2026年3月25日

タイムラインとサンプリング

佐々木俊尚氏の引用から、最近テレビを見なくなったら知っている芸能人がいなくなると言う話。テレビの閉鎖性が、昔は付加価値とか希少性として一般社会との差別化に繋がっていたけれど、最近ではその閉鎖性故に一般社会に届かなくなってきているという話。

以前も書いたことがありますが、私は1990年代頻繁にアメリカ出張していたときに似たような経験をして、以後テレビを視聴する機会がぐっと減って、更に見るコンテンツもかなり変化しました。それは、一時期ほぼ3カ月交替で、日本→アメリカ→日本→アメリカ→...と、足かけ三年くらい行き来していた時期があり、その後も年に何回か月単位でアメリカ出張とかしていた時期があります。それまでは完全な「テレビっ子」だったわけですが、3カ月単位で不在となるため、日本のテレビ番組が全く分からなくなったわけです。しかも時差ぼけが酷くなり、所謂リズム障害みたいな状態になってしまったので、日本に居ても夕方には眠くなるし、でも朝は2時とか3時位に目が覚めてしまうしみたいな状態に。だから日本のテレビを見る機会が激減したとともに、特に連続ドラマとかシリーズものなどは3カ月以上見ることが無いので、帰国する度に新しいシリーズが始まっているようなもので、もう見ても意味不明状態に。

逆にバラエティものだと、単発でその放送回で閉じているので、まだ視聴していても理解出来るし、逆に他の番組を視聴しても面白さや興味が引かれない分、そういうコンテンツに傾倒していくわけです。当時にYouTubeとか有ったら、多分問答無用で嵌まっていたと思うんですが、残念なことにまだインターネットは普及以前の黎明期時代で、BBSの時代でした。幸いなことに、私はLD(Laser Disk)に嵌まっていて、当時結構な数のコンテンツ(LD盤)を保有していたので、これをYouTube代わりに何度も視聴したり、あとアメリカ出張中に向こうのビデオ(そっち系では無く、NFLモノ)を購入してきたりしたので、日本に居る間はそう言うものを中心に視聴していました。それもあって、「テレビを見る≓アメリカのコンテンツを見る」みたいなモードにシフトしてしまって、それがますます日本国内のテレビ放送視聴から遠ざかる原因にもなった気がします。

そんなモードに1990年代から入ってしまったので、そういう出張機会がなくなってからも、テレビ番組を視聴する機会は激減。特に、例えばNHKの朝ドラとか、民放の「月9」とかのシリーズ物は一切観なくなりました。もう体が、「一話完結」でないと、拒絶反応を起こすような状態になっていたから。あと、3カ月毎に日本に戻ってくるとはいえ、やはりその時に売れている俳優さんとか芸能人の名前も忘れてしまうし、逆に自分がもう少し若い頃に知っていた芸能人やタレントさんの露出度は下がっていくしと、どんどん視聴機会は減退していくわけです。だから視聴するのは、単発的なバラエティーとか、その後知識教育系の番組観たいなちょっと経路の変わったコンテンツが放送されるとちょっと興味も引かれたけれど、でもそれも3カ月後には観られなくなるわけで、そこで帰国するともう終了していたりするし。結局、好きなときに好きなコンテンツを自由に視聴出来るネット系コンテンツが、今は1番体に合うことになるわけで、テレビコンテンツの衰退もあるんだけれど、やはり社会生活というか社会リズムが大きく変わってきていることが最大の理由だと思うなぁ。 

懲りない奴ら

辺野古での転覆事故から一週間が過ぎて、まだ事件の調査は進んでいるし、大体被害者が出た同志社国際高校の保護者説明会がやっと開催されたばかりというタイミングなのに、当事者の一つである基地反対派の人達は、もうほとぼりは冷めたとばかりに抗議運動再開。確か事故直後の会見では、抗議活動は来月(=4月)まで自粛すると発言していて「なんでまだ事件の詳細も解決策も出てこないであろう来月早々には再開するんだよ」と、その時にも怒りみたいなものを感じたけれど、その発言の舌の根も乾かないうちにもう忘れてしまったのかこういうことをやるから、彼らは支持されないし嫌われるのだと思う。大体「喪に服するからマイクは使用しない」って、犠牲者特に無理矢理事故に巻き込まれた形の高校生達を馬鹿にしていないか。

今回は会場での事故という事で、海上保安庁が操作をしているので、これまでの及び腰気味だった沖縄県警の捜査とは違って、厳しく追及されるという話もネットでは囁かれているけれど、どうだろう。私は別に事件を煽る気持ちは無いけれど、被害を受けた側の同志社国際高校側は、もっと起こるべきだと思うのだけれど、見ている範囲では殆ど沈黙しているような印象。今回の保護者説明会が初めての対応じゃ無いだろうか。事故直後の学校側会見も、何か他人事みたいな乾いた印象だったし。聞くところでは、この同志社国際高校という学校は、多くの生徒が所謂「帰国子女」が通う学校で、そう言う意味ではもっとオープンで自由奔放な学校というイメージが沸くんですが、ここ最近の様子を見聞きしていると、日本の古い伝統校みたいな閉鎖的な印象しか受けないのは何故だろうか。

もう一つ疑問だったのは、亡くなった女子高生が乗船していた船の船長が報道等の表面に出てこないこと。当初は、亡くなった船長と女子高生が同じ船に乗船していて、もしかしたら女子高生を助けようとして船長も犠牲になったのかなくらいのことを想像していましたが、そうでは無くて先に転覆した船の船長が犠牲者の船長で、それを救助しようと向かった二隻目の船も転覆して女子高生が犠牲になったと言う事。となれば、当事者としてまた当時の状況に1番詳しい人物として、もっと説明するべきだろうしメディアとしても取材が足りない気がするのは何か理由があるんだろうか。ネット情報では、この船長、地元では有名な共産党系の弁護士さんという話も聞くけれど、それも合ってかメディア各社、特に日頃こう言うことには厳しく追及する左派系メディアが及び腰に見えるのだろうか。北海道の知床での転覆事件や、日頃の辺野古報道を見聞きすると、全くメディアが仕事していないと思うけれど、それはこういう党派性というか、まぁ向いている方向が違うんだろうな納得してしまいます。

今年秋には沖縄知事選挙があって、既に那覇市副市長だった古謝弦太氏が出馬表明をしていて、公約の一つに辺野古移転推進を掲げています。もう一方の現知事の玉城デニー氏も出馬表明する予定だったのが、今回の事件に支持基盤のオール沖縄が関わっていたことや、自身も基地反対活動に傾倒していたこともあってか、その出馬表明を延期することに。他の自治体の行政に意見する立場には無いけれど、沖縄の基地問題は解決するべき課題だとは思うけれど、それに反対する事がフリーハンドの様に認められている現状は歪だと思うし、何か特別な理由が存在しているように強く感じますね。沖縄が太平洋戦争の激戦地の一つだった事は理解するけれど、浜松だって浜松基地は昔は陸軍の航空隊基地だったし、JR東海の浜松工場は昔の鉄道省の浜松工場(浜松工機部)だったこともあり、遠州灘からの米海軍の艦砲射撃で焼け野原になった事もありますからね。東京大空襲だって、決して小さな被害では無いと思う。沖縄が特別という事情は理解するけれど、だから反対運動が無法地帯になってよいという理屈にはならないと思う。

(UA Leg#5) HND-OKA/-HND

空港のホテルに宿泊して、7時前にはチェックアウトをして、まずは保安検査場を通過してラウンジへ入り、朝食代わりに御稲荷さんと中巻を頂いてお腹を落ち着かせます。まだ朝早いからか、ラウンジ内はそんなに混雑していない感じで、ゆっくり食事をしてその後はいつもの様にメールチェックで時間を潰しました。 

その後、出発ゲートが少し離れた58番ゲートなので早めにラウンジを出てゲートへと向かいます。外に出ると、朝の出発ラッシュの時間帯なのか結構混雑しています。また春休みだからか、中高生のグループみたいな団体さんも結構見かけるのも、この時期ならではなのかもしれない。

1) HND 07:45 - OKA 10:40 (NH463)

定刻30分位前にゲート前に到着したんですが、丁度事前改札のアナウンスがされていて、改札の向こうには車いすで搭乗する乗客の様子も見られました。その後、2歳以下の幼児連れの家族グループ等が結構中に入っていきますが、PBBの中のL1/L2への分岐点で止められている様子。そこが開かれて、中で待っていた乗客が機内方向へと流れ出したところで、グループ1からの優先搭乗も始まりました。

早速中に入って機内へと進みますが、何故かL1への通路にはまだテープが貼られていて通れません。仕方なくL2の通路に入りましたが、こちらは大渋滞。そのうちにL1の方もオープンされたのか、やっと機内に入り前方方向へと進もうとしたら、前から後ろに来る流れとぶつかりちょっと大変でした。

使用機材がB777-200の2-3-2の7アブレストなので、何となく旧シートの機材だと思っていたら、中に入ると新シートが並んでいて嬉しい誤算。このシートの違いだけでも、2時間余りのフライトだとかなり印象が違ってきますからね。搭乗は順調に進んだのか、ドアクローズは07:39。しかも私の右隣の席は空席のままとなり、どうも機無いアップグレードも無かったようで横からの圧力無いフライトになりました。プッシュバックまで少し時間がありましたが、ゲートを離れて出力調整後に移動を開始すると、結構早めのスピードで誘導路をRW05へと向かいます。離陸待ちも殆ど無く、そのまま離陸したのが08:01でした。

食事のサービスまでは少し時間が有りましたが、食事を頂いた後はいつもの様に機内Wi-Fiに接続してメールチェックとブラウジングで時間を潰します。この機体の機内Wi-Fiも比較的安定して居て、以前の設備に比べると改善された=最新設備に変わっているような気がします。四国沖辺りを通過したところでウトウトしたと思ったら、目が覚めるともう沖縄本島に差し掛かるくらいのタイミング。今回は北から第2滑走路のRW18Rへと向かうコースに乗ると、10:21に無事着陸。その後ターミナルへと移動しましたが、第1滑走路のRW18Lの手前で横切るところでホールドがかかり、JAL機が先ず離陸すると、続いて珍しい事に航空自衛隊のC-130H(ハーキュリーズ)が離陸していきました。久し振りに見たなぁ、4発のターボプロップ。その後やっと滑走路を横断して35番ゲートに入りましたが、それでも定刻よりも早い10:35着でした。今回は復路便の接続時間が少し短いので、早足で機外へと出るとまずは所要をこなしに一旦外へと向かいます。

2) OKA 12:10 - HND 14:30 (NH464)

用事を済ませて空港に戻ると、そんなに時間は無かったのですが取りあえずラウンジには寄って、冷たいお茶を一杯頂きトイレを使わせて貰いました。元々は33番ゲートだったのが、35番ゲートに変わっていて、到着した時と同じゲートから戻る事になります。

ラウンジでスケジュールを調べると、羽田からの到着機は10分位の早着で、沖縄からの復路便も定刻と表示されていたのでゲート前に行ってみたんですが... 35番ゲートからは、まさに今続々と降機してくる乗客の列が orz 一瞬ゲートチェンジかなと思ったんですが、ちゃんと「12:10 NH464」と表示されています。で、その時に「NH464便は12:25に遅延」のメッセージが。もうね、ANAのIT関係者に小一時間はクレーム建設的な意見交換をしたいところ。仕方が無いので、そのままゲート付近の椅子に座って搭乗開始を待ちました。

12:25からさらに遅れるかなと思ったんですが、12:05から事前改札が始まり、優先搭乗もその後から始まります。唯一救われたのは、この使用機材B777-200も新シートの機材だったこと。ここの所、B777-200の運用の時には旧シートの機材に当たることが多かったんですが、そろそろシート換装も完了したんだろうか。ドアクローズが12:26と、遅延しての定刻近くでしたが、その後プッシュバックまで10分以上掛かりさらに遅れそう。また、機首を方向転換して離陸ポイントのRW18Lに向かいますが、離陸待ちの期待が3機位並んでいて更に待機。離陸したのは、12:58と結構な遅れでの出発でした。

暫く気流が不安定な空域を通過して、そこから食事と飲み物を頂き、復路は早めにシートを倒してうつらうつらしつつの移動になりました。羽田の空域も混雑している様子でしたが、この時はA/C滑走路のRW34L/Rの二箇所を利用して降ろしている様子。ただ、D滑走路のRW05も離陸用に使われているので、RW34Rの方は時々途切れる感じでした。ターミナル的にはRW34Rの方が有利ですが、搭乗機はRW34Lへ向かうと14:56に着陸。右の誘導路へ離脱すると、T2の北側から時計回りに回り込み、59番ゲートへ入ったのが15:03と、約30分の遅延でした。この後京急線で品川駅へ移動して、浜松行きの新幹線を捕まえるのですが、事前に15時台のひかり号は間に合わないだろうから、1時間後の16:10初のひかり号を予約しておいて正解でした。品川駅では、夕食代わりのお弁当とかお土産類を調達して無事帰宅となりました。


2026年3月24日

(UA Leg#4) HND-OKA/-HND

三連休の間は暖かくて春らしい天候だったのに、週末が明けた月曜日の朝は「雨」。移動時の荷物は、最少化したい自分としては、折り畳み傘一つでも出来れば無しで移動したいのですが、ちょっと止みそうも無いなぁと諦めていました。その後身支度を調えて家を出る時間帯になると、幸いにも殆ど雨も上がり西の空も薄らと明るくなってきたので「よし、いける」と一度はバックパックに入れた折り畳み傘(約200g)を取りだして身軽になってから出発しました。

いつもよりは遅めのバスで浜松駅まで移動すると、朝7時を少し過ぎた位。いつもの様に駅ビルのスタバに入り、朝食代わりのホットサンドとコーヒーを頂いて一息つきます。そんなに混雑していなかったので、結構ゆっくり出来たのは幸いでした。その後浜松駅の構内へ移動して、07:50発のひかり号を待ちます。浜松駅を出発した時も、自由席は結構混雑している様子でしたが、やはり春休みが始まったからでしょうか、静岡駅からドッと乗り込んできて、7号車のe-Work車両も8割位の混み具合になりました。私の横にも、キャリーケースとバックパックをもった20~30代くらいの男性が座ったんですが、この人が静岡駅を出発して新富士の手前くらいで掛かってきた電話に出ると、 その後ずっと品川で下車するまで電話を受けたり掛けたりしていてうざったかったなぁ。

そんな不満を感じながら品川駅で降りると、駅構内は結構な人出。でも、空港行き京急線は空いた状態で入線してきたので、座席を確保して座って移動出来ました。空港も、京急の改札を出たときにはかなりの混雑具合でしたが、1Fに上がると何処かにその人では消えてしまい、3Fの出発階に上がるエレベーターはそんな混雑しておらず移動出来ました。そんなに時間は無かったのですが、先ずは保安検査場を抜けて、そのままラウンジに入り、飲み物とトイレを利用して一息ついたところで、出発ゲートへと向かいました。

1) HND 10:30 - OKA 13:25 (NH469)

元々は58番がアサインされていたのが、当日朝に63番にかわり、さらにラウンジを出る頃には60番へと変わっていました。ちょっと離れた60番ゲート前へ移動すると、ゲート前は結構混雑していましたが、まだ事前改札は始まっていないようです。10:10頃から事前改札が始まり、車いすの方や幼児連れの家族グループが乗り込んでいきましたが、これがちょっと時間が掛かり、優先搭乗に切り替わったのは10:18頃。やっと機内に入り、最新のシートにほっとしつつ出発を待ちます。ドアクローズは定刻から遅れて10:34 。5分後にプッシュバックが始まり、D滑走路のRW05へと移動します。先にJAL機が離陸待ちをしていましたが、直ぐに離陸するとこちらも滑走路に正対して、暫くすると四点鐘とともに離陸開始となりました。出発は少し遅れましたが、離陸したのが10:55で、ブロッキングタイムが02:19と表示されたので、到着は少し早いかもしれません。

離陸後は暫くちょっと揺れて、ベルトオフのサインが出るまでは少し時間が掛かったように感じます。その後は気流が安定していて、直ぐにミールサービスが始まりました。そうそう、ここの所プレートにセットされて居るであろうメニューの小冊子が無いことが続いていますが、今回もそう。後から「こちらが載っていませんでしたか?」とCAさんが持ってきてくれましたが、まぁメニューを見ることは無いけれど、なんてだろう。

食事の後は飲み物を頂いて、今回はラウンジで直前に入ってきた依頼後との対応でExcelを開きつつ作業を進めていました。機内Wi-Fiがそこそこ安定していたので助かりました。いつもは殆ど寝て過ごしますが、今回は真面目に仕事(?)をしていたので、それでもあっと言う間に着陸態勢のアナウンスを聞いたような気がします。今回は北側から進入すると、時間調整なのか少し西にくの字に回り道をしてから、RW36Lへ正対すると13:15に着陸。左の誘導路に抜けてUターンすると、ターミナルビルの32番ゲートに入ったのが定刻丁度の13:25でした。今回は接続時間が少し短めなので、そそくさと外に出てそのまま所要へと先ずは向かいました。

2) OKA 15:10 - HND 17:30 (NH470)

メール処理やファイルの転送などしたかったので、まずはラウンジに入り諸々の雑用を完了。冷たいお茶で喉を湿らしたところで、出発ゲートの33番ゲートへ向かいました。今回は往路・復路ともに使用機材が新シートのB787なので、非常に気が楽です。

そろそろラウンジを出ようかと思ったらこのNH470でのボランティア募集のアナウンスが。振替便は、10分後に出発予定のソラシド便+1万円との事で、殆ど時間が変わらないから一瞬心が揺らぎました(笑)。そんなアナウンスを聞きながら33番ゲート前に行くと、暫くして事前改札がスタート。優先搭乗が14:50に始まり、私も機内へと入ります。ほぼ満席の状態なので搭乗に時間が掛かり、ドアクローズはほぼ定刻の15:09。プッシュバックまで少し時間が掛かりましたが、動き出してしまえば離陸ポイントは直ぐ横のRW18Lなので、移動して先行機一機の離陸を待ち、その後15:29に羽田へと向かい離陸しました。

離陸して暫くは揺れる空域もありましたが、離陸して15分位して気流も安定して食事の配布も始まりました。食事後は機内Wi-Fiに接続してiPhoneでブラウジングしたりKindleで小説を読んだりして過ごしました。そう言えば、今回往路と復路の機内Wi-Fi接続画面が新しくなっていて、設備が更新されたんでしょうか。心なしかいつもよりネット接続が安定していて、スピードも少し早いような気がします。

復路は追い風になるので、あっと言う間に房総半島に接近(※あくまで個人の感想です-笑)。着陸はA/C滑走路を利用しているらしく2列に並んで進入する様子がFlightrar24で確認出来ました。搭乗機のほぼ横に、JALのJL32(BKK-HND)が並んでいて、この感覚だとJL32がA滑走路のRW34L、そしてこちらはC滑走路のRW34Rだなと予想。で、その通りにRW34Rへ降りたのが17:23でした。T2側なので早めにゲートインできるかなと思いましたが、到着ゲートは反対側の65番ゲートという事でUターンをして戻るのに時間が掛かり、ゲートインしたのは定刻通りの17:30でした。

いつもなら京急線へダッシュするのですが、この日は羽田泊まりなのでゆっくりと降機。到着階の2Fから一つ上の3Fに上り、T2の北側にある東急エクセルホテルへと向かいました。


Haneda Excel Hotel Tokyu

 昨年の10月以来、約半年ぶりの利用となる羽田空港T2直結の羽田エクセル東急ホテル。そのロケーションから、チェックインするときが遅い時間帯の時に利用することが多いのですが、今回は18:00前にはチェックイン出来る余裕の到着です。翌日も、フライトは07:45なので、ラウンジ利用するとしても7時前位にチェックアウトすれば十分なので、かなり楽な滞在です。

18:00前に部屋に入り荷物をいったん置いてから、再び外に出て夕食をどうするか考えます。T2のレストラン利用も考えましたが、丁度夕食時だからかかなり混雑している様子。まぁ、ゆっくり出来る部屋飲みで良いかと考えて、3Fから1Fに降りてホテル側にある小さめのファミマでアルコールとお摘まみ類を購入して部屋へと戻りました。

ちょっと失敗したのは、部屋にAC100Vのコンセントは何カ所かあるんですが、充電用のUSBポートが無く、そういう時に限ってUSB用のACアダプターを忘れてきていること。2台のスマホの充電をどうしようかと思いましたが、USBケーブル(Type-C-to-CとType-A-to-C)は持参していたので、先ずはThinkPadのゲンロク君を持参したACアダプターで接続して、そのゲンロク君のType-CとType-Aのポートに持参したケーブルを接続して、そこにスマホを接続して充電することにしました。どちらのUSBポートも、本体(=ゲンロク君)がパワーオフ状態でも通電してくれる仕様だったので、就寝するときにゲンロク君をシャットダウンしても充電は止まること無く朝には満充電状態になっていました。

チェックアウトは、少し早めに済ませて本日のフライトへと向かいました。

2026年3月23日

天気予報精度

最近改めて技術の進歩を感じて関心したのが「天気予報の精度」。WeathernewsとかTenki .jpのサイトを出かける前に見て、雨具の必要性とか寒暖差等を事前に確認するのはもう通常ルーティンと言っても良いくらい。最近では、1時間単位のそれもそこそこ狭い地域の天気予報も利用可能で、例えば自宅で本宅をして干してから出かけるときに、帰宅までに雨は大丈夫かなんて確認することも良く有る話。今日も朝から外出しているんですが、朝雨が降っていて「これだけ折り畳み傘必要かな」と思ったんですが、天気予報を見ると出かける頃には雨が上がって以降は曇りから晴れの予報。実際出かける頃には雨も上がり、西の空が少し明るくなってきたので、少しでも軽量化しようと折り畳み傘は持参せずに出発。1時間もすると、雲の切れ間から日もさすようになり、「今日の勝負は勝ち」とちょっと気分がアップしました(笑)。

昔というか20~30年位前だと、外出するときの天気確認でも、その日一日の天候とか精々午前・午後で分けて確認するくらいで、それでも晴れ予報なのに雨が降ったり、雨予報が結局は外れたなんて言うことは結構有りました。更に遡って自分が子どの頃などは、NHKのニュースで流れる天気予報よりは、両親とか祖父母から居られた「○○が見えたら明日は雨」「××の風が吹いたら、明日は寒くなる」みたいな、土着の経験則からの天気予報の方が正確だったことが多くありました。特にうちは農業もやっていたので、天気の様子には更に敏感になっていたこともあるかもしれない。

幾つもの気象衛星が今は地球の周りを回っていて、観測精度が大幅に向上したことと、それらのデータを大量且つ高速に処理出来る計算機技術も大きく進歩したことが、最近の天気予報精度を劇的に向上させたことは間違いありません。その先駆けとなった「ひまわり1号」が打ち上げられたのは1977年らしい。この頃は単に宇宙から日本列島周辺の雲の様子の写真が珍しかったりした程度だけれど、その後複数の気象衛星が様々観測能力を駆使して日本のというよりはアジア・太平洋州全般の観測をするようになり、個人的感覚では2000年代に入って天気予報の精度が実感するくらい向上した気がします。

天気予報言うと「降水確率」が1番身近に感じる指標だと思うけれど、例えば0~30%なら傘無しで出かけるけれど、50%位までだと傘を持参するか迷って、60%を超えたら「折り畳み傘持参」みたいな、人によって降水確率による傘判断は慣れっこになっているんでしょうね。降水確率の精度も上がってきたけれど、折り畳み傘の性能も上がってきていて、軽量且つコンパクトな物がどんどん販売されているので、逆に降水確率を意識せずに常に持ち歩くのが普通になってきた気がします。それに、最近では、雨対策としてだけで無く、これからは日傘としての利用ニーズも高くなるわけで、折角天気予報の精度が上がってきたのに、余りその恩恵を感じなくってきたのは寂しいかも。昔は「天気予報が外れた」と気象庁にクレームしてニュースになることもあったけれど、今はそんなことを思うことすら無くなるくらい普通になった天気予報。改めて、その技術革新と努力に感謝したいなと思いますね。

経費で落ちる?!

地元のローカル番組でも、確か曜日レギュラーみたいな形で週に何回か登場する、旅行アナリストの鳥海高太朗氏。私はANA便利用でしたが、国内線利用の時に機材繰りで国際線仕様の機材に当たったことが何度かあります。流石にわざわざ調べてまで利用したいとは思わない。しかも、実質的に1時間も空中にいない、伊丹-羽田便で(苦笑)。

この方だけでは無いと思うけれど、もう24時間365日、飛行機に乗っているか、鉄道とか船に乗っているか、どこか観光地とか海外にに行っているか、兎に角何か「旅している」様子しか見えないみたいに感じますよね。勿論、人間ですから、何処かで睡眠は必要だし食事もするだろうし、ローカル放送にもコメンテーター出演するわけだから、そんなことは無いのだけれど、多分こう言う人にとっては「移動する事」が自分達で言えば、呼吸したり水を飲んだりするくらい日常生活の中に自然にもう組み込まれている行動なんだろうなぁ。

投稿を見てスケベ心が沸いてきたんですが、私もそこそこあっちこっち移動して、ここにもその記録や備忘録を書き残しているわけですが、これを例えば「出版する」という体にしたら、旅行費とか宿泊費は「必要経費」で落ちるのだろうか(笑)。大手出版社に知り合いとかいれば、取りあえずは冊数とかは別として出版することは出来るだろうけど、そこで利用した旅費を「経費」として精算するには、やはりそれなりの実績や評価が無いと落ちないだろうなぁ。それなら「自費出版」で旅行記とか出せば、その旅費代全部とは言わないけれど、有る程度経費に認められならば、多分世の中の修行僧の多くが既にそう言うことをやっているはずだから(笑)。

私も昔々に某社から書籍を出したことがありますが(共著で主著は別の偉い人)、その時に印税とか入ってきて、収入と記事作成の資料代みたいなものを、その年の確定申告で初めて申告して特にお咎め無しでしめしめ。もう何十年も向かいの話ですが、まぁ微々たるものだから見逃してくれたんでしょうね。旅費計上となると、何十万何百万規模になるし、例えば上級クラス利用とかになるとそれなりの説明が必要になるだろうし、そういうやり取りや面倒くささを考えると「自分の趣味」の範囲で旅行する方がやっぱり気が楽な気がする。折角気分転換、自分の心のリフレッシュの積もりで、MLBとかNFLを観に行ったりピーチでまったりしようと思っているのに、「あの経費がUS$xxxで、こっちの領収書が○○で」とか考えていたら、全然楽しく無さそう。鳥海さんくらいのプロになれば、それすらも楽しみになるんだろうけど、自分はとてもそこまでは昇華できそうも無い(笑)。 

2026年3月20日

日米首脳会談

高市総理が訪米してのトランプ大統領との首脳会談。事前にはトランプ大統領から無理難題がふっかけられるとか、日本側としての貢献がどう評価されるか分からないと、どちらかと言えばネガティブな予想が主流だったと思うけれど、実際の会談の様子を見ると、結構無難にこなしたように感じます。100点満点とは言えないけれど、85点から88点位は獲得出来たんじゃ無いだろうか。 

同時に欧州との共同宣言の形で、イランに対してムルムズ海峡の安全な航行を要求して、イランに対しての圧力をかけているように見えるけれど、当然裏ではイランと落とし所を探る話合いもしているだろうし、その妥協点がどこになるのかがこれからの1番大変な仕事なんでしょうね。イランとしては、仮に日本だけに対してとしても、やはりアメリカと協調することを言っている国に対して、そんなに甘い対応は出来ない。一方で彼らだっていつまでも個の戦争を続けたいとは思っていないはずで、少しでも有利な条件での停戦は望んでいるだろうし。

米国に対しては、停戦後の機雷掃海位しかできることは無いと言う話を納得して貰うしか無いし、精々ジブチを拠点にオマーン湾付近(ホルムズ海峡手前)までの「調査研究」目的での艦艇派遣くらいで当面は我慢して貰うしか無いでしょうね。その分米国内でのトランプ人気を大きくするような、今回持参したと言われている10兆円規模の経済対策で、米国の国内景気を持ち直す「ディール」を何とかトランプ大統領に受け入れて貰うのが最重要課題のような気がする。

諸々の報道などを見ていると、トランプ大統領としてはベネズエラ方式で簡単に片が付くと思ったら、その通りには行かずにもう嫌気がさしてきている様子に見えます。とっとと手を引きたいけれど、面子もあるので一度振り上げた手を簡単に下ろすわけにも行かない。日本としては、上手い落とし所を示して彼の面子を保ちつつ、結果的にアメリカの利益になるような結果を残す法則があれば良いのだけれど。後者に関しては、10兆円の経済対策があるから良いとして、アメリカの落とし所に日本が絡んでかつイランにも納得して貰う「妥協点」を見つけるのは難しいというか、あるのかそんなスイートスポットが。ただ、仮にアメリカが妥協できる落とし所が見つかったとしても、イスラエルが簡単に納得するとは思えず、そこまでは流石に日本も手当てできないだろうなぁ。今日中には、今回の日米首脳会談の結果と成果が発表されると思うけれど、帰国してからもまだまだ高市総理の多忙な状況は収まりそうもありませんね。ますます総理の健康状態が懸念されるので、そこは十分に注意して職務遂行をして欲しい。

政府専用機予備機

今回使用された政府専用機ですが、「予備機でワシントンへ向かう」と投稿された赤澤大臣の背後の飛行機は、ANAの通常のB777の機体。「あれ? 何か間違えた?」と思ったら、予備機が現在整備中のため、政府専用機の予備機としてANAのB777-300ERをチャーターしたらしい。 この予備機には、赤澤大臣はじめ茂木外務大臣など、首相以外の随行閣僚などが登場して移動したらしい。

ここで疑問なのは、この予備機の運用。本来の政府専用機では無くANAからのチャーター機との事なので、いつもの様に空自の政府専用機スタッフが運航することは無い(出来ない?)はず。さらに通常の運航のようにANAのパイロットとCAさんで運用されたとした場合には、どこに着陸するのだろうかという事。高市総理が登場している政府専用機(JF001)は、羽田を出てワシントンのアンドリュー空軍基地に着陸しているのは確認出来たんですが、このチャーター便は分からない。

想像すると、ANAはIAD(ワシントンダレス国際空港)へは定期便を運航しているので、ここに離発着するのは問題無いはず。でも、政府専用機が今回使用するアンドリュー空軍基地への使用経験は無いだろうから、ここにいきなり着陸するというのはちょっと想像出来ない。普通に考えるならIADを利用すると思うんですが、そうなると政府専用機の予備機としての意味が無くなる気もするわけです。初見の空港でも、最初は未経験で着陸する必要があるわけだから、事前にシミュレーターとかで有る程度練習はしているのだろうけど、どうなんだろうか。案外実際の操縦はANAのパイロットだけれど、アンドリュー空軍基地離発着経験のある空自のパイロットも同乗してオブザーバーみたいな感じでサポートしたのかな。

ただ、疑問に思うのは、今回の訪米予定は昨年から決まっていたわけで、なんでそのタイミングで予備機のメンテナンスが発生しているのかということ。基本正副2機体制で運航して、万一の場合でも滞りなく移動出来るようにするという目的のはずなのに、今回そう言う事が出来なかった理由はなんだろうか。予備機が突発的なトラブルがあって、急遽メンテナンスが発生したなら仕方ないけれど、それでも今後はそう言う事も想定して3機体制にするとか考えないといけないかも。多分世の中的には「無駄」という声も出てくるだろうけど、政府専用機は首脳の移動だけで無く万一の場合には救援機として邦人脱出などにも使用されるわけだから、そのためのバックアップと考えればいいとおもう。

2026年3月19日

イデオロギーバイアス

佐々木俊尚氏の引用から、選挙時のSNS利用規制を訴える、毎日新聞編集委員。 佐々木氏がコメントしているように、イデオロギーに偏った新聞各社も「有権者の投票行動に影響を及ぼそうとしている」分、余計に悪辣な気がする。

先の自民党圧勝となった衆議院選挙を念頭にしての発言だと思うけれど、SNSでの特定政党勢力へのバイアス行為みたいなものは、前々回は参政党躍進とか既にその兆候はあったもの。それなのに、今回特に自民党に対して言及するのはいかがなものかと小一時間。それにSNSでの課題は、特定利益への誘導というよりは、誤情報虚偽情報による欺瞞行為、その中には外国勢力による意図的なものも含みますが、そちらの方がより深刻だし問題だと思う。で、そういう行為は特定の新聞や放送局に、さらに雑誌等はもっと酷い状態。それが許されて、基本自由な情報発信の世界であるSNSを帰省するのはお門違いな気がする。先ずは自分達がルールというか公平な報道=情報提供を遵守しろよと。

今は彼らオールドメディアは、自分達の報道が直ぐにSNSで検証されて、問題点の指摘や事実上のファクトチェックをされてしまう時代。本来ならばそう言うことが発生しても自分達の報道内容に自信を持てば良いだけなのに、何故かそれを「脅威」と感じる所にオールドメディアの問題があると思う。何度も指摘しているけれど、そのSNSを批判するオールドメディアは、例えば情報収集とか映像確保の手段としてSNSに依存して居るわけで、何か本末転倒な状況にも感じるんですよね。勿論、メディアと言えどもリソースは限定されるのは仕方ないし、それにたいしてSNSは日本中世界中の人間のスマホがリアルタイムにその周辺情報をネットに投稿していくわけだから、総和として敵わない。でも問題なのは、そんな中でメディアとしての核の有る取材や批評をすれば良いのに、結局はSNSネタを自分達の包み紙で包み直して放送・公開しているだけなところ。

アメリカでは、所謂オールドメディアも印刷媒体からネットに移行して、当初は苦戦したけれど結構ビジネスモデルとして成功しつつあります。日本のメディアも同様の過程をとっているけれど、正直自分達のプライとが許さないのか印刷媒体の余興みたいな感じで使っている印象を受けるんですよね。良くも悪くもネットの方がよりネットの特性を生かしてネット活用しているのに、それに対して単に難癖つけるだけという感じの印象しかこの記事からは受けない。ネットでは、明らかな誤情報や虚偽情報は制限するべきだと思うけれど、結局それってオールドメディア自身に戻ってくる問題でもあると思うんですよね。それに対して、「単なるネットの嫌がらせ」みたいな解釈しかしないから、ますますネットから乖離して居るんだと思う。そんな動きが、この短い記事の中に濃縮されているような気がする。

190円→170円

イラン情勢により、一気に値上がりしたガソリン価格。勿論ガソリン価格だけが値上がりしているわけでは無くて、この影響は全石油由来製品に波及するわけで、そうなると色々な物が時間差で値上がりしてきます。一方で高市総理は、石油不足払拭のために即座に備蓄石油の放出を決めて、且つ石油各社へ援助金を出して、レギュラーガソリン価格が170円を超えないように対策を取るとも表明。今日からその補助金の効果が出て、一時値上がりしたガソリン価格が多少は落ち着くはずなんですが。

考えてみたら、暫定税率が残っていたら今の価格に+25円位上乗せされていたわけで、そうなるとレギュラーガソリンで210円~220円になり、かなり市民生活に影響があったと予想されます。それを考えると、色々大人の事情は合ったと思うけれど、無理矢理でも昨年末で暫定税率を廃止してガソリン価格を下げていたことは、怪我の光明かもしれないけれど今の情勢を多少なりとも落ち着かせている効果が大きいと思います。 そう言う意味で、高市内閣は運があるように見えるし、今回のイラン情勢のように突発的な予想外の事態も多くて多難な内閣にも見えるし、何か高市内閣が試されているような雰囲気すら感じられます。

その高市総理は昨晩の国会質疑、シンガポール首相との会談をへて、夜遅くにアメリカに向けて出発。機内で少しでも休んで英気を養って欲しいところだけれど、これだけ難題が積み重なっていると、その睡眠時間も取れずに機内でのレクチャーに時間は取られるんだろうなぁ。世界的に不安定な状態になり、それでも日本は何とか立ち回っているのは、かなり高市総理やその周りのスタッフの活躍が大きいと思うんですよね。そう言う意味で、今最大の懸念事項は何らかの理由で高市総理が倒れたり、仕事が出来なくなるような状況になることで、その中でも健康状態は最大の懸念事項。アメリカに行っても決して楽な仕事が待っているわけでは無いけれど、その移動時間10数時間の内せめて半分の6~7時間位は機内とは言えぐっすりと休んで体力回復に努めて欲しいと思いますね。

今の所の報道等では、10兆円~11兆円規模の第2弾投資案件を手土産に、イラン派遣に関しても現地の情勢が安定したら自衛隊派遣も検討するという事で、まぁその当たりが今の日本が繰り出せる最適カードだろうなと思います。80兆円規模の米国投資には、日本に対しての見返りが少ないという批判も大きいけれど、あれは80兆円規模でアメリカに日本企業の足がかりが出来て、そこから何年もビジネスが出来ることで得られる利益って、決して少なくないと思うんですよね。取り分の9:1の割合にしても、日本側の減価償却後の余剰利益の分配に関してだから、それまでの利益は日本にもちゃんと入ってくる話(赤澤大臣の説明を自分なりに咀嚼)なので、決して日本側が持ち出すわけではないし不利益なわけでは無い。逆にこれだけ米国に日本が食い込めれば、いざというときに米国も日本を無下に出来ない訳で、中々上手い戦略だと私は思います。これをさらに進めて日本の安定に貢献するためにも、せめてフライト中だけでも安らかな睡眠機会があることを祈るばかりです。

2026年3月18日

(UA Leg#3) HND-OKA/-HND

 前日に続いて、この日も沖縄詣での一日。往路のフライトが、浜松から出てくるのと同じ位の10:30発でゆっくり出られるので、前日の到着が遅い時間だったけれど、久し振りに少し離れた横浜シェラトンに宿泊。でも、チェックインしたのが23:00近くだったから、結局は寝てお終いという少々勿体ない滞在でした。フライトまで余裕はあるんですが、まぁ早めに空港へは移動しておきましょうと、08:30前にはチェックアウトをして、京急で空港へと向かいました。

この時間帯、品川方面から空港への直通電車(快速、特急)は10分間書くくらいで運行されているんですが、横浜方面から空港への直行便は殆ど無く殆どが京急蒲田での乗換。その中で、京急川崎で空港行きの確定に乗り換える電車が来たので、これを利用することに。考えてみたら、京急川崎の三つ先が京急蒲田なんですね。空港線は各駅停車の運行だったので、NAVITIME等の検索では引っかかり無かったけれど、こういう連絡の仕方もあるんだと一つ学びました(笑)。

早朝というか、やや遅めの朝の空港は「やや混み」くらいの感じ。いつもの様に、Diamondメンバー用の保安検査場を抜けて、そのまま4Fのラウンジへ入室。出発までは1時間弱余裕があったので、冷たい物を頂きながらメールチェックとかして時間を潰しました。

1) HND 10:30 - OKA 13:25 (NH469)

頃合いを見計らってラウンジを出てゲートへと移動。58番というと、T2の万歳(凹)している左側の端っこ。57番はさらにその先なので58番ならギリセーフという場所ですね(笑)。ゲートに到着すると、丁度事前改札が始まるところで、暫くして優先搭乗が始まり機内に入りました。このフライトも満席らしく、終わり無く搭乗してくるような感じでしたが、それでも定刻の10:30にドアクローズすると、5分後にプッシュバック開始。その後D滑走路のRW05へと移動して、離陸したのが10:51とまずまずのスピーディーさでした。

水平飛行に入り、暫くして食事の配布が始まり軽食を頂いたところで、iPhoneを機内Wi-Fiに接続しようとしても「ネットワークが認識出来ません」みたいなメッセージが出て接続出来ません。機内Wi-FiのAPは見えているので、その先のネットワーク接続が起動されていないのだろうか。そのうち気がついて接続出来るだろうと思っている内に寝落ちしてしまい、目が覚めたら奄美大島付近を通過する頃で、そろそろ着陸準備に入るようなタイミング。ここでも試してみましたが、やはり駄目。隣りの私より年上の男性サラリーマン氏はスマホを使っているし、通路を挟んだ反対側の女性の方はPCをずっと広げて何かプレゼン作業をしていますが、彼らはネット接続無しで利用しているんだろうか。まぁ、ここから接続しても何か出来るわけでも無いし急ぎの用事も無いので、そのまま着陸までまったりと過ごすことにしました。

飛行機は北側から真っ直ぐにRW18Rへと向かいそのまま着陸。暫く滑走してから左に離脱して誘導路を戻り始めます。羽田を出るのは少し遅れ気味でしたが、着陸したのは結構早くて13:04頃。これならゲートインも10分位早着かなと思ったら最後にトラップが(笑)。第1滑走路を渡りターミナルビル正面で停止します。使用する35番ゲートがまだ空いていないという事で、ここで待機するというアナウンス。結局ここで10分位待機して、やっと35番に駐機していた先行機がプッシュバックされていくのが見えたところで、再び移動開始となりました。結局ゲートインしたのは定刻より少し遅れ気味の13:28でしたが、まぁ昨日と比べたら...

沖縄は昨日同様初夏の陽気。今朝の横浜がそこそこ冷えていたことを考えると、雲泥の差ですね。そんなことを思いながら、所要のために一旦外に出て向かいました。

2) OKA 16:45 - HND 19:05 (NH472)

タイミング的に、学校も春休みに入り卒業旅行とか行くグループなのか、結構空港は混雑していました。羽田からの到着機の出発が10分程遅れていて心配しましたが、何故か那覇空港到着は数分ほど早着。ただゲートが32番から反対側の36A番に変更されて、並んで待っていると隣りの喫煙室から漏れてくるたばこ臭さにウンザリしました。

搭乗開始は通常くらいのタイミングでしたが、ドアクローズは定刻の16:45。「まぁ、誤差の範囲か」と思っていたら、中々プッシュバックが始まらず、機体が動き出したのは15:00過ぎ。その後すぐ横のRW18Lへと移動しましたが、先行機が2機待機していて、この離陸待ちでさらに遅れます。結局離陸したのは17:14と微妙な所です。表示される飛行時間は「1時間53分」となっていましたが、どうも羽田からの管制指示があって出発が遅れたらしく、表示を見ていると時々到着までの残り時間が微妙に増えるときが有るような無いような(笑)。

食事の後は、シートを倒して、今回は機内Wi-Fiに接続出来たのでメールチェック等して時間を潰しました。追い風なので、往路よりは早く飛んでいるはずですが何故か時間の進み具合が遅く感じます。意地諸島あたりまで少し深めに接近していた後、機首を左に振ると房総半島の先端辺り目指して北上を開始します。「多分A/C滑走路だろう」とこの時思ったんですが、房総半島に乗るかというくらいで右に旋回。海岸沿いに暫く進むと、再び左に旋回をして進路を北に戻します。ここで気がつきました、「あっ、これB滑走路だ」と。確かに反時計回りにB滑走路のRW22に向かう飛行機の列が綺麗に出来ています。これでさらに時間超過確定です。半分諦めつつ、機体はRW22に19:22に着陸し、左にターンをして誘導路に出ると、B滑走路を逆走してT2を目指します。追い打ちをかけるように、到着ゲートは南の角っこの65番ゲート。しかも途中で何かあったのか一旦停止したりして、ゲートインしたのは19:34でした。

品川行きの空港快特は、19:41発なら駅でお弁当購入する余裕があるんですが、その次の19:48発だとギリギリ接続出来るくらい。ただ、ボーディングブリッジの接続にも時間が掛かり、外に出たときにはもう19:38位なので、19:41はこの時点で諦めました。その後トイレに寄ってゆっくりと歩いて、京急の駅に到着したのが19:46。19:47に折返しの品川方面行きの電車が入ってきて、これに乗車して品川駅を目指しました。品川到着が20:13なので、予約している新幹線との接続時間は6分(20:19)。いつもの時間帯だと、大体品川駅発がxx:10位で間に合わないのですが、夜の遅い時間帯は浜松停車のひかり号も時間が変わってくるので、それで今回は助かりました。浜松に到着して、まだ最終バスは残っていたけれど、1時間近く待たないといけないので、とっととタクシーで帰宅しました。やれやれ...

宗教と教育

辺野古での転覆事故。亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、怪我をしている生徒さんも多いとのことで、一日も早い回復をこちらも祈ります。ただ、心の傷は中々治らないでしょうね、こういう経験をしてしまうと。そう言う意味でも、学校側の責任は大きいと思うし、それ以上に現地で対応している、所謂「辺野古基地反対派」の存在に改めて怒りすら感じるところ。

亡くなった船長は、キリスト教団体の牧師でも有ったとのことだけれど、発掘された過去の情報ではかなり過激な抗議活動もしていたらしい。同じく過去の修学旅行の記録等を見ると、学校側がそう言う事を認識していなかったという事も無さそうで、かなり背景が複雑な印象を受けます。と言うか、宗教と教育がどこまで関係していても許されるんだろうか。さらにそこに、政治的背景まで教育に関与していくのって、それは「教育」では無く「洗脳」に近い物のような気がする。死者にむち打つわけでは亡いけれど、やはり船長として運航の責任は彼に先ずはあるわけで、その責任はしっかりと明確にするべき。北海道の転覆事故の時にはあれだけの騒動になったわけで、それ位の調査は必要だと思う。但し、そうなると困る人が色々見えてくるから、どこまで進むのかで更に揉めそうな気がする。

私は、沖縄での基地問題は大きな問題だと理解するし、何らかの形で解決するべきだと思うけれど、それを理由にして利用しているのが彼らのような気がする。 少し前に、警備員が抗議活動を無理に実行しようとした女性を庇って亡くなる事故があったけれど、あれだっていつの間にか警備員や工事関係者側が悪者になっている。今回も早速関係者のコメントで、「(無くなった)女子高生も基地反対の気持ちのなんたら」と、勝手に個人を利用するような発言をしていて、あぁだから彼らは社会から乖離していきどんどん先鋭化していくんだなと納得した次第。

件の転覆事故を起こしたボートには政治家も乗船したことがあると最初の頃の報道が出て、それって安全性を暗に言いたいがためにそういう言い方をしたのかと思ったけれど、結局乗船したと言っているのは共産党の田村代表とか社民党の福島代表とか、ある意味「お仲間」なわけで説得力の欠片も無い。ある意味「沖縄の暗部」が表面化した今回の事件だけれど、先ずは被害者犠牲者に対しての尊厳が最優先するはずなのに、学校側も当事者の反対派も自分達の保身をしているようにしか見えない。県知事の玉城氏も、本来ならば先頭を切って徹底解明するような態度を取るべきだと思うのに、どうも身内だからか例によって煮え切らないコメント。今年は沖縄の県知事選挙があるけれど、これが何かの転換点になるんだろうか。1番の不幸は、何の罪も無いのに事故に巻き込まれた高校生達だけれど、その次に不幸なのがこういう状況が常態化している沖縄の人達だと思うなぁ。

2026年3月17日

Yokohama Bay Sheraton Hotel & Towers

BONVOY系本年1滞在(1泊目)は、定宿の横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ。インバウンドの影響なのか、最近の価格上昇が理由なのか、以前のようなお得な料金はもう期待出来ず、その当時と比べて1.5倍位になっています。羽田戻りがそこそこ遅い時間帯だったので、空港ホテルを最初は考えたんですが、翌日の出発が10:30と比較的余裕のある予定なので、それならば多少割高でサービスも限定されても、久し振りに利用してみようと清水の舞台から飛び降りたところ(マテ)。

もう少し早ければ久し振りにラウンジのカクテルアワー利用をしてみたいと思いましたが、残念ながらチェックインしたのは22:00過ぎで既にサービスは終了。部屋は久し振りという事も有りアップグレードして頂きましたが、うーん以前ならもう少しムニャムニャ...  館内のバーも、もうラストオーダーの時間も過ぎていたので、近くのコンビニでアルコールとかお摘まみでも買ってこようかと思いましたが、部屋に入ると一気に疲れが出て面倒になってしまい、部屋に置かれているミネラルウォーターで我慢しました。

翌朝7:00からの朝食サービスでラウンジへ。クラブラウンジ宿泊者は、ラウンジか2Fのビュッフェ朝食を摂ることが出来たけれど、確か特典でのサービスはラウンジだけだったような。チェックインを夜遅かったので1Fの受付で行ったときに、その辺りの説明が無かったのと、まぁそんなに朝は食べないのでラウンジでも十分かも。7時少し過ぎ位に行きましたが、外国人の宿泊者が10組位すでに入っていて、しかもBTOのオムレツコーナーの前に長い列が。しかもその列の横は、スープ類とかホットミールが置かれている場所でも有って、アクセス出来ない状態になっていて困りました。以前はもう少し動線が整理されていた気がするけれど。それと、フレッシュジュース類が見えなかったり、コーヒーがコーヒーマシンだけになり淹れてあるポットが無くなっていたり、ちょっとコストダウンされた雰囲気でした。

フライトは10:30何ですが、朝のこの時間帯は横浜から直通で羽田空港へ行く京急便って少ないというか殆ど無い状態。京急蒲田で乗り換えて移動しましたが、何か以前よりもアクセスが悪くなったような印象です。

お赤飯

 卒業祝い給食にお赤飯を準備していたら、その日が日が日本大震災記念日の3月11日で、被災した日にお祝いのお赤飯など怪しからんと言うクレームが来て、2100食分のお赤飯を廃棄した件。私が素朴に最初に疑問に感じたのは、福島でお赤飯って「お祝いの時」だけに出しているのかなと言うこと。少なくとも自分の家では、お祝い事の時にもお赤飯を炊いていたけれど、例えば法事とかの時にもお赤飯を炊いていた記憶があるけどなぁ。実は私、この「お赤飯」が苦手で手をつけないので、子供の頃からお赤飯を炊くときには、家族分とは別に私の分だけ普通の白米を炊飯していた位。

「冠婚葬祭」の時に出される「お赤飯」って、個人的想像ですが、大量に造って保存が有る程度聞くことと、小豆を入れてかさ増しできるので大人数に振る舞うときにもコストを抑えることが出来たのでは無いだろうか。また、白米のご飯を準備してしまうと、それに合わせておかずやなんやらも準備しないといけないけれど、お赤飯だとそれにごま塩を振り掛けて、あとはお茶とお漬物とかあれば成立してしまう「セット」だったように思います。その地方地方で色々風習もしきたりも異なるから一概には言えないけれど、卒業祝いと地震の鎮魂を予てお赤飯を出すというのは、私は別におかしいとは感じない。まぁ、その地元のでは、お赤飯は「お祝い事の時」だけ出すものなら仕方ないけれど。

でも、そうであっても、そのお赤飯が出されるのは「卒業式」という人生で一度切りの大切な時なわけで、幾ら日時が重なったからと言っても優先するべきはその当事者子供達の卒業のお祝いでしょう。それとも釜石市の子供達は、一生「被災地」という荷物を背負わないといけないとでも言うのだろうか。そのクレームを入れた人は、どうも一人だけでしかも市議会議員(?)という書込もネットでは表れているけれど、それだと余りに気を遣いすぎというか、対応した側も「事なかれ主義」過ぎるような気がします。このお赤飯は、一月位前から給食の献立として知らされていたのに、なんで直前にクレームするのかという疑問もあるし。例えば、何処かの学校で同様の事例が有り、その学校の校長判断でその学校だけでは止めたとか言うならまだ理解出来ないことも無いけれど、市内全部で2100食ものお赤飯を「廃棄する」事の重要性も考えるべきなのでは。

詳細は分からないけれど、もし似たような事例が続くようだと、例えば3月11日に生まれた子供は祝わえないみたいな事になってしまう可能性も。結婚式も出来ない、新築祝いも出来ない、開店祝いなんてもってのほか、みたいな社会になってしまう。東日本大震災の記憶や知見は、これからも何年何十年と継承していくべき事柄だと思うけれど、そういう作業と日々の生活の中での喜怒哀楽や冠婚葬祭は分けて考えるべきだと思う。また、仮に震災と現実を何らかの理由で天秤にかけて選択する必要が有るとしたら、それは今を生きている「現実」が優先されるべきじゃ無いだろうか。それよって震災の記憶や気持ちがが変わることは無いと思う。

(UA Leg#2) HND-OKA/-HND

前回から一月ほど間が空いての今年2回目のフライト。 今年は例年と比べるとかなりのスロースタートで、中盤から後半に追い込む当初の予定でしたが、イラン騒動で色々物騒な雰囲気出てきていて、今後は今年の当初のプランもかなり変更が必要になるかも。

今回はお昼過ぎの出発ですが、一度東京まで出る用事があったので、早めの新幹線で東京駅まで移動し、その後空港へと戻る予定。朝からそこそこ暖かい気候で、「これなら春用のブルゾンで十分かな」と思ったんですが、やはり日陰に入ると少し肌寒いですし、都内は浜松よりも気温が低めのようなので、中綿入りのアウターへ変更。結果的に沖縄以外の場所ではこれが正解でした。8時台の路線バスで浜松駅まで移動しましたが、知らない間に8時台は1本しか運行がない。その前の7時台だって2本ですよ。その為か、私が乗車したときは空席もあり座れましたが、バス停が進むと席も埋まりつり革利用の乗客も増えてきました。

浜松駅にはほぼオンタイムで到着。まだ朝食を摂っていなかったので、駅ビルのスタバに入りホットサンドとコーヒーのいつものセットでお腹を満たしました。その後ホームに上がり、上りの新幹線を待ちます。この時間帯、09:17に東京行きひかり号、09:25に東京行きこだま号が到着します。ひかり号は10:48に、こだま号は11:18に東京駅に到着しますが、ひかり号では少し時間が持てあましてしまうし、こだま号だとぎりぎりぴったりの感じで微妙。結局、混雑しているひかり号を敬遠して、こだま号で移動しました。

こだま号もそこそこ混雑していた様子でしたが、7号車(e-Work)はいつも通り空席が多く快適。定刻通り東京駅に到着しましたが、こちらは浜松と比べるとぐっと気温が低くて、出発直前にアウターを変更して正解でした。大丸で目的の物を購入した後、山手線で浜松町まで移動して、浜松町からは久し振りにモノレールで羽田空港まで移動。1時間程前に空港に到着して、そのまま保安検査場を抜けてラウンジへと移動し、一息つきました。

1) HND 13:05 - OKA 15:55 (NH473)

出発ゲートが、ラウンジから少し離れた59番ゲートに当日変更になったので、12:30を過ぎたところで少し早めにラウンジを出てゲートへと向かいます。ゲートに近い保安検査場Aがちょっと混雑していて、ゲート前も混雑していました。で、早めに到着したつもりでしたが、丁度事前改札が始まったところで、そのままGroup-1の列に並び優先搭乗を待ちます。ゲート内側に白板があり、見てみたらこのフライトがオーバーブッキングしていたらしく、二つ後のフライトへのボランティア募集が書かれていました。報酬は1万円か1000マイルということでしたが、既に内側に移動していたと言うことはそうそうにボランティアが集まったということなんでしょうね。

使用機材はB787-9の新シート機材で快適。ボランティアを募るくらいだから満席だと思うのですが、搭乗プロセスは順調に進み定刻の4分前にドアクローズし、その5分後にはプッシュバックが始まりました。方向転換をして、D滑走路に向かって移動開始。そのまま停止すること無くRW05に到達して機首を向けると、そのまま四点鐘を慣らしながら離陸開始となりました。

時間帯的にはお昼を少し過ぎていましたが、機内食は昼食の幕の内弁当のセット。さすが羽田空港調整だけあって、ちょっと手の込んだ内容でした。ただ主菜の太刀魚の煮付けは、ちょっと魚臭さが残っていてしかも銀皮の味が気になって殆ど残してしまいましたが。その後は機内Wi-Fiに接続しましたが、こちらも一度も切れること無く接続は安定していましたし、スピードもまぁ必要十分なくらいで快適でした。そんな感じで、2時間余りのフライトもあっと言う間に過ぎてしまい、機体は沖縄本島を時計回りに回り込んで、南側から空港へとアプローチします。好天の中、第2滑走路のRW36Lに着陸したのが15:44。そのまま右に結う泥に出てターミナルビルへと向かいますが、離陸の機体があったのか第1滑走路手前で暫く待機。その後32番ゲートに入ったのが、定刻よりも少し早い15:51でした。

都内は寒かったのですが、沖縄は気温22度ということで「暖かい」と「ちょっと暑い」の間位の感じ。流石に都内では重宝したアウターは少し暑くなるので、それは手に持ってまずは所用のために外に出ました。

2) OKA 18:35 - HND 20:50 (NH474)

実は往路出発前にANAのアプリ経由でメッセージが届き、この復路便の機材繰りのために18:35の出発予定が19:15に遅延すると言う悲しいお知らせ。到着時刻も同様に、20:50が21:30に変更されています。どうもこのフライトの父ちゃん便となるNH475が、1時間以上の出発遅れ(14:45→16:06)で、到着も17:35が18:35に変わっています。18:35に到着しても、そこから45分でのターンアラウンドは難しいだろうから、実際にはさらに10分とか15分は遅れるだろうと推測しました。で、予想通り更に隠れて19:25発に変わります。1時間後のNH476便も、羽田からの飛来機が遅延してこちらも遅延したんですが、結局NH474便(33番ゲート)とNH476便(35番ゲート)は、どちらも同じ19:25発に。この場合どちらが優先するんだろうか。

実質的に1時間位余分に乗り換え時間が出来てしまい、その分ラウンジマッタリすることに。月曜日の夕方だからか、そんなに混雑していなかったのが救いでした。搭乗開始時刻が近づいて来たのでラウンジからゲート前に移動。こちらは33番ゲートでしたが、反対側の35番ゲートは出発が10分程早いので、一般の搭乗開始になる頃。少し遅れてこちらは、事前改札の幼児連れなどのグループが搭乗していき、その後Group-1からの優先搭乗が始まりました。

満席というCAさんのアナウンスがあったのでさらに出発が遅れるかと思いましたが、ドアクローズは最終的に遅延した定刻19:35。5分後にプッシュバックが始まり、反対側のRW36Rへ移動して離陸したのが19:51でした。暫くして食事の配布が始まりましたが、何かこの頃には疲れ終い食事も飲み物も断り、シートを倒してスリープモードに入りました。旧型のシートなので決して寝心地は良くないのだけれど、それでも眠りに落ちて目が覚めたら、もう伊豆半島の先くらいまで飛んできていて、着陸態勢に入るところでした。

もう夜遅く22:00近くなので空いているかなと思ったらあに図らんや、羽田空港のA/C滑走路のRW34L/Rに向けて着陸態勢の列が出来ています。ここで気がついたんですが、先に出発していたと思っていたNH476がこちらの後ろに付いて飛んでいます。那覇空港では、こちらより10分早く搭乗開始になっていたので「あれ?」と思ったんですが、ANAの運航状況のサイトでみたら、搭乗機のNH474も先に出たと思っていたNH476も、実際の出発時刻は「19:40」になっています。となると、離陸完成の時にこちらが先に離陸するように会社から要望したのかな。こちらはA滑走路のRW34Lに21:51に着陸して、59番ゲートへ21:59に到着。NH476は、その1分後に着陸して22:00丁度にゲートインしていました。

この日はこのまま横浜泊まりの予定で、22:08発の京急だと京急蒲田で乗換無しで横浜方面へ行けます。ボーディングブリッジの接続に手間取り半分諦めましたが、途中ダッシュしたりして何とか22:08の京急快特に間に合いました。ここでスマホのメールにANAからのメールが届いている事に気がつき、何だろうと思ったら今回の遅延の補填という事で4000円戻しますというメール。そう言えばNH474の方は、朝からすでに遅延が確定していたので(CAさんのアナウンスによると、シートの不具合があり修理したらしい)、予約画面とか見るとキャンセルや変更の手続きが可能みたいなメッセージが出ていました。ただ、記憶にある限りは補償されるのは今回が初めてだと思う。どういう規準なんだろうか。遅延だけなら、もっと遅かったケースもあったと思うけれど。

何とかホテルに無事到着して、一杯やろうかなとも思いましたが、翌日もまた飛ばないといけないのでここは自粛。メールやデータ整理をして、日付が変わったところでベッドに入りました。