2020年8月11日

ワンパターン

新聞社はよほど暇なのか、こんな記事をトップにあげている。先日の、広島、長崎で行われた安倍総理の挨拶の内容が、度地も同じような内容で怪しからん、気持ちがこもっていない、とご不満な様子。で、有料記事のいやらしいところで、見出しや無料部分で「おかしい」と言いながらも、肝心のその内容部分説明部分に関しては有料部分に含まれていて、ごく一部の読者しか読めない。私企業として「有料記事」というビジネスモデルは認めるけれど、方や「報道機関」という公共性を考えるなら、無料部分でも完結した情報提供をするべきだと思うのだが。

で、この話、何となく朧気な記憶で「確か、毎年そんなこと言っていないか」と思うのですが、とうとう民主党政権時代の挨拶まで発掘されて、実は当時も同じような状態だったことが直ぐに明らかにされてしまう。まぁ、常識的に考えて、普通はそうなりますよね。だって、広島にしても長崎にしても、どちらも原爆投下されて甚大な被害を被り、その後懸命に復航して現在に至るわけだから。その歴史も同じような形で進んできたわけだし、「原爆廃止」「平和を」という気持ちも変わることは無いはず。となれば、そこで言うべき事も同一の事柄になるはずで、逆に違うことを言ってしまうと、では何故両者で違いが生まれるのか、何が違うのかという似て非なる議論になるでしょうし。これが、地名と日付け以外一語一句変わらず同じ、と言うのであれば、それは一寸首をかしげてしまうけれど、基本的な部分はどちらもブレずに同じ主張をして、そこにそれぞれの地域固有の話も含まれているわけで、それに難癖付けるのは単なる言いがかりでは無いのか。

例えば、熊本の水害被災地の挨拶と、福島の原発事故現場での挨拶が同じだというのは、それは確かに変でしょう。災害の内容も異なるし、その後の対策も異なる。関わり合う行政にしても、関連企業にしても異なるし、復旧の方法や期間も異なるそれぞれの事象において、冒頭の挨拶なりお悔やみの言葉とかが同じような内容になることはあるだろうけど、こちらは本質的な部分は違ってしかるべき。でも、同じ熊本の水害被災対策の挨拶で、訪問した地域によって毎回違うことを言ったら、それは変でしょう。特に、この広島長崎の被爆に関しては、世界に対してのメッセージでもあるわけで、それが一方で入っていることと、他方で入っていることに差異があったら、そっちの方が問題では。「いゃ、内容は一致していても、伝える言葉はそれぞれで返るべきでは」という反論もあるだろうけど、でも誤解され事無く、伝えるべき事が伝わるように言葉やメッセージは慎重に準備されるものだし、そうなれば最適と思われるものに統一する事が一番誤解を生まない方法だと思う。大体、その「自分の言葉」をネタに、有ること無いこと揚げ足取りをするわけだから、そりゃぁ余計なことは言わない方が必要な仕事も進むだろうし。結局は、批判している側の態度がこういう状況を生んでいるだけの話ですよね。

元の記事に戻ると、どう言う理由・葉池から「93%一致」と毎日新聞の記者が言っているのか不明だけれど、ではその93%一致している部分において、広島・長崎に対して不適切あるいはそぐわない部分はどれだけあるのだろうか。そこで語られている話は「原爆」という共通項の話なのだから、どちらにとっても必要な話だし、だからこそブレない主張をするべきでは。それに、そう言うことを言うのであれば、毎日新聞を始めとした全国紙が、「地方版」と言いつつも、全国版の一部だけ地方の記事に差し替えているのも、「誠意が無い」し「手抜き」だし「コピペ相当」の行為だと思うのだけれど。同じニュースであっても、その地域によっては重要度や優先順位が異なるわけだから、当然毎日新聞社においては、地方地方に応じた独自の紙面作りをしているんだろうなぁ(棒読み)。その時、彼らはどう言う言い訳をするのだろうか。新聞だってワンパターン、で、攻め方にしてもワンパターン。先ずは自分達の存在意義が理解されるような、独自性を自ら証明するところから始めたらどうだろうか。

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