2008年5月31日

ぷりんとごっこ販売終了

理想科学工業株式会社の「ぷりんとごっこ」が、6月で販売終了するというニュース。また思い出が一つ消えていく... 1977年発売開始かぁ、それ以前から使っていたような記憶があるんですが、それってそれだけ長い間お世話になっていたから何でしょうね。フラッシュ用のバルブをセットして、「ピカッ!」と光らせて転写するのは、なんか妙なワクワク感がありました。元絵の描き方でうまく転写できないこともあって、結構印刷用のフィルムとかバルブを無駄にした記憶も。当時はパソコンはおろか、コピーも会社以外ではまず無いような時代でしたからねぇ。芋版とか版画で年賀状なんか作るのが普通の時代に、紙に書いた文字や絵が何枚でも転写できるというのは画期的でした。やっぱり、あの「ピカッ!」と光るのが、何か不思議な魔法をかけているようなそんな感じもしたものです。 今では、パソコン使って簡単に作成出来ますからね。確か、パソコンにつないで使うぷりんとごっこもあったような記憶があるんだけど、これだけプリンターも普及してはちょっと厳しいですね。これも時代の流れなんだけど、あの「ピカッ!」の思い出は、どこかで再現してくれないだろうかと、ちょっと懐かしく思います。

2008年5月30日

高解像度DVDプレーヤー

HD DVDから撤退した東芝が、既存のDVDを高解像で再生可能なDVDプレーヤーを年内に発売するというニュース。どういう技術なんだろうとググってみてもよく分からなかったけれど、たぶん今年初めに出たCELLを使ったテクノロジーなんだろうか。次世代メディアとしてはBDに軍配が上がったわけですが、既存のソフトはまだDVD-ROMが多数を占めているし、それを再生するテレビは逆にHD化していっているので、そういうギャップを埋めるのには良いと思うけれど、まぁ感じなのは価格ですよね。現在のHDD/DVDレコーダーよりも高くなったら、たぶん売れないだろうなぁ。 ハード、ソフト、両方のステップアップが必要なBDは、まだまだ普及しているとは言えない状態ですから、ハードだけの更新で既存のDVDソフト資産がさらに生かされるとなると、買い換え需要なんかではこちらに流れそう。年内というのが、いつなのか分からないけれど、まずは実機の性能をこの目で見たいですね。

自衛隊機見送り

昨日突然登場した自衛隊機による支援物資搬送の話、結局中国国内感情を見て自衛隊機使用は見合わせることになったみたいですね。まぁ、カルフールに対しての様子を見ていると、せっかく良くなった対日感情をそのままひっくり返すような賭に出る必要も今は無いと思うし。結局は、人民解放軍の圧力が強かったということなんだろうなぁ。 「太陽の黙示録」でしたっけ、日本が大災害に見舞われて、その救援物資搬送という名目で中国軍(人民解放軍)の大編隊が千歳に降りてくるシーンがあったのは。あれは、なかなかショックなシーンだったけど、あの何十倍もの衝撃を受けるんだろうなぁ、立場が変われば。とりあえず、日本の名前入りの支援物資が被災地に届けば、少なくともこれまで以上に日本対しての印象が変わるのは確かなんで、そういう地道なところから進めればいいんでしょうね。何たって彼の国は1000年単位で物事が動く世界ですから。

2008年5月29日

吉と出るか凶と出るか

四川大地震への援助物資輸送のために、自衛隊機が中国に飛ぶという昨日のニュース。緊急援助隊や医療チームの活躍で、それまでと比べても格段に対日感情が良くなっている状態ですが、自衛隊機が中国に飛ぶというのはなかなか微妙ですね。まぁ「政府専用機」も自衛隊機の一機だけど、見た目ボーイング747が飛ぶのと、迷彩塗装のC-130輸送機が飛ぶのでは国民感情はだいぶ違いそう。昨日何度かニュースに登場した小牧の様子に、たぶんイラクに行っていた青色塗装のC130が2機移っていたけど、最初はこちらを使う方が抵抗が少ないかも。 たぶん、実際に支援物資を受け取る被災地の人から見れば、何で運ばれようがあまり気にしないと思うんですよね。でも、被災地から遠くて直接の被害を受けていない人が感じる感情は、また違うような気がします。報道などでは、北京か成都に日本から空輸するということですけど、首都北京に自衛隊機が飛来するというのは、北京の人間にすればかなり「微妙」な感情なんじゃないだろうか。成都に直行するほうが「被災地支援」という意図も明確になるけれど、それはそれですぐ横に「重慶」があるし、ここも微妙な日本感情のある街だし。それに、成都までは14時間もかかるんですね、空輸すると。途中で燃料補給が必要らしい。現在開発中の次期輸送機C-Xが間に合っていたらどうなんだろう。 これですべて解決するとは思わないけれど、彼の国の人たちの認識が少しでも「世界を見たもの」に向かえば、それまそれで意味のある援助になると思うんですけどね。まぁ、カルフールの例を見るまでもなく、一気に180度方向転回するような国民性もあるから、今は良くてもまた将来どうなるかは不明なんだけど。

梅雨入りか

今朝は、結構強く降る雨の音で目が覚めました。昨日までは結構暑い日が続いて、クーラーを入れたりする時もあって「準夏」モードだったんですが、今日は久しぶりに長袖の上着を着ないと寒いかも。昨日は四国に梅雨入りが発表されましたが、今日は一気に関西・東海・北陸・関東くらいまで梅雨入り宣言が出るかも。

しばらくは、こういう天候が続くんだろうけど、今年の梅雨は長引くのか・短いのか。できれば、来週日曜日の8日は晴れてほしいなぁ、試合があるから(笑)。いゃ、大変なんですよ、雨の中の撮影って。撮影だけじゃなく、その前後の準備なんかも。梅雨入りを前にして、自宅周りの田んぼも代掻きが終わり田植えが始まっていますが、今週末くらいには一面苗の緑に覆われるんでしょう。お米のためにも、長くもなく短くもない、そこそこの梅雨であって欲しいです。

2008年5月28日

docomo 906/706シリーズ

昨日発表された、docomoの906/706シリーズ。正直、本体に関しては905/705シリーズから大きな変化というか、「これは!」という物は感じられないんですよね。で、個人的に一番興味を引かれたのが、個人宅の無線LANを利用してVoIPと切り替えて使える「ホームU」。対応機種が事実上N906iL一機種だけで、しかも月額利用料が1029円と高いのが難点ですけど、次の907位からもう少し選択肢が増えたら嬉しい。 Softbankやau追撃のために満を持して発表した906/706シリーズですけど、今ひとつインパクに欠けると感じるのは私だけだろうか。

2008年5月27日

ガソリン代

ガソリン代がいよいよ来月は170円台になるかという記事。昨日近くのGSに給油に行ったんですが、レギュラーで155円でした。で、精算時にスロットみたいな物があって、絵柄が一致すると料金が安くなったりするんですが、私はオレンジが三つそろってリッターあたり1円割引になりました(笑)。4月に一度下がり、5月に再び元に戻ってさらに値上がりしたんですが、G.W.明けから自宅周辺のGSで廃業したお店が目立つんですよね。暫定税率を戻したことが原因とか言われるけれど、でも、元々歪みがあったんじゃないだろうか。あれだけ原油価格が上がっていたのに、市場競争が厳しくて値上げできなくて、その歪みが蓄積して一気に淘汰が始まったように見えるんですよね。でも、まだまだ厳しい時期が続きそう。

KYと言われるかも (2)

聖火リレー絡みの風評で批判の矢面に立たされていたカルフールが、震災に対しての義援金の多さで一気に小差員の対象になっているというこの記事。まぁ、いかにも中国とか韓国とかにありそうな話だなぁというのが正直な感想。「良い・悪い」という話ではなくて、尺度として見ているんですよね、その人・会社の財力を。日本人の感覚にすれば「はしたない」という感覚になるんですが、彼らにしてみれば普通の感覚。でも、そうは分かっていても、やはりこういう震災の後で聞くと違和感を感じるのも、日本人としては事実。

ただ、そういう事情を知った上で考えると、先日も書いたミャンマーへの支援の話にしても、彼らなりの誠意の現れと考えられます。まぁ、それでも、あれだけ大きな震災被害の最中にという違和感は残るけれど。日本語に「手の裏を返すように」という言葉があるけれど、日本人からするとまさにこの言葉通りに現象なんですよね。もう一つちょっと怖いなと思うのが、一度「こう」と言うことになると一気に集中する事ですよね。先日の長野での聖火リレーの時もそうだし、今回なんかでもスローガンのバナーを先頭に突き進むという光景をテレビのニュースなんかで見ると、ちょっと怖い気もします。

仕事柄、中国の人との付き合いもあるし個人的に知り合いも多いんですが、一人一人は普通に良い人ばかりなんですよね。ただ、集団になったときにちょっと猪突猛進的な傾向があるとは思うのも事実。もちろん、どこの国の場合でもそう言うことはありますが、それでもその集団の中にもいろいろ多様性が必ず存在します。でも、彼らの場合にはそう言う存在を許さず唯一の目的だけを許容する集団になりがちというのが、個人的に不安というか心配を感じる部分なのも事実です。これまでは、情報が制限されている国内の人間固有の話と思っていたけれど、聖火リレーとかの場合では海外に出ていていろいろな情報に触れている人でもそう言う傾向になりがちな様子を見て、ちょっとショックを感じました。それも「多様性」と言われてしまえばそれまでなんだけど、でもGlobalに生きるということは、自分の価値観とは別なことも許容する必要があるわけで、そう言う意味で今回の経験を良い意味に生かして欲しいなと個人的に感じています。

2008年5月26日

超高解像度テレビは必要か

ITmediaより、NHKの技術研究所公開の記事から。BSデジタル放送が始まり、さらに高解像度のBSデジタル放送技術が記事で説明されているんですが、アナログ停波と同時にスタートするというこの次世代ハイビジョン、普及するのかなぁ... だいたいそれを受信するデバイスが、一般家庭には無いだろうし。 個人的に、こういうAV関連の話は好きだし、DVDやBDでより高精細で音響的にも臨場感あふれるソフトを体験してみたいとは思う物の、ちょっと時代の歩調とはあっていない気持ちも。デジタル映画館とか、小規模のコンサートとか、そういう使い方はありかもしれないけれど。データサイズ的には、今のファーストイーサ(100Mbps)では厳しいけれど、ビジネス用として使われるギガビットイーサ(1Gbps)のネットワークがあれば使えそうだし。 記録用としてより高解像度・高精細なカメラも必要なので、そのカウンターパートとして表示装置も合わせて開発していかないといけないのかな。

DMV

JR北海道が過疎路線対策で開発しているDMV(Dual Mode Vehicle)ですが、トヨタと日野自動車、さらに部品メーカーやタイヤメーカーも協力して実用化に向けて進むという記事。それまでの、在来線が廃止された路線の代用というだけでなく、鉄道という幹線に対してDMVのような自由度の高い運用が可能になれば、効率も高くなりそうだし、第一ユーザーニーズを損なうことなくサービスが継続できるのが最大のメリットじゃないだろうか。飛行機の世界で言えば、新幹線にあたるHub-to-Hubの路線に、シャトルやリージョナルジェットがPoint-to-Pointで広く顧客ニーズを満たしていくのに似ています。 鉄道の駅に到着するバスを運行すればいいという考えもあるだろうけど、乗り換えの手間というユーザーの不利益も解消出来るし、一種類の交通手段でまかなえるから運用効率も高くなるだろうし。JR北海道のテストでは、確か線路上を運転する列車運転手と路上を運転するバス運転手はそれぞれ別の免許が必要なので、二人乗車しているという話を聞いた記憶があるんですが、このあたりの免許制度も一人でどちらも運転可能なような物が出来れば、人員的にも有利になるだろうし。今後、こういうコミュニティ系交通機関って、高齢化もあってますます必要になるんじゃないだろうか。

2008年5月25日

痛ましい事故

同じ陸上競技を高校生時代にやっていた一人として、ちょっと痛ましいニュース。多分、朝一の予選に向けてサブトラックでアップしている最中なんでしょうね。一番参加人数の多いときに、狭いサブトラックで走ったりダッシュしたりしていてぶつかったんだろうなぁ。

だいたい、練習する場所って、種目などで自然に分かれるんですが、一年生だからまだ慣れていなかったのかも。早く快復することを祈ります。

KYと言われるかも

ミャンマー(ビルマ)のサイクロン被害、中国四川の震災、どちらも大規模なもので世界中から支援や援助が届いているわけですが、中国からミャンマーに10億円の支援提供というニュースはいかがなものか。まぁ、中国としては、宗主国とは言わないまでもこの地域での影響力を誇示したいんだろうけど、外から見ている一人としては正直「そんな余裕あるの」と思わず言いたくなる気持ちも生まれてしまいます。

金額だけ見れば、海外から中国に寄せられた義援金のかなりの部分に相当するんじゃないだろうか、10億円という金額は。確かに、人的支援とかテント等の援助物資の優先順位の方が高くて、復興支援の費用等は後から予算化されるのかもしれないけれど。しかも、地震発生前にそれなりの支援をすでに提供しているのに。

正直「KYよ」と言いたくなる記事ですねぇ。

2008年5月24日

英語の教育

英語教育を小学校三年から必修に、という話。まぁ、私も中学・高校・大学と英語が苦手で、それが故に外資系企業に入って仕事が英語ばかりで最初苦労した口なのでわからないでもないけれど、日本で主に暮らすならまず日本語教育でしょう。「英語しか話さない人」を育てるとかいうなら別だけど、多くの場合は、日常生活でたとえば海外からの観光客に突然道を聞かれたり質問されても、それなりの対応が出来る位の英語能力を育成する、ということだろうから、それなら中学とか高校でもっと実用的な教育をした方がよほど身になると思うんですよね。 何でかというと、結局日本で生活して日本語ベースの会話をするならば、まず基本の日本語がちゃんとしないと、英語にしてもおかしなものになるから。もうね、18歳過ぎて後はアメリカでしか生活しない、というなら子供の頃から英語漬けでもいいけれど、結局「言葉」というのは単語の数とか文法の正確さだけじゃなくて、その人の文化背景にも大きく依存するものだから、そのしっかりとした背景が出来ない・持っていないのに言葉や発音だけ勉強しても、結局それって受験英語の域を出ないと思う。 ただ、発音に関しては子供の頃覚えた感覚というのはすごく重要だと思うので、英語の歌とか言葉で耳を鍛えるのはいいかも。でも、これも継続していないと結局は忘れちゃうんですよね。小学校三年から始めるなら、中学三年くらいまではずっと継続しないと、耳に根付かないと思う。で、世界では英語以外の言葉も沢山あるんだけど、それはいいのか(笑)。それに、「英語」っていったって、アメリカ英語、イギリス英語、オージー英語、インド英語、それぞれ結構違うんだけど、地域によって採用する講師が違ってバラバラになったりして(笑)。

2008年5月23日

農薬中毒

熊本の病院で発生した、農薬中毒の患者の吐瀉物から発生したガスで、医師・看護師等54名が被害を受けたというニュース。不謹慎と言われるかもしれないけれど、まるで何かオカルト話を聞いているように第一印象を感じてしまいました。関連記事や農薬で調べてみると、かなりの劇薬で使用するにはガスマスクなどが必要というくらい強力な物らしい。そういう物が、市販されているということも驚きだし、それが農業で使われるというのもびっくり。もっとも、しばらく前の毒餃子騒ぎの時も、使われた物自体は農薬なんですよね。 うちも昔は半農だったので、お蔵の奥にこういう壜とかボトルが並んでいた、子供は絶対に近寄らないように言われてました。でも、畑とか田んぼで噴霧するときには、結局空中に舞った分が周辺に散らばるわけだから、決して健康によいとは言えないんですよねぇ。今だったら許されないことなのかも。 そう言えば、小学生くらいの頃に電子工作でラジオとか無線機を作っていたとき、プリント基板を自分で作るんですが、そのときに使うのが「六価クロム溶液」。薬局に行って買ってきて、それを水で溶いて、その中にマーキングしたプリント基板を入れると、露出しているどうの部分が溶けてパターンができるというもの。でも、「六価クロム」って劇薬で土壌汚染なんかで当時よくニュースなんかに登場した薬品。最近の自殺騒ぎもあって、結構身の回りに危険な物があるなと再び思い出しています。 ただ、ジレンマになるのは、「こういう物は危険」という情報を出せば、それがかえって煽ることになるだろうし、でも正確な情報を出さないと危険を回避することもできないし。知らないで芥子の花が咲いていたというニュースだって、たまたま知っていた警官が発見したからわかったものの、そんな普通には見ないだろう花のことなんか普通の市民は何年も知らずにいたんだろうし。だからといって、「これが芥子の花で」なんて詳しい情報を出せば、興味本位で栽培してみようなて人も逆に増えるだろうし。情報開示と情報遮蔽って、ビジネスの中でも大切だけれど、普通に生活するだけでも注意しないといけないことだと実感しました。

2008年5月22日

幻の提携話?!

昨日「へぇ~」と驚いた東芝と富士通の半導体事業提携の話。しかし富士通からは報道を否定する発表があったみたいですね。記事の勇み足だったんだろうか。

HPのモバイルPC

日本HPが発表した、8.9インチのウルトラポータブルPC。機能、価格といい、なかなか挑戦的な製品ですね。できれば、1Kgを切って欲しかったところだけど。英語キーボードだけというのもねぇ。個人の好みの問題だけれど、日本語入力するならやはり日本語キーボードの方が使いやすいと私は思うんだけど(私は、仮名入力をタッチタイプで打ちますから)。 この製品が起爆剤になって、日本で再びウルトラモバイル製品がブームになるといいなぁ。

2008年5月21日

かざすクーポン

PC Watchの記事より、九州のマクドナルドで始まった携帯の電子マネーをつかったクーポンサービスの記事。自宅近くのイオン系のモールでSuicaとiD(と、勿論WAONも)が暫く前からイオンだけでなくモール内の店舗でも利用可能になったので、週に何回か買い物に行くときには携帯一つで出かけています。ただ、やはり300円とか400円とかの少額決済の時に「iDでお願いします」とクレジット決済をお願いするのはちょっと申し訳ない気持ちがまだ残ります。後付だからでしょうか、レジで一度入金をして、そのデータを別の電子マネー用のターミナルに打ち込んで、そこで初めて電子マネーでの支払いが出来るので、お店の手間も少し増えますし。 ただ、やはりiDで支払うと買い物履歴がちゃんと残るので、利用者としては便利なのも確か。まだまだ試行錯誤の段階だけれど、少しずつでも電子マネーの普及に繋がればいいなと思います。

東芝と富士通半導体事業で提携か

読売新聞に掲載されていた、東芝と富士通の半導体事業提携の記事。半導体業界でのライバル企業同士の提携と言えば、日立と三菱のルネサスがまず頭に浮かびますが、確かあの会社はLSIが中心だったはず。今度は、東芝のフラッシュと富士通のLSIという「綜合半導体メーカー」に化ける可能性もあるわけで、確かにIntelやサムスンを追撃するつもりなんだろなぁ。どの業界でも、利益が出るのは地域にしても世界にしてもトップから精々3位までですからね。 しかし、半導体てSONYが8000億円で第二位というのは知らなかった。まぁ、家電からカメラからいろいろ製造してるから社内需要だけでもかなりのものとは思うけれど。いずれにしても、自分の仕事にも関係する分野の話だけに、良い方向に進んで欲しいと思いますね。

2008年5月20日

A380

本日、シンガポールから成田への初乗り入れとなるはずだったSQのA380が、東日本の悪天候のために中部国際空港にダイバードしたみたいですね。今のところ、成田の天候回復待ちみたい。このA380のフライトを狙って、早くから予約していた人も多いんでしょうけど、折角のお披露目の日、ちょっと出鼻をくじかれましたね。スイートクラスは無理としても、ビジネスクラスくらいには、一度搭乗してみたいけれど、まぁもう少し落ち着いてからかな。

成田国際空港開港三十周年

今日5月20日は、成田国際空港(当時は「新東京国際空港」)が1978年5月20日に開港して30周年の記念日。私が初めての海外出張で成田を利用したのは、1988年の10月だったかな。開港から10年が過ぎ、成田闘争はそこそこ落ち着いていましたが、空港敷地内に入るときには、リムジンバスから一度降りてパスポートチェックがあったので、びくびくしながら(いゃ、やましいことは無いんですが慣れないから)質問に答えた記憶があります。当時はまだ第一ターミナルの、確か南ウィングは工事中だったはず(第三ターミナルまでしか出来ていなかったかな)。そこに、JAL/ANAの国内組から、AA/UA/NW等の欧米組などの離発着を裁いていたんですからねぇ。

成田の場合、最初のボタンの掛け違いがその後の長く不毛な争いの歴史を作ったと思うんですが、そろそろそういうこともお互いに水に流して、どうしたら地元にメリットになるのか、どうしたら日本という国のためになるのか、さらに大きなグランドプランを考える時期だと思うんですけどね。羽田は新しい滑走路が出来てもパンクするのは目に見えているし、成田への需要は引き続き高いし。今は地方空港から韓国の仁川空港への便が充実していて、海外に出かけるのに地方から仁川経由で出発するパターンがだんだん多くなってきています。大韓航空とかアシアナ航空とか、安いチケットが入手出来るのも魅力。今はまだ「東京」という世界的なブランドを背景に成田への需要も多いけれど、そのうち北京とか上海とか仁川とかが日本人で溢れる時代が来るかも。

2008年5月19日

一点差の敗北

いゃぁ、去年の逆をやられてしまいました。前半は完全にうちのペース。この勢いで後半もと思ったものの、相手の新人QBに翻弄されてリズムが狂い、残り3分強で逆転。しかし、ここからTDを奪って再逆転するものの、残り1分強から攻め込まれ、残り3秒でのFGで再々逆転負け。試合の厳しさを身にしみて感じた一日でした。 まぁ、強いチームは、打たれて打たれて、そこから何処まで伸びるかが勝負。幸いにも、秋のシーズンまでにはまだ時間があるので、この悔しさをバネにもう一皮むけて欲しいものです。負けたけれど、チームとしてはかなり良い感じに仕上がっていることを実感しましたから。

新しいPC

調子の悪い自宅のPCなんですが、結局いろいろやってみても改善しないために、まあ3年以上使ったしということもあって、新しいPCをG.W.に購入しました。以前のPCがATXのマザー、今回はmini ATXのマザーなので、ベイの数等は一緒なんですが、箱のサイズは一回り小さくなりました。途中セットアップで幾つかトラブルはあったものの、やっと以前の環境と同じ設定までこぎ着けました。この新しいPCには、DVI-Dのポートが2つあって(ATI Radeon 2600 XTが入っている)デュアルディスプレーが使えるから、LCDモニターを二台繋いで1600x1200 x 2台=1600x2400の解像度で使う予定。これで、PhotoshopとIllustrator、IllustratorとFlashを並べて平行して編集出来るので便利になりそう。でも、そんなことが嬉しいなんていうのは、正直「職業病」だよなぁ...

2008年5月18日

パールボウル2戦目

初戦のオール東京ガス戦は、勝ったものの内容的には課題多しの試合。で、今日は強敵・オンワードオークスとの試合。向こう的には、春の試合とは言え去年の雪辱を果たすために厳しく来るでしょうね。こっちも、それを勝ち抜かないと、とても秋の試合で上位チームに勝てないし。去年の春も、シーガルズに後一歩まで迫ったんですが、及ばず。春は調整の意味合いが強いとはいえ、でも強いチームはやはり勝っていくわけですし。 さて、今日の結果はどうなるのか。前回はオフェンス戦・殴り合いの試合になりましたが、今回は結構ディフェンス戦・忍耐の試合になるような気がしてます。

ANA InterContinental Tokyo

USから成田に到着し、リムジンバスで水天宮に向かい、そこから半蔵門線・銀座線と乗り継いで到着したANA InterContinental Tokyo。去年以来、半年ぶりくらい。前回と同じクラブフロアーだったんですが、今回は少し広めの部屋みたい。一週間、USのホテルを泊まり歩いた後だからでしょうか、日本のホテルに入るとホッとします。

そのまま倒れ込んで眠りたい衝動に駆られるベッドなんですが、まだ夕方なのでここで寝てしまうと時差ぼけ調整に失敗してしまうので、ジッと我慢。とは言っても、まずはシャワーでも浴びてすっきりしたいので、バスルームをチェックです(笑)。

このホテルのバスタブは、深くはないけれどほぼ全身が浸かるくらいの大きさはあるので好きです。ただ、この時の部屋もそうなんですが、シャワーブースがバスタブの横にあって、バスタブを跨いで移動するのがちょっと大変なんですよね。で、ここでバスタブに浸かってしまうと、そのままベッド行きになっちゃうので、ざっと熱いシャワーを浴びてすっきりしてから、明日の仕事の準備でメールなどをチェック(涙)。

外も暗くなり、六本木の夜景が綺麗です。どうやら最後のSan Franciscoでカラマリに中たったみたいで、帰国便ではトイレとお友達状態でした。で、そんなに食欲もないので、夕食はクラブラウンジで軽くオードブルとかカナッペを食べて済ませました。本当は、スープみたいな暖かい物があると嬉しかったんですが。外に出ればお店があるんだろうけど、この時点で時差ぼけと旅の疲れでギブアップしました。

部屋に戻って、さて仕事と思って横のミニバーを見てみたら、流石ANA系ホテル、機内で出している天ぷらそばのカップがありました。小さいサイズなのでちょうどいいし、汁物が欲しかったので早速お湯を沸かして頂きました。お腹に優しいし、この旅行で一番美味しい食事だったかも(爆!)。結局夜になって逆に目が覚めてしまい、この後仕事を片付けてもう一度今度はゆっくりバスタブに浸かってから、ベッドに入ったのはもう12時近くでした。明日は、早めに出ないといけないのに...

2008年5月17日

NGO-BOS-ORD-SFO-NRT (18)

一週間のUSの旅も今日が帰国日。早いですよねぇ、楽しいときの時間は。ホテルをチェックアウトする時に、窓が開いていて夜中過ぎまで寝られなかった件でクレームすると、フロントのスタッフは「風が強いからそんなことはないはず」と言い訳していましたが、ハウスキーパーに確認すると(いゃ、今更遅いって)。あと、天井の壁紙が剥がれてたんですよね。で、それも含めて「Hilton Brandとしてがっかり」と言っておいたんですが、さて次はどうだろう。BARTを使ってSFOに到着。すでにホテルてチェックイン済なので、直ぐにセキュリティを通過して制限区域内に。まだちょっと早い時間だったんですが、すでに成田に飛ぶ予定の747君はスポットインしていました。

さて、20(?)年振り位に搭乗する、747のアッパーデッキ。席番号は非常口横の15Aの後ろ16Aなので、この窓の当たりか、などと暫く飛行機を眺めてから、まだ時間があるのでRCCで時間を潰すことにしました。RCCでは、「酒は飲むか」といつも通り聞かれたので「いゃ、飲まない(流石に朝からは...)、でもT-MobileのOne Day Ticketくれる?」と答えつつ聞いたら「OK、OK」と何か喜んだ顔でT-Mobileのカードをくれました。カード裏側のコードの印刷されている部分がスクラッチで隠されているので、これを爪でコスリコスリして剥がして設定。ゆっくりとネットで時間つぶしが出来ました。

そろそろ搭乗開始時刻なので、ゲートに向かうと、「搭乗開始時刻ですが、準備遅れているので搭乗開始が遅れます」というアナウンス。やれやれと思い、さてどうしようかと考え始めたところで「これから搭乗開始」のアナウンス。5分位の遅れでした。久しぶりに座るアッパーデッキは、軟化以前よりは広い感じ。確か20年前に搭乗した時は、747の-200だったので、まだアッパーデッキが狭い時期でしたからねぇ。

自分の席に座ったところで、シャンパンを頂きました。朝からなのに? いぇ、RCCでお酒飲んで、そのまま寝入っちゃったら拙いじゃないですか。飛行機の中なら、食事を逃すくらいで、酔っぱらって寝てもそれ程問題ありませんから。ドアクローズは予定よりちょっと早いくらいだったんですが、スポットを離れてからが長かった。結局離陸したのは、ドアクローズから一時間以上も過ぎてから。成田到着も遅れると言われて、接続便のある人は大変そう。実は、結果的には10分位の遅れにまで縮まったので、かなり頑張ったんじゃないかと思います。

さて、トラブル無く帰国のはずが、どうも飛び出してからお腹の調子が良くありません。トイレに入ると、もう完全な下痢状態。最初の頃は1時間間隔くらいでトイレに通い、途中寝ているときは良かったものの、到着する前にもトイレのお世話に。どうも、前夜夕食で食べたカラマリが生っぽかったのが拙かったみたい。その時には「流石サンフランシスコ、港町だけあって新鮮」とか思ったんですが、やはり海外では生の魚介類は注意が必要ですね。それ以外は、特にトラブルもなく無事に成田に到着。今回も沢山の思い出が出来た旅でした。もっとも、これから都内に一泊して、明日は仕事で横浜に出社という現実が、少し寂しいです。(完-始めに戻る)

2008年5月16日

NGO-BOS-ORD-SFO-NRT (17) - S.F. Fisherman's Wharf

さて、この日はChicagoからSan Franciscoへの移動日。ORDの朝は結構混むので少し早めにホテルをチェックアウトして、シャトルバスで空港に向かいます。で、空港についてフライトを見ると、いきなり30分のDelay orz。私の登場する一時間くらい前に同じSFO行きの便があるんですが、これはOn-time。うーん、一つ前の便にすれば良かったかなと後悔するものの、まぁ結構じゃないからいいやと気持ちを切替えます。ORDは三年ぶりくらいなので、しばらくターミナルの中とか見学して時間を潰します。折り返しの飛行機の到着が遅くなったためか、SFOで接続便のある乗客が呼ばれて振り替えの手続きとかしています。それでも、予定より30分遅れくらいで出発して、SFO到着は10分遅れ位でしたで、かえって振り替えられたら後が大変だったかも。空港からBARTを使ってDowntownまで行き、そこからまずはホテルにチェックインして一休みしました。

ホテルから、またBARTやMUNIの駅まで行くよりは、直接Fisherman's Wharfまで歩くのもそれ程違わないので、散歩がてら出かけました。15分ほどちょっと坂を上ったりしてPier29あたりに到着。ここから少し歩けば、今回の目的地であるPier39に到着です。

ここに来たのは、10年振りくらいだろうか。特に何かという目的は無いんですが、当時NFLやCollege FootballのGoods Shopがここにあり、まだあれば何か記念品でも買いたいなという程度の動機。で、まだありました、NFL Goods Shop。Tシャツとかキャップとか、暫く悩んだんですが、結局Collegeのネックストラップ何本かとNFLの携帯ストラップを幾つかこの旅の記念に購入しました。

Pier39の裏側に、このアザラシの休憩場があります。写真で見る光景は、のどかで微笑ましいんですが... 「臭い!」。いゃ、匂いに敏感な方なのでちょっとこの臭いには困りました。写真を何枚か撮って、そそくさとこの場所から退散。天気の良い日だったので、アルカトラズ島もよく見えたし、隣にあるプレシディオ基地に停泊している軍艦(補給船か?)も。暖かくて、気持ちの良い午後でした。

夕方になっても、まだまだ明るいんですが、明日は帰国日でもあるので少し早めにホテルに戻ることに。こんな電車も時折通り過ぎて、絵はがきの光景を見ているような気分です。こんな普通のシーンって、結構思い出に残るんじゃないでしょうか。ホテルに戻り、少し早かったんですがホテルのレストランで今回のUSの旅最後の食事。前菜にはイカのフリッターであるカラマリを、メインにはステーキを注文しましたが、このステーキがオーダー間違いで作り直し。カラマリもカラッと揚がっていて美味しかったんですが、これが翌日のトラブルの元に。(続く...)

Hilton San Francisco Financial District

San Franciscoでの今回の宿泊先が、ここHilton San Francisco Financial District。BARTの駅からからちょっと歩くのが玉に瑕か。今回HiltonのGOLD VIPメンバーになって初めての宿泊だったので、どの程度のサービスがあるか確かめる意図もあったんですが、大したことなかったですね。部屋は32m2位。狭くはないけれど、何か圧迫感を感じるレイアウトです。正面全面の窓は明るくて良いんですが、この窓、後でとんでも無いトラブルを起してくれました。

ベッド横のソファーなんですが、この正面にテレビがあるわけでもなく、ちょっと配置に疑問が... 寝る前に読書でも、という意図なんだろうか。まあ、どのホテルでもソファーの配置って時々「何でこの場所に」という場合があるもんですけど。

その、ソファーの正面にはこんなテーブルがあって、コーヒーメーカーとミネラルのボトルが。このミネラル、1本US$5.5と言う物。でも、GOLD VIPの特典だからでしょうか、1本は無料になると言うカードがルームキーと一緒に渡されています。氷を入れる、アイスペールが下にグラスと一緒に置いてあるんですが、これ入れ物だけでアイストングが無かったんです。これもちょっとなぁ...

不満のいろいろある室内ですが、唯一気に入ったのが正面の窓一杯に作り付けられたビジネスデスク。これ、いいでね。自宅にもこんな机を作ってみたいと思います。ただ、電源のコネクターが机の上に出ているのは便利なんだけど、場所が悪くてノートブックPCを置く場所に丁度出っ張ってるんですね。もう少し隅の方とかにあれば便利なのに。折角気に入った机なんですが、使い勝手は今ひとつでした。

バスルームも、どちらかというと狭い部類で、シャワーを浴びるだけという内容。アメニティもUSのホテルでは普通ですが、気に入ったのがこのタオル。格子状に、畝みたいな折り方をした物なんですが、その部分が水を良く吸い取るし肌に当たる感じも気持ちいい。普通ホテルのタオルは、平面的な物が殆どなんですが、この畝が走っている物は初めて。このタオル、個人的にも欲しいなと思いました。変な匂いもしなかったし、タオル類に関しては「流石Hilton」と言ってあげたいくらい。

窓の外にはChina Townが広がっています。正面の小高い丘の向こうがFisherman's Wharfになります。で、この窓のトラブルなんですが、実は右側の窓が開いていたんです。テレビの後ろと言うことや、この後直ぐにシェードを下ろしてしまったこともあって、夜中過ぎまで全然気がつきませんでした。余りに外の騒音が五月蠅いので、夜中に見てみたらこのシェードやブラインドが揺れてるんですね。もしやと思って電気を付けて確認してみたら、外側に窓が開いていました。お陰で、この後朝までよく寝られず、チェックアウトの時に文句を言ったんですが。そうそう、ここビジネスセンターがあるんですが、印刷するときに1枚当たり50セントと手数料が取られるんですよね。ちょっと信じられない。ライバルのHyattなんて、ボーディングパス印刷用の専用端末(勿論無料)まで置いているのに。まぁ、これもHilton Qualityなのかな。私の中では、一番評価が低いブランドです。

2008年5月15日

Four Points by Sheraton O'Hare Airport

シカゴでのホテルは、空港近くの"Four Points by Sheraton O'Hare Airport"。Sheratonの"Four Points"ブランドは初めての宿泊です。空港とホテルの間にシャトルバスがあるという話だったんですが、空港でうろうろしてみても何処にバスが止まるのかよく分からない。で、交通整理をしていたお姉さんに聞いてみたら、Airport Hiltonの裏、駐車場の前がシャトルバス・バンの停車場になっているというので行ったら、なるほどそこに集中してました。で、ほどなくシャトルバスが到着して、空港から15分くらいでしょうか、ちょっと距離はあります。外観も含めて、もとはモーテルだったかなと言う感じのホテル。一応最上階の部屋なんですが、ベッドでほぼ一杯という感じ。

ちょっと気に入らなかったのが、この部分。冷蔵庫、電子レンジ、コーヒーメーカーと揃っているのは良いんですが、電子レンジの上にコーヒーメーカーがぽんと置いてあります。水を入れたりコーヒーを注いだりするのに、電子レンジの上というのがちょっと気に入りません。それと、この左側に空調の吹き出し口があるんですが、そこについているはずの室温調整のレバーとか暖房・冷房切り替えのレバーが無い! いゃ、これ結構焦りました。切替えるレバーが無いので、ずっと冷気が吹き出しっぱなし。こりゃ堪らないと、フロントに部屋交換をリクエストしようかと思ったら、反対側の壁に液晶の室温設定のダイヤルが。うーん、一本取られました。

反対側には、オフィスデスクと液晶テレビが。テレビののっている台が、どうやら衣類を置いたりする棚らしい。まぁ、タンスの引き出しよりは簡単なのかもしれないけれど、ちょっと慣れないなぁ... でも、デスクの椅子の座り心地はまぁまぁでした。また、インターネットもちゃんと利用出来たし。でも、この机の右手に窓があるんですが、丁度西向きらしく日差しが強くて暑くて。しかも、ORDに離発着する飛行機の騒音も結構気になります。

洗面所も、ちょっと狭いかなと言う印象。バスタブは、本当にシャワーを受けるだけの深さしかないですね。シャンプーとか石けんとか一通り揃っていますし、タオル類も机の下に重ねて置いてあるのはいいんですが、タオル掛けが無いのが不便。使ったタオルは、やはりどこかに掛けて乾かしたいじゃないですか。それが出来ないのは減点ですよね。

一応ホテル内にレストランもあるので、そこで軽く夕食を済ませて、早々に部屋に戻ってきました。流石に、ちょっとこの時は旅行の疲れが出てきた気分です。このホテル、レートはUS$140でしたが、それなら近くにあるEmbassy SuitとかDouble Treeに止まった方が良かったかも。一カ所だけでFour Pointsを評価しちゃいけないんだろうけど、多分今後このブランドは使わないだろうなあ。$100切ればちょっと考えるけれど。

NGO-BOS-ORD-SFO-NRT (16) - Chicago Downtown

Soldier Fieldからの帰り道は、ミシガン湖沿いに戻る事にしました。フィールド美術館を過ぎて、直ぐに見えてくるのがシェッド水族館。時間があれば中に入ってゆっくり見学したいんですが、そろそろ体力の限界も感じるので(笑)、建物を横目で見ながら通過。

この場所も少し小高い丘になっているので、ここから眺めるとまるでどこかのリゾートビーチのような光景。でも、目の前に広がる水面は湖(ミシガン湖)なんですよねぇ。さらにその奧にそびえる摩天楼も凄いですね。横浜の桜木町当たりだと、こんな光景が見られるのかな。そんなことを思いつつ、クラントパークまで戻ってきました。

まるでダウンタウン部分を取り囲む城壁のように並ぶ、ビルの群れ。この辺は、まだ古い建物が残っている地域なんでしょうか、大体10階程度のビルが多いように思えます。この道を渡りワンブロック進めば、そこはループの線路が頭の上を走っている場所。

丁度電車が入ってきたんですが、高架部分がガタガタギシギシ五月蠅いし、電車もガンガン凄い音を残して通り過ぎていきます。何か、昔見たバットマンの映画にこんな光景があったよな、などと思い出しました。

再び、出てきた地下鉄Blue LineのJackson駅まで戻ってきました。此処から来たときの道順を逆に辿って、もう一度空港まで戻り、そこからホテルへのシャトルバスを捕まえてこの日の宿泊地、Four Point by Sheraton O'Hare Airportに向かいます。(続く...)

2008年5月14日

NGO-BOS-ORD-SFO-NRT (15) - Soldier Field

フィールド博物館の反対側には、さらに一段小高い丘の上にNFL Chicago BEARSの本拠地"Soldier Field"が見えます。いゃいゃ、フットボール好きには溜まりません。BEARSは、決して贔屓チームではないんですが、でもNFLのチームのホームスタジアムなんて、そう滅多に見られるものじゃないですから、正直感動の一言。ここまで荷物を肩に担いで結構歩いてきて、ちょっと疲れ気味なんですが、一気にアドレナリン噴出。元気に、丘の上にあるスタジアム目指してドライブ開始です。

入り口正面にある"Soldier Field"の記念碑、とでもいえばいいでしょうか。"Soldier = 戦士"とその家族、みたいなイメージの内容です。で、この図柄は、まぁ"Soldier Field"と言う名前のことだけありますから、別に不思議はなかったんですが、この記念碑の裏に回ってさらにビックリしました。

このサイズの写真では見にくいんですが、"Let every nation know, whether it wishes us well or ill, ..."という言葉で始まる文章が書かれています。最後には、"John Fitzgerald Kennedy"の署名が。そう、第三十五代アメリカ合衆国元大統領・ジョン F.ケネディ大統領就任演説の中の有名な一節が書かれています。ざっと意訳すると「我々が自由と生存の権利を守るために、どんなこともする覚悟であることを世界に知らしめよ」みたいなことが書かれているわけですが、如何にも「世界の警察」を自認する、アメリカらしい文章だなぁと感じます。

スタジアムの周りを歩きながら、少しだけ垣間見えたスタジアム内部の様子。ここ、1994年のアメリカ・ワールドカップの会場だったので、まだ新しくて綺麗なのも道理。でも、NFLのスタジアムの基準から言うと、決して大きいなスタジアムでも無いんですが、それでも6万人近く入るんですからねぇ。いゃ、ほんと、いつかこの中のスタンドに座って、実際の試合観戦をしてみたいものです。

さて、スタジアムの周りには、こういった石版がはめ込まれていて、年代と人物名が刻まれているんですが、それがこれを見て分かりました。アメリカ軍最高の勲章"The Medal of Honor (名誉勲章)"の受賞者だったんですねぇ。それにしては、もう少し人数が居るのかと思ったんですが、もしかしたら全員は書かれていないのかも。

ぐるっと、殆ど一周して、初めてBEARSらしい物を見つけました(笑)。これで、やっと此処がChicago BEARSの本拠地だと納得できます(をぃ)。スタジアムを外から見ただけでしたが、フットボールファンとしてはそれでも十分満足です。でも、何度も言うようですが、いつか試合観戦のために再び訪れたいですね。(続く...)

2008年5月13日

NGO-BOS-ORD-SFO-NRT (14) - Chicago

Bostonから約二時間でChicago(ORD)に到着。これで時差が一時間あるんだから、USは広い。Chicagoは快晴で、気温も暑いくらい。Bostonを出てくるときは長袖のポロシャツで丁度良いくらいでしたが、こちらではもう暑いくらい。こういうこともあるかと、半袖のポロシャツを持ってきていたので、直ぐに着替えて早速Chicago市内探索です。空港から地下鉄のBlue Lineに乗ったんですが、途中工事中の区間が何カ所もあり、止まったり徐行したりで、結局一時間近く掛ってダウンタウンのループエリア(L)の駅"Jacksonに着きました。余り時間が無いので、Chicagoでの目的地はChicago BEARSの本拠地"Soldier Field"のみ。早速向かいます。

地下鉄の駅から地上に上がると、目の前には時代を感じさせる鉄骨の足が並んでいます。この上を「ゴトゴト」凄い音を立てながら列車が走る様子は、何度も映画で見たシーン。この鉄骨の下を駅からまずはミシガン湖目指して歩きいて行きます。幾つか交差点を渡ると、直ぐに湖畔沿いの公園"Grant Park"に到着。ここで、最初に目に入ってきたのがリンカーン像。やっぱり有名人だからでしょうか、この像の前で記念撮影する人が沢山います。

リンカーン像を過ぎて直ぐに右手に見えてきたのが、大きな噴水。ガイドに寄れば、「バッキンガム噴水」というらしい。で、凄い高さまで水を噴き上げていますが、これ40m位まで吹き上げているらしい。噴水の水飛沫のためでしょうか、この噴水の周りは少し涼しい感じがします。それと、直ぐ横にミシガン湖も見えるんですが、何故か潮風のような匂いも... よく見ると対岸がうっすらと見えるんですが、でも普通に見たら陸から海を眺めているような雰囲気。うーん、湖と言えば「浜名湖」しか思い浮かばない私には、大きすぎます(笑)。

ここから、公園の中をゆっくりと南に下ります。右手には市内の高層ビル群が、左手には海みたいな湖にヨットやボートが何艘も浮かんでいます。で、周りは一面緑の芝生と、よく手入れされた樹木。勿論、日本にもこういう公園が市街地にありますが、規模としては段違いですね。この日は暑いくらいの天候だったからでしょうか、月曜日の午後という時間帯なのに、シートを広げてのんびりピクニックしている家族とか、日焼けをしているアベックとか、何とものどかな雰囲気です。

少し小高い丘の上に立つのが、このフィールド博物館。残念ながら中に入って見学する時間は無かったけれど、またここにもそのうち機会を見つけて是非来てみたいもの。公園から丘を登って建物沿いに半周した、こちらが正面玄関になると思うんですが、大きいです。で、さらにそれよりも巨大な建造物が、正面に建っていました。(続く...)

2008年5月12日

NGO-BOS-ORD-SFO-NRT (13)

今回宿泊したHoliday Inn Boston at Beacon Hillなんですが、いつの間にかHoliday Inn SELECTになっているらしい。そういえば無料でアクセス出来るワイヤレスの画面に"Holiday Inn SELECT"と表示されるてました。で、凄いレートの幅ですね。3倍違う。今回は、金曜日チェックインで、月曜日チェックアウトでしたが、金曜日・土曜日が$195で、日曜日が$289と言うレートでしたから、まぁ安い方と言えますけど、でもとてもハイシーズンには来られないですね。今回ある程度地理感覚が分かったので、次回はもう少し郊外の安いホテルでもいいかもしれない。

今回お世話になったホテル正面。施設は古かったけれど、ロケーション的にはかなり気に入りました。特に、ホテル裏手にあるWHOLE FOODS MARKETというスーパーは、朝の8:00から夜10:00まで営業しているし、デリも豊富でしかも店内で食べることも出来るし、これでお酒(ビール、ワイン)のライセンスがあればパーフェクトだったんですが(笑)。まぁ、道の反対側にハードリカーも含めて販売している酒屋さんがあったから、実害はないんですけどね。ちょっと一週間とか二週間とか滞在するには非常に便利そうなホテルでした。

この日は朝から快晴。これまでの雨模様の天気は何だったんだと小一時間くらい文句を言いたいくらい良い天気。せめて一日くらい天気がずれてくれたら、今回の滞在は最高だったんですが、それだけが残念。

こうやってBoston市内の地図を見ても、こぢんまりとまとまっていて、でも見所はいろいろあって非常に便利な観光地でした。もう少し阿多炊くなって、天候も良い時期に是非また一度でも二度でも訪問したい場所になりました。難点は日本から遠いことでしょうか。今回はNGO-SFO-BOSという乗り継ぎでしたけど、次はやはりORDはIAD当たり経由の方が楽だな。

すでにホテルでボーディングパスを印刷しているし、チェックインする荷物も無いので、そのままセキュリティチェックへ。月曜日の朝なので混んでいるかと心配したんですが、殆ど並ぶこともなく直ぐに通過出来ました。で、ゲートに行ったところまだ飛行機が到着していない。結局出発の40分位前に飛行機が前の経由地から到着し、20分位の機内清掃の後ボーディングが始まりました。次の訪問地、Chicago(ORD)までは約2時間半のフライト。確かに、時差が一時間変わるわけだからそれくらいはかかるよなぁ... 機内では、殆ど寝ていて気がついたらシカゴの町並みが見えてきたところでした。(続く...)

2008年5月11日

NGO-BOS-ORD-SFO-NRT (12) - Quincy Market (2)

この日も午後遅くにQuincy Marketに戻ってきました。まあ、ホテルへの帰り道ということもあるので。相変わらず小雨交じりの天候で観光向きのシーズンではなかったのかもしれませんが、前日よりは雨の降り方も弱いので結構外も賑やかです。よく見ると、私同様ガイドブックとか地図を片手に回っている人が多く見られて、英語以外の言葉も頻繁に聞かれます。やはり、Bostonは観光地としては世界的に有名なんだと再認識した次第です。

三つ並ぶQuincy Marketの建物のうち、両側の建物(SouthとNorth)にはいろいろなお店が入っているんですが、有名どころのお店をみるとこの日先に寄ってきたCopley Marketのモールの方が充実しているし品揃えも揃っていますね。中央の建物でファーストフードを買って、それを食べながら見て回るのには良いかもしれません。それも、天気が良ければ、ですけど。一番奥にはアーチ型の建物があって、ここを抜けると直ぐ目の前にはハーバーが見えます。そこまで、さらに足を伸ばしてみました。

正面の船着き場からは、Bostonの空港行きの海上バスが発着しているみたい。でも、この寒空の中わざわざ海上移動したいとは思いませんが。右側の茶色い建物がMarriotte系列のホテルで、夜景は素晴らしそうです。左手には何層もヨットやクルーザーが並んでいて、Bostonはやはり港町だなと実感させます。何気に写真とか撮ってたら、知らない親子連れのお父さんが「ほら、あそこにBoston Tea Partyの時のコーヒーカップが見えるぞ」と目の前の海を指さします。確かに何か白い破片みたいな物が見えますが、「あの事件んて、ここだっけ?」。"I'm not sure."と適当に答えたら、笑って行ってしまいましたが、後で調べたら事件の場所って違う場所じゃん!

さて、そろそろホテルに戻ろうと再びCity Hallの前に戻ってくると、そこではなにやら集会が。はい、時節柄世界中が注目しているチベット問題に対してアピールする集会が開催されていました。関係者と思われる人達、在米チベット人と思われる人やUSの支持者と思われる人達が30人くらいでしょうか。後警護の警察官が5-6人。地元メディアらしき取材陣も何名か来ていました。どの程度の影響力があるのか分からないけれど、こんな遠い場所でもこういう行動がされているとちょっと感動。で、この場所を少し離れた所でお母さんと小学生くらいの子供2-3人がこの集会を見ていたんですが、お母さんが何か説明している言葉が中国語だったんですね。何か笑いながら説明していたけれど、何て話しを子供達にしていたんだろう。ちょっと気になりました。

City Hallの横には、J.F.K. Federation Buildingが建っています。米国大統領の名前を冠したビル位の認識だったんですが、写真を撮っているときにこんな石碑を発見。何と、世界で初めて電話が繋がった場所だと書いています。昔のベル研だったんだろうか。もしそうだとすると、先日のHarvardで偶然見たMark Iと同じくらい感動的な出会いでした。

Bostonは、古い歴史と現代の時間が上手く共存している良い街ですね。地下鉄も発達しているし、徒歩で回っても十分楽しめる街です。季候の良いときに、もう一度と言わず何度でも再訪してみたいと思う街になりました。うん、絶対また来よう、Bostonに。(続く...)