その課程に於いて、メディアの存在は大きいわけで、そう言う意味ではメディア支配をする事が「リーダーシップ」からの「独裁」への遷移条件の一つと言えるのでは。中国などは、その典型だと思うし。そう言う意味では、政権に対して批判的な意見なり記事を自由に配信できる今の日本は、彼らが言うところの「独裁政権」とは全く程遠いものという証明にもなると思う。

SNSを代表するネットワーク情報伝達が、辛うじてそう言うバイアスの掛かったこれまでのメディア報道に対して補正する効果を生んでいるけれど、ネットはネットでバイアスの振れ幅が大きいわけで、こちらも「何が正しいのか」という、情報リテラシーがしっかりしていないと、返ってバイアスが間違った方向に増えていくことに。結局は、リアルタイムで伝達される情報、それもオリジナルソースからの情報だけが「正しいもの」としか言えなくなってしまいます。本当は、そう言う状況に陥らないように、本来の「メディア」がリーダーシップを発揮すべき所なんだけれど、結局は自分達の都合の良い「独裁」状況を維持しようとしていることも理由になっている気がする。まぁ、同じ人が、ある時は「独裁」と言われ、またある時は「リーダーシップの欠如」と言う割れるという事は、結局はどちらでも無い状態にあるという事だから、やはりもう少し努力はして貰わないといけないという事ですね。

日本製マスク

昨日土曜日に一寸街中に用事があって出かけたときの話。自宅から車で出かけたんですが、暫くして「あっ、マスク忘れた」と気がつきました。一旦は戻ってマスクを取ってこようかとも思ったんですが、既にそこそこの距離離れてしまっているし、ここで戻ると約束の時間に微妙というタイミングなので、そのまま戻らずに向かうことに。

いつもだと、外に出るときに持ち出すスリングバックの中に予備のマスクとか入れているんですが、この日は別のトートバッグに荷物を入れて出かけたため、その予備のマスクを入れていたZiplockを入れ替えるのを忘れてしまっていました。最悪、タオル地のハンドハンカチで口元を覆えば良いかと思いつつ運転を続けましたが、その途中に閃きました。目的地は浜松駅の近くで、周辺の駐車場に車を入れて徒歩で歩いて向かうのですが、その途中に浜松駅の近くを通過します。この浜松駅の地下1Fには大手のドラッグストアチェーンのお店が入っていて、確か朝一から開いていたはず。ここでマスクが購入出来るかもしれないと閃いたわけです。で、駅周辺の駐車場に一旦車を入れてから、少し遠回りになるんですが浜松駅に向かい、そこから地下に降りてドラッグストアーへ入りました。

土曜日の朝一ということで、お客さんは数名程度。で、「マスクはどこだぁ」とお店に入ってみたら、入口の正面に「マスク有ります」という表示が。少し大きめのワイヤーフレームの箱に、5枚入り? 7枚入り? の細長い袋に入ったマスクが、乱雑に詰め込まれています。「まぁ、安い中国製のマスクでも、取りあえずこれから使えれば良いか」と思いつつ、その箱に向かって行き一袋取り上げます。で、その商品を見てびっくり。アイリスオーヤマ製の7枚入り不織布マスクで、一つ298円(税込み)で、しかもポップには「お一人様幾つでも」と書かれています(笑)。最初は、この後一つマスクがあれば良いので一つで十分と思ったんですが、折角だからと三つほど購入しました。後で購入したマスクを装着したときに、それまで使用していた5月頃に購入した中国製マスクと比較して、段違いに快適な付け心地だったので、もう少し買っても良かったかなと後悔したのは秘密です。特に、以前購入した中国製マスクが、乾物みたいな臭いが酷いのに対して、このマスクはそんな臭いは全く感じない。さらに、不織布マスクは装着しているとマスク内部に呼気の熱がこもって、外すとホッとするんですが、このマスクは通気性も確保しているのか外してもマスク内部の熱気は感じられず凄く快適。何か「格の違い」みたいなものを感じます。

実は自宅に戻ってこのマスクをよくよく見て少しガッカリ。実は、アイリスオーヤマがマスク国内生産を始めて一般に売り出すと言うニュースを少し前に聞いていたので、今回も購入したんですが、戻ってよくよくこのパッケージを見たら、裏側に中国語のシールが貼ってあり、どうも製造したのは中国の江蘇省蘇州市のアイリスオーヤマの現地法人「愛麗思生活用品(蘇州)有限公司」で、製造日は6月1日となっています。船便で輸入しているとはいえ、一寸時間が掛かっている気がするけれど、これは有る程度国内在庫を確保してから店頭に出したと言う事なんだろうか。まぁ中国製とはいえ、製造は委託業者では無く自社工場(?)らしいし、「全国マスク工業会」のマークも印刷されているので、多分大丈夫でしょう。実際先書いたように付け心地は全く違うし、鼻の部分を押さえるワイヤーも、中国製の安っぽい針金みたいなものよりもしっかりしているものが入っています。これで、1枚あたり40円程度なら十分です。自分の自宅周りでは、これまでこの手の日本製マスクを見たことが無かったんですが、やっと普通に入手出来る位の状態に戻ったのかなと実感しました。でも、5月に購入した「臭い」中国製マスクが、まだ70枚位残っているから、こちらを先ずは消費しないと。とはいえ、ずっとリモートワークでさらに連日の猛暑で、外に出る機会はますます無くなっているので、何時使い切れるのだろうか...

2020年8月8日

騒いだ者勝ち

安倍総理が広島慰霊祭の後に広島市内で会見したときに、会見後官邸報道室職員が朝日新聞の記者の右腕を掴んで制止したと抗議している問題。朝日新聞と毎日新聞は、「ゆゆしき問題」と早速翌日の紙面で取り上げたけれど、官邸側は「掴んだ事実は無い」という態度。会見時のビデオは登録されていて見ることは出来るんですが、肝心の「その場面」は映っていないし、新聞社側もその様子を撮影した映像は無いみたいで、今の所は「掴んだ・掴まない」の水掛け論のまま。

会見の様子をビデオで見てみると、三密を避けるためにかなり広く記者側の席が取られていて、且つ首相や官邸スタッフとの間隔も広く空けられています。会見終了後、首相はそのまま横に移動して、前の出入り口から出ようとしたように映像では見られるので、多分件の記者は席から立って首相の移動する前方に出てきたんでしょう。その時に、スタッフかSPか分からないけれど、誰かに阻止されたのでは、と言う想像はそんなに間違いではないのでは。その時に、どの様な「阻止行動」をしたのかが分からないと、それが通常の範囲なのか行きすぎなのかも分からない。ただ、翌日にこの件を報道した朝日新聞毎日新聞ですが、当事者の朝日新聞はそれなりに詳しく報じているのは当然としても、お仲間の毎日新聞は「朝日新聞がこう言っている」という伝聞情報のみ。多分毎日新聞記者も会見には同席していたはずだろうし、その場合はこの場面も見ているはずで、でもその言及が無いのはその行為がそんなに問題にするようなレベルでは無かったか、元々そうではなかったからと言う想像も出来ます。その後朝日新聞は後追い記事でこの件に関して菅官房長官の記者会見の場でも質問し、菅官房長官から「その様な事実は無い」との回答に対して、「体に触れてもいないのか」とトーンダウンしているんですよね。移動する首相に対して、迫ってくる記者と首相の間に入っただろう職員に対して、当たる・触れることは多分あり得ること。でも、それは「腕を掴んで阻止した」事とは全く別の話なわけで、元々主張している「意図的行為」の話を、なんで「偶然の接触」にまで変更するんだろうか。

この会見にしても、一応質問は4問で会見時間は後の移動予定(広島空港からの帰りの飛行機のスケジュール)もあるので10分間という約束で始めたもの。その後、3問目で時間が過ぎたので一旦職員が止めたものを、「後一問だけ」という事で首相が対応し(これで時間オーバー)、さらに続けて二問目の質問をしようとして一旦終了したけれど、それに関して首相が回答して会場を離れようとしたもの。そこに、映像ではよく聞き取れないのですが、中に国会の野次のような感じで質問をしているような声が入るんですが、これが件の朝日新聞記者なんでしょうか。質問そのものが予定外の行為だし、仮にその時間なり質問数に不満があるなら、そこは記者クラブなり幹事会社が対応するべき話では。今回だって、帰りの飛行機の予定が決まっているわけだから、そこから逆算して会見を早めるなり、それはメディア側の努力目標だと思うし、のべつ幕なし不正規な質問をしていたら、やはり対応する側もそれなりの対応になってくるのは仕方ないと思う。

首相の会見が少ない、間隔が空いていると言うけれど、色々な指示とか発言は、文章の形とか色々な形で提供されている。でも、メディアが欲しいのは、そう言う「言葉」ではなくて「(攻めている)映像」なんですよね。その時に後から使える瞬間の「映像」が取れれば、会見の内容なんでどうでも良い。どうせ会見内容に関しては、自分達の主張を被せて都合のよい方向に脚色して伝えればいいわけですか、後から何とでもなる。そこに、例えば眉間に皺を寄せる首相の表情とか、何か起こっているような表情とか、自分達の都合の要因尚早さに使える映像があれば彼らは満足するんですよね。大体、そう言うことを言うのなら、彼らメディアの会見には常に社長が登場するのだろうか。野党が会見するときは、常に党首が出てこないといけないのだろうか。結局今回の件だって、実際に掴んだ・掴まないというのが本筋では無く、掴んだ疑いがある、会見数が少ない、首相の対応が不足、国民は納得していない、という、何か非の無いところに煙を立てられれば満足する結果なんですよね。コロナ対策には「三密回避」が必要だけれど、ここに聞いて「三離継続」も必要では無いだろうか。つまり「新聞から離れる、ワイドショーから離れる、感染専門外の医療関係者から離れる」という事。「無駄」だけなら笑っても済ませるけれど、それが「邪魔」で「害悪」にまでなっているのでは、こちらも「駆除」する必要があるよなぁ。

閉店

よく利用している、自宅近くのイオンモールですが、やはり新型コロナウイルスの影響なのか、ここに来て閉店するお店が続出。1Fの西側奧の結構広いお店だった「casa&SWEN」は、少し前に7月一杯で閉店するという告知を見ていたので知っていたんですが、数日前にDMがAIGLEから届いて、何だろうと思ったらモールに入っている店舗が8月一杯で閉店するというお知らせ。「あらら」とその時は思ったんですが...

昨日、買い物に行ってちょっといつもは歩かない場所とかモール内を歩いてみたんですが、結構あちこちのお店で「閉店」とか「閉店セール」の告知があり、ビックリ。食事をするお店から、服飾関係にアクセサリー関係と、業種はいろいろで、うーんやっぱり3月から始まった自粛によって、経済状況が予想以上に疲弊していることを実感しました。試しに、県内最大規模のイオンモール志戸呂の様子を見てみたら、閉店する店舗はあるけれど、こちらよりは多くない様子で、そこはやはり規模の違いなんだろうか。

どちらのモールも、確か専門店(入居している店舗)の数は200を超えていたと思うので、それなりの数の入れ替わりはあるんでしょうけど、自宅近くのモールの閉店数はちょっとこれまで見たことの無いような状況。さらに回りの同様のモールとかショッピングセンターを見ても、確かに閉店する店舗はあるんだけれど、うちの近くのモール程じゃないのがちょっと不思議。少し前まではかなり盛り上がっていた、県内最大規模のイオンモールなんだけれど、陰りが出てきたと言う事なんだろうか。やはり、コストコにお客さんを取られている?

経済を回すために「Go toトラベル」を始めたけれど、お盆の帰省は自粛しろというのは矛盾しているという話もあるんですが、やはり前者と後者は大きく違うもの。でも、今年のお盆の帰省が、例年よりもかなり少なくなるのは、こう言うご時世なので仕方ないんですよね。夏休み時期は、子連れの家族とか、帰省した孫を連れた爺婆がモールに一日中溢れるんですが、今年はとてもそんな光景は生まれなさそう。浜松も新規陽性者が毎日発生している状況で、市街の飲食店などはかなり打撃を受けているとも聞きます。この夏を乗り切れないところも多そう。最近はというか、10数年前にこちらに戻ってきてからは、殆ど市街のお店で飲むことも無くなって、もう馴染みのお店と言えるのは無くなっているので何ともしようが無いのが歯がゆいですね。秋まで踏ん張れるかなぁ... やはり、特別給付金をもっと出して消費を刺激しないと駄目だなぁ。

Blogger更新

長いこと利用している、このBloggerですが、来月から管理用画面のデザインが変わるとの事で、アクセスすると何度か督促されるこの頃。試しに新しいI/Fに変えてみたんですが、何か大きなアイコンが並んだりして、使いづらい。多分、スマホやタブレットでの利用を想定しているんだろうけど、それなら「簡易モード」と「詳細モード」とか、スマホ用、PC用に切り替えることが出来るようにして欲しいなぁ。

Windowsのアプリがまさにそう言う状態で、Windows10になって最初の頃はWindows7/8のデスクトップアプリ中心だったのが、段々とモダンアプリに変わってきて、そうなるとボタンとか操作系が大きなアイコンとかフォント中心に。それが、新規のアプリなら、まぁ「そんなもの」と思って使えば良いんですが、以前から使用して居るアプリがいきなりそう言うI/Fになってしまうと、使い慣れているユーザーにとってはトラブルそのもの。同じような事は、Macにもあると思うんですが、多分MacはiPadやiPhoneとの共存時間がWindowsよりも長いし、元々そう言うI/FをMac OSでも提供してきたから、余り違和感をユーザーは感じないんだろうなぁ。

今にして思うと、MicrosoftがOffice製品で提供していた「リボンインターフェース」が、それに近い思想というか誘導を考えていたのかもしれません。でも、既存のツールバーの亜流というか子供だましみたいなものだったので、結局消えていくしか無いんだろうけど。まぁ、今の時代は、昔のPCからスマホに標準プラットフォームは移ってきていることは事実だし、スマホをベースにアプリのデザインを考えるのも当然なんですが、それでもまだ多くのPCユーザーは残っているし、そちらのユーザーに対してのサポートというか対応もちゃんと考えて欲しい。例えばWeb等のネットサイトが、PC用かスマホ用かどちらか一方だけに最適化した画面だったら困るわけで、だから多くのサイトではPC用スマホ用それぞれに最適化した画面になるように苦労しているわけですからね。

どうも、8月中には否応なくBloggerの管理画面は新しいインターフェースに移行させられるらしいので、それまでは意地でも今のまま使い続ける予定(笑)。今の管理画面も、確か何年か前に変更されたものだったと思うのですが、その時はそんなに大きな変更では無かったと思うんですよね。だからその時には、そんなに抵抗なく移行できた記憶があます。自分も仕事で、立場は逆で似たような場面に遭遇することが何度もあり、その度に色々アイデアをだしてみるものの、それ以外の要素、例えばコストとかスケジュールとか実現するためのリソースとか、色々大人の事情もあり、どうしても妥協することが多い。だから、Googleの気持ちもよく分かるんですが、いざ自分がユーザーとなるとやはり我が儘は言いたい(笑)。せめて、そう言う不満(Pain Point)体験を自分の仕事にフィードバックして、次の仕事に生かせるようにはしたいけれど。

2020年8月7日

低い死亡率

高止まりしている陽性者数が毎日話題になる新型コロナウイルスですが、やはり重視するべきは重傷者数や死亡者数のはず。まずは感染しないことが第1だけれど、そこから重篤化しない事が次の目標で、さらにはそこから死亡に至らないように回復させることが最終ライン。幸いにも日本では、陽性者数も少ないし(※これは検査数がそもそも少ないという理由もあるけれど)、それに以上に重傷者数や死亡者数も、他国に比べて一桁以上の違いがあるくらい、良い意味で得意な傾向を見せています。ただ、最近になって、じわりとそれらの数値も上がってきているので、今一度注意が必要な事も確かですが。

その、他国と比較して明らかに異なる日本の傾向の理由について、元々の持病が少ないからではという中間報告。国内の入院患者の死亡率は7.5%で、欧米などは20%台と大きく異なるのだけれど、その理由として想定されるのは糖尿病や肥満などの割合が、欧米に比べて日本は少ないことが重篤化を妨げて、それ故死亡者数も少ないのではという推定。一般的に、欧米人に対してアジア人は特に肥満体質が少ないと言われているけれど、そのあたりが死亡原因に繋がると考えると、何となくアジア圏での新型コロナウイルスの影響が欧米よりも低い事も説明が通ります。

もう一つ最近見かけた説明は、人の体の中にある「T細胞」が、過去に同種のウイルスに感染した「記憶」を持っていて、それが今回新型コロナウイルスにも効果を発揮しているという話。その割合が、日本人は他国に比べて高い確率で反応しているので、より大きな免疫効果のようなものが生まれていると言うような話(※生物履修はしていないので、かなり自分的に咀嚼した話)。仮にその仮説が正しいとして、何故日本人はそう言う耐性というか特性を持つに至ったのだろうか。環境なのか、人種的なものなのか、そのあたり不思議なんですが、仮に人種的な要因が大きいとすると疑問点が。日本人は、島国という事も有り、他人種との混在が少なく多様性的には欠けると思うのですが、「人種のるつぼ」と言われる多様性の大きいアメリカの感染被害が大きいのは不思議なんですよね。何か、多様性故に普通なら様々事象に対応可能な体質が生まれてくるはずなのに、今回はそれが「広く薄く」なったために、ある部分を突破されて感染しているような。

まだまだ時間は掛かるし、感染が終息したわけではないけれど、こう言う研究をもっと進めて欲しいですよね。単にイソジンが効くとか言うレベルでは無く、収集された膨大なデータを紐解いて、核となる情報を抽出するような活動を、やっと出来る余裕が生まれてきたんじゃ無いだろうか。また、感染が終息したように見えてきたベトナムで、強毒性の新タイプが出てきているとか言う話もあるし、どんどん新しい分野での知見を検証しないといけない。「夏になれば...」という淡い期待はどうも駄目らしいので、この夏・秋にそれなりに道筋を見つけて作らないと、今度の冬は結構対面な事になるかもしれませんね。そうなると、来年の春、夏、は今年以上に厳しい一年になるかもしれない。そうなるとオリンピック・パラリンピックも... そうならないように、先ずはこのお盆、そして夏から秋のシーズンで、三密回避とうがい・手洗い・マスクの基本ルールを守らないと。

うがい薬 (2)

吉村大阪府知事の発言が物議を醸し、昨日はその吉村府知事は、各局のワイドショーやニュースショーをハシゴしていて対応に追われた様子。ここに、そのうがい薬の効果についての記事が掲載されています。この記事では、個人的に持っていた疑問の説明がされていて、一寸喉につかえた魚の骨が取れた気分(笑)。

「個人的疑問」とは、ポビドンヨードによるうがいをしても、うがいを使用しない場合と同じ適度の効果しか無く、一番効果があったのは水によるうがいだった、ということ。同じ「うがい」をするんだから、水による普通のうがい程度の効果が、ポビドンヨードを使用してもあるんじゃ無いかと素人的には思うのですが、記事の中で説明されているのは、
ポビドンヨードは強力な殺菌性ゆえに、のどや口の中にもともといる『正常な細菌』をも叩いてしまい、さらには粘膜なども痛めてしまうからと考えられています。強すぎるゆえに『総合的には効果が相殺されてしまう』のですね。
との事。なるほど、過剰消毒というか過剰効果によって、本来消毒するべきもの以上に患部を痛めてしまうから、その後細菌などが再発生したときに逆に以前よりも免疫力が減ってしまい、過剰に増殖してしまうと言う事なんでしょうね。これなら腑に落ちる説明。

 もう一つ気になったのが、最後に書かれている「口腔ケア」について。その段落の前で、うがいの効果として、「一時的に人に感染させるリスクを減らす」目的には良いかもしれないと書かれていて、実際私が通っている歯医者さんでも、治療の前に先ずうがい薬でうがいすることが求められて、それから診察とか治療が始まります。以前と比べて、「手間」では有るけれど、歯医者さんや看護師さんの安全確保のためにも、場合によっては自分自身の安全のためにも必要な事。その歯医者さんには、ほぼ月1で通って、インプラントの状態とか、歯周病の検査などをして、後は歯垢や歯石の検査と除去などをして貰っています。自分も、以前酷い状態になって、そこからインプラントを入れたり、虫歯治療などで大変な思いをしたので、もう何年も歯磨き、歯間ブラシ、フロスを使って清潔にしているので、歯の具合は問題ないのですが、その奥喉の調子がここの所少し問題有りなので、やはりもっとちゃんと清潔を保たないといけないのか一寸悩んでいます。

今回のポビドンヨード騒動(別名、イソジン騒動)は一寸極端なのかもしれないけれど、うがいの徹底が進むと、ますます日本人の清潔好きが進んでしまうのかもしれない。それはそれで、今の新型コロナウイルスの感染が終息して、元の生活が戻る事に繋がるから良いのですが、逆に耐性というか免疫というか、余りに清潔になりすぎて、一寸汚れたり、衛生状況の悪い場所に行ったら、日本人が一番脆弱になったりしないだろうか。まぁ、だからと言って、不衛生な生活が良いとは絶対言えませんが。いずれにしても、うがい、手洗い、マスク、と言う基本的な事をちゃんと守っていくことが、一番のウイルス対策ですね。

2020年8月6日

藤井棋聖

将棋の藤井棋聖が、現在開催中の王位戦七番勝負の3戦目で勝利し、いよいよ次回に新王位獲得の機会が回ってきました。将棋は、子供の頃にちょっとやったくらいで全くの素人だし、一昨日昨日の対戦の様子も熱心に追いかけたわけじゃ無いから、今朝の結果を見ただけなんですが、記事を読むかがりでは昭和初期80年位前の手である「土居矢倉」を今風にアレンジして来たとのこと。このあたり、単に強いだけの現代っ子ではなく、何か底知れぬ実力を持った「真の王者」みたいな印象すら感じます。

王位獲得が掛かる4戦目は、8月19日、20日に福岡で開催されるそうで、仮にこの勝負に勝って新王位となると、棋聖・王位の「二冠」となり、規定により八段に昇格するそう。この時に、まずは羽生九段がもっている「最年少二冠獲得記録(21歳11ヶ月)」を破り、さらに二冠獲得で八段へ昇格するので、そうなると加藤一二三九段が持つ「最年少八段昇格記録(18歳3ヶ月)」も、それぞれ「18歳1ヶ月」という記録で更新することになるらしい。特に、加藤九段の「最年少八段昇格記録」は、多分破られないだろうと言われてきた記録だけに、今回もし藤井棋聖が記録更新をすれば大変なこと。

でも、1年前の記事ですが、将棋な主な最年少記録が掲載されていて、当時の藤井棋聖の記録も掲載されているんですが、結構更新出来ない記録もあり、それらは今の所全て加藤九段が持つ記録というのも面白いし凄い。今では、バラエティ色の強い加藤九段ですが、その実績を見たら、もう「天才」と言うしか無いですよね。そんな状態は、10代から80代の今まで続けているわけですから。

今回の3戦目では、藤井棋聖が押し気味で進めていて、どうも「これを打ったら勝利確定」という手を間違えて、それは逆にかなり負けに近づく悪手だったけれど、相手の木村王位が気がつかず過ぎてしまい、結果その後藤井棋聖がリカバリーして勝利に持ち込んだ、と言う流れらしい。その、何で藤井棋聖が自ら墓穴を掘るような手を打ったか、師匠の杉本八段が何処かの記事に書いていたんですが、余りに色々な手が見えすぎてしまい、本来取るべき手を見失ってしまうことがあるのでは、みたいな事をいってらしたんですね。前回の棋聖戦では「AIを超える」みたいな事も言われましたが、AIとは異なる思考過程というか、無意識のデータ処理が頭の中でぐるぐる回っているんだなぁと実感するコメント。対戦相手の木村王位は、昨年最年長王位獲得記録を作った人だけに、なんとか頑張って欲しいところですが、仮に4戦目をどちらが取ろうと、凄く面白い勝負になるんじゃ無いだろうか。そんな気がします。

JL123の怪

一週間後の8月12日は、35年前に御巣鷹山に墜落した、羽田発伊丹行きの日航123便(JL123)が御巣鷹山の尾根に墜落した日。この事故の後色々なことがあり、JALはこの「123便」を永久欠番とし、復路便の「JL122」もその後欠番にしたくらい、日航にとっては大きな事件だったわけですが。

で、昨日から今日に日付が変わった頃一部界隈で話題になっていたのが、FlightRadar24等航空機のトランスポンダを表示出来るアプリに、突然「JL123」なる機体が成田に現れたという話。「JL123」というワードは、多少は飛行機に興味が有り、かつ35年前の事故を知っている人間ならば「えっ!」と思うわけで、深夜にもかかわらずネットはざわついた様子。しかも、事故の発生した日に近いし、しかもその時期は「お盆」というタイミングなわけで、余りに出来すぎた状況で単に笑い話では済まされないかもしれない様子なんですよね。

ここから、いろいろと推測が始まるわけですが、成田での機体整備か何かで、テスト的に臨時に番号がセットされたのでは無いか、と言うのが何となく事実のように感じます。テスト目的の時には、使用して居る番号は回避するべきだし、かといって突拍子も無い番号(例えば000とか)では弾かれてしまうかもしれない。たまたま永久欠番と言う事を知らずに、空いているから「123」を使用したのか、あるいは、良くあるように並び順だから「123」とか「987」とか私も使うときがありますが、そんな感じで「トントントン」と入力しただけなのか、真偽は不明だけれど、でもちょっと悪気は無くとも不謹慎かも。

本来なら、例えば「999」とかテスト用の番号を決めておいて、それを使うべき何ですよね。例えば、「990から999までは、テスト用の番号で、実際の運航には使用しない」とか決めておくとか。我々も、製品のシリアル番号とか実際に即したデータが必要な時には、予めそんなテスト用レンジ(範囲)を決めておいたりしますから。仮に、テスト用に偶然入れられた番号だったとしても、あの事故を知っている年齢の人からすると、やはりちょっと納得いかないかも。日航さんとしても、ちょっともう少し気配りというか、配慮が必要でしょうね。多分、整備マニュアルに素って作業していたのであれば、そこに「123以外の番号」とか一言注釈を入れておくべきかもしれない。TLを見ていると、過去にも「JL123」が表れて、しかも実際にフライトしたこともあったみたいで、そうなると確信犯なのかなぁ。自分も含めて、まだまだあの事故を生々しく記憶している人間は多いと思うので、やはりちょっと配慮はして欲しい気がします。

[2020年8月7日追記]
取材記事が公開されましたが、やはりテストのためにダミーでたまたま入れたIDが「0123」だったという顛末のようです。本文にも書いたけれど「123」とか「987」とかは、何となくありそうでなさそうで、ついテストの時に入れてしまいがちなものだけれど、やはり惰性でしようしては駄目という事ですよね。取りあえず、真夏のミステリーでは無かったことで良かった。

伊丹空港リニューアル

伊丹空港(大阪国際空港)が、約50年振りにリニューアルしたという記事。今年も何度か利用していますが、到着してバゲッジクレームを出たところと、反対側の保安検査場のある場所は既に綺麗になっているものの、その間の空間はずっと養生されて狭い通路があるだけの状態が続いていました。どんな感じになるのかと思っていましたが、こんな風になるんですね。何となく、那覇空港の国内線と国際線の間に出来たショッピングゾーンと似た感じがします。

羽田以外の空港施設で、商業ゾーンが大きいのは、私が知っている範囲では新千歳空港が一番大きい気がするんですが、それ位の規模なんだろうか。「大阪」と聞くと、「早い、安い、美味い」というイメージが大きいわけで、そう言うお店が増えることを期待したいですよね。リニューアル前に先行オープンしていた、バゲッジクレーム側の飲食の店舗は、何件かこれまで利用しているんですが、正直なところ「うーみゅ...」という感じだったので。

夏休みシーズン、お盆シーズンと言う事も有るんでしょうけど、8月の現便数もかなり減ってきました。9月はまだ厳しいかなぁ。10月位になれば、使用機材は小型化されるかもしれないけれど、運航スケジュールは元に戻らないだろうか。国際線はまだまだ厳しいけれど、せめて国内線に関しては、この伊丹空港のリニューアルが復活の切っ掛けになって欲しいなぁ。

2020年8月5日

うがい薬

吉村洋文大阪府知事が、地元の病院と協力して「ポピドンヨード」を含むうがい薬が、「新型コロナウイルスの上昇か抑制の効果がある」という会見をしてしまったものだから、一気に「イソジンパニック」が発生。薬局や医薬量販店から、一気にうがい薬が店頭から無くなり、さらにはメルカリなどでの転売騒動も。今朝の朝のニュース等でも、この吉村府知事の件を取り上げているけれど、ますますパニックを煽っているようにしか見えない。

実際に効果はどうなのかはまだ検証中で、かつ専門家の中には一時的効果があるだけで、使いすぎは逆に害になるし、うがいに関しては水でのうがいの方が効果がある(!)という意見も。今の所、うがい薬で一時的に口腔内のウイルスが減少するものの、1~2時間ほどで又元の状態に戻るので、PCR検査の擬陰性の可能性は増えるが、陽性を回復するものでは無いというのが正しい理解の様子。また、どんなうがいをしても、口の中と喉の上の方くらいまでしかうがい薬は届かないから、今問題になっているように喉の奥から肺にウイルスが存在していたら、全く効果が無いことに。このあたり、一度誤解が生まれてしまうと、なかなか正しい理解で上書きすることが難しいんですよね。

それに拍車を掛けるように、朝のニュースショーでは吉村知事のビデオを何度も取り上げて「うがい薬に~」とか「感染抑制が~」と繰り返す。勿論、そのコーナーの後半では、必ずしも絶対的なこうかでは無いし、使いすぎでのリスクや妊婦さんの場合は胎児に悪影響を起こすリスクもあるという話はするんだけれど、最初の方が印象は強いだろうし、本来なら最初に先ずはリスクなり不確かさを言うべきだと思うけれど。吉村知事は「批判は承知」みたいな、売り言葉に買い言葉みたいな事を言っているんですが、そこは行政のトップなんだから「言葉が正しく伝わらず申し訳ない。斯く斯く然々で、効果を評価中」みたいな事くらいは言わないといけないと思うけれど。

空気感染はしないけれど、浮遊する微細飛沫を吸い込んだり目に入ったりして、それが感染の切っ掛けになることはあるらしい。そう言う意味では、まずは「三密回避」ということが一番重要そう。次に多そうなのが、ウイルスが付いた手を、顔の口とか鼻とか目に触れて、そこから進入するケースで、となるとやはり念入りな手洗いが必要だなと再認識。それに、自分からウイルスを出さない、吸い込まない様にマスクをするという、結局はこれまで言われてきたことが一番基本で一番重要ということを再認識する機会になっただけのような気がします。それはそれで重要な事だと思うんですよね。自分がやっていることが正しいのか効果があるのか不安になる事がありますから。まぁ、吉村知事は今回は意図せず化もしれないけれど、ちょっと勇み足だった気がする。ただ、悪かったならばちゃんと対応する事も出来る人だと思うので、ここはちゃんと誤解を解くようなメッセージをしっかり出して欲しいですね。

是と非

立憲民主党の辻元清美議員が、「23年振りに自民党本部の二階幹事長を訪ねた」という記事が結構ネットで騒がれていました。辻元議員と言えば、「ソーリ、ソーリ」の迷言を始め、与党を追及する野党のシンボル的議員の一人。私は、正直好感を持っていないけれど、時々見る与党関係者の記事などでは、結構優秀な議員みたいな事も言われていて、まぁ「野党議員」という立場で演じなければいけない部分有るのかなという気もします。

で、その23年振りの訪問目的は、地元の旅行業関係者を、全国旅行業協会会長でもある自民党の二階俊博幹事長に紹介することだったらしい。辻元氏も、立憲民主党の幹事長代行だから、同じ役職といういみでは馴染みもあったんだろうし、良くも悪くも「清濁併せ飲む」みたいな二階氏だからということもあるんでしょうね。ただ、野党として「感染拡大の引き金だ」と大合唱で「Go To トラベルキャンペーン」を批判している時に、地元の観光関係者を敵とも言える自民党幹事長に引き合わせるというのは、まず身内から批判が出ないのだろうか。まぁ、地元が困ればあえて敵にも頭を下げてお願いすることが出来るから、地元で強い議員の一人なんでしょうね。

Go toトラベルキャンペーンと、お盆の帰省による感染拡大が心配されているけれど、地元から移動することにどちらも違いは無いけれど、その先の状況が大きく違いますよね。Go toは、滞在先で家族とか少数のグループで独立して過ごすことが出来るし、その宿泊先も対策を取っているから、感染リスクはかなり低いと言って良い。一方でお盆の帰省では、滞在先は大体が実家とか親族の一般家庭だろうから、感染対策という意味では不十分なところが多いでしょう。しかも、そこで出会う相手が、高齢で感染のリスクが多い祖父母とか高齢者となると、やはりリスクは高くなる一方。例えば、自宅では無くホテルに宿泊して、お墓参りとか会食だけするとか、かなり味気ない「里帰り」になるけれど、そう言う工夫があれば良いけれど、いつもと同じ「お盆の帰省」は今の所はやめておいた方が良いでしょうね。

多くの業種が、感染への対策から自粛したり営業短縮をしているなか、でも経済活動も動かさないとコロナでは死亡しなくても、経済的理由から立ち行かなくなってしまうかも。その解決策としては、やはり人が動くことが一番波及効果が大きいんですよね。でも、人が動くと感染拡大のリスクも増える。いかに、対策しながらいつもの生活を取り戻すか、その試行錯誤が今まっただ中な事は確か。Go toでは東京都は除外されているけれど、以前と同じだけの人の移動は無理でも、その半分でも以前のような行動様式を取り戻して、色々な場所の消費を刺激して欲しいというのが、社会の多くでの切実な声でしょうね。そう言う意味で、今回の彼女の行動には好感を持つものの、それをもっと大きな流れで実行すれば、まずは国民や社会のためになるし、それによって今は消去法で「自公民」という選択肢か無いところに、新たな選択肢が生まれる機会も生まれるわけです。野党も今の社会状況に関して責任があると言う事を自覚して、相手の悪いところ競争をするのではなく、相手よりも良い事を一つでも多く実現することをまずは実行してほしい。

ダイエットNHK

NHKが肥大化の批判を受けて、AM放送とBS(衛星放送)のチャンネル数を削減する方針を、時期経営計画案に盛り込むというニュース。記事にも書かれていますが、現在NHKが使用している放送波は、

  • ラジオ
    • NHK第1放送(AM) - 報道等総合放送(24時間放送)
    • NHK第2放送(AM) - 教育放送中心(19時間放送)
    • NHK-FM放送 - 教育放送多め(24時間)
  • テレビ
    • NHK総合(地デジ) - (24時間)
    • NHK教育(Eテレ/地デジ) - (19時間)
    • NHK BS1 - (24時間)
    • NHK BS プレミアム - (24時間)
    • NHK BS4K (18時間)
    • NHK BS8K (12時間10分)
ラジオ3波、地上波(地デジ)2波、衛星放送(BS)4波の会わせ9波。これ以外にも、海外向けの国際放送やネット配信もあるし、ざっくりとした印象では民放の2~3倍位の感覚。

合理化案は、

  1. AM放送2波を1波に統合。ただし、利用者への影響を考えて実施時期は限定しない
  2. BS1とBSプレミアムを統合し(4波→3波)、さらにそこにBS4Kも集約することも検討(3波→2波)
ということで、個人的には余り大きな変更のようには感じられません。AM波の統合に関して、民放もFM化するなど改革を進めているけれど、既存の放送設備の老朽化とともに自然消滅みたいな形でも良いと思う。ただ、災害時などを想定すると、簡単な設備でも受信できるAM波に対して、それ以外の受診には少し複雑な設備やデジタルの複合化が必要になるので、AM波に関しては逆にそのまま残しても良いのかなと思います。逆に、地デジの統合を考えた方が良いのでは。Eテレが、昔のように教育機関とか、幼児向け放送でニーズが有ることは聞いているけれど、今ではネット配信で代用可能だと思うし、フレキシビリティを考えたら、単純な送り出ししか出来ない放送よりはネット配信の方が良いんじゃ無いかと思うし。BSに関しても、4Kとか8Kとか技術開発用のチャンネルは分離して、民放も含めて旧友チャンネルみたいにして、BS放送もNHKも1波で良いと思う。

この改革案では、海外配信とかネット配信関しては言及されていないけれど、そちらはどうするんだろうか。ネット配信は最近始めたばかりだから、直ぐにというわけにはいかないだろうけど、海外配信に関しては別会社にしても良いんじゃ無いだろうか。NHKだけでなく、民放の人気コンテンツも含めて配信するようなチャンネル。

それよりも、年間7000億円位の利益(受信料とコンテンツからの利益)があり、繰越金も3000億円近くある(※新放送センター建設積み立て資金が1700億円位で、財政安定化のための繰越金が800~1000億円位)のはどうだろう。いゃ、これが民間企業ならそれらは企業努力で自由だと思うんですが、NHKの場合はほぼ受信料なわけだし。仮に、10年後に新設するから毎年200億円ずつ積み立てる、ということで増えていくなら分かるんですが。昔は、民放キー局の全国ネットも充実しておらず、全国一律の放送が出来るのはNHKだけで、だからこそ「受信料」という公平な負担で放送を維持してきたことは理解出来ます。でも、もうそう言う時代では無いだろうと思うし、そう言う意味でもっと踏み込んだ改革が必要では無いかと思いますね。

2020年8月4日

都合良くグラフ化する

メディアや野党の参考人として著名な、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が公開した、「各国と日本の人口10万人あたりの新規感染者数の推移」なるグラフが物議を醸すことに。
先ず最初に公開されたグラフがこれで、日本と欧州とカナダの推移を比較して、「真夏の北半球でコロナが急増している先進国は、トランプを指示する米国の一部と日本くらいです。」とコメントしている。所が直ぐに、日本とそれ以外の国では、スケールが違うとツッコミが入ります。確かに、日本とそれ以外の国とでは、10倍違う。さらによく見ると、横の点線は左側の日本の値に合わせて二人ずつ六分割しているのに、右側の外国の値はそれとは同期せずに七分割している。大体、同じ値を比較するのに、なんでスケールを分ける必要が有るのか。普通この手のグラフを使用するときは、異なる事象(だから単位系も異なる)の相関などを見るときに、時間軸など共通の部分を合わせて重ね合わせて使用するもの。さらに不思議なのは、日本は棒グラフを使用しているのに、外国では折れ線グラフを使用している。あくまで推測ですが、棒グラフでは寄り目立って見えるので、いかにも日本の動向が問題であることを強調したいようにも受け取れます。
当然総突っ込みが入り、差し替えて公開したのがこのグラフ。グラフ自体は変わっていないようだけれど、何故か右側の外国の値が消えています。これでは、外国のデータも日本と同じ数名単位で変化していると読めてしまい、事実ですら無くなっており、先のグラフ以上に意味を失っています。

ここで上氏は「PCR検査数が違うため実数の比較可能性はありません。ただ、同じ国で時間軸の比較は可能です。日本だけ増加しているのは明らかです。」とコメントしています。でも、このコメントも不思議で、
  • PCR検査数が違うため実数の比較可能性はありません。
    検査数の多少で、発見される陽性者数も変わるというのは正しいと思うのですが、もともとこのグラフでは陽性者数の実数を比較していないのだから、無意味なコメントでは。
  • ただ、同じ国で時間軸の比較は可能です。
    このコメントも変で、「同じ国で時間軸の比較」とはどういう意味なんだろうか。「同じ国」なんだから、時間軸が変わるはずはない。せめて言うなら「一日の変化を一週間比較する」とかいうならわかる。ここは「異なる国でも時間軸の比較は可能です」の間違いじゃないだろうか。実際、グラフも3月1日から7月29日までの各国のデータを取り出して比較しているわけだし。
  • 日本だけ増加しているのは明らかです。
    これもおかしなコメントで、少なくともフランスは一週間ごとのピークは増えていると読めるし、カナダも上昇傾向にあるように見えます。折れ線グラフが重なって見えにくいのですが、黄色のドイツも水平よりは上昇気味に見えます。「日本だけ増加している」というには証拠に乏しいといえます。
さらに見ていて不思議なのが、最初に掲載したグラフ右下に「2020年7月30日作成 山下えりか」となっているのに、後から掲載したグラフでは「2020年7月29日作成 山下えりか」と作成日が一日早くなっています。なぜだろう。出典データの日付が29日だから、それに合わせたの? でも、29日に出たデータが29日に作成されるのもちょっと変な気がする。それとも、先に後から公開したグラフを作り、その後で右側のスケールを追加したんだろうか。そういえば、先に掲載されたグラフの解像度は低いのに、後から掲載したグラフは高解像なんですよね。邪推すれば、あまりあらを探されないように、わざと醜く解像度を落とした、ようにも見えます。

これに対して、「手を洗う救急医Taka」氏が、10万人当たりの比較と総人口当たりの比較のグラフを公開されましたが、単位当たりの陽性者数や増加の傾きに多少の違いはあれど、日本も比較された北半球の先進込みも、ほぼ同じような傾向にあることが読み取れます。陽性者数が増加していること自体は決して好ましくないけれど(収束しない)、じゃぁ陽性者数が仮に今の1/10、1/100だったとしても、その致死率が日本だけ100%近かったら、それは大きな問題になると思うんですよね。でも、今の日本は、たぶんこれら比較されている先進国中、一番死亡者数も重症者数も少ないのでは。以前から言われているように、闇雲にPCR検査をすることはかえって逆効果で、それで一度破綻したのがイタリアだったり今の米国だったりするわけです。この上氏は、ご自身がかかわる医療機関で積極的にPCR検査を売り出していることもあり、その関係も疑われているんですが、本当にPCR検査が必要と思うなら、それを裏付ける「加工なし」の情報を提示しないと。

上氏は続けて、PCR検査数のグラフを公開していて、どうも日本の検査数の少なさを強調したかったようなんですが、このグラフで見るべきは実数である「死亡数」でしょう。
日本は、他国と比べて実数で1/10、人口比で比べれはそれ以上に死亡者数が少ないわけで、すでに言われているようにこの数値はインフルエンザでの死亡者数よりも少ない。PCR検査数が少なくとも、実はより効率的に検査をし、感染者の状況に応じて適切かつ十分な医療提供ができれば、最悪のリスクは回避可能という証明といってもいいでしょう。だからこそ、余裕のある今十分医療設備を準備し、かつ感染者数が急増しないように「三密」回避をこれまで以上に今注意するべきという証拠だと思うんですが。少なくとも、上氏が言っていることとは反対の事実が自らによって明らかにされている気がする。「ガバナンス」を言う人が、こう言う事をやることの矛盾だよなぁ。

[2020年8月6日追記] あのBuzzFeedにすら否定されてしまいました(号泣)。事前に「BuzzFeedに取材されました。自分の正しさが証明されると思います」みたいなコメントをツイートとしていた上氏ですが、記事公開後は... まぁ、疫学とか感染学以前の話だよなぁ、このグラフ事件は。

Speedway買収

セブン&アイHDが、アメリカのコンビニチェーン"Speedway"を、210億ドル(約2兆2千億円)で買収するという記事。久しぶりに聞く大型買収案件。買収される"Speedway"は、日本では馴染みが無いけれど、アメリカだとガソリンスタンドに塀瀬されていて、レンタカーの給油の時に結構利用したことが。そんなに大きな店舗では無くて、大体の場所ではソフトドリンクとドーナツとかの軽食、それとビールも売っているのには最初はビックリ。普通、ガソリンスタンドで売らないだろうと思ったんですが、まぁ「買う」ことと「飲む」事は別という判断なんでしょうね。でも向こうで言われたのは、警察官に止められれた時に、アルコール飲料の缶とか瓶が車内にあると飲酒運転で捕まる、ということ。蓋が開いていなくても、中身が空であっても、飲酒運転をしていたとして先ず扱われるから、必ず後ろのトランクに入れろと言われました。実際、スーパーとかABCとかwine Shopでアルコール飲料を購入した時には、忘れずに後ろのトランクにその他の買い物と一緒に必ず入れていたけれど、幸いにも今の所警察官に止められた経験が無いから、助かっているんですが。

私が出張で頻繁にアメリカに行っていた1990年代から2000年代には、日本ではまだガソリンスタンドにこの手の売店が併設されている設備は無かったように記憶しています。確か、ガソリン販売の法律か何かで、そう言う店舗を作ることが許されていなかったんじゃ無かったかな。まぁ、流石にガソリンスタンドでビールは不味いけれど、ソフトドリンクとか軽食くらいはついでに購入出来れば便利だよなぁと、出張から戻ってくる度に思っていましたが、最後の方になると最初はドトールだったか、ガソリンスタンドに一寸したお店が日本でも出来るようになってきて、今ではコンピに併設なんていうのも珍しく無くなってきましたよね。ただ、コンビニメインになってしまうと駐車場を広く取らないといけないから、店舗を作るとしても、ちょっと寄ってコーヒーとかボトル飲料を購入するとか、スナック菓子を購入するとか、そんな程度にしないと大変になるんじゃ無いかと。

もう一つ面白かったのは、その併設されたコンビニで宝くじを売っていたこと。日本で言うところの「ロト」みたいなクジがあって、結構勝っている人が多いんですよね。時々日本でも何百億とか当選したというニュースが流れるけれど、あたり番号がで無いとどんどん繰り越されていくから、何百億とか普通にあるみたいで羨ましい(笑)。当選金は、20年とか30年とか分割で貰う方法と、一度に貰う方法があって、後者の場合は半分近くが税金で取られるんじゃ無かったかな。前者の場合でも、その時その時に税金がかかるけれど、全体として受け取る金額の合計は後者の場合よりも多い。でも、殆どの人が全額を一度に貰って散財するらしいけれど(マテ)。

閑話休題。今回の買収は、国内では市場が頭打ちで且つ今後は少子化で縮小していくので、海外に活路を見いだす対策の一つらしいけれど、確かに何十年か前は「アメリカの人口2億人」といっていたのが、今では3億人を超えていますからね。まぁ、増加分に関しては移民が占める割合も多くて、合法移民は良いけれど不法移民の数も無視できないくらい増えていて、しかもそれが低賃金労働力としてアメリカの底辺を支えているという現実もあるし。日本も人口減少に歯止めを掛けるために移民政策をと言う話があって、個人的にはその考えには賛成だけれど、法律とか社会のルールを先ずはしっかり作らないと、元々に日本人との軋轢がアメリカ以上に激しくなりそう。アメリカの場合は、多民族国家では有るけれど、市民権を得るためには「アメリカ合衆国に忠誠を誓う」必要があるわけで、そう言うことも日本も考えないと将来は暗いかも。まぁ、外に出ていく話ばかりで、国内で盛り上がる話が最近効かないと言うのが、今の日本をよく表している気がする。

2020年8月3日

「アベノマスク」は揶揄

1日に、安倍総理がそれまでの政府配布の布(ガーゼ)マスクではなく、別の布マスクを着用したと、共同通信社が大々的にニュースを配信。その1行目で、
安倍晋三首相は1日、「アベノマスク」とやゆされる政府配布の小さい布マスクと...
と書いているけれど、メディアはわざわざ「揶揄されている言葉を、見出しや本文の最初に使うんだ」と呆れてしまいます。それって、虐め問題とか差別に繋がる行為じゃないのか? 相手の行動や行為が気に食わない事は分かっているけれど、そんな感情を含めた記事って客観的な事実報道と言えるのか?

言い訳としては、「いゃ、今言い出した話では無く、配布当時から言われていることで、社会的に共通認識された言葉」みたいな事を言うかもしれない。でも、それって首相自らが言い出した言葉でも無く、何となくネットあたりで生まれた言葉にメディアが飛びついて使いだしたものなんだから、メディア自身の責任だしメディア自身の目的や意図でずっと多用しているだけに過ぎない。 「揶揄」の意味を調べると、「(相手を)からかって面白可笑しく扱う事、相手を馬鹿にしてからかうこと」などの説明が。さらに「からかう」を調べると、「冗談や悪戯をして、相手を困らせたり、怒らせたりして楽しむ事。人をなぶり弄ぶ。じらして困らせる。」などの意味があり、まぁまとめると「相手を馬鹿にしている」と言えるのでは。

メディアが政治を批判する事は必要だと思うし、それも仕事の一つだと思うけれど、「記事」というメディアに取っては世の中に発売する「自社製品」の中に、相手を馬鹿にする意図があるものって、それはその企業の目的としてあるいは方針として、納得出来る正しい方向性なんだろうか。今回の記事だって、「安倍晋三首相は1日、「アベノマスク」とも呼ばれる政府配布の小さい布マスクと...」と言えば、客観性も公共性も担保された表現になると思うのだけれど。あと、もう一つ言えば「小さな布マスク」と書いてあるけれど、この布マスクのサイズは「縦9.5cm×横13.5cm」で、これはこちらの会社のガーゼマスクのサイズ一覧を見ると、大人用の一般的なサイズ。これより大きいサイズは「大きめのマスク」の「縦11.0cm×横15cm」のもの一種類だけ。今回の様に、一気に大量に製造することを考えると、一番中心となるサイズが適しているだろうから、そう言う意味でもこの布マスクのサイズは「9.5cm×13.5cm」以外では有り得なかったのかもしれない。

以前も書いているけれど、今の形状のマスクは花粉症対策のためにどんどんサイズが縦長になって、この布マスクのように以前は鼻と口元まで覆えば良かったものが、花粉などの侵入防止のために、鼻から顎の下まで覆うようになってきたもの。勿論、その方が防止効果は高いのだろうけど、この布マスクの目的は「自分がクシャミとかして飛沫を拡散させず、又可能な限り周りからの飛沫を吸収しない」事なんだから、鼻と口元が覆われれば必要最低限の機能は担保されているはず。本来のメディアは、そう言う自用法とか、より効果的な使用方法、さらには洗濯の仕方とか、そう言う情報を伝えるべきなのに、何でもかんでも「安倍憎し」のバイアスがかかるから、結局は落書きみたいな内容のものが、堂々と「記事」として全国に配信されてしまう。野党が、その自浄努力の無さに支持を失っているように、メデイアも本来の使命というか目的を忘れて、どんどん先鋭化している。そのうち「メディア」という言葉は、単なる「ネットのまとめサイト」みたいな意味になるんじゃ無いだろうか。その兆候の一つが、今回の様な記事に出ている気がする。

弾丸ポルシェ

昨日川崎市の首都高速道路湾岸線で発生した痛ましい事故。事故が発生したのは、昨日の朝ですが、ニュース等で知ったのはその日の夕方になってから。で、このニュースを聞いて一寸ゾッとしたんですが、その理由はまさに自分も同じような状態にその日遭遇していたから。

日曜日の朝、ずっと梅雨空の中洗車する暇も余裕も無かった愛車のUX200君を、暑くなる前に洗車して、午後のお昼過ぎに一寸ドライブに。東名高速道路から、三ヶ日ジャンクションを新東名方向へ走っていたとき。この東名-新東名の接続道路は、平日でも週末でも殆ど利用する車が無くて、大体12km位の距離の間に、同じ方向に走る自動車やトラックに遭遇する場合でも数台程度の時が殆どというガラガラの道路。だからか、ついついスピードが出てしまうし、最初から120km位で走る自動車もよく見かける場所。この時は、私は90~80km位で走っていて、前後に車は見えなかったんですが、ふと目を横から正面のバックミラーに戻したら、急に車が洗われてものすごいスピードで近づいて来ます。フロントの様子から「ポルシェかな」とは思ったんですが、確認須磨も焼く私の横追い越し車線を通過したんですが、余りのスピードに風圧で私の車が揺れるくらいの衝撃。あっと言う間に消えていったんですが、ビックリしたのはそれだけではありません。直ぐに同じようなスピードで通過する車が一台、二台... ツーリングしていたんでしょうか、5~6台の車が猛スピードで通過していき、その度に自分の車が揺れてしまう。

印象的には、200km以上のスピードを出していたんじゃ無いだろうか。本当に、最初の一台が通過するときは、山梨にあるリニアモーターカーの試験場をリニアモーターカーが全速力で通過するときくらいのインパクトがありました。その後の車は、少しスピードを落としていたのか、あるいはビックリして自分の理解がマヒしていたのか、それほどには感じなかったんですが、でも通過してあっと言う間に消えてしまうくらいのスピードだったから、やはり200kmは出ていたんじゃ無いかと。この道路は、新東名に入るか、そのまま飯田方面へ行くかなんですが、新東名も東名に比べてスピードを出す車が多いから、そっちに行ったんだろうか。しかし、スピードを出す外車や高級車とは何度も遭遇したことがありますが、これまでの経験上最高速度で通過していったことは間違いありません。前後のドライブレコーダーに記録されているはずだから、そのファイルは消さずに保存しておこう(笑)。

この接続道路にしても、新東名にしても、結構監視カメラや速度監視装置が設置されていて、走行状態もモニターされていると思うんですが、それでも引っかからないのだろうか。私も車を運転しているからスピードを出して爽快感みたいなものを味わいたい気持ちは分かるんだけれど、あのスピードは無いだろう、と。多少偏見も含んでいるけれど、外車の特にポルシェとかランボルギーニとか、昔のスーパーカー系の車の所有者は、やはりスピード命でそう言う車を選択するんだろうなぁ。日本じゃ、そんな車の性能をフルに発揮する一般道路は無いので、自分は仮にお金があっても購入することは無いと思うけれど、スピード出しすぎで自分で事故を起こすのはその人の責任としても、今回の川崎の事故のように、他人を巻き込むことだけは止めて欲しいと、その日後から記事で事故を知って、昼間の自分のケースを思いだして、ちょっとブルッとしましたねぇ。昔、一時期最高速度のリミッターが車に付いていた時代があったと思うんですが、それがなくなった今、逆に監視カメラとか速度測定器で厳しく取り締まることも必要じゃ無いかと思うし、だからこそ自分も時々気を抜かずにしっかり安全を考えて運転しなければと自戒しました。

2020年8月2日

貢献したつもり

レジ袋が有料化されて一月が過ぎましたが、とある調査ではコンビニ利用者の7割以上がレジ袋自体をしているという記事。有料化以前は3割が自体をしていて、有料化でそれを6割まで伸ばそうというのが環境省の目標だったのが、早くも大きく目標達成という「嬉しい(?)」成果が出ている様子。

有料化によって、コンビニのレジでの手間数が増えて混雑したとか、以前のような「衝動買い」で荷物が増える事を嫌がり来店機会や売上げが減ったとか、批判やマイナス点も多い半面、やはり有料という部分が大きいのか、予想以上にレジ袋不使用率が上がっていて、そこはビックリ。ただ、某テレビ番組に出演した小泉大臣自身が言っているように、このレジ袋有料化で実際にプラスチックゴミ削減に貢献する度合いは僅かであり、どちらかというと消費者の「意識改革」の切掛にしたいというのが本当のところらしい。

本当に改革をするのであれば、やはり一番影響の大きいところを狙うのが本来の方法であり、それは魚魚危惧とか、マイクロプラスチックとか、実は手を出しにくい部分でもあるんですよね。極端な話、環境破壊を止めるために、合成繊維は使用するな、人工芝は全て天然芝に変更しろ、漁業危惧は全て天然素材で作れ、プラスチック容器は全て自然に分解する素材にしろ、みたいな事を言わないといけない。そんな中で、印象的でインパクのある所という意味で、今回「レジ袋」が有料化されたんですが、その使用率削減よりも、個人的には「それで、やったつもりになる」事が危険だと思う。少し前の、太陽光パネルを設置することが正義であり環境に対して必要十分な対応、みたいな美しい誤解というか言い訳というか、それがそのまま正義として社会に浸透してしまい、決壊までは環境破壊だったり、年間1万円近く支払っている再生エネルギー用の追加料金だったり、本当に必要なところに必要な対策が取られているのと疑問を持つ人は少ないと思う。

「意識改革」をするためのショック療法という意味では、レジ袋有料化にもそれなりに効果があるとは思うけれど、結局それによって多くの消費者が不満を感じつつ、でも「言われたことをやってんだから、問題は解決してるよね」と、免罪符みたいな意識も持ち始めることが問題になる思うなぁ。アメリカなどでは、有料化が見直されているというニュースもありますが、可能であればもう暫く継続したら、「有料化は事業者の判断」として、実質レジ袋有料化を止めて、「その意識改革を次のステップへ」として、さらに効果的な環境対策を進める切掛にするべきでは。そうすれば、小泉大臣の失策もカバーされるし、国民もそう言う背景は知りつつも再び利便性が戻ればありがたく思いつつ、以前よりは環境を意識するようになると思うし。その上で、コスト高な再生可能レジ袋を使用している企業には、それをカバー出来る程度の「補助金」とか「支援金」を出して、そう言う活動を継続する動機付けも必要。つまり、「有償化」という罰則で消費者を律するのでは無く、「補助金」という報償で企業の方向性を付ける方が、誰にとっても前向きな考えだし、その方が受け入れやすいのでは無いだろうか。

見るべき数値

ここの所新型コロナウイルスの陽性者数が高止まりし、さらにその傾向が全国的に広がりつつあるここ最近の状況は収束する様子を見せない。一方で、陽性者数の増加に反して、重傷者数や死亡者数に関しては、ずっと低い数値が続いていて、そう言う意味では「危機的状況」かと言われると、4月下旬からG.W.あたりに、重傷者や死亡者が毎日多数発生して居た頃に比べると、全くそんな状態では無い事も確か。

そんな状況で世論の様子を見てみると、「さらにPCR検査を進めて、陽性者を割り出して隔離治療するべき」派と、「重傷者対策、高齢者対策を中心に、三密回避をしながら普通の生活に戻して行く」派の二つに大別できると思うんですよね。で、自分は間違いなく後者の考え支持派で、メディア等では相変わらず前者の「全員PCR検査」を未だに言っているんですが、物理的にも費用対効果的にも無意味な事を、何でそんなに主張できるのか、それが不思議。このあたりは、永江一石氏が例によっていろいろと書かれているので、大体は彼の主張に賛成なんですが、其れ以前に「なんで物理的に直ぐに検査出来ないような検査数を前提に話しをするのか」という点。

現在のPCR検査数は、一日あたり数万人の数まで拡大されているみたいなんですが、その前検査数量を東京都の検査に集中したとしても、全員の検査が終わるのは1年後。しかも、その検査の時点で「陰性」であったとしても、翌日には「陽性」になっているかもしれないわけで、一回検査して「陰性」「陽性」の判断は出来ない。最近では、いろいろな検査方法が開発されて、今後もしかしたら何十万人規模で検査可能になるかもしれないけれど、新型コロナウイルスの感染から発症までが、大体10日から2週間と言われているので、日本の人口1億2000万人を10日位で一通り検査出来る仕組みが必要になります。となると、一日あたり1000万人近い検査能力が必要になるんだけれど、それって物理的に無理でしょ? それに、今の新型コロナウイルスの性質を見ていると、闇雲に検査するのではなく、重篤化しそうな高齢者層を中心に、早く発見して早く適切な治療をして、致命的な状態を回避させることが重要なはず。そのあたり、忽那賢志先生の記事が参考になると思うけれど、記事の中で使用されている氷山の例えが現状を一番よく表していると思います。ここで言えるのは、少なくとも4月5月の検査数と今の検査数は数倍の違いがあるわけだから、単純にそれ位陽性者数が増えていても不思議は無いこと。さらには、検査対象の母数がことなるのだから、陽性者数は検査数にあわせて増えているのに、重傷者数や死亡者数は逆に減っていることを理解しないと、正しく状況を理解しているとは言えない。

今後のことも考えて、受入側の病院の体制を心配して、更なる設備の増加とか補強をメディアが伝えるのは良いと思うけれど、それを感染爆発の恐怖を理由に報道するような姿勢はどうなんだろうか。それに、テレビでは「ベッド数が」というければ、設備はなんとか施設を準備すれば作れるけれど、そこに携わる「人材」はそう簡単には集まらないはず。そう言う意味では、単に数字を元遊んでいるだけという印象を、メディアにも行政側にも感じるし。それに、感染経路不明者数も増えてはいるんですが、やはり「三密回避」を疎かにしたが故に感染拡大している例も半数近くあるわけで、先ずはこれを抑えることで状況も大きく変わるはずなんですよね。だから、今言うべき事は、「注意して行動すること」「慎重にして楽しむこと」「感染も怖いけれど、経済も回さないと別の恐怖が生まれること」じゃないだろうか。どうしたら、リスク回避できるのかと言う事を、もっと色々アイデアを出した伝えて啓蒙するべき人達が、パニック映画のように単に恐怖心を煽るだけというのが一番の罪だと思う。

梅雨明け

昨日も一日暑い一日だったけれど、やっと東海・関東が梅雨明け。でも、7月最後の金曜日も結構暑くて晴れていて、この時は中国・近畿地方の梅雨明け宣言がでましたが、実質的には東海地方も31日が梅雨明けでも良かったんじゃ無いかと。

ここ数日は、木曜日は一寸雨模様でしたが、その前は曇り空というかそんなに「雨」という天候でも無く、そろそろ梅雨明けかと期待もしていましたが、一寸梅雨の方も変な面子があるのか、スパッと終わらずに8月までずれ込んだのは意外。それでも、最近は梅雨明け前から、朝雨が降っていなければ蝉時雨の音で目が覚めることもあって、夏の雰囲気は感じる所。そうそう、蝉が鳴いたときはカエルも五月蠅くて、結構夏は騒がしいことを再認識しました。

ずっと雨続きだったので愛車を洗車する暇も無く、先月の初旬に12ヶ月点検に持っていったときにディラーで洗車してもらってから、4週間近くそのまま。それでも、ずっと雨の中を走ったりしていたので、そんなに汚れていないのですが、何故かうちのカーポートに駐車していると、左側と後ろ側に砂埃がたまりやすく、それが雨の中でもなかなか落ちない。昨日は天気が良くなりそうと言う感触はあったので洗車するつもりでしたが、つい寝坊をしてしまい気がついたらもう太陽がカンカン照りで洗車は断念。代わりに、今朝は早めに起床して、朝食前に洗車を済ませておきました。この後、ちょっとドライブにも行く予定。

気がついたらもう8月で、あっと言う間に夏も後半ですよね。今年は7月はそんなに暑くなかったから、急に暑さが戻ってきたここ数日は、ちょっと体力を奪われた感じで、そんなこともあって昨日は寝過ごしてしまったのかも。夏に、有る程度体を動かして体力を整えておかないと、この後の秋から冬にかけて又辛くなるので、熱中症と新型コロナウイルスに注意しつつも、暑さに負けずに外に出るようにしないと。でも、梅雨明けとなり、いつもなら夏の旅行の予定とか立てたり準備したりしているのが、今年は何も出来ない状態ですからねぇ。今年は、本当に春からずっとどこにも出かけられず、このまま一年終わるとなると本当につまらない、新型コロナウイルス以外記憶に残らない一年になりそう。8月は無理でも、9月になったら何処か行けるようにならないだろうか。でも、やっぱり海外はまだ無理だよなぁ... 頼みの沖縄もそんな状態じゃ無いし。梅雨は明けたけれど、コロナが明けるのは何時だろうか。

2020年8月1日

デジタル化病院 (3)

最近の病院でのデジタル化で、幾つか自分なりの「気付き」が有ったんですが、その逆のケースも同時期に経験しています。身内の一人が一寸した手術の必要があって2週間ほど入院していました。浜松市には、結構大きな総合病院が幾つかあって、その一つに入院しました。1Fの受付や精算窓口などは、リニューアルしたのかかなり綺麗な感じで、ホテルのフロントみたいな雰囲気。ここで、先に書いた自動精算機も始めて見て感心したところです。

最初相部屋に入院していた時に御見舞にいったですが、巡回している看護師さんが縦長の代車みたいなものに、ノートブックパソコンや仕事や作業で使う色々なものを似せて巡回してきます。ここでびっくりしたのが、その代車に乗せているノートブックパソコンにはACアダプターが接続されていて、移動する度に部屋にあるコンセントにそのACアダプターを接続して作業しているんですね。ノートブックパソコンだから内蔵バッテリーがあるわけで、ACアダプターを抜き差ししても再起動するわけではないし問題ないけれど、その抜き差しの動作にしても、万一の場合にコードを引っかけて倒したりするリスクを考えると、ACアダプターは使わない方が良いんじゃ無いかと、仕事柄心配になりました。バッテリーだけでも、多分一度の巡回時には間に合うはずなんですが、やはり心配なのか。それに、そうACアダプターを付けたり外したりすると、バッテリーも放電・充電を短期間で繰り返すことになり、バッテリーにとっても良くないはずなんですが。

一つビックリしたのは、病室内でWi-Fiが利用出来ること。相部屋だと有料ですが、個室だと料金に含まれていて利用可能に。この時は使用して居ませんでしたが、以前病院とか向けのシステム開発にちょっと関わったときには、もうEMI(Electric-Magnetic Interface)/EMC(Electric-Magnetic Compatibility)対策を鬼のように要求されて、とても仕様を満足出来ないと悲鳴を上げた経験からすると、時代はかわったなぁ、と。まぁ、病院内や病室でスマホも利用できるわけですから、施設の精密機器自体が改善されているんでしょうね。今の時代、スマホを入口で取り上げない限り、必ず一人一台や二台は持ち歩く時代ですし。病室で利用できるくらいですから、件の看護師さんが使用して居たノートブックパソコンも、多分病院の専用回線に接続しているんだろうなぁ。そう言えば、昔の病院では例えばレントゲン写真とかは、裏から光が当たる光箱みたいな物の上に貼り付けて見せてくれましたが、今では写真やカルテも全てデータベース化されていて、モニターに表示して見せてくれますからね。あれは、院内ネットワークが無いと無理だし、モニターにしてもそれなりに高解像度大画面のものでないと意味ないし。

この総合病院は、コロナ対応の病院では無かったみたいでしたが、最初はこんな状態だから手術が何時受けられるのか心配だったようです。でも、病気が分かって診察を受けて、手術が必要となったときに、一週間後に直ぐに決まって拍子抜けしたそう。一月位待つのかと思っていたらしい。地域によっては、コラナ対策に圧迫されて一般診療が進まないところもあると思いますが、受付業務や精算業務は機械化できても、日々の診療や治療を機械化されるのはまだまだずっと先。周りの様子を見ても、もう人手による人海戦術でこなしていくしか無い状態で、改めて看護師さんやお医者さん達の苦労に頭が下がる思いでした。お金だけの問題では無いだろうけど、何か報いて欲しいですよね。自分はこれまで大病をした経験が無く、入院した経験も無いので、給与から結構な額の保険料が天引きされる事に不満を感じたこともありましたが、こう言う現状を実際に何度か見ると、いつかは自分に戻ってくる事なんだからと納得出来そう。まぁ、デジタル化やその他のアイデアで、より効率的に、寄り効果的に改善は進めて欲しいですけれど。

日ペリ

Aviation Wireの記事から、ANA創業時のヘリコプター移設作業の話。記事の中でも触れられているけれど、ANAの前進企業の一つがヘリコプター輸送から始まっていたことは、ある意味知る人ぞ知る感じの話。航空会社には、識別のために2レターコード(IATA)や3レターコード(ICAO)が振られているけれど、空きコードが少なくなってから創設された最近の航空会社は別にして、古くから運航している古参の大手航空会社は、自社名をイメージ出来るようなコードを使用しています。JALならJL、UnitedはUAとか。だから、ANAもANとかなら分かるけれど、何故か「NH」というコード。これは、全身の「日本ヘリコプター輸送(日ペリ)」が、その社名から「NH」を使用して居たものを継承しているからというのは有名な話。因みに、「AN」は昔はアンセットオーストラリア航空が使用していたけれど、破綻後はアメリカの航空会社が今は使用しているみたい。まぁ、今更「NH→AN」となったら、逆に混乱するだけだろうけど。

流石に3レターコードでは、JALは「JAL」だしANAは「ANA」を使用していて、こちらは分かりやすい。3レターコードは航空管制とか運航関係(フライトプラン)等、公的に使用されているから、こちらは我々乗客には余り馴染みが無いんですよね。やはり、航空券に印刷されている2レターコードの方が良く見る分馴染みがあるんですよね。同じように、空港も3レターコード(IATA)と4レターコード(ICAO)があって、例えば羽田空港はHND/RJTTと4レターコードは機械的に振られている感じなのでピンと来ませんが、3レターコードも既に使用されている場合苦肉の策で組み合わせたようなものも有り、個人的には面白いなと思うんですが。

こう言う事は、昔まだ通信事情がちゃんとしていない時代に、出来るだけ送受信する情報量(文字数)を減らすための工夫の一つだと思うんですが、何となく先人の苦労というか工夫を感じられて面白い。アマチュア無線をやっていると、電信(モールス通信)をやる人も居るんですが、このモールス通信なんて、そう言う略語の塊だし、それを覚えるのが先ずは第一歩だったりしますからね。英語の単語で、例えば「templ8(=template)」とか「F2F(=Face-to-Face)」とか「U(=You)」とか略語見たいものを使うけれど、あれは又一寸違う意味、どちらかというと感覚的に「いけてる?!」みたいなものだけれど、実際の通信の時にはつかったりすることもありますよね。日本語(和文)のモールス通信でも、ちょっとした略語みたいな言い方をする場合もあるし。

鉄道の場合だと、余り列車番号は使わずに、「こだま」とか「あずさ」とか「とき」とか、車両の愛称で言う場合が多いですよね。まぁ、国内線用の鉄道に対して、国際的に通用しないといけない飛行機の違いはあるけれど、陸続きのヨーロッパとかの鉄道ってどうなんだろうか。鉄道だと、確か今はもう無くなってしまったけれど、「あずさ2号」とか馴染みのある言葉・単語で呼ばれるので、より身近で旅情感みたいなものを感じます。でも、アルファベットと数字の組合せの例えば「NH002」なんていうのは、それだけでは無機質で機械的な印象だけれど、一度その路線を利用してみると、結構愛着みたいなものが沸くことも。因みにNH002(NH2)便はNRT-IADのフライトで、ANAが北米大陸に初就航した路線の一つという由緒ある路線。でも、羽田へ移管されてNH102便になっちゃったんですよね。いつになるか分からないけれど、航空旅客需要が戻って、NRT-IAD便も復活してくれるように早く戻って欲しいですね。

2020年7月31日

均質化する世界

朝日新聞に掲載された「ブラック企業」に関しての記事は、予想通りTL上で話題(問題?)なり、賛否が飛び交う状態に。ただ、どちらかというと否定や疑問を投げかける意見の方が多い気がする。どちらの意見にも色々理由はあるんですが、賛成する意見の多くは、世界的潮流、世界標準的な理由から日本でも避けるべきという主張が殆どなのに対して、反対する意見は元々異なる日本語と英語を混同することが変だとか、歴史的に欧米の奴隷制度という背景が無い日本で言うのはおかしいとか、理由は複数。

確かに、今はネットや様々なメデイアを通して、世界中の情報が日本に入ってきて、また日本から出ていき、色々な情報共有が生まれています。その中には、互いに相反する認識や表現がぶつかることもあるわけで、そう言う場合はそれまでの「ローカルルール」とは異なる、「共通ルール」みたいなものを設けないとその後が続かない。でも、その共通ルール作りが、さらにねじれてややこしい話になる可能性も。例えば、日本語で「サラリーマン」という言葉は、和製英語で本来の米語・英語には無い表現。で、本家の方で「〇〇-man」というのは表現(例えばbusiness man)は男性に限定していて差別的だという理由で、「〇〇-person」(business person)にするべきと言う意見が生まれると、何故か日本語(和製英語)の「サラリーマン」も「サラリーパーソンにするべき」という、ちょっと意味不明な話しが出てきたりします。勿論、日本語の「会社員」と言えば、男性女性関係無い話で、本来はそうあるべきだと思うけれど、和製英語まで英語の習慣に合わせるというのは、何か変な話。それだったら、LGBT+に配慮して、性別を含む表現は避けるべきとか言われた方がまだ納得出来るけれど。

件の記事を書いた女性記者氏も、色々突っ込まれて言い訳をしているうちに、何かしどろもどろになってきて、最後は「女性だから批判される」みたいな所にねじ曲がっていて「何だ、やっぱりそんな薄っぺらい理由だったんだ」とガッカリ。いゃ、女性・男性関係無く、「記者」という職業だから、自分の書いた記事=製品に責任を持てよと言うだけの話なのだけれど。で、もう一度彼女の記事を読み返してみたんですが、最初の段落の2行目の文章に改めて引っかかるものが。
悪質な職場を分かりやすく共有・追及する上で役割を果たしてきた言葉ですが、黒人(Black)などから不快に受け止める声が上がっており、意図はなくても差別を助長しかねないとの指摘も出ています。
 と書かれているけれど、ここで言っていることは、

  1. 「ブラック企業」の「ブラック」という言葉は、悪質な状況を上手く表現する役割を果たした
  2. "Black"と呼ばれる黒人から不快な声があがっている
  3. 意図は無くても差別を助長しかねない
もともと、欧米のアフリカ系の人を意図して「ブラック企業」と名付けたわけでは無く、たまたま同じ響きの言葉(ブラック/Black)だったために、アフリカ系アメリカ人の人が「これは」と感じたという話し。だから「意図は無くても差別を助長しかねない」と最後にまとめているけれど、そう言うことを言うことが差別を生んで、さらにそれが拡大して行く根源じゃ無いだろうか。「意図が無い」ということは、差別を意図していないという事で、それすらも許されないとなると、それこそ表現すること、話をする事を止めろという話にまで極端な場合は進んでしまう。例えば「Black 企業」と書いたり、あるいは「ブラック企業」を意味するアイコンがアフリカ系アメリカ人を想像させるようなものだったりした、それは「意図した言葉」になるわけだから、それは差別を助長すると言えるけれど、何でもかんでもそうだというのは乱暴だと思う。

今回は、外来語だから生まれた問題だと思うけれど、結局人間一人一人は色々な個性を持ち、それが異なるから互いに新しい発見や可能性が生まれていくもの。残念ながら、その「差」は時に「優劣」というものに変わったり、さらにそこから「差別」に変わることも多いので問題ではあるけれど、違いがあることが問題では無いはず。アフリカ系アメリカ人の人達が、自分達が"Black"であることに誇りを持つのであれば、おかしいと思うことに意見を言うことはどんどんやれば良いと思うし、それに対して日本人の考える「ブラック企業」はこう言う意味という説明にも耳を傾けて欲しい。そこで「納得」出来ない事もあると思うけれど、「理解」はして欲しい。少なくとも、日本での意味はアメリカでの意味とは異なると言う事は、理解して欲しいと思う。

短縮リーグ戦

予想よりも早く、今シーズンのXリーグの予定が発表されることに。最上位のX1 Superでは、昨年の8チームの総当たり戦ではなく、4チームずつ2ブロックに分かれ、それぞれがリーグ戦を開催。ブロック1位同士がJapan X Bowlに進出するという、試合数で言えば昨年の半分以下の状態に。それでも、試合があると言うだけでも感謝しないといけないのかな、今年は。

2ブロックに分けて試合数を減らして開催というのは、結構前から話題になっていたので驚きではないのですが、個人的に気になっていたのは、8チームの中2チームが関西のチームで、その振分をどうするのか。最初の頃は、関東-関西の移動を減らすために、ブロックの一つは関東4チームとし、もう一つのブロックは関東・関西2チームずつにすることで、関東-関西の移動がそれぞれのチームが1回だけ移動する事で済むので、より安全という案。確かに移動回数は4回で済むけれど、もう一つのブロックはそう言う遠征試合が無いから、その点不公平感は大きい気がします。で、個人的に予想して実際今回採用されたのが、どちらのブロックも関東3チーム関西1チームの構成にすること。この場合、関東3チームのうち1チーム(多分最上位のチーム)は遠征免除になり、残り3チームが遠征するので、全体では6回の遠征が発生するけれど、「遠征」という負担分担という意味では一番公平かな、と。実際には、前年のリーグ戦順位1位から8位までが、

  • ブロックA: 1位(富士通)、4位(エレコム)、5位(IBM)、8位(ノジマ相模原)
  • ブロックB: 2位(パナソニック)、3位(オービック)、6位(東京ガス)、7位(オール三菱)
となり、割り振ったら丁度1+3の構成になったので、そう言う意味でも今回のブロック訳が一番公平かな。ただ、前年2位のパナソニックが遠征しなきゃいけないのは、ちょっと不公平感はあるかもしれませんね。多分、パナソニックが遠征しないと、関西で1試合だけよ分に開催しなきゃいけなくなるのが、グランド手配とかの理由から回避されたんじゃ無いかと個人的には推測していますが、さてどうだろうか。

X1 Superの下、X1 Areaでは、関東・関西では別リーグ戦を開催。関西はまだ詳細未定ですが、関東は8チームがトーナメント戦形式で対戦して、勝ち上がりは勝ったもの同士、負けたチームは負け残りでやはり負けたチーム同士対戦して全体順を決定する方式になるようです。で、X1 SuperもX1 Areaも、そう言う変則的運用なので、今シーズンは降格も昇格も無しという、X1 Area所属チームにとってはか鳴りもシベーションに影響しそうな判断。ただ、仕方ないですよね。試合数にしても対戦方式にしても、どの様なルールにしても不満は絶対大きくなりそうだし。不満が残るのは仕方ないのですが、やはり社会全体がこんな状況では、試合が開催されるだけでも良しとしないといけないのかも。特に、X1 Super/X1 Areaの試合は、制限有りながらも観客有りで試合を開催する予定ですが、X2/X3は無観客試合を予定と発表されていて、責めて選手やスタッフの家族とか関係者とか、一人あたりの人数制限をしてでも開催して欲しいところですが。いずれにしても、前向きな決定が出た以上、後は10月にシーズンが開幕できるように準備をしていくのみ。選手や各チームが感染に注意するのは当然ですが、応援するこちら側の人間も、先ずは自分が感染しない広げないようにして、それを少しずつでも周りに広げていって、少しでも、そして一日でも早く終息させないと。

デジタル化病院 (2)

デジタル化された病院は、経営の効率化とか顧客サービス向上とか、色々プラスな面は多いのですが、やはり100%の満足というわけにはいかない。私が待合室で診察の順番を待っていたときに、自分より一回りくらい年上と思われる男性が入ってきました。この方は、既に以前診察を受けたことがあるらしく、病院の診察券はもっていて経過観察で来院した様子。ただし、予約をしておらず飛び込みでの診察希望だったらしいんですよね。

で、受付で診察券らしきものを渡しながら「今日見て貰いたいんだけれど」と受付の看護師さんに言います。ちょっとベテラン風の看護師さんが「ご予約はありますか」と聞くと男性は「無い」の一言。ここでこの看護師さんは「ホームページや電話から予約できますので、予約をお願いします」と言います。でもどう見てもこの男性が、インターネットに馴染みがあるとは思えないし、スマホや携帯を利用していても、DTMFで予約登録や確認の操作が出来るとは思えない。勿論、そんなこと強要しても相手が対応してくれるとは限らないし、多分同じような事は何度も経験しているんでしょうね、このベテラン風看護師さんは「簡単にできますから、次からはお願いしますね」といなして、当日受診の待ち行列に追加したようです。

私は、この日受付が開く少し前に到着して、「6番」目でしたが、この時点ですでに待ち行列の番号は「27番」とかまで進んでいます。院内の待合室で待っている人の数は、多分10組くらいなんですが、ネット予約で、どんどん予約が追加されて行ってるんだなぁと予想。あの男性氏も、20何番という順番待ちになったようです。この予約システムは「何時から何時何分の間」みたいな感じでは無く、午前と午後の枠内で、とにかく早い者勝ちでどんどん待ち行列に並べている様子。だから、自分が何番目で、今何番目まで診察が進んでいることは分かりますから、あと何人で自分の順番になるかは分かりますが、何分後かは不明。だから、番号の呼び出しがあったときに院内にいなかった場合は、飛ばして次の人に順番が進み、暫くすると又呼び出しがある、と言う形で診察が進んで行くみたいです。ネット予約という事で、最初は便利と思ったけれど、有る程度何回か利用して何人くらい前に待っていたらどれくらいで自分の順番に回ってくると言う「経験値」が無いとちょっと使いづらいかな。さらに、その予約は当日朝の9時からで、実は病院の受付開始は8時45分からですから、朝一で見て貰いたい場合は直接病院に行って並んでいた方が良いような気もします。何となくの印象ですが、9時直ぐに予約を入れると、運が良ければ9時半位、あるいは10時位からネット予約最初のグループの診察が始まるような雰囲気ですね。

今回病院を探しているときに、同様の予約システムを採用している個人病院が幾つかありましたから、個人病院向けのパッケージがあるんでしょうね。そう言う意味では、一度利用したら他の病院でも同じように利用できて、それはそれで良いかもしれない。ただ、今回の様なネットに慣れていない高齢者にとっては、ちょっと困るかもしれませんね。病院手しても、ネット経由で予約が来れば、効率的に診察スケジュールを組むことが可能。ネット利用出来るのは、個人管理番号が印刷された診察券が無いと利用出来ないので、一度は診察履歴がある人対象なので、有る程度診察時間も予想できるだろうし。ただ、そう言う便利なツールであっても、取り残される人も出てくるわけで、そういう部分をどう補完するかが問題。嫌な言い方だけれど、病院と言えども個人業主の経営体ですから、有る程度の効率化も必要ですし。これが一般のお店ならまだしも、有る程度公共性とか公的指名のある「病院」となると、なかなか簡単に割り切れない。改善とか開発の時にスタートとなる「ペインポイント」として、格好の材料なんですが、なかなか満足出来る解決策を提供するとなると、ハードルが高いなぁと待合室で感じた事象でした。解決出来たら、良いビジネスモデルになるんだけれど... (続く...)

2020年7月30日

少数意見を無視する

特定野党とか一部のメディアが大合唱で批判している、介護施設や保育所向けに追加配布する予定の8000万枚の布マスク。批判されると、どうしてもメディアや発言者の顔色を伺う政府も悪いけれど、厚労省は配布を停止して備蓄に回す案も考え始めたとのことで、中には今回配布が助かると行っている人や施設もあるのに、そう言う「少数意見は無視する」んですかね、批判している人達は。日頃は、「弱者を救え」とか「声なき声に耳を傾けろ」と言うくせに、自分達の都合の良いときは大きい声を出して、それが正義という矛盾。

その責任の大きな部分は、今回の8000万枚の布マスク配布を、恰も新規に製造して又国民に配布するみたいに読者が誤解するような報道をしているメディアにあると思う。今回の分は、元々そう言う施設や組織に配布する予定の分で当初の計画に含まれている分だし、配布時期にしても予定していたもの。もともと、布マスクを製造する設備も材料も無かったところに、四方八方手を回してほぼ新規増産みたいな形で調達したマスクなわけで、その分のコストを引き受ける製造メーカーとしても、それなりに量がまとまらないと引き合わないだろうし、だから最初から何億枚という数量と、全量政府が引き取ることを確約して製造開始したもの。そう言う意味では、今中止しても結果的に政府が引き取らないといけないし、製造費用が戻るわけでも無い。「今使い捨てマスクも流通しているから、一律配布では無く必要なところに集中して配布する方法に変更すれば」と提案すれば、見直すものの、いつものように「税金の無駄遣い」「無意味」と、反対するだけでは何の進歩も無いわけですし。

よく分からないのは、この布マスクはやれ効果が無いとか批判するくせに、色々なメーカーが出している布マスクに関しては批判しない。勿論、素材やデザインの違いで、その効果には違いがあるだろうけど、政府配布の布マスクは結構何度も折り返した厚手のガーゼ生地は息苦しさを感じるくらいの「密」な素材なんだから、期待されている自分からの飛沫拡散防止には十分だろうし、他社からの飛沫感染防止にもそれなりに効果的であることは、既に世界的にも認識されていること。我々は、その気になれば何時でもコンビニやドラッグストアで使い捨てマスクを購入できるけれど、日に何枚も使用して、それも大量に必要な場所では、少しでも余裕がある方が助かる訳だし、今でもマスク入手に困っているそう言う施設利用者も多いだろうし。政府の対策を遅いとかニーズに合わないと批判するのは構わないけれど、なんでそこから「足りない人に集中的に」という話しではく、「無駄だから止めろ」という方向に持っていくのか、何としても失敗に追い込まないと気が済まないというさもしい企みにしか見えない。

政府としても、厚労省に申し込み用のページとか作って、必要な人から依頼があったら送付する事に変えてしまえばいいんじゃ無いだろうか。それでも、本当に必要な場所が抜けてしまう可能性もあるんだけれど、それは単に政局目的で煽った野党やそれをさらに煽っているメディアの責任という事で。今、日々増加する陽性者数を声高に叫ぶ人達は、それならば最悪の場合想定して最大の準備するように言うべきだし、その為には布マスクでカバー出来るところは今はカバーして、その分のリソースを手術用のマスクとかフェイスガードとか、今でも足りないものの製造や準備に回すような、建設的な意見を出して欲しい。問題があるのなら、今の状況が落ち着いてからじっくりやれば良いことで、今もなお新型コロナウイルスとの戦いは継続中と言う事を忘れないで欲しい。とは言っても、自分達の政党名を決めることで忙しくて、他に何も出来ないのだろうけど(えっ?)。

矛盾する表記

朝日新聞に掲載された、「ブラック企業」という言葉が「黒人差別」という指摘に関しての記事(コラム?)何だけれど、この見出しからして矛盾していますよね。「ブラック企業」の「ブラック」が問題といいつつ、最近のアメリカでは「アフリカ系アメリカ人」と言い換えている「黒人」という言葉は使っている。 本文では「アフリカ系アメリカ人」と書きながらも、別の場所とか見出しでは「黒人」を何度も使っているのは矛盾していると思う。文字数の制限があるなら「アフリカ系アメリカ人(以下、ア系米国人)とか書けばいいわけだし。この部分だけ見ても、この記事の作者は本当に問題の本質を読者に問いたいと思っているのか凄く疑問。

記事に登場するアフリカ系アメリカ人の作家さんは存じ上げないけれど、この人がこの言葉を聞いていろいろな感情や考えを持つことは自由だと思う。それに、ご自身の出生に関係して、不愉快な気持ちになる事も理解出来る。「ブラック企業」という言葉が良い意味で使われないことも理解しているけれど、その「ブラック」という言葉が彼らの人種を意味して揶揄して使われていないことも事実。外来語であるから、オリジナルの"Black"と同等に感じてしまうことは仕方の無いことだと思うけれど、そこは「ブラック」と"Black"は、同じであるけれど異なる「言葉」であることも理解してほしい。

どんな言語のどんな言葉にも、ただ一つの意味しか持たない「言葉」は無いんじゃ無いだろうか。最初は一つの事柄を意味する「言葉」であっても、実は言葉は生きているから、その言葉が色々な場所で使用されて広がっていく(=成長する)とともに、いろいろな意味が加わり、あるいは反語や強調の意図で裏の意味や反対の意味が含まれるようになり、それによって元々の意味とは正反対の意味で使うことが主流になったりすることも。日本語で「黒」というのは、暗黒とか暗闇とか、元来「恐れ」とか「未知」の意味があったと思うし、それは「夜」から来ていると思うんですよね。で、昔は十分な照明や光を持たなかったので、夜というのはある意味「どうしようも無い」時であり、だから寝るしかないのだけれど、その睡眠は場合によっては「死」にも繋がる印象が生まれてくる。だから、「黒」には「死」という印象も生まれて、だから日本ではお葬式の時には白黒の幕を使うわけですよね。これ、アメリカだとお目出度いときにも白黒の幕を張ったりしていて、知っていないとちょっとぎょっとします。

その「黒」の英語の"Black"が、日本語化されて「ブラック」となり、日本語としてカタカナ語は、外来語の意味だけれど、強調するときとか少し目立たさせるときに使用する言葉でもあるから、「暗闇企業」とか「腹黒企業」とか言うよりも、「ブラック企業」という言葉が、よりキャッチーな印象を受けると思うんですよね。だから、各メディアもこぞってその言葉を使うようになった。この言葉が登場したのは、そんなに昔では無いし、その当時でもすでに"PC"的な話は知られていたはずで、それなのに自分ちの都合の良いときには積極的に使用して、都合が悪くなると「それは問題だ」というメディアの立場が一番問題だと思う。もともと、人種差別する意図は無いのだから、それはそれとして使えば良いと思うし、ただしアメリカに行けば環境が違うのだから、その時には向こうのルール・常識に従えば良いだけの話し。もし、自分が不愉快と思うのなら、その時にそう言えば相手も配慮するだろうし、自分も明らかに差別的な目的で使われていないのならば、気にせず無視すれば良いと思う。世の中には、そんなことは一杯あるわけだし、それをいちいち気にしていたら何も出来ない。自分に不利益が発生するとか、被害が発生するならちゃんと主張するべきだと思うけれど、全てにそんなことをしている余裕なんて無い。多数が「好ましくない」と感じれば、自然にそう言う言葉や意味は消えていくし、一部の言葉を無かったことにして辞書などから削除しても、それは見た目に消えるだけで、多くの人の心にはそのまま残って結局は以前と同じように存在するだけで逆効果だと思う。結局、それが「差別」として残るだけじゃ無いだろうか。

デジタル化病院 (1)

少し前に、ペットボトルから飲んだお茶がなにかの拍子に気管支の方に流れ込んでえらく咳き込んだことがありました。10分位、ずっと喘息というか咳とか嗚咽みたいな状態が止まらず、子供の頃半分海で溺れかけて、たっぶりしおみずを飲み込んで死ぬ思いをした記憶が蘇ってくるような経験をしました。その時に、喉の部分に何か炎症でも発生したのか、それ以降時々食事を飲み込めずに戻してしまうようなことが発生し、さらに扁桃腺が腫れているような軽い違和感がなかなか解消しないので、耳鼻咽喉科へ行くことにしました。

私は子供の頃から扁桃腺が弱くて、一寸したことでよく腫れて医者に行っていましたが、当時のお医者さんはもう廃業していたりして無く、取りあえずWebで病院検索をして自宅から一番近くの耳鼻咽喉科へ行ってみることにしました。その病院は、地元の私鉄の駅(高架駅)の直ぐ近くにあり、私鉄を利用するときには何となく目に入っていた耳鼻咽喉科で、確か1~2年位前に新しくできたところ。自宅からは、車で10分位なので、朝一で出かけていきました。地方の病院の絶対条件として、駐車場が広いことが必要なんですが、ここも広くて止めやすくて好印象。初診ですから、受付開始の少し前に行きましたが、すでに6人位待ち行列が出来ていました。そこに並んで暫くすると入口が開き、中で初診の旨伝えると、問診票を渡されてそれに氏名住所や症状などを記載。暫くすると、看護師さんがその問診票を片手に、より詳しい症状や状態などインタピューをされてから、「6番」目の待ち行列となり順番待ちをします。中に入って20分位経過してからでしょうか、自分の番号が呼ばれて診察室に入ります。ここで、病院の男性先生と初めてご対面となり、再度状況を説明。簡単に、喉の様子を見たのち、鼻に麻酔薬かな噴霧されて、直ぐに鼻から胃カメラ(喉カメラかな?)を入れて、内部の様子を観察することになりました。私は、口からと鼻から胃カメラを飲んだことがあるんですが、その時よりもさらにケーブルが細い感じ。で、指示に従って内部を撮影すると、直ぐに診察台横のモニターにその写真が投影されます。で、特に問題は無さそうですが、胃の入り口が少し炎症の兆候があるので、幾つか薬を飲んで様子を見ましょうと言う事で診察が終わりました。最悪、腫瘍とか喉頭ガンとか不安がよぎっていたので、かなりビクビクしながらの診察でしたが、問題無さそうと言う事で一気に元気が戻ってきました(笑)。

その後精算をして、隣にある薬局で薬を貰って帰宅したんですが、この病院は次回から診察の予約がネットやスマホから出来るようなシステムを入れていました。調べてみたら、診察券の番号と自分の誕生日をキーにして使用するもので、多分プラットフォームは共通のもので、病院毎にカスタマイズされているみたい。また、診察料を精算する時は専用の端末で精算処理するんですが、これは以前地元の総合病院で銀行のATMのように並んでいるところを見たことがあり、それ自体に驚きはないのですが、こう言う個人病院でも導入されるくらい普及していることにちょっとビックリ。ただ、総合病院ではクレジットカードの利用も可能でしたが、流石に個人病院では手数料が響くのか現金のみというのがちょっと残念でしたが。その後、隣接した薬局へ行って処方された薬を幾つか出して貰いましたが、ここで「電子お薬手帳」なる物のガイドを貰い、これも知らなかったのでビックリ。その薬局固有のものかと思ったら、どうも「kakari」というアプリで、この「電子お薬手帳」にも幾つか種類があるらしく、病院経営も効率化や顧客サービスで、いろいろあるんだなぁと感心した次第です。

20年位前かな、仕事の関係で医療機関向けの製品開発の話しがあって、色々調べたりしたんですが、当時は治療用の精密機械に影響しないように、色々仕様やルールが厳しくて大変でした。当時の状況で行ったら、スマホなんて言語道断の世界でしたが、今では病院側の危機の対策も、スマホやパソコン等のデバイス側の対策も進んでいるので、結構いろいろとデジタル化しやすい状況になっていることも一助なんでしょうね。私は10年位前に地元に戻ってから、年齢相応でメタボ対策で地元の内科医院に通っているのと、やはり昔入れたブリッジや虫歯治療で歯科医院の、二箇所に通院しているのですが、こちらはそこまではデジタル化されていません。ただ、内科医院は個人びょうたんだけれどCTスキャンの装置を最近導入したり、歯科医院も小型のレントゲン撮影機があって、そこでデジタル撮影した口腔内の様子が、治療室の端末から直ぐに呼び出されるなど、やはり昔の病院と大きく違うことは経験済み。私は、陸上やアメフトをやっていたときには、怪我の治療でよく整形外科にお世話になっていましたが、それ以外では大病とかしたことが無くて、30代から50代になる間は殆ど病院のお世話になっていませんでした。それが50歳になる頃から、段々あちこちガタが来たりして地元の個人病院のお世話になりつつあるんですが、最近の個人病院でも一昔前の総合病院並みの施設や治療が可能な所もあって、驚いています。技術革新もあるんだろうけど、治療行為という顧客サービスという視点で見ると、治療の短縮とか高度技術の提供とか、そこは「治療」ではあるけれど「ビジネス品質」とか「顧客満足度向上」とか、何か仕事にも結びつくビジネススキームみたいなものが朧気に見えて、ちょっと面白い経験だなと感心しました。まぁ、病院側も大変だとは思うけれど、病院としてもデジタル化に乗り遅れないようにしないといけない時代なんだなと再認識した経験でした。ただ、それによる弊害もあるわけで、それは長くなるので別記事で...(続く...)

2020年7月29日

嫌われるポリコレ

Blogosに掲載された、御田寺圭氏(白饅頭氏)のコラム。「ポリコレ(ポリティカリーコレクトネス/Politically Correctness/PC)ではなく、それを利用するものが嫌われている」という話し。私も、平均的な日本人よりは、仕事やプライベートでアメリカに滞在した経験も長いし、向こうの人との付き合いも仕事以外のプライベートな時間などもあるので、多少はこの"PC"に関しては知っていると思うし経験もしていると思うのですが、確かにこう言う傾向が最近は多いと思う。

始めて海外出張した30年以上前だと、当時は身体障害や精神的な問題を抱えている人が、社会生活をするときにそういう部分を理由に差別したりしないという事が中心だったように思います。例えば「障害」意味する"Handicap"という言い方は差別的だから、"Disabled"と言うべきとか。さらには、手足が藤生な物理的障害では無く、自閉症とか知能遅れのような精神的な問題を持っていることを、その後は"Gift"と言い換えたりしている。否定的な意味を感じ表現を、肯定的な表現や明るい表現に言い換えることで、本人だけで無く周りの人間もプラスの気持ちや動機を持つことは良いことだと思うし、より前向きに社会生活する・出来る切掛になる事は確か。それは凄く重要な事だと思います。

ただし、それを"Gift"「贈り物」と言う言い方には、正直自分は疑問が沸きました。「(最初から欠けている)ハンデがある」という"Hadicap"という言葉を、「止められているだけ」という"Disabled"と言い換えるのは、まぁまだ理解出来るのだけれど、それを「贈り物」と美化するのはどうだろう、と。日本の諺でも「あばたもえくぼ」というのが有るけれど、それを凄く極端な言い方にした例じゃ無いかというのが私の印象ですが、それはそれで良いけれど、でも余りに行きすぎた表現もどうだろうかというのが当時からの印象です。

タレントの乙武洋匡氏が登場してから、日本での障害者に対しての見方・感じ方が、良くも悪くも大きく変わったところが沢山あると思うんですが、その一つに、彼が「(手足が無い事は)障害だと思わない、個性だと思う」という様な発言があり、あぁこれが自分の感じ方に一番近いんじゃ無いかと腑に落ちたことがあります。勿論、そんな風に割り蹴れない人も沢山いるとは思うけれど、背の高い人低い人、顔の大きい人小さい人、太ってる人痩せている人、そんな「個性」の一つといわれるのであれば、こちらとしても凄く受け入れやすい。だから、"Gift"ではなく"Character"と言ってくれれば、当時凄く腑に落ちたんだろうなと思います。で、PCが余りに行きすぎると、結局は「Giftである」と聞かされることが正義になってしまう不自由さが、目に見えない反発を醸成している気がするんですよね。そう感じたい人がそう感じるのは自由だと思うけれど、それを強要されることが大きくなると、理解が反発に変わってしまうのが、ここ最近の社会じゃ無いだろうか。相反する意見でも、相手に理解して貰うことは可能だし、相互理解の先に互いに妥協できる新しい付き合い型が生まれると思うのだけれど、理解よりもさらに同意や同化まで要求している、今の過激な人達の一面をこのコラムでは表している気がする。

和製なワーケーション

ここ数日、ちょっとしたトレンドになっている「ワーケーション(Workcation)」は、"Work"+"Vacation"から作られた造語なんですが、「自粛と言いつつ、観光地へ出かけろとは怪しからん」とか、「又変な和製英語で...」とか、批判されている人達のコメントを見ていると、どうもピント外れな印象が大きい。

「観光地へ出るのは怪しからん」というのは、確かに移動を伴う行動だからそこは注意が必要だけれど、別に深夜の飲み屋へ出かけろと言っている訳ではなく、どちらかと言えばホテルや旅館などにこもる傾向のある行動だから、そこは一寸違うと思う。それ以上に誤解しているのは「又変な和製英語で」という話し。多分少し前に「"Go To Travel"は英語としておかしい」と言われた所から影響しているんだろうけど、"Workcation"という言葉は、例えばこんなサイトで2011年には取り上げられているので、少なくとも「言葉(word)」としては結構以前から使われていたことは確か。ただし、例文を読んでみると、要するに海外出張などで仕事半分・休暇半分みたいな状態を指しているようなので、現在使われている意味とは一寸異なることも事実。ただ、「和製英語」というのは当たらない気がする。

特にどこの誰とは言わないけれど、こう言う反応をするのは往々にして現政権に批判的な立場の人達で、それはそれでまぁ分からないでも無いけれど、肝心の言葉や情報を基本にしているメディア関係の人間ですら、こう言う一寸した確認すらせずに同じように騒いでいるのは何なんだろうか。例えば自分も含めて、多くの人は、何か知らない言葉が出てきたら、Google等で検索する、ハッシュタグで検索する、位のことは先ずやると思うのだけれど、なんで「プロフェッショナル」な人達はそう言う「一寸した一手間以前」の作業すらやらずに、自分の思い込みだけで延髄反射して、さらにSNSで公開までするから日本中、世界中に自分のミスを拡散してしまう。さらに、それで何度か痛い目に遭っても、「いゃ、自分は正しい、相手が間違っている」と言わんばかりに、同じような事を繰り返す。仮に、彼らが自分の上司だったら、もう即上司に自分の配置転換なり業務から外すことを要求するだろうなぁ。そう言う軽率以前の行動が当たり前だと思っているからなのか、本来はライバルである週刊誌や他社の記事ですら、「これはいける」と思ったら即信じてしまうし、中には見出しだけ見て本文も読まずに他社の記事を参照したりする、素人未満の行為も。彼らの行動が、どれだけ「メデイア」という職種の価値を下げているのかと思うと... 今回の「ワーケーション」だって、以前は各紙で好意的に取り上げられていた話題なんですよね。

日本での「ワーケーション」は、確かJALが航空機利用率アップを目論んで使いだしたのが最初だと思うんですが、ビジネスモデルとしてはJALが閑散期のハワイ旅行を喚起するために支援しているホノルルマラソン方式と同じようなもの。さらに言えば、「Go Toトラベルキャンペーン」にしても、行った先のホテルや売店だけで無く、その途中有る交通機関に落ちるお金も大きいという事の証しでもあると思うんですよね。昨日CX系列の「グッディ」に星野リゾートの星野佳路社長が出演していて、このワーケーションに関して、宿泊代が掛かるみたいな質問対しては、価格が高くなる週末や祝日を挟んだ利用ではなく、安い利用金もある平日を活用した利用をすれば、ホテルも稼働率が上がるし価格を下げる努力も出来るみたいな説明をしていました。ホテルにとって、稼働率をいかに上げるかというのは大きな課題だし、特にリゾート地域のホテルは休みの日に集中して平日は利用者数は少ないだろうから、それが平日の稼働率が上がるならかなり嬉しいはず。単純に「新しい仕事のスタイル」と諸手を挙げて賛成するわけでは無いけれど、少なくとも新しい選択肢が増えることは誰にとってもありがたい事であることは確かだと思う。

2020年7月28日

ワーケーション

昨日のTLで、「菅官房長官が『ワーケーション』普及で観光促進を」という記事が流れていて、賛否いろいろな意見が流れているんですが、NTTデータとJALのこう言う検証結果を受けての話なんでしょうね。私も、10年以上の「e-workのプロ(笑)」として最近感じるんですが、自宅にこもって仕事をするだけでは無く、リモートオフィスとか少し前の言い方だと「ノマド」式で移動しながら、必要な仕事なり業務を進めることが、特に精神的な部分に対して有効且つ効率アップに繋がると思います。

実際自分でe-work(リモートワーク/在宅勤務)を始めた当初、それまであった色々な「縛り」がなくなることは非常に嬉しくて、それが大きなモチベーションになったことは事実。ただし、その興奮も暫くすると新しい「日常」になるわけで、そうなるとそれまで新鮮な刺激だったものが、どんどんその効果を失って行くんですよね。で、「自宅」という、同一の場所に24時間結果的に縛られることになるわけで、それが今度は苦痛になっていきます。そこで自分としては効果的だったのは、朝・昼・晩と外に出ること。例えば、朝は散歩に少し自宅回りを歩く、お昼は毎日では無いけれど、外に出て食事をする(コスト的には自宅で食べる方が有利なんですが)、夜というか夕方には夕食の材料の買い出しに出る、みたいな感じで、メリハリというか気分転換できるようにして、やっと少し持ち直してきました。この時感じたのが、実は「出勤・出社・会社生活」というものが、結構一日の変化になり気持ちの切替にもなっていたし、且つ物理的な移動をするので、それなりに健康にも有利だったと言う事。

勿論、毎日毎日会社に通うことも、慣れてしまうと「平凡な日常」になって飽きてくるんですが、そう言う意味では100%のリモートワークよりは、50%とか70%とか、リモートワークと会社での仕事を上手い具合に自分に合った塩梅で組み合わせるのが、一番効果的効率的じゃ無いかと思います。自分の場合は、毎週一回金曜日の新幹線通勤というのが、結構気分転換になったし、それなりに効果的だったんですが、なんせドアツードアで片道2時間半から3時間掛かる「通勤」が大変。金曜日は、朝の5時に起床して、7時前のバスで駅に向かい、新幹線、在来線と乗り継いで会社に到着するのが9時20分頃。帰りは、会社を夕方6時過ぎに出て、在来線、新幹線、バスと乗り継いで、自宅に到着するのは夜の9時半頃。季候の良いときにはまだしも、悪天候の時とか寒いとき等は本当に大変(暑いときは、途中で一杯の楽しみがあるからまだ我慢できる-笑)。週に一回の「気分転換」が結構大きなイベントだったので、それ以外は自宅勤務でしたが、今にして思うとその自宅勤務の4日間のうち、1~2日位は近くにリモートオフィスでもあって、そこに出かけて仕事をするような事をやっても良かったかなと感じることも。以前、自宅の電気工事があり停電するため、その工事の間だけ近くのスターバックスへ行って仕事を2時間ほどやったことがありますが、あれはあれで気分転換にはなりますよね。毎日とか何時間も居座りたいとは思わないけれど、ちょっとした気分転換にはああいうのも有りかなと。

最近、とある番組で、遠距離通勤の人の特集をやっていて、毎日新幹線や長距離バスを利用して都内に通勤して居る人を見ましたが、正直自分の場合はそれらよりも楽なルートだけれど、それでも毎日は無理。でも、自分も含めて、何時間も掛けて通勤するような場合って、自宅=ワーケーション見たいなものだなと一寸思います。実は、三島とか熱海辺りから新幹線通勤で都内に通っている人は結構いるみたいなんですが、それなどは土地柄から「ワーケーション」そのものですよね。リモートオフィスとかシェアオフィスがどんどん普及していますが、複数の会社で一つのリモートオフィスをレンタルして、月・水はA社、火・木はB社、金はC社みたいで、リモートオフィスをシェアして使うのも有りかなと最近思っています。複数の拠点を持つのはコスト的に不利になりますが、それを複数の会社で共有することで、コストも分散できるんじゃないかと。今は、リモートに移行して都内などのオフィスがどんどん解約されていますが、逆にそれでレンタルコストも下がるから、小規模の分散共有オフィスを作っても、そんなにコストアップしないのでは。それで、社員が気分転換も出来、さらにはセキュリティとかリソースも有効に活用できる、新しい組織体みたいなものが生まれてくる気がする。

安物買いの銭失い

昨日、落雷の影響かトラブルとなったテレビの代替機を購入しに、近くの量販店へ行ってきました。丁度製品の入れ替え時期だったからか、「現品限り」とか「入替のため特価」というポップが付いた同型機種が並んでいて、暫く悩んだ末とある製品の箱を抱えてレジへ向かいました。実は、トラブルとなったテレビはSHARP製で、SHARP製のテレビも安かったけれど、少しサイズの大きい東芝のREGZAがさらに少し安かったので、それをレジに持ってきたつもりでした。所が、レジでスキャンすると、WiSという表示が。どうも、展示品の下に合ったからその製品と思ったところ、少し離れた場所に展示されていた別の製品を持ってきてしまったようです。

ここで「交換します」と言えばよかったと後から後悔するんですが、そこで表示された値段がさらにお安い価格だったので、「まぁ、そんなに機能的に違わないし」と値段に引かれてそのままその製品を購入して帰宅します。その後、壊れたテレビと入れ替えてセットアップして鋳るときに気がつきました。このテレビ、安い割りにはDVDを内蔵していてDVD再生が出来るんですが、内蔵チューナーが地デジ用しか無い。うちの母親は、BSデジタルもよく見るので、しまったとここで後悔。でも、既に開梱して、通電までしてしまったので今更返品は出来ないし、仕方が無いのでそのままセットアップを完了しました。

で、勿論問題なく地デジは視聴できるんですが、案の定BSデジタルが映らないというと母親は不満そう。ただ、実際見るのは自分一人だけだし、隣りの部屋にはBSデジタルも映る別のテレビがあるので、それで我慢してと宥めます。でも、夜になると「BSが...」とか言い出します。実は、そう言われるだろうと予想はしていて、幾つか対案を考えていました。まず「Plan A」は、母親の寝室にも小型の液晶テレビがあるんですが、それはBSデジタルも対応しているので、それと入れ替える計画。その母親の部屋のテレビには、ケーブルTVのSTBが接続していて、それで地デジだけでなく、BSやCS(ケーブルTV)を試聴しているので、一応HDMI端子のあるこのテレビなら、STB経由で試聴できます。もう一つの「Plan B」は、もう一度別の地デジ/BSデジタル対応のテレビを購入して、今回購入したテレビは亡くなった祖母の部屋にテレビがないので、そこに移動する事。この部屋は、親戚が来たときに泊まる部屋として使用して居るんですが、これまで「テレビが無い」とクレームされていて、でも年に数回程度ならわざわざ購入しなくてもと思っていたところ。ある意味、丁度良いかもしれません。

実際には、取りあえずは「Plan A」で母親の寝室のテレビでまずは今日交換する予定。で、この母親の寝室で使用して居たテレビが、実は今回故障した3年前に購入したテレビよりも古いものなので、まあ直ぐとは言わないけれど、次に故障するのはこのテレビかなと実は思っています。そうなったら、また新しいテレビを購入しないといけないのだけれど。でも「Plan B」の場合でも、やはりその寝室のテレビが壊れたら交換しないといけないわけで、取りあえず出費として少ない方をまずは優先しようかと。有りがたいことに、6月に夏のボーナスが出たから良いようなものの、何かボロボロと小刻みに出費が続くのが嫌な雰囲気です。まるで、最近のなかなか終わらない梅雨空みたい。

誤謬誘導の朝日新聞

朝日新聞が掲載した、政府調達の布マスク8000万枚を、介護施設や保育所などへ配布するという記事なんですが、いかにも朝日新聞らしい読者の誤謬を誘発するような見出しと記事内容(構成)。

まず見出しが「布マスク、今後さらに8千万枚を配布 不要論でも発注済」としています。8000万枚を配布する事も事実だし、不要論があったことも事実。でも、その後の本文を読めば分かるように、8000万枚の配布先は、今後も需要が大きいと思われる介護施設や保育所という施設であって、再度国民全員に配布するわけでは無い。

また、この配布の話が当初出たときには、「布マスクは感染予防できない」とか「お金の無駄」という意見も多く出たけれど、結果的に今では布マスクでも飛沫感染予防・防止に一定の効果があることは証明されているし、お金に関しても一時言われた500億は予算規模であって、実際はその半分程度であったし、このマスクが配布されたことで、それまで高騰していた不織布マスクの値段が下がり、病院等緊急に必要な所にも必要なマスクが行き渡るようになったことは、既に明らか。批判することはメディアの役割の一つとは言え、かなりバイアスの掛かった見出しだなと言うのが個人的感想。

で、肝心な朝日新聞本体の記事では途中から有料記事になり読めないのですが、Yahooニュースに転載された記事では全文が掲載されている。その有料記事部分では、布マスク8000万枚を配布する事に対して、通販の価格比較サイトの例として、使い捨てマスクの最低(?)価格が、ピーク時の57円/枚から現在は10円/枚まで下がっているというインタビューを掲載して、その布マスク配布の無駄なことを強調している、ように読めます。でも、これはおかしいでしょう。

まず、配布するのは布マスクなんだから、同じ布マスクと比較しないと意味が無いのでは。確かに不織布マスクは1枚10円かもしれないけれど、一日に何回も取り替える必要が有るこう言う場所では、一日100円分くらいのコストが掛かるわけですが、洗濯をして何度も利用出来る布マスクなら、しかも無料で配布されるなら、その経済的効果はかなり大きいはず。また、見出しを読むと、今回の為にわざわざ8000万枚を追加発注したようにも受け取れるけれど、これだって当初契約して発注した分を再配布するわけで、別に新規に追加したわけでは無い。政府として、足りないよりは余った方が良いという事で多めに数量を発注して、その為には全量引き取りが条件な訳ですから、それを実行して有効利用しようとしているだけの話。朝日新聞は「不要論も」と無駄という事を言いたいようだけれど、それならそれでこれらのマスクを廃棄処分をしたら「税金の無駄遣いむと批判するわけで、結局は何をやっても言いがかりを付けたいだけなんでしょうね。

その計画なり取得プロセスなり、何か問題有ると感じるのなら、それを追求するのはメディアの役割の一つだと思うし、別にどこの新聞社でもやれば良いと思う。記事の中では、確かに事実の断片をつなぎ合わせて構成しているのだけれど、例えば困惑する東海地方の保育園園長のコメントは掲載しても、好意的なコメントは掲載しない。調達の経緯を伝えるのは良いのだけれど、枚数の多さとか経費の金額だとか、それらを強調するだけで、ではその中に何か疑念を招くようなことがあったのかは明確にしない。さらには、最後のように異なる種類のマスクを比較して、しかも一方のコストだけ「1枚10円」と書いているけれど、布マスクだって総額507億円を2億8700万枚で割れば、1枚あたり177円となるから、20回程度選択して再使用すれば不織布マスクよりも「安く」なるわけで、実はコスト的にはそんなに違わない。そういう感じな所を言わずに、単に安い・高いみたいな「イメージを誘発させる記事構成」にしているところに、やっぱりこの人達は事実を伝えるのでは無く、自分達が思う「真実」という勝手な考え押しつけたいだけなんだなと再認識する記事ですね。

2020年7月27日

不都合な比較

TL上でちょっと話題になっていた、東京新聞の「核廃絶費用をコロナ対策費に」という記事。タイトルだけ見ると、何か凄く良いことのように聞こえるんですが、記事本文を見るとその書き方というか記事の展開の仕方が凄く恣意的に感じる。

  1. 最初に、米英仏の核軍事費を新型コロナ対策の医療費に振り替えると、という話しをしていて、まぁそれは核軍縮を言う団体(ICAN)が言うのだからそれなりに理由はあるのだろうと思うんですが、それと並べて日本の場合として新規調達分(1兆1千億円)を並べて比較しているのは矛盾しているのでは。それなら米英仏に関しても、核軍縮費だけでなく新規調達費用も含めるなり、あるいは日本と比較したいなら、新規分で比較するべきでは。それに、「新機長達分」ということは、古い装備を廃棄して置き換える意味もあるので、それを止めた場合耐用年数を過ぎた装備をどうするのか、古いまま使い続けていざというときに機能しない、危険度が増す、と言う想定は無いのだろうか。
  2. 新型コロナウイルス対策の医療費として、ベッド、人工呼吸器、看護師、医師、の4要素を上げて、それぞれリソースを振り分けているけれど、ここで疑問なのが「物理的なリソースは、まぁ頑張って増産するという方法はあるけれど、それでも準備出来る数量には限界がある。ましてや人的リソースなんて、そう簡単に増やすことはできないだろう」という事。一度にそれ誰のリソースが入手出来るならまだしも、何年も掛けて準備しないといけない話なのに、恰も単純に物々交換のように置換できるように見せているのは、欺瞞なのでは。看護師なり医師なりを増やすには、その分医学部看護学部だって定員を増やさないといけないかもしれないし、そういう部分も含めて考察するなら意味あると思うけれど、単に上澄みだけ引っ張ってきて「可能だ」と言われても、それは机上の空論としか言えない。
  3. 日本の場合は、1兆1千億円を振り替えればという想定ですが、わざわざ振り替えしなくても、予備費が10兆円、使用目的を限定しない分だけでも5兆円有るのだから、何故それを直ぐさま利用せずに、わざわざ実際には振り替えできない(使用目的が防衛費として決まっている)ものを例として出すのだろうか。結局は、これだけ防衛費を削れば新型コロナウイルス対策が進むのに、それをやらないのは政府の問題、みたいな事を言いたいだけじゃ無いのか。それなら、予算で一番多い医療費の配分を変えて新型コロナウイルスに回す(その分、既存の医療補助が減る)とか、社会保障からという話しだって可能になってしまう。
  4. で、最後に韓国は削減して対策費に回したと言っているけれど、それはその国の考え方だし、日本の場合は10兆円の予備費があるのだから、指摘すべきはその10兆円の使用状況が今どうなっていて、幾らの余裕があって、そこから今後どう言う方面・場面に適用していくか、ではないのか。あれだけ10兆円の予備費が過大すぎると以前は騒いでいたのに、今は何も言わない。本来なら、「10兆円予備費使用監視タスクターム」とか野党あたりが作って、その様子をこれでもかとメディアが取り上げるんじゃ無いのか? 今、予備費の話しなんて、これっぽっちも出てこないのに、なんでわざわざ出来もしない予算の付け替えの話をしているのか。しかも、防衛費を狙い撃ちにしているのか。凄く恣意的に感じる。
結局、「だって、東京新聞だから」で終わってしまう話ではあるけれど、本当に必要な部分なんで、どう言う優先順位で事に有る必要が有るのか、そう言う背景が説明されているなら良いけれど、何かこれって最初から目的が透けて見えている気がする。やはりメディアでは無く、単なる宣伝機関だよな、この人達は。

お一人様テレワーク

リモートワークやテレワークが、日本のビジネス社会でも「普通の事」となりつつある現在。自分は、基本自宅で仕事をしているんですが、幾つかの理由で自宅以外でちょっと今日は仕事したいな、あるいは昼間のxx時からxx時までは、外で仕事をしたいな、と言うときがあります。

例えば最近の事例では、自宅近くの場所でちょっとした工事があって、朝の10:00位から夕方まで、結構大きな騒音が発生した時。勿論、窓など全部締め切った状態にしては居ましたが、コンクリートとか掘削しているのか、かなり大きな振動音とか、パイルを売っているような音が響くため、普通に仕事をするのは勿論、電話会議で音声を拾うのもちょっと大変な状態がありました。以前同様の状態になったときには、近くのモールに入っているスタバに非難して、2時間位仕事をしたことがあるんですが、最近の新型コロナウイルスの状況では、テーブル席も数を減らしているし、本来の目的外の仕事のために長時間占有するのは申し訳ない。そこで、リモートオフィスとかレンタルオフィスみたいなものが浜松にも無いか調べてみました。

浜松でも、大手のRegusを始め、幾つかコワーキングスペースとかレンタルオフィスみたいなものが有るのは分かったんですが、自分が欲しいのは一人用の小さなスペーズで、出来れば月極とかではなく必要な時に必要な時間仕事が出来る、所謂ドロップイン的利用方法が可能な場所。別に時間貸しでなくとも、一日料金でもそこは構わないけれど、個人的に欲しいのは電話会議とか有るので、個室あるいは最低限でも半個室みたいなスペースが利用出来ること。ただ、残念ながら浜松の場合は、一人でドロップイン的に利用出来るのは、殆ど共有スペースでの利用で、個人的にはそう言う場所で電話会議とかやりたいと思わない。勿論、そう言う環境でもスマホで電話したり、テレビ会議とかする人も多いのでしょうし、仮にそういう人が隣に座っていても、あえて無視する・気にしないと言うのがある意味「ビジネスマナー」なんだろうけど、それでも昔から叩き込まれている「セキュリティー」のDNAとしては気になるところ。

名古屋とか東京とかでも調べてみて、月契約なら勿論そう言うスペースもあるんですが、ドロップインでの利用の場合、予約は出来ず空いていれば追加料金有り・無しで利用可能みたいな所が殆ど。そうなると、折角訪問しても目的の場所が使えないと困ります。例えば、ざっと調べてみると、ドロップインで1日利用すると、大体1,500円位が相場のようなんですが、これを倍の料金でも良いから個室あるいは半個室のスペースを提供してくれないだろうか。ANAの国内線ラウンジでは、「電話室」みたいな場所があるんですが、ああいう感じでも十分。電話会議の場合困るのは、相手の声はイヤホンで聴けば良いのですが、資料とか映す画面と、こちらが話す発話が漏れるのが困るので、最低限そういう部分をカバー出来るような多いというか囲いがあると個人的には嬉しい。今回のリモートワークトレンドで「お一人様」が一つキーワードになっているらしいけれど、個人的には是非色々なビジネスモデルが生まれて欲しいと思いますね。

雷雨でトラブル

昨日は、朝からお昼前くらいまでは、まぁ小雨模様でも時々薄日も差すような天候で「あれ? 線状降水帯は外れたかな」と思ったら、お昼過ぎから雨足が強まり、午後は缶詰状態。さらに、午後には結構近くで落雷の音が響きだし、流石にちょっと拙いかなと思いつつデスクトップPCの電源を落としたりして暫く様子見をしました。その後、夜になっても結構な雨音が続いて、今朝も朝から少し強めの雨が降っているんですが、昨日の落雷の影響なのか今朝プチトラブル発生。

自宅の食卓のある場所には、20インチ位の液晶テレビが置いてあって、毎朝母親がこれでTBS系列の朝のニュース番組(あさチャン)を見ています。所が今朝は、「テレビが点かない」と言います。リモコンを操作しても駄目で、よくよくテレビ本体を見てみると、主電源の緑色のLEDが点灯していません。テレビ背面の電源ボタンを押しても反応しない。昨晩は、夜まで見ていたというので落雷の直接の影響では無さそうだけれどトラブルの原因がよく分からない。そこで、一度電源コードをコンセントを抜いて暫く待ってから、再度電源コードをコンセントに挿入して背面の電源ボタンを押してみます。これで、今度は画面が点灯し、放送が表示されるようになりました。

これで一件落着と思ったら、どうもテレビがリモコンに反応しない。リモコンをテレビの真正面に近づけて見ても駄目、試しに乾電池を新品に交換しても駄目、一度電源を背面ボタンで落として再度電源を入れてみても駄目。同じメーカーの別のテレビのリモコンを使ってみたり、他社製だけれど設定を合わせてあるHDDレコーダーのリモコンで操作しても無反応。どうも、受光器関係の回路が死んでいるのか、リモコン信号を受信していない・出来ない様子。自分一人が使うなら、別に背面のボタン操作で問題ないんですが、なんせこう言う危機には疎い母親はリモコン操作出来ないと困ると行っていて、しかもお気楽に「後で、電気屋さんに行って直してきて」とか言うし。

多分本体修理になるので、テレビメーカーのサイトで調べてみたら、大体2万円~8千円位の修理費用。同じく、量販店のサイトで同タイプのテレビの価格を調べると、その修理費に+1万円位で購入出来そうな感じ。修理を依頼して、数日後に来て貰って直すよりは、そっちの方が簡単かなぁと、時間のある時に近くの量販店で探してみようかと思っています。自宅の中には、自分のパソコン等も含めて、結構多数の電気機器が設置されているんですが、今の所調子のおかしいのはこの食卓にある20インチの液晶テレビだけ。考えられるのは、それ以外のテレビには契約しているケーブルTVのSTBが接続されているんですが、このテレビだけは直接アンテナからのケーブルが接続されています。そこから、サージが入ったのだろうか。でも、それならリモコンの受光回路の前にチューナーが壊れそうだけれど。しかし、予想外の出費で頭が痛い...