2026年5月14日

(NH Leg#8) HND-OKA/-HND

朝の7時前にはT3のホテルをチェックアウトして、無料シャトルでT2へと向かいます。保安検査場をいつもの様に通過してラウンジに落ち着いたのが丁度7時位でした。 まずは朝食代わりに、御稲荷さんと太巻きを頂き小腹を整えて、今日の予定等確認。基本天候は晴れで問題無いはずなんですが、午後になると関東から東海にかけてゲリラ豪雨の予報が出ていて、それで新幹線が乱れないか心配です。

一通りメールチェック等してから、少し早めにラウンジを出て国内線ターミナルの端っこ、65番ゲートへと向かいました。

1) HND 08:15 - OKA 10:55 (NH467)

ゲート前に行くと、修学旅行の団体さんが長い列を作っています。どうも女子校の様子で、65番ゲートのグループ3を先頭に、窓側のガラス壁に沿って4列の列が後ろに伸び、奧のカード会社ラウンジの入口手前で右に折れると、国内線ターミナルの端なのでそのまま通路を横切り、反対側の壁際に今度は列が伸びて、スタート位置くらいまで伸びています。ざっと見、200人近くはいるんじゃ無いだろうか。

そんな事もあってか、事前改札は早めの07:47にスタート。その後グループ1の優先搭乗に切り替わったのが07:52でした。使用機材は定員優先だからか、B777-300の旧シート機材。座って一息つく間もなく、L1ドアからは右側に座る予定の女子高生達がどんどん流れ込んできます。「これは時間かかりそう」と思いましたが、結構効率的に進んだのかドアクローズは早めの08:09。しかし離陸混雑のためか、プッシュバック開始は08:25と間が開き、その後はD滑走路のRW05へと移動開始。羽田を離陸したのが08:40でした。

途中気流の悪いところもありましたが、そんなに大きな揺れも無く順調に飛行。機内Wi-Fiは、ガンガン使うであろう女子高生の集団の存在が気になりましたが、特に変わること無くそこそこ順調に接続出来ました。着陸は、沖縄本島を時計回りに回り込んで、RW36Lへと進入。着陸が10:49で、オンタイムかなと思ったら、第一滑走路の手前で停止します。離陸待ちかなと思ったら、滑走路上に異物があるという報告が有り、その確認と除去作業をしているという機長アナウンスがあり5分程待機しました。その後クリアーになり再び移動開始をすると、32番ゲートに入ったのが11:05でした。

ここで悲しいお知らせ。ANAからDMが入っていて、復路のNH996便等羽田空港に午後から夜に到着するフライトは、ゲリラ豪雨や雷雨の影響でスケジュールチェンジやダイバード等の可能性があるとのこと。「えっ!」と思いつつ、雷雨予報を見てみますが、多分到着する午後3時頃は何とかクリアーできそう。いずれにしても、乗るしか無いので(笑)、ひとまず所用のために出かけます。

2) OKA 12:45 - HND 15:10 (NH996)

羽田からの飛来機は少し早めに到着していたので、遅延がないことを祈りながら35番ゲートへと向かいます。ゲート前へ到着して暫くすると、少し早めに事前改札が始まり、車いすの方が何組かPBBへと入ってきます。続けて幼児連れの家族グループが通過し、グループ1からの優先搭乗が始まったのが12:28頃でした。機体はB777-200の新シート機材。修学旅行の団体さんは居なかったようですが、それでも満席近い乗客のようです。

ドアクローズは12:42でしたが、プッシュバックまでは時間が掛かり、動き出したのは12:52。そこからすぐ横のRW36Lへと移動し、羽田周辺の様子を心配しながら離陸したのが13:07でした。その後の機長アナウンスでは、到着予定時刻は定刻より遅れて15:20頃とのことでしたが、それ位の後れならば予約している新幹線に間に合うので何とか間に合わせて欲しいところです。

別に昼食は食べていたので機内食は断り、飲み物だけ頂いてメールチェックをしていましたが、疲れが出てきたのか知らないうちにウトウトしてしまったので、シートを倒して熟睡モードへと移行しました。目が覚めると、房総半島の結構南側を飛んでいて、そこからほぼ真っ直ぐに北上し始めたので、そのままRW34R/L辺りに降りるかと思ったら、房総半島に乗ったくらいで右に機首を振り反時計回りのループに乗ります。いつものRW22かなと思ってFlightradar24を見てみると、それよりも大きなループで埼玉県の川口上空辺りで南下してくる、RW16R/Lへ降りるようです。

A/C滑走路に降りるとなると、どうしたってT2に近いC滑走路が有利。途中まではどちらに振り分けられるか微妙でしたが、RW16Lのルートに乗るとそのまま15:17に着陸。右に離脱してUターンをしてT2側に戻り始め、63番ゲートに入ったのが15:22でした。羽田空港は、事前のANAからのメールとは裏腹に青空が広がる状態。オンタイムとはいきませんでしたが、遅延やトラブルなく戻る事が出来て助かりました。

その後は京急のホームに降りて、目的の14:41発の空港線で品川へ移動。そこから16:10発の浜松停車のひかり号で浜松へと戻りました。戻ったけれど、また明日も出かけるんですよね(トホホ...)

労働力供給

佐々木俊尚氏の引用から、中国での24時間サービスを支える安価な労働力に関しての嘆き。 テレビの特集なんかでも、似たような内容の放送を何度か見た記憶があり、元々厳しい競争社会の中で勝ち残れるのは本当に一握りの人材だけなわけで、そこから溢れた人達の生存競争は日本よりもさらに厳しいだろうと想像されます。

単純人口で比較すると、中国は日本の10倍。これで経済規模とかも10倍違うならまだしも、名目GDP比では4~4.5倍位との事だから、凄く単純に考えると仕事機会みたいなものは、割合としては日本の半分位。でも、日本の場合企業の多く(殆ど)は所謂「中小企業」と呼ばれる会社が支えているけれど、中国の場合は国営あるいは準国営企業等大企業がより中心だろうから、そこに入る競争は日本の有名大企業に入るよりも過酷だろうなぁ。まぁ、かなり乱暴な言い方だけれど「日本の何倍も熾烈なビジネス競争が繰り広げられている」だろう事は何となく感じます。

中にはスピンアウトして、HuaweiやAlibaba見たいな一大企業を成功させる人材も輩出するのだろうけど、それも何か気に食わないと政府の一声で事実上潰されるようなこともあるわけで、中々安心してビジネス出来る環境でも無い気がする。でも、彼らの場合生存本能というか、昔からそういう修羅場を掻い潜ってきた本能というかDNAに焼き込まれたものを感じるので、とんでもない企業も生まれてくるのも事実で、過酷な環境を生き残ったものが次の支配者になる自然の生存競争と進化のモデルを見ているような気になります。だから侮れないことも事実。

記事を読んでいて感じるのは、日本でも低賃金での労働力不足が言われているけれど、数の論理で無理矢理解決している中国に比べて、人口減少著しい日本はどうしても不利。でも素朴な疑問として、「低価格労働力」っていうのが正しいのかと言う気もしますよね。そういう環境で仕事をしないとビジネスとして成り立たないならば、やはり無理矢理低賃金のリソースを見つける努力よりは、もっと別の解決策を見つけるべきだと思うけどなぁ。まぁ、それも綺麗事と言われてしまいそうだけれど。でも、日本の場合は中国やもしかしたらこれからのインドのような、人口ボーナスで力尽くで解決する事が出来ない分、例えば自動化とかロボット化とか機械化みたいな解決策が生まれやすいのかもしれない。でも、人型ロボットでも中国はトップを走っているからなぁ。でも、それを実用化したら今の低価格労働力を支えている何億という人間が、ますます窮地になり国として成立しなくなるような気がしますね。

ビジネス車両ではあるけれど

羽田からの帰宅で、品川駅から新幹線のひかり号(熱海、静岡、浜松停車)に乗車した時のこと。いつもの様に品川駅からS-Work車両の7号車に乗車。事前にシートマップを確認したときには、半分位の埋まり具合で私の横の席は空席でした。で、品川駅で2割位の乗客が乗り込み東京からの乗客と合わせて、車内は4割位の乗車率。そして新横浜駅からは、さらに2~3割位の乗客が乗車してきて、一気に席が埋まり出します。私のとなりにも50代位の男性サラリーマンがすわります。で、会社の同僚であろう連れが二人程いて、一人は20代位の女性で通路を挟んだ反対側の通路席に、もう一人30代位の男性は後ろの列の通路席側に座ります。多分本当は3人並びで席を取りたかったんだろうけどそれは無理で、3人が纏まって座れるように比較的開いている通路側席でまとめたようです。

3人とも座ってすぐにカバンからノートブックパソコンを取りだして何か仕事を始めるのは、私も自分のゲンロク君(My PC)を開いているので文句は無いけれど、「新しいWi-Fi貰った?」と私の横の一番上司らしい男性が二人にやや大きめの声で話しをしていて、それがちょっとウザい。さらにその後はスマホを取り出すと、多分会社の人間に電話を掛けて、これからの予定とか何か確認事項とか、相手の声は聞こえないけれど、横の話し声は結構大きめで気に触ります。その電話が終わったと思ったら、通路を挟んで反対側の女性も電話を始めるし、さらに後ろの席の男性氏も何か電話をし始めます。いゃ、この車内で電話しているのは貴方たちだけなんだから、連結部に出て話する位の気配りは無いのかと小一時間。一通り電話が終わると、横の先輩社員が後ろを向きながら「何とかがどうなって、確認したらどうたらこうたらで」と説明しているのか何なのか分からないけれど、それもやや大きめの声なのでかなりちょっと気になります。 

その後はパソコンで資料作りみたいな作業をしだしたので、しばし静かになったんですが、暫くすると何かとなりから臭いが... 何かナッツの小袋みたいなものを出して食べ始めるんですが、妙に甘ったるい臭いが強くて甘いものが苦手な自分は正直「勘弁してくれよぉ」の気持ちです。膝の上に広げているゲンロク君の画面を見ていると、左目の視界隅にテーブルの上に置かれたその小袋が見切れて見えるんですが、新幹線がカーブを曲がるときには遠心力でこちらにスススーと飛び出しそうになりちょっと緊張感。飛び出したり中身が飛び散る前に、流石に男性氏が手でそれを押さえましたが、何もかも落ち着かない隣人です。

「静岡で降りないかなぁ」と心の中で願っていたら、その願いを神様が聞いてくれたらしく、慌ただしくパソコンをカバンに入れて三人連れで降りていきホッと一息。「S-Work」車両なんだから、通常の車両よりはパソコン利用とかスマホ利用は許容されているとは言え、それなりの程度はあるわけでもうちょと気配りは欲しいところ。因みに隣りの男性氏、使用していたパソコンが14か15インチクラスの大きな画面のもので、しかもプライバシーフィルターも貼っていないので、その気になれば内容ダダ漏れでした。新幹線移動の経験が少ないのか、逆に日々利用しているから油断しているのか、ちょっと迂闊な三人組みたいな印象を受けた、新幹線車内の様子でした。

2026年5月13日

Villa Fontaine Grand Haneda

二週間ぶりとなる、T3の先HANEDA AIRPORT GARDENにあるVilla Fontaine Grand Haneda利用。定刻より20分近く遅れて羽田に戻り、1Fの到着ロビーから外に出て9番のシャトルバス用バス停へ。丁度停車中のT1/T3行きのバスを捕まえることが出来、中に入ると直ぐに出発しました。10分程でT3に到着。前回は3Fに上がり失敗しましたが、今回は2Fに上がりそこからHaneda Airport Gardenへと移動します。

小腹は空いていたけれど、夕食を取るほどでも無く、ホテル手前のローソンでハイボールと乾き物を購入してチェックインしました。今回は翌日の出発に朝余裕があるため、価格第一で選択。 で、部屋に入ってビックリしました。どうもJALのコンセプトルームらしい。えーん、青組なのに紅組に虐められたぁぁぁぁ(笑)。別にJMBカードを出さないと部屋に入れないわけでは無く、赤というかワインレッドを基調としてクッション等に、昔のJAL機の写真等が飾ってある大人しめのコンセプトルームでした。

翌日は朝の6時に目覚ましをセットして7時前にチェックアウト。無料シャトルでT2に移動して、2日目のスタートです。

(NH Leg#7) HND-OKA/-HND

今週は、今シーズン前半の山場、怒濤の4日連続フライトの初日。いつもよく利用するフライトの一つ後のフライトを予約してあるので、少し遅めのバスで浜松駅へと移動して、駅ビルのスタバで朝食を注入。その後時間を見て新幹線ホームへと進み、ひかり号の到着を待ちます。まだ朝は少し涼しいのですが、行き先が沖縄だし日が昇ってくると暑くなるので半袖ポロシャツで出かけましたが、風が吹くとちょっと寒いですね。 

定刻通り新幹線が到着したので、いつものS-Work車両へ乗車。静岡までは空いていましたが、静岡からドッと乗車してきて横の席も埋まり、そのまま品川までの移動となります。品川駅も、新幹線側はインバウンド中心に大きな荷物もあり混雑していましたが、JR東日本側はそんなでもなく、京急線ホームも朝のラッシュは終わった感じ。少し待って快速特急が到着して、京急蒲田、T3、そして終点のT1/T2と移動。T2のB1Fから2Fに上がる長いエスカレーターも、この時点ではガラガラでした。そしていつもの様に保安検査場を通過して、4Fのラウンジに入りまずは一服です。

この日の使用ゲートは65番ゲートでラウンジから見えるのですが、ゲートには機体の姿は無く折返し機はまだ到着していない様子。調べてみると使用機材は、朝一で沖縄を出発したB777-200で、羽田から再び沖縄へと向かうスケジュール。その後10:25定刻に対して、少し早く10:22にはゲートインをしてくれたので、取りあえず遅延は無さそうです。

1) HND 11:25 - OKA 14:10 (NH471)

65番ゲートへ行き暫くすると事前改札が始まり、車いすの方や幼児連れの家族グループが何組か乗り込んだ後、11:06からグループ1の優先搭乗が始まりました。使用機材は、新シート対応のB777-200。広く快適な機材ですが、中央が3列席なのがちょっとごちゃごちゃ感を生みます。ドアクローズが11:22でプッシュバック開始は5分後。5分程すると移動開始となり、右に折れてD滑走路へ行くと思いきや、左にターンをしてA滑走路を目指します。暫く移動してRW16Rへと入ると、ほぼ待つこと無く離陸開始したのが11:47でした。

離陸後暫くは少し揺れましたが、10分程で落ち着くとシートベルトのサインが消えて食事のサービスが始まります。丁度お昼を過ぎたくらいの時刻なので、定番のサンドイッチやキッシュではなく幕の内弁当のセットが提供されます。流石羽田搭載だけあって、内容的にはひと味違う感じです。

好例の機内Wi-Fiチェックは、最初何度か接続開始に手こずりましたが、一度アクセスするとその後は着陸直前まで安定して接続していました。スピードも機内からならまずまずの印象です。九州を過ぎて東シナ海に出た頃から気流が不安定になり結構揺れたので、アクセスが安定していてくれたのは幸いでした。

何機かRW18Rを目指す先行機がいましたが、特に時間調整することなのほぼダイレクトに南下して着陸したのが14:11でした。その後誘導路に離脱してUターンをしてターミナルを目指します。36番ゲートでしたが、ターミナル側の第1滑走路を横切ってターミナルに接近するくらいから、急に移動スピードが落ちてゆっくりになりました。何か初めて利用する空港なので、間違えないように慎重に移動していた、みたいな感じでした。そのためゲートインしたのは少し遅れて14:22でした。都内は初夏を思わせる青空でしたが、梅雨真っ最中の沖縄はどんよりと一面曇天模様。都内よりも体感気温は低い気がする中、先ずは所用のために移動します。

2) OKA 16:45 - HND 19:19 (NH472)

接続時間がいつも以上に2時間半あるので、空港到着も余裕がありました。到着した時も戻って来た時も、ターミナル内は修学旅行の団体さんで賑わっていましたが、辺野古の転覆事故をどうしても思いだしてしまいますよね。そんなことを考えながら、保安検査場を通過してひとまずラウンジに入り落ち着きます。

羽田からの飛来機を見てみると、出発が10分位遅れて居て、到着もそれ位遅れそう。結局15分近く遅れて15:59に到着。となると16:45の出発予定時刻までターンアラウンドタイムが45分ですから、これは無理そう。多分遅れるだろうなぁと思いつつ、遅延の告知は出ていないけれど遅めにラウンジを出ました。ゲート前には16:20過ぎに着いたんですが、驚いた事に事前改札がすでに始まっていて、車いすの方がゲートを通過して中に入っていきます。その後幼児連れの家族グループも改札を通過していきましたが、こちらはPBBの途中で止められています。で、16:30を過ぎて暫くして、PBB途中で待機していた人達が機内へと移動すると、グループ1からの優先搭乗も始まりました。

機用機材はシップチェンジがあり、往路と同じB777-200の新シート仕様機。「ほぼ満席」というアナウンスがありましたが、それでも16:49にドアクローズとなり、遅延宣言しなかった割にはまずまずじゃないだろうか。その後プッシュバック開始まで少し時間が掛かり、ターミナル横のRW18L手前まで移動しましたが、那覇空港混雑ということで少しホールドが掛かり、離陸したのは17:12でした。暫く気流が不安定な空域を移動して、食事のサービスが始まったのはやや遅め。その後は安定している機内Wi-Fiに接続して、いつもの様にメールチェックとかして過ごしました。

羽田も混雑している様子で、房総半島南側からB滑走路のRW22を目指すループがクッキリ出来ています。当然そこに乗るかと思ったら、どうも前後の間隔が狭い。もしかしてと思ったら、搭乗機はD滑走路のRW23へと向かい19:20に着陸。約一年ぶりにRW23へと着陸しました。

その後誘導路を63番ゲートへと移動しますが、南ピアを通過したあたりで停止。多分ゲートが開いていなかったかその周りが混雑していたのか5分位待機して、やっとゲートインしたのが19:32でした。その後は空港内シャトルバスでT3へと移動して、ホテルへとチェックインしました。

2026年5月12日

Bird Strike

昨日の午前中に、ちょっと買い物や用事のために車で外出していた時の話。 一般道を時速40km位で走っていたんですが、突然運転席の正面フロントガラスに何か影みたいな物が映ったと思った瞬間「ドン」と少し鈍い音がして、自分の視線の右側から外へと何かが転がっていくような様子が一瞬見えました。咄嗟のことでしかも運転中だったので、そのまま暫く運転をつつけていましたが、その何か当たったように見えたフロントガラスには、白い液体みたいなものが点点と付いています。幸いにもフロントガラスに傷などの様子は見えず、飛び石などの被害では無かったようですが、位置的に自分の正面視線の少し右上、丁度ワイバーの範囲に入るか入らないかくらいの場所に、その白い液体が数カ所残っています。

この時点で「もしかして鳥がぶつかった?」とは感じましたが、普通飛んでいる鳥がそんな低い位置にいることが不思議でしたし、正面衝突というよりは何か空中にホバリングしているような感じのところに、こちらの車が走ってぶつかったような、後から思いだすとそんなイメージが記憶に残っています。この時は、後ろに車は無く前方もかなり車間距離が開いて何台か車が走っていたので、急ブレーキを踏んでも取りあえず問題は無かったと思いますが、其れ以前にアクセルペダルに置いていた自分の右足は、その衝突の瞬間もその直後も硬直したままだったように思います。

その後車を止めて衝突箇所を確認して見たところ、フロントガラスには運転席からも見えた場所に白い多分鳥の糞の液状化したところが5~6箇所付いていました(この時点では乾燥していた)。さらに、右フェンダーの上の部分、ドアミラーの少し先下側辺りに、一目で鳥の糞と分かる白い固まりが一つ付いていることを発見。理由やその時の状態は不明ながら、何かの小型の鳥が空中で「お花摘み」をしていたところに、自分の車が突進(こちらはちゃんと一般道を走っていた)してぶつかった、と推測されます。衝突した後もそのまま走っていたので、ぶつかった鳥が、慌てて逃げたのか衝突のショックで気絶して落下したのか、その後の状況は不明ですが、何とか無事でいてくれることを祈るばかりです。

これまでも、カナブンみたいな小型の昆虫が走行中にフロントガラスに当たって「ビシッ!」という音を聞いたことは何回かありますが、流石に鳥と衝突したのは今回が初めて。まだ確認していませんが、ドライブレコーダーを見たら衝突の様子が録画されているんだろうか。しかし、咄嗟のこととは言え、やはり人間何かあった瞬間には判断力が停止するというか、結局何も出来ない状態になることを再認識しました。以前交差点で停車中に後ろから追突された時も、そんなに大きな衝撃では無かったけれどその瞬間もその後暫くも頭が回らない状態を経験しました。一度経験すれば、次からはもう少しマシな対応が出来るのかもしれないけれど、出来れば二回目三回目は勘弁して欲しいし。今回の場合は、直ぐにハザードを出して一度止まるのが正しい対応だと思うんですが、ハザードどころか車を止めることも暫く思いつきませんでしたね。突然遭遇する万一の時に対応出来るような瞬発力を身につけるのは、かなり難しそうです。

認識アルゴリズム

佐々木俊尚氏の引用から、アメリカの片田舎でも在日経験のある元軍関係者に「日本人」と看破された話。多くの欧米人から見ると、日本人どころか中国人、韓国人、あるいは東南アジアの人達は「アジア人」という一括りで認識されているもの。その中でも中国系の人達は一番多く世界中に散らばっているので、欧米でアジア系の人間を見ると「Chines?」と先ず言われるのはそれが理由だと個人的には思っています。同様に韓国系の人達も世界に散らばっているけれど、こちらは人数的には多分中華系の何十分の一くらいなので、そこまでは行っていない。でも、さらに少ない日本人と比較すると「中国人>>>>韓国人>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>日本人」くらいの感じじゃ無いだろうか。

もう30年位前の仕事の話ですが、当時はパソコンに入れる(インストールする)アプリケーションの日本語化(正確には日本語以外の中国語、韓国語等に対応させる「DBCS(Double-Byte Character Set) Enabling」 という仕事をしていたので、海外のISVと会話しながら、日本語以外の言語対応作業をそれぞれ現地の担当者と会話して、中国語Windows(簡体語版、繁体語版)、韓国語Windowsに入れるアプリの開発やテストをしていました。基本リモートで進捗管理なんかをしていましたが、時々は向こうが日本の開発拠点に出張してきて仕事をしたりしていました。でも当時は中国からの渡航者手続きが厳しくて、中国本土からの出張者の代わりに、台湾とか香港からのエンジニアが主に来ていた時代でしたね。代わりにこちらが中国に行くことは何度かあったけれど。で、当時は、韓国人は当然として、同じ「中国系」であっても、まず台湾の人と中国本土の人は全く違う人種みたいな感じで、雰囲気が明確に違っていました。同じ「中華人民共和国」であっても、本土の人と香港の人は当時はまだ明確に違っていて、雰囲気は台湾の人に近いけれどまだ英国領だったこともあり、西洋風の印象は台湾の人よりも強い感じでした。マカオの人とは殆ど会ったことは無いけれど、多分また違う雰囲気があるんでしょうね。また本土の人でも、当時都市開発が進んでいた北京、上海の人と、内陸部の人とはまた雰囲気も言葉の印象も違うし、当時の中国国内開発製造拠点の深圳の人は、香港とも沿岸部の人とも違う雰囲気が合って、同じ「中国人」であっても何となく判断出来た時代でした。

それがここ10年位かなぁ、「中国国内の人」の区別はかなり難しくなりましたね。やはり人の移動や情報の平準化が進んでいるからか、以前ほどの違いが無くなったように感じます。特に香港の人は、以前は別の国の人かと思うくらい違いを感じたけれど、最近では北京とか上海とか沿岸部の大都市の人と区別が付かないくらい。あと、台湾の人も昔の印象とちょっと変わってきていて、良く「親日」と言われるけれど昔よりは日本風の雰囲気を感じるようになってきた気がします。昔も、台湾へ行ってぽーっと街中の様子とか見ていると、無意識に日本の何処かに居るような雰囲気印象を受けたものですが、最近では人レベルでそれに近い印象を感じます。日本人だから逆に差を感じなくなってきているのかな、海外から日本の中の様子を俯瞰的に見て体験してきた人だと、そこに「日本人風」の印象が加わって、それは我々では感じないような大きな違いとしてかれらには認識されるのかも。

昔アメリカに出張していたときに、とある週末に向こうのエンジニアやマネージャ達と食事をしていて、アルコールも入っていたので仕事以外の話も色々したんですが、その時に日本にもよく来るけれど、当時台湾メーカーの提携工場が中国の深圳や上海にもあったので、中国へもよく出張しているエンジニアがいました。で、何となく話の流れで中国の印象みたいな話題になり、何となく彼が言いにくそうな感じになったので私から一言。「実はこれは大っぴらには言えないが、日本人は中国人と180度異なると思っている。考え方も振る舞いも、完全に日本人と中国人は異なるので、彼らが日本に来ると直ぐに分かる。台湾の人も違いがあるけれど、中国本土の人ほど違いは無いので、台湾の人には好印象が強い。」と言ったんですよね。そしたらそのエンジニア氏、一瞬で破顔した顔つきになり、「本当か? 日本人もそう思っているのか? 」と何度も聞いてきて互いに笑ったことがありました。現在では当時ほどの違いは無いかもしれないけれど、当時は180度の違いが今はそれでも150度位かなぁ。少なくともアメリカに行くと、中華系の存在感は大きく、そのバイタリティは日本人に欠けているものでそこは見習う必要が有るかなと毎回感じます。そこで見分けられている部分も大きい気がします。

辺野古事故、データ量と情報量

意図的な報道規制の話もネット界隈では囁かれている、辺野古沖転覆事故。これ以外の事件・事故に関しては、連日大きく取り上げられる機会も多いのに、それら事件・事故と同等それ以上の出来事と思われる辺野古沖転覆事故に関しては、文科省が学校法人同志社へ直接聞き取り調査に入ったという報道以降、殆ど目にしません。唯一と言って良い情報としては、ご遺族のnoteで四十九日法要が済んだことと、お姉さんのコメントが掲載されたことが新しい情報でしょうか。

大手のメディアの中では、産経新聞の沖縄支局長である大竹直樹氏が継続的且つ多角的に取材を進めている様子が伺えるけれど、やはりそれ以外の大手や地元メディアの反応はそんなに大きくないというか殆ど見えない状態。地元紙の紙面が地元以外では中々読めないのは有る程度仕方ないけれど、でも地元発信の情報があればネットで日本中世界中に拡散される時代でもあるので、そちらの網にも引っかからないということはやはり地元発の情報が少ないと言うよりは「薄い」という状況じゃ無いだろうか。でも地元紙の記者などは、自分達はしっかり配信している、記事検索をして見れば多くの記事が検索で表示されると反論しているけれど、それに関しては「量より質」の問題、ある意味情報論的な話じゃ無いかと思っています。

記事件数の多少を比較するのは、言ってみれば「データ量の多少」を言うに等しいと思います。要するに「この件のデータは、何GBあります」というような話。一方で我々が新聞などのメディアに期待することは「データの内容・質=情報の多少」に関して。つまり、事件の詳細や背景、さらには学校・日本基督教団・基地反対派団体との関係性や、それら組織による事故に対しての対応や証言などに関して、その内容をより精確且つ密度濃く伝えるかがメディアの役割というか使命と言っても良いはず。例え何百という記事を配信しても、同じ様な内容だったり曖昧な記述あるいは「辺野古転覆事故」と言いながら辺野古基地建設の是非等的外れな内容を伝えているのでは、それら記事は雑音(ノイズ)と一緒。連日大量に事件関連の「報道」がされたとしても、その内容が通り一辺倒であった李、タイトルでは「辺野古」銘打っても事件とは直接関係無いようなこれまでの時代背景だったりを伝えるだけならば、それはこの件に関しての「報道」とは言えないのでは。

自分が見た範囲では、沖縄のメディア発の記事では、辺野古転覆事故の本質よりも基地反対派による「平和教育」や「反対活動」に言及しているものが多く、且つそれらの考え方や行動を「錦の御旗」として扱い、それ故に言い方は悪いけれど「尊い目標のために貴重な命が犠牲になってしまった」みたいな勝手な解釈を免罪符にしているような印象を強く受けます。一読者による投稿を掲載し、恰も犠牲者も納得して乗船したのに犠牲になって残念みたいな勝手な解釈を結論にすえたことで大きな批判を浴びて、慌ててその部分を削除したけれど確かその読者投稿の記事はそのままのはず。結論が間違っていた(=削除した)のであれば、その投稿自体意味を持たないものでは無いだろうか。行きすぎた「平和教育」や「抗議活動」の内容が問題なのに、それらは正しい行為という大前提で報道するから、何十本、何百本と記事を配信しようが違和感しか感じない。それらは、今回の事故とは別に批評されるべき内容であれ、取り上げるのであればそういう考えがどの様に実際の事故に影響したのか、そこをまず深掘りするべきだと思うのだけれど、肝心なところは曖昧なまま。だからなのか基地反対派団体は自分達が不当に報道圧力に晒されて批判されていると、見当違いな発言をする始末。そこが正されないと、こう言う悲しい事故はまた再発すると思う。

2026年5月11日

鈴木光司氏逝く

浜松市出身の作家、鈴木光司氏が先日亡くなりました。私の母校の先輩だけれど、丁度入れ替わりだったので面識は全く無い先輩。しかも、読書は好きなんだけれど、ホラー系は苦手なので鈴木氏の著作は一つも読んだことはありません(苦笑)。 「リング」が一番有名かと思うんですが、WiKiを見てみると自分が好きな分野であるエッセイ集も多数書かれていて、これはちょっと意外でした。今更ですが、ちょっと読んでみたい気持ちが沸いてきます。

年齢的に、以前の浜松市長で現在の鈴木康友静岡県知事と同級生ではと思い調べてみたら、同じ1957年生まれだから多分高校も同級生であったことは間違いなさそう。入学年度までは分からないけれど、大学も同じ慶應義塾大学(文学部と法学部)だから、もしかしたら大学時代にも面識はあったのかも。いろいろと個性的な人材を輩出している母校だけに、不思議は無いのだけれど、自分達の代同様この世代も高校時代色々やらかしたのかと想像すると、ちょっとニヤッとしてきます(笑)。

しかし、鈴木光司氏68歳ですよ。病死という事だけれど、本当まだまだ活躍できる年齢ですよね。履歴を拝見すると、デビュー作が1990年の「楽園」とのことで、そうすると33歳の時なのか。ヒット作の「リング」が翌年という事は、もう35年前なのか。これまでの経験と実績を生かして、これから「リング」「や「らせん」を越えるような、さらに深いホラー作品を生み出したかもしれない。でもそうなるとホラー系恐い自分は、ますます作品から遠ざかりそうだなぁ。

「平均寿命」は少しずつだけれど伸びていて、その中でも日本人の平均寿命は男女ともに世界でもトップクラス(トップ長寿)だけれど、全員が全員長寿を全うできるわけでは無く、やはり若くして亡くなる人もいるし、元気そう健康そうに見えても突然訃報に接することも間々あります。自分は両鈴木氏よりは若いけれど、やはり60歳を過ぎてくると色々不調や以前には無かったようなミスも頻発するようになり、肉体的精神的健康を考える世代になった事は事実。今は幸いにも普通に生活することは出来、特に重篤な病気や怪我も無いけれど、やはり「一寸先は○○」なのが世の常ですしね。そう考えると、体が動くうち気持ちが前向きなうちに、やりたいこと興味の有ること自分として価値を感じる事を躊躇せずに実行することが、悔いの無い人生なのかもしれない。

調理器具

ネット上で、自衛隊が仕出しだったかその訓練の様子で、大量の食事(カレーライス)を調理しているときに、大鍋で煮ているからしゃもじ代わりにスコップを使って混ぜ合わせている様子を「スコップを使うなんて不潔不衛生」という炎上が起きているらしい。同様に、大きな桶とか釜で醸造とか調理するような場面(酒蔵とか)も、よく事情を知らない脊髄反応のユーザーが批判を透過して炎上しているらしい。 

「沸騰ワード10」でのカズレーザーによる自衛隊シリーズでも、調理している様子が何度も放送されているけれど、ああ言うのって注目されないんだろうか。まぁ、露出する機会はそんなに多くないと思うけれど、それでも例えば大量に食事を提供するような食堂とかレストランでは、ゴミ箱によく使われるポリバケツが食材を漬けたり洗ったりする道具でよく登場するし、トマト缶の大きな空き缶が溶き卵入れとかで使用されているシーンは良く見るものの一つ。ああいう場面だって、先入観があると一瞬「えっ?!」と感じるけれど、鍋にしても器にしてもそんなに大きなサイズまで取り揃えられているとは思えないので、ちゃんと洗浄されていれば別に問題無いだろうし。それを言い出したら、重機を使って調理をしている「山形の芋煮」なんてどうするの、と小一時間。

個人的には、ああいう道具よりも「調理場が汚れている方が美味い料理が出てくる」という謎理論の方に疑問が沸くし、それは違うだろうと100倍、1000倍のツッコミを入れたくなるところ。積年の汚れが積み重なって、コンロの五徳がガリガリになっていたり、調理台の周りにこびり付きとか何かの残滓みたいなものが残っているシーンとか見ると、もうそれだけで「勘弁してくれ」と思ってしまいます。だから時々特集番組なんかで、セントラルキッチンの調理工場で大量生産の場面とか出てくると、その機材の角とか端にこびりついた素材とか調理品とか見る度に「ああいうのが商品に混ざり込んでいるんだろうか」と疑心暗鬼になり、そういうセントラルキッチンの食材とかレトルト食品とかに対しての期待度や信頼度が下がるのも事実。少なくとも道具はそれが使用後であってもちゃんと洗浄すれば口に入るものの調理にだって使用可能になるわけですからね。あぁ、でも薬品関係に使ったものは控えた方が良いか。幾ら洗浄したとしても、微細な部分に危険な成分とか残っている可能性はありますからね。

人間は「記憶」に依存して居る生き物だから、例えば「不衛生」「危険」「不向き」みたいな情報がインプット済みの状況に、それとは相反するような状況が関わってくると、どうしても拒否反応というか抵抗感を先ず本能的に感じてしまうのは仕方ないかも。静電気で痛い目に何度も遭遇していると、その心配が無いだろうという場面でもつい恐る恐る手を出して、放電していなくても何か違う感覚に遭遇すると、瞬時に手を引っ込めて「痛っ!!!」と発してしまうこともあるし。元々は「スコップ=土を掘るもの」という認識が、「調理に使う→不衛生」という連想を生んでしまったわけで、多分本人は意識もしていないくらいの閃きみたいなものなんだろうなぁ。ただ、理由の無いことをそれなりの組織体がしているわけも無いわけで、自衛隊がそれを使っている理由は何だろうかと考えたら、大容量の調理器具として形状やサイズが適しているわけで、それならば土や地面を掘る前にちゃんと洗浄していれば問題無いんじゃんという結論に普通は到達するはず。そこに「再利用しているんじゃ無いか」という変な意識が入り込んでしまうのは、やはりその人の日々の生活や情報収集と処理において、そういうフィルターというかバイアスを掛ける工程をいつも入れているからのような気がします。それが結局情報処理作業全部に影響している気がします。

基礎となるレシピ

佐々木俊尚氏の引用から、佐々木氏の著書である「名もなき料理」に関してレシピの必要性に関して。料理のレシピ(調理手順)に関しては、その必要性や重要性とか逆にレシピに捕らわれない考えとか、 有る程度の周期で現れて議論を呼んで自然消滅して、そしてまた時間がたつと再燃している気がする。まぁ、それだけ食べ物の話というのは自分達の生活の一部と言えるのだろうけど。ただ、大学生時代から自炊生活をしていた自分としては、「レシピに拘る必要は無いが、無視するものでも無い」と思っています。

勿論「レシピ通りに作る事」に捕らわれる必要は全く無いと思うけれど、だからと言って最初から無視して良い存在では無いとも思うんですよね。言ってみれば「料理の基本、勘所、要素」という部分を自分の「料理スキル」に取り入れて定着させる基本動作が「レシピ」だと思っています。例えば私は基本和食系を自炊することが多いけれど、それは「さしすせそ(砂糖、塩、酢、醤油、味噌)」の基本調味料で完結していて一番作りやすく、かつ子供の頃から口にしていて慣れていて毎日食べても飽きないからというのが理由。そのレシピに関しては、同じ「味噌汁」にしても何千何万種類も有るわけですが、基本的には「具材を準備して、出しを取り、具材を煮込んで火が通ったら、火を止めて味噌を溶き入れ、食べるときに温める」という手順が一番基本動作。その時に、例えば自分用の「味噌汁一杯」を作るときの出汁の量とか、お味噌の量とかを体感するというか会得するのが最初の「レシピ」の役割だと思っています。で、基本形が分かったら、例えばお味噌の種類が変わったら、その量をどの様に加減するかとか、具材に関してもどれくらい煮たら適切なのかとか、そういう部分はレシピの外の話だと思います。

「さしすせそ」にしても、レシピに書かれている内容では不足している情報も多いし、それ故にレシピ通りに作っても自分の期待した味にならないことも大きい。だから、何度かレシピ通りに作るけれど微調整して、自分用に「補正」することもレシピの役割だと思う。例えば、私は醤油は「薄口」と「濃口」を使うけれど、レシピにはそれを区別して書かれることは先ず無い。大体は「濃口」を使用するんだけれど、醤油メーカーによって味の加減が違うこともあるし、最近は「出汁入り醤油」とか「減塩醤油」とか醤油の加工品も多いから、それによってもレシピは微調整が必要になったりします。だから私は基本「さしすせそ」で使用する調味料は、それぞれ同一メーカーの同一商品に統一して、少なくともその基本部分での味のブレは最少化するようにしています。そこから「めんつゆ」を作って置いて、レシピで「めんつゆ大さじ3杯」とか書かれていたら、自分のめんつゆを使って期待値との差を認識して、次はそれを調整してと、そういう手順を何度か繰り返して味のブレを収束させて自分好みの「塩梅」を見つけるわけです。

レシピって、歌舞伎の中村勘三郎氏の名言「型があるから型破り、型が無ければ形無し」のまさに「型」に相当する物だと思う。じゃあ全ての料理を一度レシピ通り作る必要があるかと言われたら、それが可能ならばする方が良いと思うけれど、例えば和食だったら「同割り(酒:1、味醂:1、醤油:1)」を覚えたら、後はそのバリエーションと、出汁と割り下の割合の組合せを理解すれば、そこからは自分なりのアドリブでも良いと思う。ただ、いきなり出汁に調味料を投入して、甘い・塩辛いという微調整を繰り返し最後に迷走するのは駄目だと思う。そうならないために、まずは一度レシピを尊重して味の基本路線みたいな物を理解して、そこからレシピに無いアレンジをするのが「料理好き」になる一つの近道じゃ無いだろうか。で、その時には味のブレを最少化するために、使用する調味料も出来るだけ固定するのも一つの秘訣だと思う。醤油だけで何種類とか、塩だけで何種類とか、素材数はイコール変数の増加になるわけで、そうなると不確定要素は増えるし難しさも増加すると思う。塩は岩塩と海塩、砂糖も白糖ときび砂糖、お酢は米酢、醤油は特定メーカーの特定商品の濃口と薄口、味噌も特定メーカーの白味噌と合わせ味噌(私は基本赤だしが嫌いなので赤味噌は使わない)というのが自分の基本路線。中華や洋食も似たようなもので、「出来るだけ調味料は増やさない」事が自分のテーマ。それによって作れない料理もあるけれど、そう言うものって「家庭料理」と言うには手が込みすぎている場合が多いし、似たような料理でもそれこそ素材を変えれば同じ味付けでも食べた印象はどんどん変わるし、全然飽きないから日々の食事としては十分間に合います。だからレシピは軽んじるのでは無く、うまく活用することを考える事が重要なんだと思いますね。「名もなき料理」とは、だから名前もないつまらない料理という意味では無く、無意識に手が動いて作る事が出来日々食べても飽きない「無意識の料理・食事」という意味だと私は咀嚼しています。

2026年5月10日

MCの存在感

毎週金曜日の夜に提供されている、ReHacQの「共用としての経済」シリーズ。主に、永濱利廣氏をメインゲストに、機金融証券界のゲストコメンテーターがその週の経済動向や今後の予想などを話すコンテンツ。個人的に気に入って、毎週末は何度か視聴しているんですが、今週はちょっと頂けませんでした。

今週のゲストは、永濱利廣氏と、みずほ総合研究所の安井明彦氏。で、問題がMCで、いつもの森本智子氏ではなく、時々テレビのコメンテーターとしてお見かけする法学者で国際弁護士の山口真由氏。経歴を拝見すると、文句の付けようが無い内容なんだけれど、個人的に画面越しに感じている印象は「癖強い人だなぁ」。実際このコンテンツでも、自分中心に話を回そうとして空回りしている感じで、それを取り戻そうとますます自分視点に鳴っていて話の腰が折られている感じ。本来MCは、黒子としてゲストからの話題や情報を上手く引き出して伝えていくのが仕事だと思うんだけれど。まぁ、MCが本業では無いのだから仕方ないとは言えるけれど、それならばなんでそう言う人にMCを託すのだろうか。それを考えると、森本さんとかその他アナウンサー出身の方は上手く回す方法を身につけているからか、専門外の話題の時にも今回ほどの違和感は感じないのは流石プロ。

似たような印象は、元朝日新聞記者の今野忍氏が政治家の方とか永濱氏なんかとインタビューをしている時にも感じていて、自分が理解しようとして繰り返したり問い直したり途中で割り込むのは取材活動の時には有りだと思うけれど、第三者が視聴しているこのような場面では見ている方が自分の理解を中断されているような印象を受けて、内容が入ってこない気がします。あと、ゲストのコメントを聞くために話を振るのは良いけれど、何か唐突に「○○さん、どうですか」と言われるだけでは聞かれた方も困るだろうしなぁ。やはり意味のある回答を引き出すためにも、自分が有る程度理解してそこに引き出したい回答に繋がるキーワードみたいな物を繋げられたらベストだと思うけれど、それにはそれなりの経験と知識が必要なんですよねぇ。

以前経済アナリストの馬渕磨理子氏がやはりMCの代打みたいな形で参加していた回があったと思いますが、この場合は逆に経済の専門家同士の話になってしまい、ちょっと自分のような素人は取り残された印象があったんですが、それは「場を回す技術」がやはりアナウンサー経験者との違いなのかなと思いますね。今回の内容は、今週に予定されているベッセント米財務長官の来日の影響とか、G.W.明けの経済動向など興味の有る話題が含まれていると思うんですが、どうも山口さんのインターラプトが喉に刺さった小骨みたいな感じで、今の所途中で止めてそのままです。今週金曜日は森本さん、戻って来てくれないだろうか(マテ)。

Delivery as a Service

佐々木俊尚氏の引用から、Amazonが自社の物流を外部企業に開放する「Amazon Supply Chain Service /ASCS」というニュース。記事の後半にも書かれていますが、Amazonが膨大な情報量の検索サービスを賄うために、自社専用のハードウェアの開発だけで無く巨大なデータセンター(DC)を構築したら、巨大すぎてリソースに余裕が生まれてしまったので、その部分をクラウドサービスとして他社に開放したのが「Amazon Web Services/AWS」。その物流版が今回のASCSだけれど、これこそ「DaaS(Delivery as a Service)」だよなぁ。あるいは「LaaS(Logistic as a Service)」かな。昔は「DaaS=Desktop as a Service(仮想デスクトップ環境)」で一世を風靡したけれど、時代が変われば言葉の意味も変わってくる典型的な例とも見えますよね。

日本国内での対応が気になるところだけれど、事国内に関してはクロネコに佐川急便にJPと、システムとしては揃っているような気がします。広大なアメリカ本土(北米大陸)を東西南北に貨物が移動するような状況では、網の目のようなAmazonの航空物流網が武器になるんだろうけど、日本国内の場合は羽田と千歳、大阪、福岡、沖縄くらいかなぁ、航空貨物でペイできそうなのは。でもハブとなる羽田空港や、その他幹線空港がもう飽和状態だから、追加でAmazonの貨物機を入れるのは大変だろうし。海外との物流で、深夜便で羽田や関空や沖縄へ運び込むのは有りかもしれない。日本国内の場合は航空貨物の扱いはちょっと難しい気がしますね。

ビジネスにおいて規模の優位性は絶対あると思うわけで、すでにPCの世界ではWindowsがそうだし、Androidもそれに近い存在になりつつあると言って良いのでは(但し、日本以外)。AIや宇宙開発もそうだし、先行投資をして市場を獲得するというか開拓して自分達の専用支持用を想像しているのが、やはりアメリカのアメリカたる所以かも。ただし、その開拓された市場に、低価格とコスト度外視で殴り込んでくるのが中国な訳で、そう言う意味では中国って昔のパナソニックに似ているかも(失礼な-笑)。

既存の例えばUPSとかFedExとかDHLとかは、どう対応するんだろうか。輸送枠が有ればあるだけ、送りたい物は溜まっているから少なくとも現状の物流がAmazonへシフトする事は無いのだろうか。でも、輸送コストとか信頼性とか、そこでAmazonの優位性が出てきたら、やはり顧客としては考えるでしょうね。なんと言っても、それら国際物流業者は「顧客から依頼された荷物を運ぶ」だけに対して、Amazonは「自分達の荷物を運ぶついで」に運ぶわけで、この部分の違いはかなり大きい気がします。

2026年5月9日

Yokohama Bay Sheraton Hotel & Towers

今年2回目となる、横浜シェラトン利用。夕方羽田空港に戻り、そのまま帰宅しても良かったんですが、何となく久し振りに都会の風に触れたくて予約(笑)。でも、翌日は午前中早い時間にはもうチェックアウトして浜松に戻るので、何のための宿泊可良く分からない。まぁ、ちょっとリッチな息抜きですよね、多分。

最近は利用者で混雑しているのか、宿泊2日前にホテルからメールが届き、BONVOY上級会員向けサービスの説明が送られてきました。 ホテルに到着したのが19:30過ぎだったので、多分ラウンジはカクテルタイムで混雑しているだろうからと、地下街からホテルB1Fに入り、そのままエスカレーターで1Fに上がりチェックインしました。部屋に入り荷物を置き、この日は久し振りにホテルのバーで軽く飲んで食べることに。多分一年ぶりくらいじゃないだろうか。先月は入るのが遅くてほぼL.O.近くだったのでいけませんでしたからね。3Fのバーへ行くと顔見知りのマネージャーの方が入らして、お久しぶりですとご挨拶。ここはシガーバーで、タイミングが悪いと煙草や葉巻の煙が充満するんですが、この時は喫煙者のお客さんはゼロで快適に過ごすことが出来ました。その後は、1時間程飲み食いして部屋に戻り、メールなどを確認して就寝しました。

翌日は9時にチェックアウトして地下鉄で新横浜へ向かえば間に合う新幹線を予約。朝はラウンジで軽く朝食を頂き、その後部屋で少し待ったりしてから帰宅しました。お値段が違うから仕方ないけれど、空港ホテルとはやはりひと味違いますよね。

(UA Leg#8) HND-OKA/-HND - Retry

もともとは4月21日に飛ぶ予定だったのが、早朝に発生した国内空港の管制システムトラブルで全国的に運航が乱れ大変なことに。当日のフライトは遅延しながらも運航出来そうだったけれど、最後に品川からの新幹線に間に合うか微妙だったことと、ANAから振替のオファーもでてきたので、その日のフライトはキャンセルして今回のフライトへと振替たもの。 

これまでは10:30発のフライトだったので、07:50発のひかり号でも何とか間に合いましたが、出発時刻が10分繰り上がっていたので、もう一つ早い07:24発のひかり号で品川まで向かうことに。いつもの様に路線バスで浜松駅まで出て、7時少し前に到着したので、7時オープンの駅ビルのスタバが開くのを待って朝食とコーヒーを調達。店内で食べている余裕は無さそうなので、それを持って駅構内に入り、新幹線へと乗り込みました。

まだG.W.の余波があるのか、新幹線はちょっと混雑している様子でしたが、7号車(S-Work)は半分も埋まっていない状態。そのまま快適に品川駅まで移動しました。品川駅は、午前中のピークタイムは過ぎていたけれど、それでも乗換の乗客で新幹線側から京急側へ移動するのも大変。直ぐに空港行き急行が到着して、羽田空港へ着いたのは9時少し過ぎでした。

そのまま2Fに上がり、保安検査場を通過すると、4Fのラウンジへと向かいます。ここでちょっとトラブル。入室のために搭乗券のQRコードをスキャンさせたところ「係員へお知らせください」とエラー発生。実は今回のチケットは、ANAで購入発券しましたが、FFPのアカウントはUAに変更済み。そのためカウンターで係員がマニュアルでAMCの番号を追記する必要があったみたい。ただ、これまでは同じ状況でもそのままAMC Diamondとして通過出来たのに、先日の沖縄でも同様の手続きが発生しましたが、国内線予約システム切替に伴う影響だろうか。国際線の場合に同じ様な設定にすると、やはりカウンターでUAのアカウントに対してAMCのアカウントの追記が必要になりますが、そう考えると予約システムが徐々に変更されているのかも。今後もANAの国内線をUAに振り返るのでちょっと面倒くさそう。先にカウンターに寄れば良いのかな。

1) HND 10:20 - OKA 13:05 (NH469)

ラウンジに入り外を見ると、使用予定の64番ゲートはオープンのまま。まだ1時間以上余裕があったのでこの時はまだ心配していませんでしたが、その後何度か確認してもなかなか到着機が入ってきません。

使用機材がB787-8(78P)なので、多分福岡からの飛来機だろうと到着状況を見てみると、09:30到着予定で09:35到着済みとなっています。でもこの時の時刻は09:37頃で外を見ると、丁度機体がゲートの停止線前で止まるかどうか位のタイミング。でも、その他の到着機を見ると機材が違うから、やっぱりこれかなぁ...

そんな疑問を感じつつゲート前へ行くと、丁度事前改札で車いすの方が搭乗開始するところ。その後幼児連れの家族グループが乗り込み、グループ1の優先搭乗が始まったのが10:11でした。使用機材はB787-8でシートは(当然ながら)旧シート。事前のシートマップでは、Premium Classは満席でしたが、1席窓際の席が空席のまま定刻5分遅れでドアクローズとなりました。その5分後にプッシュバックが始まり、その後誘導路を移動してA滑走路側へと進みます。RW16Rに到着すると、直ぐに機首を滑走路に正対させて四点鐘とともに離陸したのが、10:43でした。

離陸後暫く時間経過してから食事の配布となり、その後はいつもの様に機内Wi-Fiに接続して時間を潰します。この機体、個人モニターは無くて、正面にモニターが3台壁に設置されています。そこに偶々夜の工場群のBGVが流れていたんですが、4Kかと思うくらいの高精度でビックリ。機内Wi-Fiも直ぐに接続すると、そのまま着陸直前まで切れること無く接続していて、機体は古いけれど機内設備は更新されているのかなという印象でした。

那覇空港へは北側から真っ直ぐと南下して、RW18Rを目指します。Flightradar24を見ていると、先行機が無い状態で特に寄り道すること無く真っ直ぐに降下して着陸したのが12:55。誘導路を移動して、RW18Lで離陸待ちしているビジネスジェット(か、空自のシャトルかな?)を横目で見ながら第1滑走路を横切り、33番ゲートに入ったのが定刻よりも早い13:03でした。既に梅雨入りしている沖縄の空は、ちょっと灰色でどよぉ~んとした印象。そんな中、先ずは所用のために一度外へと向かいます。

2) OKA 15:05 - HND 17:35 (NH470)

いつの間にか雨が降りだしたので早めに空港に戻り、保安検査場を通過して、ラウンジ入口で搭乗券のQRコードをスキャンしたら再び「係員にお知らせください」メッセージ。「えっ、羽田で設定してくれたんじゃないの?!」と思いつつ、「UAにつけているので」と説明しつつ、何とか通して貰いました(笑)。この後も何回かこのパターンがあるんだけれど、毎回このエラーが出るのはたまらないなぁ... 

ラウンジはやや混雑気味でしたが、何とか自分の席を確保してまずは一息。ここで、到着便が遅れるので折返しの出発が5分遅延するとの事。運航状況を調べてみると、羽田の出発で20分近く遅れていて、リカバリーしたんだろうけど沖縄到着は23分遅れとなっています。となると遅延は5分じゃ収まらないだろうなぁ... そんなことを考えていたら、案の定さらに遅延して15:20発にいつの間にか変わっていました(笑)。

ラウンジでグタグタしている家に、時計が15:00を示していたのでちょっと慌ててゲートへと向かいました。使用ゲートは36A番で、直ぐ横に喫煙ルームが有る個人的には一番嫌いな場所。並んで待っているだけでタバコ煙や臭いが体中にまとわりつくようで凄く不愉快。移動するにしても、排煙設備を新たに作らないといけないから大変だろうけど、もっとゲートから離れた場所に設置して欲しいですよね。そんな不満を心の中でぶちまけていると、15:06から車いすの方の搭乗が始まり、その後幼児連れ家族が通過し、グループ1の優先搭乗は15:13に始まり機内へと入りました。使用機材はB777-200の新シート機材で問題無いのですが、幼児連れの家族が回りに何組か座っていて、飛行中は結構鳴き声で賑やかになりました。

飛来機遅延の上に、どうも操縦席のメカトラブルがあり出発はさらに遅れて15:30に。それでも飛んでくれるだけ御の字です。ドアクローズが15:28で、プッシュバック開始は15:33。離陸は直ぐ横のRW18Lだと思ったら、風向きが変わったのか反対側のRW36Rへと移動開始。しか管制指示で途中で暫く待機することに。待たされてやっと離陸したのが15:56でした。

離陸して暫くは結構揺れていて、しかも西に迂回するようなルートを飛んでいるのは東側の雨雲を避けるためでしょうか。その後は真っ直ぐ羽田を目指すルートへ戻りました。食事を頂いた後は、いつもの様に機内Wi-Fiに接続して時間を潰すことに。比較的安定した接続でしたが、途中切断して中々再接続しない・出来ない区間がありました。天候の関係なんだろうか。

房総半島を反時計回りに回り込むルートに乗ると、どうも使用滑走路はB滑走路のRW22と一部D滑走路のRW23にも降ろしているようです。最初は内側のRW23を狙うような感じでしたが、途中から外側のループに入ると、画面上では結構狭い間隔のままRW22へ着陸したのが、丁度18:00でした。使用ゲートが60番ゲートということで、Uターンして向かうかなと思ったら、T3側のA滑走路の誘導路を南下し出します。「あぁ、遠回りルートだ」とガッカリ。RW34Rを横切りT2の南ピアを回り込んで、北ピア根元近くの60番ゲートを目指します。それならば、D滑走路のRW23へ降ろしてくれたら、そのまま連絡橋を渡って真っ直ぐ進めば良いわけでかなり時間の節約になるのにと、心の中では文句たらたらです(笑)。ゲートインしたのが18:12。この日はこの後横浜で宿泊予定なので、一元は反対方向の京急線で移動しまた。

2026年5月8日

辺野古転覆事故と福島バス事故

 新潟県から福島県へ練習試合のためにマイクロバスで移動していた新潟県の高校クラブメンバーが、途中でガードレールに衝突して事故を起こし、高校生一人が亡くなり、その他多数の生徒ドライバーも負傷した事故。最初その運行の手配をしたバス会社が、高校から料金を安くするためにレンタカーを依頼されてドライバーも一緒に依頼されたので、ボランティアで対応したというような発言をしていて、「あれ、どっかで聞いた台詞」と感じて思いだしたのが、辺野古での基地反対派によるボート転落事故。あれも最初は、ボランティアでボートを出したと行っていたけれど、謝礼とか払われていたこともその後明らかになり、高校-旅行代理店-基地反対派団体の三者の発言が食い違っているように、今回も高校側とバス会社側の発言が食い違っているらしい。

問題なのは、一番責任のあると思われる高校側が、どちらのケースもその内容をしっかり把握していないように見えるところ。辺野古での事故では、教員はボートに同乗しておらず、それ故に事故直後の人員把握や対応が遅れたと思われますが、今回もクラブ担任は別の車で荷物等を積んでバスと並走していたらしく、バスには高校生とドライバーしか乗車していなかった様子。人員不足とか色々理由は有るだろうけど、やはり責任者としてその場に居ないことは問題だと思うなぁ。

最初バス会社の会見で、安くするためにレンタカー利用を依頼されたとかドライバーも見つけるように依頼されたとか会見で発言していて、それってバス会社の運行上問題無いのかと思ったら「ボランティアで対応した」と言っていて、いゃそれは通らないでしょうとしか感じませんでした。逆にそれを言ったら、対応した営業担当者が全責任を負うことになるかもしれないけれど、それでも良いのだろうか。昨日の学校側の会見では、以前から同様の移動サービスを依頼していたと言っていて、それなら毎回ボランティアでレンタカーだったんだろうか。特に今回のドライバーに関しては、依託したはずのバス会社側も本人の免許資格とかこれまでの運転履歴を把握しておらず、それは無責任怠慢と言われても仕方ないと思う。というか、仮にボランティアで紹介したとしても、それなりにお付き合いのある学校に対して、自分達が責任を負えないような人材を紹介するか? その非常識さにちょっと呆れてしまいました。

辺野古の方では、基地反対団体側が偽情報が流布されていて迷惑しているようなことを、身内の集会で発言していて、それがさらに顰蹙を買っているけれど、ここまで捜査の進捗状況が余り見えないのも気になります。ご家族は、亡くなられたお嬢さんの四十九日法要が済んだという事で、それまでは必要最小限の発言に止めていたようですが、一番苦しんでいる当事者の家族が一番熱心に事件の詳細を追求しているというのは、最大の苦しみを再び与えているようなものだよなぁ。今回のバス事故も辺野古の転覆事故も、無くなった高校生に注目が集まりがちだけれど、どちらも多くの怪我人も発生しているわけで、特に辺野古では事故直後「重体」と報道されていた高校生が何人かいたように記憶しています。快復していることを願うばかりだけれど、単に亡くなった高校生だけで無く、それだけ多くの高校生に対して無責任な行動をしたことに対しての謝罪も反省も無いのは、このまま世間が忘れていくことを期待しているのだろうか。でも、「辺野古」という単語が今後出てくれば、当然「転覆事故」という言葉も同時に浮かぶだろうし。以前のトラックとの衝突事故では、無くなったのが警備員という事で、その後余り話題に上らなくなったように感じますが、今回は高校生が亡くなり多くの怪我人が出ているだけに、地元の警察や海上保安庁はかなりしっかりした対応をしないと、世間が許さないと思う。それとともに、馴れ合いというか自分達の都合だけで進めた反省も、学校や当事者の会社・団体は猛省して欲しいですよね。

日経株価急騰!

G.W.明けの昨日は、一斉にビジネスがリスタート。その影響なのかG.W.中にバネのように貯まりに貯まっていたのか、日経株式は6万円台からスタートすると午前中はぐんぐん株価が上昇して、お昼前には63,000円に届きそうなくらい3,000円以上も暴騰状態。その勢いそのままに、午後には63,000円を超える場面も出てきて、その後少し値を下げて終値は62,833円で終わりましたが、一日で3,320円も上がるのは歴史的じゃないだろうか。これだけ上がれば円安も進むかなと思ったら、156円位でステイしているような感じで、これは為替介入を警戒しているのかな。

ただこれだけ株価が上がっても、牽引しているのは半導体/AI関連株で、全体的にはそれ程上がっていない株も多いので、そんなに喜べないというのは先週あたり仕入れたReHacQでの情報(笑)。まぁ、全部が全部上がるなんて言う相場はそうそう無いと思うけれど、やはり経済が安定して拡大して行くときには、程度の差はあれ全体が伸びていくのが理想なんでしょうね。その中で、現在の半導体/AIのような牽引役が色々現れてくれるのが一番健全で望ましい相場観なのかな。

中東情勢改善の期待感が、この連休明けの相場再開で一気に加速した感じですが、それでも一日で株価が3320円も上がるのは驚き。比率で言えば5%株価が上昇したという事ですからね。その分今日は利益確定で下がるかもしれないけれど、それでも60,000円を切ることはないんじゃないかなぁ(個人的期待-笑)。中東情勢が始まる前には、今年の日経平均は6万円を超えて、年末には65,000円超えも夢では無いみたいな話がネットでは出ていたように記憶しますが、その状況に戻りそうな気も。いずれにしても、明日少し下げた後は、来週は米国とイランの合意形成がどの様に進むかで、また大きく変化しそう。

私はデイトレーディングをしているわけでは無いので、日々の上げ下げは開くまで「途中のチェックポイント」くらいの気持ち。だから、もう少し長いスパンでみたときに、上昇傾向にあるのが自分的な理想状態。そう言う意味では、保有している個々の株によって上げ下げはあるけれど、全体的には少し下がったけれど何とか許容範囲と言う状態かな。今後中東情勢が改善して、逆に今回の反動で更に加速して上昇してくれるのが、今の自分のベストプランなのかな(笑)。まぁ、世の中そんなに甘くないけれど。一つ気がかりというか何とかならんかなと思うのが、メインの株が結構上がった後30%位ガクンと落ちてしまい、その後なかなか快復しないところ。メインだけに保有数も評価額も大きいので、この子がまた元気になってくれると嬉しいのだけれど。今人気の半導体/AI関連株なので、もう少し頑張ってくれても良いと思うのになぁ... まぁ、気長に生暖かく見守るのが正しい姿なのかも(笑)。

(NH) NRT-SIN/-NRT (2) - 宿確保

勢いで予約した今年初の海外渡航であるSingapore行き。出発まで丁度一月となり、「あっ、ホテル予約しなきゃ」とこのG.W.中に思いだして、再びあそこが良いここが良いとホテル検索をしてみました。円安に世界的な物価高もあり、以前のようにお得なレートは中々見つかりません。ホテル選びに関しては、基本的には上位会員であるBONVOY系かHilton系を優先して、その次に準上位会員(Platinum Ambassador)であるIHG系、それでも駄目なら一般会員のHyatteかその他系列ホテルというのが私の優先順位。 

BONVOY系だと、何度も利用したOrchardのSheratonが362SGDで、近くのTang Plazaのmarriottが438SGD。今のSGD (Singapore Dollar)と円のレートは、1SGD=124円位なので、362SGD=44,888円、438SGD=54,312円で、2泊予定なのでこの倍。同じくHilton系もHilton、Conrad等300~400SGD台で、以前と比べると現地レートでも倍位になっている感じです。今回ちょっと悩ましいのが、到着日が日付が変わった深夜00:45(NH801)で、出発日はその翌日の早朝06:15(NH802)という旅程。事実上「1泊2日」みたいな感じなので、出来れば余りホテルにコストは掛けたくない。また、深夜着早朝発なので空港とホテルの移動も、多分タクシーは直ぐに捕まるとは思うけれど、やはりちょっとリスクを感じるところ。そこで、困った時のCrowne Plazaでこちらを調べてみると、ここも利便性のためか1泊450SGD位とお高め。100SGD台の例えばHoliday-Innとかもありますが、余りマイナーな場所だったりだと交通の利便性が心配。

そこで、Point&Cashで検索してみると、Changi T3直結のCrowne Plazaが21,000pt+US$160/泊位で利用出来ます。まぁ、これなら納得出来るかなという事で、久し振りにCrowne Plazaを利用することにしました。前回は丁度2年前に利用しているみたいですね。現地での活動日は中日1日だけですし、空港にはJEWELがあるから昼までも夜でも時間潰しに困ることは無いですしね。Changiでは、ANAはT2のゲートを使用しているので、T2からT3への移動でホテルに入るには少し歩くんですが、まぁ10分位の徒歩移動でしかも建物内部の移動ですから多分問題無いはず。調べてみたら、T1/T2/T3を結んでいるSkytrainは、朝の05:00~02:30まで運航しているんですね。到着時は、遅延がなければ利用してT2→T3移動出来るけれど、朝はちょっと厳しいかも。AMC Diamondだと、T2のFirst Class SilverKris Loungeが利用出来るので、まぁ出来ればここで一息つきたいですしね。これまでの経験だと、ANAの使用ゲートはだいたいラウンジのある反対側の先とか結構遠い場所で、しかもChangiはゲートでセキュリティチェックがあるから、通常よりも早めにゲートへ行かないといけないし、となると06:15発ということは05:30頃にはゲートに入っていないといけないくらいの感じですからね。

ホテルも決まったので、ANAの予約記録に現地連絡先やパスポート情報等入力して、これでオンラインチェックインの準備は完了。残る準備は、現地でのeSIMをどうするかと、到着3日前から入力可能になるSGAC(SG Arrival Card)を忘れずに入力しないと。手元のiPhoneを見てみると、登録のアプリ「MyICA Mobile」はちゃんと残っていたので(笑)、これを忘れずに登録しないと。今回も軽装のバックパック一つで行く予定なので、6月に入ったら色々準備を始めることにします。(続く)