2017年7月31日

大臣待機組

8月3日と予想される内閣改造に合わせて、「大臣待機組」がそわそわしているという記事。一般企業感覚で言えば、とっくに年功序列制度は事実上撤廃されていて、今では企業生存競争に勝つために実力第一で職位や権限が与えられている世の中で、当選回数や在籍年数で優劣が決まる議員の世界は一番遅れていると言われても仕方ないような。ただ、派閥政治で一つ思うのは、その派閥から大臣候補者を指名してもいいから、その候補者の補償に関して一切派閥が責任を持つ、と言う事も確約させたらどうだろうか。例えばお金問題、不倫問題、舌禍問題、兎に角派閥の代表として、あるいは内閣の一員として、問題無くちゃんと仕事をするのが当然だから、それ以外の部分で問題を出したら、その大臣個人の責任ではなく、派閥の責任として処理するということにすれば、派閥としてもそれなりの人材を吟味して候補者にするだろうし、緊張感も生まれるような気がするけれど、どうだろうか。

で、仮に何か問題があれば、次回はその派閥からの立候補者は受け付けないとか、候補者数を削減するとか、言ってみればペナルティーを課していく、と。勿論、全部のポジションをそれで決めるわけではなく、例えば2/3位は派閥からの候補者で、残り1/3は首相独自に決めたり民間登用したりして埋めるとか。派閥後者の不祥事が続くようならば、その比率を1:1にしていくとかもいいかもしれない。確かに、昔の派閥政治というのは問題も多かったけれど、逆に言えば派閥の代表としての責任もあったわけで、それなりに重しにもなっていたように感じるんですよね。言ってみれば、大企業の組織が事業部制(=派閥)で構築されていて、それぞれの事業部がビジネスで競争をしているみたい感じかな。勿論、相互に競争をして結果を出しているうちはいいけれど、段々事業部間の亀裂が生まれたり、硬直化してくることもある。そんなときには、社外から招聘したり、ベンチャー制度を作ったりして、企業として新陳代謝を進めるわけですが、そういう左右とか前後に振れて新しい血を入れながらも組織として老化しないようにしていくことも重要なのでは。そう言う意味で、小泉政権の時のように自由奔放にやるのも一つの手だとは思うけれど、安倍総理のカラーとしてはそこまでの独自色を出したいとは思っていない気がする。少なくとも現在の二次政権においては。

大組織になって、人数が増えてくると、それぞれの実績評価をちゃんとしていくのも管理職の仕事で、でもポジションや報奨制度が無限にあるわけじゃ無いから、どうしても優劣は付けなくちゃいけない。企業が不振な時は、それを理由に制限することも可能だけれど、好調な時には誰も彼もが「自分が今度は」と思うわけで、そういう時が一番難しいんですよね。それでも企業なら、ある程度自由にポジションとか部門を作っていけるけれど、政治の大臣に関しては上限の人数が決まっているから、なかなか自由に増やしたり減らしたりが出来ない。大臣の椅子が足りななら、党内の要職を増やすしかないけれど、こちらの方が伝統に縛られているから難しいでしょうね。

厳しい言い方をすれば、「待機」させられているのはそれなりの理由があるからで、どうしてもポジションが欲しいなら、結果を出さないと駄目なのは、政治でも企業でも同じだと思う。で、結果を出しても認められないのであれば、見切りを付けて別の場所へ移動するのが、一番だと思う。まぁ、政治でも企業でも、なかなか大規模な組織から離れられないとは思うけれど。そこは、将来を信じてじっと我慢するのか、自ら新しい世界を切り開いていく気概を持つのか、その違いでしょうね。そういう人なら、まぁ最初からほっとかれないとは思うけれど。

当日発表のマラソンランナー

昨日NTVの番組内で発表があった、NTV系列「24時間テレビ」のマラソンランナーは、当日発表されるという「発表」。最近でしっかり夏の風物詩になってきているこの番組、最初は純粋にメディアの力を良い意味で利用して大規模な募金活動をして、移動式のお風呂カーを送ろうというシンプルな内容だったのが、どんどん変質していって、今では言い方は悪いけれど「善意の押し売り」みたいな印象すら感じられる内容になってきている気がする。その中でも、特に個人的に好きでは無いのが、この24時間マラソンのコーナー。

いゃ、マラソン好きの芸能人とか有名人がいて、その人がチャリティーを兼ねて全国を走る、あるいは願掛けみたいな感じで走る、と言うならまだ納得出来る。全然そんなこと関係無くて、それまでマラソン所か中距離すら走ったことの無いような人が、何ヶ月も特訓を受けて、さらに当日過酷な条件の中何十キロとか時には100kmを超える距離を走る問い売り、歩いて無理矢理ゴールに向かい、最後に全員でその姿に「感動」してフィナーレを向かえるという、なんともテレビ的な画に変わってきている。それ以上に、幾ら何ヶ月も準備してきているとは言え、夏の暑い時、あるいは場合によっては悪天候の中、途中休憩は入れるとしても一日中走らせる行為って、これまで幸いにして大きなトラブルは無かったんだろうけど、普通は問題になってやめるようなことは何度かあったんじゃ無いだろうか。

それだけ準備してきてもリスクが大きいのに、今回は当日にランナーが発表されると言う「仕込み」が。何故か、その当日指名される人には「走る理由」があるらしいのだけれど、それだったらその人ってもう気が付いているんじゃないのだろうか。候補者は「当日開場にいる人の一人」という今年か後悔されておらず、さらにはその該当者には事前に身体検査とトレーニング計画が渡されていて、事前に練習しておく用意もされているようだけれど、それだから当日突然指名されても大丈夫と言うわけにも行かないでしょう。42kmのフルマラソンだって大変。ハーフ位なら、ぎりぎり何とかなるかもしれない。でも、フルマラソンの倍近い距離を24時間途中休憩は挟むとしても、それってやっている方も見せられている方も迷惑なだけのような気がする。

今はもう終了してしまったけれど、新年の恒例番組の一つに「芸能人新春隠し芸大会」というのがあって、芸能人やタレントが知られていない隠し芸を披露する番組がありました。でも、隠し芸っていうのは隠しているから「凄い」となるわけで、そんなものを毎年公開するほど芸能人が持っているわけでもなく、そのうちに年末になると「隠し芸大会に向けて隠し芸を練習中」みたいな番組まで放送されるようになってきて、「どこが隠し芸なんだ」と突っ込まれ、数年前に終了していったけれど、あれと同じような感じですよね、このマラソンは。日本人は確かに駅伝とかマラソンとか好きで、兎に角道路を走るだけという単純な画でもずっと画面を見ていてくれる。そう言う意味では、コスパがいい映像なのかもしれない。でも、特にそんなり裕も無いのにマラソンを無理矢理やらされて、その苦しむ様子を画面に流して共感させて、さらに最後は無理繰りゴールしたシーンに感動させられるって言うのは、正しいのだろうか。何かプロレスの試合のように、「様式美」に無理矢理納得させられているような気がするんだけど。当日どう言う演出になるのか分からないけれど、トラブルだけは生まれないことを祈ります。

ロケット開発をAgileで

昨日北海道から打ち上げられたものの、テレメトリデータが断絶したため飛翔途中でエンジン遮断をして失敗となったMOMOロット、通称「ホリエモンロケット」。宇宙好き、ロケット好き、飛翔体好きな人間の一人としては残念だけれど、目標高度には到達しなかったとは言え、ちゃんと点火して離陸して、途中までテレメトリデータも送信されてきていて、100点満点で言えば65点くらいは上げても良いのでは無いだろうか。個人的にはホリエモン氏には余り良い印象は持っていないけれど、良くも悪くも物事を進めていくバイタリティーというのは凄いと思うし、色々トラブルはあったけれど、こう言うビジネスに投資して継続していくだけの財力もあるのは、単純に凄いと思うし羨ましいと思いますね。

今回の打ち上げ失敗の原因は、まだ詳細は発表されていないけれど、今のところ聞こえてくるのは機体の強度が足らずに、上昇中に何らかのトラブルが発生したのでは、ということ。機体構造の崩壊となると一寸致命的な気がするけれど、仮にそうであっても支持機材とか内部の補強を解析すれば、それ程難しい問題ではないような気もします。いずれにしても、ものを宇宙に運ぶ本体が脆弱では話しにならないわけで、ここはしっかり原因究明をして十分な対策をして欲しいですよね。素人想像だけれど、エンジンも初、機体も初、と言う事で静的な剛性はちゃんと計算されたとは思うけれど、動的に振動とか加速による変形等の部分が、許容値を上回ったり、予想外の負荷を生んだんだろうなぁ。そういうのって、ある程度の実績を積んでシミュレーションデータとか集まるまでは、実際に打ち上げて確認するしか方法かないですからね。

今回のロケット、日本での初の民間うち下ということが注目されているけれど、それ以上に重要なのがコストダウン。JAXAのH2に比べて1/100位の打ち上げコストを狙っているわけで、当然製造コストを劇的に落として初めて可能なこと。今は開発途中だから、そこまでコストダウン出来てはいないと思うけれど、それでもH2等と比較して格段に開発製造費も安いはず。それを活用して、打ち上げ頻度を上げて経験知を積む、と言う事が可能なのが、このホリエモンロケットの強みじゃ無いかと思うんですよね。言ってみれば、ソフトウェア開発のAgileみたいな感じで、作りながら飛ばす、飛ばしながら作るを短期間に繰り返して、経験知と技術と信頼性をアップさせていくことが、ロケットを成功させる以上に、開発工程の確立と言う意味で大切なんじゃ無いかと。打ち上げ後の会見で、ホリエモン氏は年内に再挑戦を目指す発言したらしいけれど、年末になればなるほど北海道という土地柄気候条件は厳しくなるわけで、可能なのは11月位までだろうか。予備機とか次の二号機の準備が現在どこまで進んでいるか分からないし、今回の原因究明と対策にどれだけ時間が掛かるか分からないけれど、例えば四半期に一回テスト機の打ち上げが出来れば、多分2~3年位で実用的なロケット完成に届きそうな気がする。

しかし、個人でこう言う事が出来るのは、本当に羨ましいなぁ... お金だけの問題じゃ無いと思うんですよね。良くも悪くも、やる気が無いと、なかなかここまで踏み込めない。それがあるから、ホリエモン氏が叩かれることも多いのだろうけど、これで少し周りの考え方が変わった言ったら、それはそれで日本にとっても望ましいんだろうなぁ。

2017年7月30日

三井アウトレットパーク 横浜ベイサイド

土曜日、午後からの所用の前にお昼過ぎくらいまで時間が有り、何処かで時間を潰そうかなぁと思案していたところ、宿泊していた横浜のホテルからそんなに遠くないところに、「三井アウトレットパーク 横浜ベイサイド」があることを発見。根岸線から横浜シーサイドラインと電車でアクセス出来るみたいなので、早速行ってみることにしました。

ホテルをチェックアウトして、そのままJR横浜駅へ。ここから、まずは根岸線(京浜東北線)に乗車したんですが、ここで失敗。西行きだと、横浜駅から先というと、桜木町とか関内くらいまでしか行ったことが無い。先ずは、そのもう少し先の「新杉田」まで行くんですが、ホームに上がって少しして到着したのが「磯子」行き。地理感覚が無いので、「磯子って結構先だよな」と勝手に誤解しつつ乗車しました。で、乗車して動き始めてから路線図を見て気がつきました。磯子って新杉田の一つ手前だ orz

で、仕方なく、終点の磯子で降りて、次の「大船」行きが来まで10分程ホームで待機。この頃から日差しが強くなってきていて、結構辛い10分でした。やっと到着した「大船行き」に乗車して一駅先の「新杉田」で下車。改札を通過して、真っ直ぐ伸びている駅ビル内のアーケードを進むと、左手に「横浜シーサイドライン」の駅がありました。

初めて利用する路線ですが、ぱっと見何処かで見たことあるよなあと感じて思い出したのが、横浜の「ゆいレール」にそっくりなこと。無効はモノレールで、こちらは電車の違いあるけれど、雰囲気はそっくり。あるいは、一寸サイズ感が小さな「ゆりかもめ」とでも言うべきか。そんな電車で、始発の新杉田から三駅目の鳥浜駅で下車。ここから徒歩10分とのことですが、結構アップダウンがある遊歩道で、ここでまた大量の汗が... やっとアウトレットモールに到着した時には、上半身はびっしり汗まみれでした。

で、到着したアウトレットですが、サイズ的には沖縄で行った「沖縄アウトレットモールあしびなー」みたいな感じかなと言うのが第一印象。こちらの横浜の方が一寸コンパクトな感じ。で、ぐるっと回ってみたけれど、うーん... 多分昔は倉庫街とか工場だったような地域を再開発したんだろうと思うんですが、一寸スペースというか余裕が無い感じ。その分店舗数も少ないし、でも交通アクセスが車以外でも電車でアクセス出来るので、結構人手は多いんですよね。だから、狭い施設の中がこんな暑い日でも結構混雑している。ぐるぐると二回り位しましたが、滞在時間は1時間にも届かず、お昼頃くらいにはモールを出て駅に戻ってしまいました。まぁ、それでもCOACHのお店で、威是から欲しかった二つ折り財布のデザインのものがあったので、これを購入。売値の50%オフの、さらに30%オフで、さらにレジで10%オフしてくれたので、元々の値段から70%位のオフ率。結局購入したのは、このおサイフ一つでしたが、まぁ良しとします。

鳥浜駅からちょっと距離があるけれど、遊歩道がちゃんと整備されているので足下は楽です。ただ、アップダウンが途中有るので、体力的には特に戻ってくる時はキツかった(笑)。根岸線は勿論、シーサイドラインもそこそこ本数はあるので、アクセスは問題無いですね。後はモールの内容だけかな。拡張するのはかなり厳しそうなので、入れ替わりとか今のスペースを分割するとかして、店舗数が増えるといいのですが。駅近という意味では、幕張のアウトレットが一番近いのかな。来週は、そっちに行ってみようか、あるいは南大沢に行ってみようか、思案中です。横浜からなら、南大沢の方が近いのですが、帰宅のためにまた横浜なり東京なりまで戻るのが大変。幕張だと、横浜からは遠いけれど、戻りは東京まででいいから、トータルではこっちの方が楽そう。店舗数も、幕張の方が多そうですしね。後は、天気でしょうか。いずれにしても、来週になったらまた悩もう(笑)。

Yokohama Bay Sheraton Hotel & Tower

翌日の所用のために、金曜日の仕事終わりでの宿泊。前回からほぼ二月振りの宿泊。25FのリノベーションされたSPGフロアーにアップグレードして貰えました。室内はそんなに変わっていないけれど、電気の操作回りとかエアコンのコントローラーとか更新されて使いやすくなっているのがありがたい。

で、部屋には行って一服してから、26Fのラウンジのカクテルタイムに言ったんですが、かなりガッカリ。18:00~20:00の丁度真ん中頃、17:00少し前にラウンジに入ると、ラウンジ全体で60~70%位の混雑度。ドランクやお摘まみのある、入って左側のエリアは90%位の埋まり具合でしたが、反対側は半分くらい。最初は右側の空いているエリアに座ろうかと思いましたが、そんなに長居するわけじゃ無いのでと左側の空いていた二人掛けのテーブル席を確保。で、奥のフードコーナーに行ったんですが、何かおかしい。暫くして気が付きました。フードコーナー奥には、揚げ物とかハムとかチーズとか以前は置かれていたんですが、それがスッパリと無くなっている。コーナー手前のグリーンサラダの一角と、中央にオードブルが何種類か。後は、ドリンクコーナー横に乾き物類があるだけ。まぁ、食事をする場所では無いのだけれど、一気にグレードが半減した感じ。心なしか、お酒の種類も減っているような... 何か、改装前の内容に逆戻りしたような印象。翌朝の朝食時には利用しませんでしたが、若しかしたらオムレツコーナーとか、朝の時間帯もコストダウンしているのかなぁ... 来週また宿泊予定なので、確認しないと。折角リニューアルしたのに、勿体ない気がしますね。

2017年7月29日

番組スポンサー

所謂、モーニングショー、情報ニュース番組、ワイドショー、等、報道・ニュースを伝える番組ではないけれど、時事ネタを扱う情報番組として、最近の一連の政治的な話題を取り上げることが多くなりました。「多くなった」と言うよりも、芸能人のゴシップネタ以上に積極的に扱い始めているような印象すら有ります。色々な視聴者層に対して、普通は余り縁の無いような政治、経済、国際情勢、そういう話題を提供すること自体は凄く意義のあることだと思うし、有効だと思う半面、最近の内容はかなりバイアスが掛かっているというか、変更を通り越して一方的な主張を展開しているような気すらする内容になっています。

番組内容に対して意見がある、あるいはその内容の正誤について指摘することは、視聴者としては当然の行為だと思うけれど、多くの場合番組制作側も日々の番組作りで精一杯で、兎に角作って長洲の繰り返しなんだろうなという事情もよく分かります。その為には効率的に話題になる内容を盛り込む必要があり、となると針小棒大とは言わないまでも、センセーショナルに伝えたり、ある程度「盛った」内容にして衆目を引きつけることは普通に行われるでしょう。その結果、本来伝わるべき「事実」が変更されて「真実」という名の都合の良い話題に変換されて世の中に出ていくことになります。

以前も書いたけれど、これって製造業におけるPL法違反みたいなもので、情報産業だけで無くメディア等も明らかに作為的な内容、嘘・間違った内容等を指摘されたら、ちゃんと対応する義務づけをするべきだと思うんですよね。ただ、例えば新聞などの訂正記事も、紙面の片隅に気が付かないように掲載されることが殆どだし、正直やっている感を出してアリバイ作りをしているだけの気がします。そういうメディアに対しての不満や反感から、最近ではその番組を提供しているスポンサー企業へのクレームにまで発展することもあるわけです。

一方で、ミヤネ屋で発言された自身に対しての内容から、スポンサー提供を停止する旨通告した高須クリニック高須院長のように、スポンサー企業が番組に対してクレームする事も有るわけです。あるいは、その番組スポンサーに配慮して番組の内容を変更することもあるわけで、番組スポンサーは自社・あるいは自社製品の宣伝のために放送枠を購入している(その放送枠に付随する広告(CM)枠を購入)という間接的な関係を言うけれど(だから番組内容自体には干渉しない)、実際にはその番組に対しての責任と義務を負っていると言っていいのでは。たまたま時間帯がいいから、その枠を購入したとか、以前からその枠を盛っていて、途中から内容が変わったけれどそのまま継続していたとか、事情や理由はそれぞれの企業ごとにあるとは思うけれど、行ってみれば「宣伝」というのは自社製品や自社を間接的に消費者に対して売り込んでいる行為のはず。そこで認知されて好感を得られれば、実際の商品購入に繋がるし評価も上がるわけですからね。そう言う意味で、広告代理店なんかに丸投げしないで、もっと真摯に対応する必要が今の時代ではあるのでは無いだろうか。商品モニター同様に、宣伝モニターってタブやっているはずで、それによって視聴率とか製品認知度、あるいは購買に繋がる度合いなど、色々なデータを収集しているはず。その中に、例えば「社会評価度」みたいな数値が有っても良いような気がします。

企業の社会貢献ということは随分昔から言われていて、それなりに社会にも浸透して色々な企業が色々な貢献活動をしていると思うけれど、そういう自発的な社会貢献だけでなく、提供スポンサーのような間接的な関係からも、社会貢献ということをもっと意識する必要があるように感じます。ネット世代に阿ることは無いけれど、ネット世代にも認知される行動。あるいは、右とか左とか考えの違いはあって当然だけれど、それを主張するにはちゃんと納得出来る公平な説明はするべきではないかと。商品の比較広告は、公平に比較して自社製品の優位性を伝えるから消費者は納得するわけで、それを恣意的に一方的に伝えたらそっぽを向かれるのと、私は同じ事だと思うのだけれど。時代の流れと共に、企業側の考え方の変革ももっとするべきじゃ無いかと、ふと感じますね。

スマートでないスマートデバイス環境

PCWatch、山田祥平氏のコラムから、おはようからお休みまで見つめるスマートデバイスについて。パソコンは何れスマホに置き換わると言う人は多いけれど、個人的には「サイズの棲み分け」が生まれて、結果的に共存共栄の世界になると思いますよ。丁度車の世界がそうであるように。勿論、その中で「売れ筋」として、ある範囲の車が販売台数の多くを占めるように、時代によってノートブックが中心、タブレットが中心、スマホが中心、そして2-in-1が、さらにはスマホも統合された3-in-1みたいなものが将来的生まれてくるかもしれない。でも、結果的にはそのデバイスの物理的サイズやデザインで棲み分けが生まれてくるでしょうね。データ自体は、どんどんクラウドで共有化されて、今はデータだけだけど、そのうちに利用するアプリやOSに至るまでクラウド上で実行されて、末端のデバイスはをその入出力だけを受け持つようになる、と言うのが自分の想像。だから、サイズによる棲み分けがどんどん加速するでしょうね。

最近一寸皮肉だなと感じたのが、解像度と画面デザインの関係。コンピューターのスタートはキャラクターベースの表示システムからスタートして、それがGUIになりグラフィックなものへ移動。それに伴って、解像度の競争が生まれてきたわけで、元々はVGA(640×480)がXGA(1024×768)になり、4:3のアスペクトレシオも16:10とか16:9とか横長になり、それがまた4:3に戻ったり。その一方で解像度場どんどん高解像度化が進み、Full HDが出たと思ったら、4Kから8Kと言う時代に今は到達している。大体スマホだって、今は下手なパソコンよりも高解像なわけですからね。

一方で、Windowsの世界ではそういう高解像度化の波に逆らうように、アプリはストアアプリに移行させようとしていて、どちらかというと解像度よりも、その画面サイズに合わせた画面デザインに軸足を移している。言い方は悪いかもしれないけれど、5~6インチくらいのスマホ画面を、14とか20インチクラスのパソコン画面で見せられるわけで、まぁ確かに見やすいかもしれないけれど、それならあの高解像度競争はどうなったのか、と小一時間。勿論、例えば4K画面を縦・横4ドットずつまとめて利用して1K画面にして表示しているわけではなく、I/Fは大きく、画像データ等高解像度が必要なところはそのままという風にはなっているけれど、如何せん画面全体を見ていると、あれだけディテールにこだわった高解像度を利用した凝ったI/Fが、どんどんシンプル化されていくのって言うのは、時代の流れではあるけれど一寸不思議な感じすらします。勿論、高解像度画面にこれまでと同様のサイスで文字とかI/Fを表示してしまうと、物理的な表示サイズが小さくなりすぎて実際に利用出来ないという問題があるのも事実。でも、I/F部分だけ大きくすれば済むわけで、そういう対応をしているアプリも有る事は有る。でも、アプリの限界なのかOSの仕様なのか、なかなか「使いやすい」形で高解像度画面にフット出来るものは少ない気がします。

「スマートデバイス」という名称は、多分「知的I/Fを持った」という意味で「スマート××」と呼ぶのだと思うけれど、音声認識とか音声合成など「音」に関しての技術はまぁ拡張されて改善されて行っている気はします。でも、視覚I/Fに関しては十分なリソースを使いこなせずに、なんとなく先祖返りとは言わないまでも、何か安易な方向でお茶を濁されている気がするのは被害妄想(笑)。今「スマートデバイス」と言うと、「スマートスピーカー」みたいな、リビングなどの真ん中に置いて使うものが中心です。それもいいのだけれど、表示機能中心でより知的で機能的なI/Fを提供してくれるような「スマートディスプレー」みたいなスマートデバイスが、そろそろ登場してくれないだろうか。理想は、空間投影だけれど、壁とかプロジェクションマッピングみたいに何かの物体に投影する形でもいいと思う。その、音と映像=耳と目へ統合されたものが、本来の意味で「スマートデバイス」と言って良いんじゃ無いだろうか。

たばこ臭い隣人

毎度お馴染み「金曜日の新幹線」シリーズ。いつものように金曜日の新幹線通勤。この日は少し過ごしやすかったけれど、それでも朝から暑い日が続く夏は、空調が効いている新幹線車内に入るとホッとします。いつものように駅構内のスタバでコーヒーと朝食のサンドイッチを購入してホームでひかり号の入線を待ちます。この時間、夏の暑さとの戦いになるんですが、この日は曇り空という事も有り日差しはそんなに強くない。でも、湿度はそこそこ有るので、やはり蒸し暑い。そんな中、ひかり号が入線してきて、車内に入り窓際の指定席に座り、ごそごそとコーヒー等を獲りだして食事を始めます。

このひかり号、のぞみ号の通過待ちのため、5分程浜松駅で停車します。私が乗り込んだ時には隣席は空席のままでしたが、のぞみ号が通過してそろそろ出発と言う時に、結構大きなキャリーバッグとショルダーバッグを持った男性がやって来て、私の隣で止まります。そのまま荷物を頭上の棚に置き、座席に何か白いものを置くと、そそくさと前の方に歩いて行きます。これでピンと来ました。「あぁ、タバコ吸いに行きやがったな」と。で、座席の白いものを見たら、四角いマスクが広げておいてある。この男性、浜松駅からひかり号が動き出す頃に多分7号車の喫煙ルームに向かい、席に戻ってきたのは掛川駅を過ぎてから。たっぷり10分以上はニコチンを摂取してきたようです。その証拠に、タバコの臭いかこちらも漂ってきます。で、席に座るとマスクをして背もたれを倒してウトウトし出しますが、このマスクは何の目的だろうか。良く歌手の人などが喉を守るために換装しないようにマスクをするけれど、この人はタバコを吸っているからそんなこと関係無いだろうし。想像するに、タバコの臭いを拡散させないようにマスクをしているのかもしれないけれど、隣に座っていると呼気に含まれるタバコの臭いもちゃんと漂ってきます。で、私も少し嫌らしく「うっうーん」などと喉がいがらっぽい振りをして顔を反対側の窓の方に向けて時間を過ごしました。

本当、JR東海は車内を完全禁煙にして欲しい。東京-大阪、高々二時間一寸ですよね。いつも思うけれど、それよりもっと長い時間拘束される飛行機が完全禁煙なのに、何で新幹線車内はそうじゃないかの。リニアを作るよりも先に、完全禁煙を実施して欲しいぞ > JR東海

もっとも、車内が完全禁煙になったら、思いっきり駅の喫煙コーナーでニコチンを仕込んでくるんだろうけど。もうね、衣服につく匂いだけじゃ無くて、酷い人は普通に呼吸をしていても回りに臭い臭いを振りまいていることを自覚して欲しい。タバコを吸わない人間、さらには硬水なども含めて匂いに敏感な人間にとっては、大げさでなく死活問題とも言える問題ですからね。

2017年7月28日

恫喝は正義

国会審議や委員会での様子を眺めていて感じるのは、特に野党議員の口の悪さ、言葉の汚さ。ある程度与党に対して強くでる必要があるから、多少は言い方に力が入る、言葉を強く発言することがあるのは理解出来るけれど、それこそ暴力団みたいな言い方をしたり暴言を言ったり、正直あれが国民が選任しただ評者の取る態度なのかいつも疑問に思う。昔から有ったのかもしれないけれど、昔はそれでも野次くらいが目につく程度だったように思うのですが、今では「攻めの質疑」なのか、とに藍相手を圧倒すること、相手を屈服させることが「正義」と思っているのか、何でもありの様子。

その中でも、「酷いなぁ」と感じる議員の一人が民進党の桜井議員ですが、言葉だけでなく内容に関してもこんなことをやっていたらしい。主要紙では産経しかこの件を掲載していないみたいだけれど、流石に加計学園側も頭にきたのか、正式に抗議をしているみたいだけれど、民進党は意にも介さないんでしょうね。さらには、中継を見ていて「あぁ、殆ど893だぁ」と思った「小さなこと」事件も、こんな感じで正当化しようとしているみたいだし。今の時代、中継とか印刷されたものなんか、直ぐにその実際の様子や実物のコピーがネットに出回り、即座に比較検証される時代。さらに言えば、途中で変更とか修正すれば、それぞれの履歴だって自動的に保存(魚拓)されていくわけで、そこに納得出来る説明理由が無いと、逆にその姿勢に疑問を持たれます。

で、岡山理科大のオープンキャンパスにこの人達は押しかけたらしいけれど、それって事前に大学側の許可は得たんだろうか。「オープンキャンパス」は、確かに大学を開放する行事だろうけど、それは入学希望の学生やその関係者に対してのサービスであって、そんな査察まがいのために許しているわけじゃ無いと思うのだけれど。それでも、例えば大学近隣の住民に対しての航海という目的もあるならば、まぁ大学構内に入ることは良いだろうけど、そこで何か意図出来な活動なり発言なりをしたら、それって「圧迫行為」になるような。それって「威力業務妨害」に該当しないんだろうか。少なくとも、事実と違うことを公の、それも国会の場で発言することは、かなりの問題行為だと思うのだけれど。

民進党のサイトに、この件が掲載されているけれど、殆ど因縁レベルの解釈が並べられている印象。事前の生徒募集だって、「何年何月開校予定」とか「認可申請中」と断って、地元の大学だって学生暮鐘しているし、専願ではなく併願も認めているから、自分の努力で進学先を自由に選べるという話しを、学校のレベルの高低の話しにすり替えているし。この人達は、偏差値で大学を区別しているんだろうか。別に今の自民党が良いとは決して思わないけれど、じゃぁそれ以外の選択肢を見渡してみると、どこもそれ以下、それもぶっちぎりの格差で低いところばかり。だから、選択されないし評価もされない。それなのに態度だけは一番偉そうと言うのが、今の民進党だと思う。そのシンボルみたいだった蓮舫氏が退陣したけれど、結局彼女も二重国籍問題の説明をせずに退いたから、何かあればまた蒸し返されるのは確実。その上に、今回の加計学園問題での追及の矛先が変わってきたら、政党としての存在価値すら疑われるようになるでしょうね。

圧力とか恫喝で従わせるということは、彼ら自身が非難していた「独裁」ということなんだけど、その矛盾に気が付いているのかいないのか... まぁ、気が付けばもっと速く自浄作用が働くか。

罪人製造機関

DIAMOND Online、窪田順生氏のコラムから、「安倍首相もハマった、マスコミが疑惑だけで罪人を作る3つの方法」。ここでは、安倍首相を例に挙げているけれど、小池都知事の豊洲移転問題での石原元知事に対しての対応も同様の手法じゃ無いだろうか。テクニック#1の「消耗戦」は、まさに盛り土問題であったり、地下水問題であったり、さらには築地を残すとか、コロコロ変わったもの。テクニック#2の「発言の矛盾」についても、百条委員会が顕著だったけれど、過去の発言との整合性や、矛盾らしきものを提示して、例えば石原氏や浜渦氏を「犯人」という印象操作を使用していたし。さらにテクニック#3の「納得のいく説明」は、豊洲市場に対してもそうだし、百条委員会もそう。それこそ、裁判所の判決が出ていたも「納得いかない」と言えば、判決が覆るんじゃ無いか?!

ただ、何か冤罪を目的にしているような3つのテクニックも、見方を少し変えれば、#1は粘り強い取材や多角的な切り口とも言えるし、#2は相手の偽証を明らかにする重要な要素だし、#3に関しても第三者も納得出来る説明というのが、最終的な結論になるわけだから、それに到達出来なくては記事にもならない。そう言う意味で、窪田氏が最後のページで、
一般庶民がどう受け取るかはさておき、実際にマスコミで働いている人たちは、社会のためになると思って、こういう攻め方をしている。

彼らは、自分たちの「仕事」をしているだけなのだ。
と書いている理由は、そういう半面もあるからなんでしょうね。でも、昔のマスコミ人は、多分今以上にその表と裏の境界線を認識していたし尊重していたから、NHKのニュースは正しいし、大手新聞の記事は役に立つと信じていたわけで、それが「マスコミ対策」をしないと何もしていないのに罪人になるような時代になってきたのは、時代背景の変化もあるだろうけど、マスコミ人の劣化・変質・変節も大きな理由だと思う。まぁ、やはり最後に書いてあるように、あれだけ特定秘密保護法がとか共謀罪がと騒いでいた一番の被害者(自称)の皆さんが、そんなことはどこ吹く風と好き放題出来る事で、自らそれらに対して発言していた危険や恐れは「危惧だった」ということを証明しているのも皮肉だな、と。

でも、何も頼んでいないのに「報道対策」が必要になる社会って、異常だと思う。別に安倍総理のように国のトップだけで無く、普通の庶民にも同じ事が起こる可能性は結構大きいですからね。一番卑近な例は、松本サリン事件で犯人扱いされた河野さんだろうし、今回のケースだって何も発言はしていないけれど、被害だけは甚大な岡山理科大・加計学園は、損害賠償請求を前川氏とかメディア各社に請求しても良いんじゃ無いだろうか。「報道対策」という意味では、受動的に発言対策するのが一番なんだろうけど、場合によっては高須院長が民進党の小西議員に対してやミヤネ屋に対して起こしたようなカウンターパンチも必要じゃ無いかと。とは言っても、ほとんどの庶民派高須氏程財力があるわけじゃ無いから、顧問弁護士もいないし費用だって捻出出来ないし、番組スポンサーにもなれない。ただ、ネットの力を結集してスポンサー企業に対して「疑念を伝える」ことは効果があるだろうし、仮に何か裁判になった場合に、守秘義務が有る事は除いて状況をネット配信して公開していくことは、それなりに圧力になると思うし。「伝える」という部分でも、「反論する」ということでも、これまではメディアが全てだったけれど、今のようにネット時代になり、かつ密度もスピードも圧倒的にレガシーメディアに優る今の「ネット」という存在が、若しかしたら彼らの「仕事」スタイルを変えていけるかもしれない。

蓮舫代表辞任

民進党代表の蓮舫氏が辞任表明。数日前に、安倍総理に対してあれだけ厳しい口調で迫りながら、急転直下とも言えるこの辞任劇は、何故か安倍総理の一次内閣辞任の時の光景が浮かんでくる。いゃ、蓮舫氏が、また何処かの政党の党首になって、復活するかどうかは分からないけれど、何か花火じゃ無いけれど消える前にひときわ光り輝くと言うのがなんとなく当てはまるような気がする。

ただ、これで自身の国籍偽証の件が有耶無耶になるとしたら、それって大きな問題の気がする。彼女の二重国籍問題が、出身差別とか別の意図にすり替えられてままそれが残ることも問題だし、そもそも彼女に対して疑問が生まれたのは、自身で二重国政等と発言しながら、その後それらを否定しているのにその確証がなかったこと。結局最後に戸籍抄本や昔のパスポートを出したけれど、それらでは説明されない状況がまだ残っているのに、このまま幕引きするつもりだろうか。朝日新聞であれば「証拠なき否定」と言うべき話だと思うけれど、まぁこのままフェードアウトするんだろうな。ニュースとしては、もう旬が過ぎてしまったわけだから。いずれにしても、一昨日くらいには衆院に鞍替えしてやり直すみたいなことを言っていたのが、一転して「立ち止まって考える」とか言うのは、もう無責任を通り越している気がする。まぁ、それだけ今回の決定も本人としても急転直下の判断だったんだろうけど。邪推ですけど、連合が一度は内諾した高度プロフェッショナル制度を突然また否定したけれど、若しかしたらこれって民進党が代表を交代させるから、元の鞘に戻って欲しいと取引があったのかも(笑)。

約1年前に民進党の代表選挙があって彼女が立候補した時に、タイミング悪いなぁと思ったんですか、その予想が的中した?!と言うか、あの時点で何か良くなる要素なんて全くなかったわけで、かといって代表が決まらなければどうしようも無かったのも事実。それがチャンスと個人的には思ったのかもしれないけれど、「提案型の政党」と言いながら実際は「対決姿勢」にも届かない「批判だけの政党」になっていっては、党勢は戻らないでしょうね。次の解散総選挙がいつになるか分からないけれど、衆議院議員の任期が2018年11月迄ですから、どんなに遅くとも1年後くらいには選挙はあるはず。噂では、この年末にと言う話も合ったけれど、良くも悪くもこの加計学園問題で支持率が下がってしまったから、与党としては先ずは支持率を上げてそれなりに体制を整えないといけない。最も野党にしても、共産党以外はどこも大変な状態だろうから、それならそれで今解散するという手も有るかもしれないけれど。それでも、これから補正予算を通して景気を向上させ、その実感を国民が感じてから選挙をしないと与党としても選挙をする意味が無い。また、加計学園問題は確かにダメージになったけれど、やっと世間の評価も「火の無いところに煙を立てた」ことが理解されつつあるから、今度は逆に野党側が責任を問われる状況になるんじゃ無いだろうか。そうなると、やはり秋の国会を開催して、来年度予算を通したところで、解散総選挙と言うのが一番ありそうな気がする。次の参議院議員選挙が2019年7月ですから、それを考えてインターバルも考えると、やはり来年早い時期なのかなぁ。

それまでにどこまで民進党が党勢を回復出来るかだけれど、なんか代表や執行部の人が変わっても、何処かで見たことのあるような人ばかりで新鮮味も無いし、内部分節し始めている組織として、それを元に戻すのは凄いエネルギーが必要になるけれど、そんなことをやっている時間は無いだろうし。それで、今度は党名を変えるんだろうか。民主党から民進党に変わっても、民主党時代の悪い記憶は消えなかったけれど、三回目ともなれば忘れてくれる人も増えるのでは。でも、名前は変わっても中の人が変わらないけれど、結局はまた同じ事をやって失敗しそうな気がする。

2017年7月27日

不良予約客対策

予約しても来店しない客、直前にキャンセルする客、そういう予約客対策として、無断キャンセルしたような顧客の電話番号を登録する個人サイト「予約キャンセルデータベース」まで登場する騒ぎに。この記事を読んだ時にふとおもったのが「よく利用してくれて、キャンセルもなく、客単価も高い優良顧客のDBを逆に作ったら」と思ったんですが、多分そういう優良顧客の数よりも、無断キャンセルする不良顧客の数の方が圧倒的におおいんだろうなぁと思いつき、3秒でアイデアを却下しました(笑)。

一つさらに思いついたアイデアは、割引クーポンと連携して、専用の予約サイトを作ったらどうだろうか。そのサイトから予約すると、自予約や人数変更などの確認メールが飛んでいったり、前払い金を払うとクーポンの割引率が大きくなるとか、そういうインセンティブを付加しつつ、前払い金等の安全対策も取れるようなサイト。「いゃ、会費集めるまで幹事にそんな余裕は無いよ」というのであれば、クレジットカード保証をしておいて、仮にドタキャンが発生したらそこにチャージするとか。まぁ、どちらにとっても面倒そうだし、その予約サイトを使わなくても別の方法で幾らでも予約出来るのであれば、そっちに流れるだろうから、このアイデアも5秒で却下されました。

でも、例えばクレジットカード等では毎月の支払具合とか、あと多分使用している内容によって信用調査みたいな事はやっているだろうから、そう言う意味で「良い顧客、悪い顧客」みたいな判定は既に色々なところでも行われているのでは。勿論、中にはどうしても仕方の無い理由でキャンセルする場合も有るだろうから、その場合には何かリカバリー出来る対策も必要。例えば、意図せずに無断キャンセルしてしまったお店に対して、その後半年間で例えば5回以上利用してちゃんと支払も済ませたら、その無断キャンセルの履歴はクリアーされるとか。マイナンバーと紐付けて、その人の「信用度・信頼度指数」みたいなものって作れそうだけれど、多分「人権侵害」と言う人が多そう。でも、多くの人は別に悪いことをしようと思ってひび生活しているわけではなく、真面目に正直に生活しているわけで、そういう人がごく少数の不届き者のために迷惑を被るのは不本意。となれば、客観的に「私は不届き者ではありません」証明してくれるようなシステムが有ってもいいきがするけれど。自動車免許証のゴールド免許みたいなもので、「居酒屋利用ゴールドメンバー」とか(笑)。

まぁ、最終的にはUberみたいに、予約から支払まで全て一体化した仕組みにするのが一番かなぁ。

証拠なき否定

朝日新聞の特集記事「証拠なき否定」。有料記事なので、全体2350文字のうち2200文字が隠れているけれど、見出しのこの言葉を見るだけで彼らが言いたいことは分かるし、「あぁ、また朝日が」という感想しか浮かばない。加計学園問題で、無い事の証明を迫られている政府側が「記憶ない」「記録にない」と「無い事」を言えば、それが「証拠もなく否定している」と批判される。それを言うのであれば、前川氏が出している文科省内のメールという「証拠」に関しては、その出所や内容に関して既に確認されていて、戦略特区認定に関して文科省側の「言い訳」ということがはっきりしているわけで、「否定された証拠」になっている。だから、本来ならこの加計学園問題は「文科省の責任」で終わりのはずなのに、その論点をどんどん別の場所に移して問題探しをしているだけ。それを「証拠なき否定」と言ったら、「朝日新聞は本社敷地を不当な価格で購入した」という問題敵に対して、彼らはそれを否定する「証拠」をどれだけ出せるのだろうか。例えどんなにちゃんとした書類や同意書みたいなものを出しても、当時の周辺と地下核と比較して明らかに低価格で購入していれば(それは事実だけれど)、それは「何か特別な裏取引があった」という疑問が浮かぶわけで、彼らはそれに対して否定するなら誰もが納得出来る証拠を出さないといけない。

例えば、公共性の高い施設や会社ならそう言うこともあるというのであれば、今治市が90億円以上の補助を出すことも同様のはずでは。確か、無償譲渡ではなく、大学が閉鎖される時には市に戻す必要があったはずだし、固定資産税だって払う必要があるわけだから、大学側としては初期投資は抑えられるから進出しやすいし、市側も大学が存続する限りは安定した税収入が得られるわけですからね。大学が来なければ、税金も生まない単なる土地だったわけですから。で、朝日新聞社は先ず自らの事をちゃんと説明するべきでは。

「証拠なき否定」と言うけれど、その根拠は「疑わしき背景」を勝手に想像しているから、そう言うことを言い出すわけですよね。つまり、総理と友人だから何か特別な援助があったに違いない、みたいな。でも、そういうケースって利益を得る側からのアプローチがほとんどじゃ無いかと思うんですよね。利益を得るために、あるいはその利益を最大化するために、さらに特別なことを依頼すると。利益が出るから、その見返りの準備も出来るだろうし。だから、仮にそう言うことがあるとすれば、加計学園側から安倍総理にアプローチをするはずだけれど、今治のケースはもう10年以上もそのままだったわけですし、大体仮にそういう裏で握ることをやったら世間の目から隠れるために、わざわざゴルフをやったり食事に行くことも無くなると思う。また、安倍総理にとってもデメリットの方が大きいわけで、しかも30年来の友人ということは周りで走られていた話しだと思うので、そういう邪推に繋がるということも承知していたはず。だからこそ、大っぴらに公開していた、という考えもあるのでは。

仮に首相との食事等が拙いというのなら、メディアは一切の食事会等の参加を断るべきだけれど、そうはしないですよね。そこは個人的な繋がりを作り、重要ニュース等もスクープ出来るような下地も欲しい。であるなら、いつでも「証拠有りの否定」が出来るように、朝日新聞やその他の「あれ」なメディアにはそういう態度を常に示して欲しいですよね。福島の原発関連もそうだし、最近の一連の報道もそうだし。それが出来なければ、「証拠なき否定」として常に批判されることを自らが覚悟しないと。

こっそりご意見募集

NHKが「受信料体系のあり方について」のご意見募集を昨日から公開しているんですが、これ一寸酷いんじゃ無いかと感じます。一応トップページ下に告知は掲載されているんだけど、「トップページ」(スクロールダウン)→「検討委員会のリンク」→「諮問第三号のページ」→「ご意見募集ページ」→「専用フォームページ」/「募集要項」/「コメント用紙」と、何階層も下がらないとその内容も意見送付方法も分からない。さらに、ご意見募集なので仕方ないところでもあるけれど、これコメントの記入方式なんですよね。結果的に、意見募集までのハードルを上げていて、NHKとしては余り意見は欲しくないような雰囲気を感じてしまう。

さらに言えば、私はNHKの「ネットクラブ」に会員登録しているんですが、普通ならこちらにML等でこう言うご意見募集するので是非ご参加を、みたいな事を言わないか? まさに、そのネット関連の内容な訳だし。と言うか、このNHKネックラブ、会員登録した時以降、何一つメールでの情報提供とか何かお知らせとか来る気配が無い。私も、今回のことが有るまで忘れていたくらい。単に、受信料取り立てのための基礎情報収集しているだけなんだろうか。

広くご意見募集すれば、勿論誰もが余計なお金は払いたくないから否定的な意見がほとんどになると思いますよ。しかも、意見以前の単なるクレームだって多いだろうし。でも、そんな中にも聴くべきコメントはあるはずで、そういうのをちゃんと拾い出すことも仕事では。それを限定した中から拾い出せば、確かに効率はいいかもしれないけれど、より広く意見を聞いてもっと違う意見を集めるのが、こう言うアンケートの目的だと思うんだけど。

元々は公共放送の使命として、全国津々浦々放送視聴出来るようにするのがNHKの使命だったわけで、それで各地に放送局を設置して行くための資源として、受信料なるものを徴収することは、まぁ理解出来る。また、学校教育のために教育テレビ(Eテレ)を持っていることも理解出来るけれど、現状を考えたらEテレの教育関連番組はネット配信にして、いつでもどこからでも視聴出来るようにする方が望ましいのでは。例えば、今回のネット配信もそういう方向に進めて、Eテレのチャンネルは開放(オークション)するくらいのことをやって欲しい。全国的な放送網だって、BSを使えば今のように地方局を作り続ける必要も無いわけだし。地上波も大切だけれど、時代に合わせて仕組みや体勢も変えるべきだと思う。その為にも、こう言う事はちゃんと広報して広く意見募集するべきだし、ある意味受信料未払いの人からも意見を聞くべきだと思う。

2017年7月26日

空中分解寸前

閉会中集中審議では結構威勢が良い民進党だけれど、その内部はバラバラで空中分解寸前。個人的にはこのまま留まろうが、空中分解しようがどちらでも良い事だけれど、こと政党を維持しようと思うのであれば、あんな無意味な加計学園の話しを延々と国会で浪費していないで、その分の時間も含めてもっと建設的な話し合いなり党勢回復のプランなりを党内で真剣に討論すべきじゃ無いのか。加計学園問題にしても、対自民党だからあれだけ批判しているけれど、元々は民主党時代からスタートした話しというのは厳然たる事実。それを隠して自民党批判するというのはお門違いだと思うし、何度も書いているけれど逆に民進党が先鞭を付けて岩盤規制破壊の先達になった、と言えば(これは決して嘘では無い)、かなり民進党に対してのイメージも変わって、支持率向上にも繋がると思うんですけどね。まるで、黒歴史を無かったものにするように全ての過去の発言を削除しているから、時々「あれは民主党時代に」という話が出てくると答えに困るようだし、また民主党時代に積極的に誘致を勧めていた議員が民進党になって逆にそれとは反対の行動を取ることの矛盾だって指摘されているわけだし。結局、そういうちぐはぐな態度が、国民に見透かされていると思う。

その事実が一番的確に現れているのが政党支持率なわけで、劇的に下がっていると言われている安倍政権の支持率や自民党に対しての支持率に対して、民進党の支持率がどうなっているかとみれば、同じように下がるか精々横ばい。しかも、その数値は共闘する共産党にも並ばれる始末。つまり、批判されて自民党や政権与党が下がっていることは事実だけれど、それは全ての政党に対して等しく批判として与えられているということ。それもこれも、民進党を初めとしてほとんどの政党がちゃんとした提案が出来ずに、単に与党を攻撃することだけに終始しているからなのは明らか。

何度も書いているけれど、国民が一番望んでいるのは加計学園でも森友学園でも、実は蓮舫氏の二重国選問題でも無く、ただ一つ兎に角経済が良くなって給料が上がり、今よりも豊かな生活を送りたい、と言う事だけ。「経済が良くなる」と言う事は、結果的に物価上昇も伴うもの。だから、仕事をしている世代にとっては給料の増加とか税金の削減で手持ちのお金が増えることを臨むわけだし、リタイアした世代は年金などの給付金の増加や社会保障制度の拡充を願うわけですが、ここに現役世代とリタイア世代の相反する欲求が生まれてしまう。人口減少が言われる中で、平均寿命は延びていってこれからますます、「お金を作る世代」は減り、「お金を使う世代」が残っていく時代、やはり某かの大胆な政策が必要なわけで、そう言う意味ではそれでもまだまだ柵に縛られている自民党よりも、ある意味何でも可能な野党の方が新しい政策を出しやすいはずなんですけどね。最も民進党の場合は、民主党の時のデタラメな「マニフェスト(Manifest)」に我々は痛い目に遭っているから、よほどちゃんとしたもので無いと最初から門前払いされることは確かでありますけれどね。

まぁ、旧民主党に旧維新の会が寄り合って今の民進党になったわけだけれど、結局は民主党時代の政党支援金を維持するために、無理矢理今の形にしただけ。本当の意味での「民主党からの解党的出直し」をしたわけじゃ無いので、今回ちゃんと解党してゼロからのスタートをした方が、まだ国民は納得するんじゃ無いだろうか。最も、その代わり映えしない面子を見たら、やっぱり駄目なのかもしれないけれど。でも、それも新陳代謝。中には、それなりにしっかりした議員もいるんだろうから、そういう人達がちゃんと仕事が出来る環境組織を作らないとね。それにはやはり、一度全部ばらして、もう一度ジグソーパズルを組み直していく方がはっきりしてスッキリすると思うけれど。まぁ、でも過去の様子を見ると「解党する」と言いつつも、結局は最後は有耶無耶になって、名前と執行部の面子が分かってお終いだろうな。で、その名前と執行部の面子も、何処かで見たような内容になるのが関の山だと思う。

壁に耳ありルンバに目あり


お掃除ロボットとして、その代名詞とも言えるiRobotの「ルンバ(Roomba)」。そのルンバが掃除中に収集した部屋内部の情報(位置情報や、ソファー、机などの情報)を外販することを考えているという記事。いゃいゃ、これ昔の諺「壁に耳あり障子に目あり」のままじゃないの。

確かに、毎日部屋の中を動き回っているルンバは、その部屋の内部情報を知る一番最適なデバイスではあるけれど、ソファーの位置だけじゃ無くて、高さとかも見ていたというのはびっくり。床面だけの二次元情報収集だけじゃなくて三次元情報を集めていたのは、一体どう言う目的なんだろうか。いゃ、その分データ量だって増えるわけだし、例えば床の上の二次元情報だけなら、多分そんなに頻繁に家具などの配置が換わることは無いだろうけど、三次元情報となると結構毎日差分が生まれていそうな気がするから、ますますデータ量が膨大になる気がするんだけど。

これ、早速Amazon、Apple、Googleという名だたる企業が興味を示していると言うけれど、特にAmazonなんかは、室内の状況が分かればレコメンド機能に反映することでよりヒット率が高くなるだろうし、場合によってはAmazon Dashのボタンが押される前に発注することも可能になるかも。AppleとかGoogleだと、最近出しているスマートスピーカーと連携して、例えばルンバとスマートスピーカーからの音で音響測定をして、より正確な三次元位置の測定や、材質なんかも推定出来るかもしれない。それを元に、ルンバも掃除効率をさらに高める経路の最適化が出来たりして。

課題なのは、ルンバの移動範囲が結構制限されることでしょうか。例えばフローリングのリビングに置けば、リビングだけで無く、繋がっているキッチンやダイニングまで掃除や測定してくれるだろうけど、その先の廊下だとか寝室までは手が届かない(車輪が届かない?)。あるいは、結構段差のある日本の住宅では、もっと移動が制限されるかもしれない。ふと思ったのは、そういう部屋間移動とか段差を乗り越える移動者みたいな物を作ってみたらどうだろうか。ルンバを持ち上げて部屋から部屋へ移動されるトレーラーみたいなもの。例えばリビングの掃除が終わったら、このトレーラールンバが充電ステーションから出てきて、その上にルンバが移動すると、トレーラーはルンバに追加充電しつつ次の部屋に移動。トレーラー自体の車輪を多くするとか、段差を乗り越えるようなギミックを付けておいて、ある程度家の中を動き回れるようにしておく。何だったら、階段だって上り下り出来るようにして、1F/2Fの掃除も出来るようになったりして。これも、ルンバが空間認識しておくことで、トレーラールンバは充電と移動だけに専念すればいいわけだから、そんなにコストも掛からないだろうし。まあ、流石に階段の昇降にはそれなりのサイズや昨日が要求されるから結構耐奔走だけれど、一つのフロアーでの段差のある範囲での移動補助位なら何とかなるのでは。

それだけ移動範囲が広がるという事は、室内のスキャン範囲も広がるわけで、スポンサー企業としても資金の堕しがいがあるように思うけれど。しかし、世知辛い世の中になってきたなぁ...

共謀罪を創造するメディア

昨日開催された参議院での閉会中集中審議。まぁ、内容的に変わるものは無いだろうというのと、結局はメディアは自分達に都合の良いところしかつまみ食いしないだろうからと、そんなに熱心には見ていなかったんですが、流石に民進党の蓮舫議員が質問している様子を見ていると、「をぃをぃ、全部鏡に映る自分に言っているのか」とお約束のツッコミを入れたくなったのが衆議院の時とは違うことか(笑)。

昨日のニュースや今朝のニュース・新聞などは、安倍総理の日付け違いを大きく取り上げて「虚偽」みたいな事すら言っているメディアもあるけれど、それを言ったら前川氏だって日付け間違いを何度もしているし、大体政府側は「記憶に内」「記録に無い」と断定確定しているのに、前川氏は「私はそう感じた」「何々のことだと思った」と自分の推測しか話していないのに、それを「正しい」という扱い方しかしないんですからね。本来なら、双方の意見の食い違いを比較・検討して、さらにそれらに関連した情報、裏付ける情報も精査して、どちらの意見がより最もらしいのか判断しなきゃいけないのに、そんなことは気にも掛けずにただひたすら野党の質問者は相手を恫喝して自分達がより優位で有る事を論理では無く力関係でしめそうとしているだけ。以前も思ったけれど、これって痴漢冤罪の無実の証明と同じだよなぁ。

さらに言えば、これも以前から何度も感じて書いているけれど、これこそ野党やメディアが声高に主張していた「共謀罪」のケースですよね。山へキノコ取りに行けばとか、居酒屋で上司の悪口を言っていれば、それで共謀罪が成立する、みたいな事を言っていたけれど、まさに思い込みと恣意的解釈で自分達の好きな主張のみを通そうとする態度や姿勢は、その「共謀罪」の主犯とぴったり一致します。結局彼らがあれだけ反対していた理由は、実は自分達がその行為や立場になる事を知っていたから反対していたわけですよね。

例によって当事者の一人である加戸前知事の発言やその内容はほとんど一般のメディアでは取り上げられない。元々は、今治市の特区としての申請が本来審議されるべき内容のはずなのに。以前も書いたけれど、元々の申請が例えば地元の松山大学が獣医学部新設と言う事で進めていて、その後旧に加計学園に変わったならば、それは疑問が生まれても不思議では無い。でも、元々加計学園を前提に今治市が話しを進めていたわけで、それが通ることに疑問を感じる方がおかしい。しかも、その特区審査のプロセス自体が文科省の抵抗で長引いていたから、最終的に期日も区切り、特区の元々の目的である「スピード有る改革」を進めていたはず。仮に、今回の今治市、加計学園の承認・開学がおかしいというのであれば、その設定の前提、参考にされた成田市の国際医療福祉大学についても疑問が生まれるわけだけれど、こちらには朝日新聞やら文科省やらから天下りしているからかなのか、何も言われない。朝日新聞などは、前の社長が天下っているわけですからね。ダブルスタンダードと言うよりも、最初から恣意的な報道を目的にしていたと言っても良いくらいじゃ無いだろうか。

与野党の立場が逆だった、2009年から2011年の民主党政権時代も随分酷い国会運営や暴言・不正確な発言が与党から相次ぎ、随分批判も生まれたけれど、結局メディアは当時の与党よりで追求は甘く、場合によっては擁護するような内容すらあったわけで、あの時にメディアは与党(=民主党)と握っていたのかと思ったけれど、今回の様子を見ていると、そうでは無くて当時の与党側についていたもっと別の勢力と握っているのでは無いかという気持ちすら生まれてきます。当時よりも、現在はネットが発達していて、特に若い世代もこれまでのように雑音の多い情報を鵜呑みにするのでは無く、複数の情報を比較精査するネットリテラシーを獲得しつつあるから、あの頃とは様子はかなり違うのは不幸中の幸いかもしれない。今回の件がこの後どうなるか分からないけれど、何らかの形でメディアの活動について第三者がレビューして必要ならガイドラインをちゃんと設けることが必要では無いだろうか。テレビのBPO見たいな、身内のお手盛り検証期間では無くて、独立して客観的に意見を集約出来るような組織にして。今や、第四の権力として、それまでの権力を上回るような力を持ってきた「メディア」という権力をちゃんと監視して、必要ならば指導する仕組みが生まれないと社会が壊れる気がしてきますね。まあ、それは「第五の権力」を生む切っ掛けになってしまうかもしれないけれど、それも新陳代謝の一つ、あるいは産みの苦しみと思うしか無いのかも。

2017年7月25日

結論ありきのワイドショー

昨日開催された、安倍総理も参加しての閉会中審議。最初に登場した加戸前知事と小野寺議員の質疑で答えは出ているけれど(それら自体特に目新しいものは無くて、時系列に沿って整理しただけのものだし)、その後登場した民進党の大串議員とか玉木議員の質問のパフォーマンス(だよな、あれは)を見ていて「あぁ、ワイドショーとかニュース番組ではこっちを採用するんだろうなぁ」と思っていたら、その通りでしたねぇ。あれって、この問題を解決しようという意図じゃ無くて、単に相手の印象を悪くしよう、邪推させようとしている気満々でしたから、それに見事にワイドショーも乗っかったというシナリオかな。

実際には何時間にもわたる質疑を、何十分程度に縮めて伝えなきゃいけないわけだから、省略する部分があるのは確か。ただ、未だに前川前事務次官の発言を「正」として、それに対しての官邸側の発言を検証するという構図には疑問を感じますよね。しかも、官邸側が「その様な記憶は無い」と言えば疑念のような言い方をするのに、前川氏が「その様に感じた」とか「そう思った」と自分の感想を述べているだけなのに、それが「正しい」という言い方をしている。その前川氏にしても、自分の回答に齟齬が生じているのに、それを指摘しない。そういう意味では、与党側ももっと発言の整合性を指摘して、前川氏の発言の信憑性や信頼性を追及するべきだったように思うけれど。

野党側の質問を聞いていてビックリしたのが二つあって、まずは民進党の大串氏が安倍総理と加計氏が個人的にゴルフや会食をしていることを指摘して、何回会っているのか、その時のゴルフ代や食事代はどちらが持っているのかという質問。十数回会っているのに一度もこの加計学園申請の話しが出ていないと総理が説明した時に「そんなことは無いでしょう」と勝手に決めつけた、食事代はその場合によって自分が出す場合も有れば相手が出す場合も有るというと、恰も便宜を受けたような反応をしたこと。多分この大串氏の回りでは、何度も合うような親しい人からは色々と生臭い話しが出ているんだなと、逆にこの人の政治姿勢に疑問が生まれるわけですが、そういう公私の区別がちゃんとつけられるから30年も付き合いが続いているのでは。相手だって、個人的な要求をお願いして、それが公になった場合には相手だけでなく自分にも降りかかってくることは分かっているわけで、そんなことはそれなりに成功している人があえて冒すようなリスクとは思えない。勿論、加計氏が何かのタイミングで教育論みたいな事を言うかもしれないし、その中で自分の夢・希望として獣医学部の話しも出るかもしれない。でも、それを聞いたから安倍氏側で優遇するメリットは無いし、逆に普通はその件から距離を置くなり、厳密に対応するのでは。普通の企業でも、互恵取引禁止とかステークホルダーに関しては厳しく対応することが要求されているわけですからね。個人的には、そういう邪推をして普通だと思う野党側の方が後ろめたいことがあるからじゃ無いかという感想しか生まれなかったけれど。

さらには、玉木氏は加計学園の白紙撤回を迫ったけれど、それってここまで何度も説明されて問題無いとされている戦略特区のプロセスを否定するものなわけで、それだけの根拠を示さずに単に自分の感想だけでそう言うことを言うのは大間違いでは。しかも彼の場合は、父親や兄弟がステークホルダーな訳です。それこそ大串氏のロジックで言えば、親兄弟の間柄で、この問題が出ないわけが無い。となると、獣医師会側に有利なように、玉木氏が今回の騒動を利用している、と言われたら、彼はその説明責任が発生すると思うのだけれど。実際彼自身が、獣医師会の要望を尊重して特区潰しをしていることは、ブログなどで表明しているわけですからね。

前川氏以外の関係者は、皆「加計ありき」では無いと否定しているのに、たった一人が「そう感じた」「そういう意図だと理解した」と自分の勝手な想像を理由に時間を浪費させている。そして、それが何故か「正義の味方」みたいな扱いをされている。その責任を、メディアはどう取るつもりなのだろうか。今回の件を見ていると、暴走する権力を地で行くメディアに対しての恐怖と怒りしか生まれないのだけれど。「テロ等準備罪」を共謀罪と煽り、山へキノコ狩りに行っただけで逮捕されると煽っていた側の人間が、まさにその構図を使って火の無いところに煙り所か大火を点け回っていることの矛盾すら感じていないメディアって、やはり「メディア」ではなく「火付け盗賊」と呼ぶべきじゃ無いだろうか。昔なら、「打ち首獄門市中引き回しの刑」になるんだけれど。

テレワーク・ディ

昨日は「テレワーク・ディ」ということで、初めて官民一体で大規模な実験が行われた記念すべき(?)日。私の会社でも、開発関係というどちらかというとテレワークには馴染まないような状況でも、ほぼ全員が参加して自宅から社内ネットワークにアクセスしていたけれど、これが一日だからまだ何とかなるけれど、記事にもあるようにオリンピック想定で二週間とか三週間とかこういう状態が続くと、それなりに準備や対策が必要。

私も、テレワーク(e-work)を初めて、もう10年以上経つけれど、スタートの時は自宅のパソコンにVPNを入れて社内にアクセス出来るような環境からスタートしたけれど、直ぐに会社での作業と自宅のパソコンが別だと色々問題があることを痛感して、ノートブック機にどちらでも使える環境を構築。これをメインマシンとして利用することで、なんとなく核が出来た感じ。そこから、自宅での作業に必要な部材とかデータを揃えるために、例えばラックを準備したり、NASを準備したり、さらには高速のローカルネット構築をして、サーバー立ててと、一年くらいして気が付くと、自宅の一角が会社のワークショップ(作業場)見たいに変身していた(笑)。一つ困るのは、「機密情報」の持ち出し。データは社内にアクセスすればいいんだけど、当時はまだGbのネットワークサービスも無くて、ネット経由での取得ではそれだけで一日かかるような場合も有り、結果的にCD-RとかDVD-Rで持ち出しが必要になり、この手続きや自宅での管理が一寸面倒。さらには、開発中のマシンを持ち出す必要が出来たり、開発部門なら出羽の課題も未だにあると思いますよ。

もう一つ大変なのが勤怠管理な訳ですが、私の場合は仕事の相手が半分以上米国にいることも有って、早朝と夜遅くに結構ピークが来ます。となると、その分昼間は色々準備とか別のことをやりたいけれど、日本は業務の真っ最中だから、そちらの対応も必要。結果、最初の頃は24時間のうち20時間位仕事をしているような感じになり、かなり大変でした。まあ、その前に裁量労働制に移行していて、ある意味時間制労働が成果労働に変わったので、その当たりの時間の使い方なども自分で割り切って、先ずは期待値以上の結果を必ず毎年残す(毎年目標設定が有り、それを超えないと翌年の評価に響くシステムだった)事を目指して、まぁ何とかこれまで首にもならな図に残っているから結果は出ているはずなんだけど。

自分なりにこれまで経験して色々感じるのは、テレワークは新しい働き方仕事の方法として有益有効だと思います。但し、まだまだマジョリティは「会社」という箱の中で仕事をすることが前提だから、抵抗や制限も多いし大きい。だから、それを自分で解決していくと言う強い気持ちが無いと、今はこの制度をうまく活用することは難しいと思います。でも、逆に言えば、そういう気持ちとやる気があれば非常に有益なシステムだと思う。特に、育児とか介護が理由で仕事を離れる制限せざるを得ない場合には、経済的にも安心出来るし、自分のキャリアを諦めることも無いので逆に言えば大変だけれどやるべきだと思う。で、その為にも、政府にはもっと各家庭や多くの場所で自由に高速データ通信が出来るようにして欲しいですよね。光回線を私は自宅に引いているけれど、5Gがサービスされるようになったら、今の毎月の料金よりも安く使い放題になるくらいにして欲しい。あと、会社としての意識も変わらないと、例えば全員が毎週水曜日にテレワークしても意味が無いわけで、それぞれが必要な的に必要な条件でテレワークして、それでも問題無い体制作りをしないと駄目。その当たりは、会社内での組織改革とか業務分担にも関わるわけで、かなり大きな話しになりますし。でも、会社側の対応を末だけじゃ無くて、自分から仕事の遣り方・仕組みを提案して、自分用のテレワークプランを作って会社に示すのが一番だとは思うけれど。

困ること、と言えば、会社としてもテレワークが多数になれば、例えば会社のオフィスを縮小しても良いわけで、これが広がるとビルビジネスとかにも影響するかもしれない。逆に、地方などに共同でサテライトオフィスを作ると言う新しいビジネスが広がるかもしれない。今の貸しオフィスビジネスが変わってもいいですしね。あと、例えば年間の仕事の半分をテレワークで行うとしたら、その分の節税等も可能なら考慮して欲しいですよね。今でも電気代とか通信代とか、確定申告は可能らしいけれど、逸れ以外の分でも何か検討してくれると嬉しい。それだけ、社会負担を減らしているわけだから。次のテレワーク・デイがいつなのか分からないけれど、人口が減っていく日本の対策の一つとしては有効だと思う。

アンバランスな教育行政

今回の加計学園騒動を見聞きしてふと思ったのは、野党も含めた議員達は「大学無償化」を進めようとしているのに、その受け皿となる大学の新学部設置や多分新大学設置を大きく制限しようとしていることの矛盾を感じないのか、ということ。個人的には、多くの人に教育や学びの機会を与えることには賛成だけれど、それを小中学校の義務教育や、事実上の義務教育的な後攻くらいまでなら分かるけれど、完全に自己選択・自己責任で、専門教育を受けたり研究する場所である大学にまで広めることには反対。それなら、「大学教育」だけじゃ無くて、技術職とか専門学校のようなものも含めるべきだと思うし、社会人学校とか人生を通して学べる環境を考えるべきだと思う。そして、受ける側を事実上無制限に拡大させるのであれば、こちらを増やすだけでは無く、受け入れる側である大学とか教育機関もある意味門戸を広げるべきじゃ無いかと。

20年位前に色々な大学が乱立して、今では経営危機になっている大学も多くなっています。昨日だったか、あの「青短(青山学院女子短期大学)」が、2019年からの募集を中止するというニュースを聴いて、凄く時代の流れを感じたけれど、あれだけのブランド力があっても駄目な時代。逆にそういう淘汰が進むことで、良質の教育機関が残るわけですよね。それって、既存の大学が残るだけでも駄目で、新陳代謝じゃ無いけれど新しい大学とか学部も生まれてこないと淘汰ではなく衰退にしかならない。今回の獣医学部騒動で分かったのは、獣医学部の定員が900名一寸なのに、既存大学では定員水増しをして1200名位が実際には入学しているらしいと言う事。となると、160名位の学部を考えている加計学園が、例えば良い条件であったり魅力的な学部になれば、その水増し分だけでも十分需要はあるだろうし、競争率だって今でも何倍もあるわけだから、受け皿としてはユーズは高いはず。でも、何故か50年以上も新規開設は門前払いされてきた。医学部も同様の状態が続いていて、やっと千葉国際医療福祉大学が出来たけれど、こっちだって特区利用何ですよね。でも、文科省関係者やメディア関係者が天下りしているからか、加計学園ほど話題にならない。

教育もある意味自由競争では有るけれど、だからといって野放しで開学していいとは言えない。そういう意味で、文科省である程度需要共有を考慮する必要は有るだろうけれど、やはり文科省の本質としては、その大学なり学部が経済的にも教育機関としても、必要な条件が備わっているかどうかの確認が仕事のはず。言ってみれば、車の車検の責任は持つけれど、どこのメーカーがどう言う種類でデザインの車を出すかには口を出さない、みたいな。今回の件は、車検担当者が「SUVは足りているから作っちゃ駄目」と言っているようなもの。勿論、法科大学院の件があるから慎重になるのかもしれないけれど、あれは正直乱立させすぎですよね。で、言い方は悪いかもしれないけれど、作るのは各大学の責任なわけで、そこからどれだけ優秀な司法試験合格者が出せるかは大学の責任。that意味で、羮に懲りて膾を吹くじゃ無いけれど、余りに慎重になりすぎるのも問題だけれど、今回の獣医学部新設の話はそんな理由じゃ無くて単に既得権益を維持したい業界が文科省に圧力を掛けていただけで、それに文科省がこれ幸いと便乗しただけ。それって、不当競争の助長でもあるし、省庁として文科省が怠慢であっただけの話し。だから、今回の獣医学部新設の話を聞く旅に、「これって、大学無償化の話しとリンクして、より魅力的な大学の選別をしないといけないのでは」と感じるわけです。

獣医学部の定員も需要も足りている、と言う事を言うのであれば、当然今の環境よりも大学受験者数が増える無償化時代になれば、獣医学部に対しての希望も増えるわけで、この学部以外にも拡充が必要になるはず。でも、門前払いする文科相がいる限り、大学側は既存の学部や学科で対応しなきゃいけない。これ、定員割れのところは定員を充足し、人気のあるところは、水増しして学生を増やせるから経営効率が高くなる。言ってみれば、大学の救済措置にしかならない。つまりは、加計学園問題は獣医学部という既得権益を守るために文科省がサボタージュした結果だけれど、無償化の話になると、既得権益を更に強化するために今度は文科省が進める利益供与と言えるような気がする。正当な競争、高品質な教育を目指すのであれば、大学無償化と共に大学の再編や学部新設を一定期間でいいからそれこそフリーハンドで認めるくらいのことをやるべきでは。

2017年7月24日

土用の丑の日

明日の土用の丑の日を控えて、今年は鰻の稚魚が増加しているので例年に比べてお値段が1割くらい安くなっているらしい。でもふと思うのは、絶滅危惧種にも指定されている「鰻」が、それでも少し稚魚が増えているなら、何故もっと保護しようとしないのだろうか。

土用の丑の日に鰻を食べる起源は、江戸時代に平賀源内が売上げ低迷していた当時の鰻屋の「広告」として、体力が落ちる土用の丑の日に「う」がつく「鰻を食べる」という張り紙(宣伝)をしたのが始まりと良く言われるけれど、そうだとすると今の時代では余りそぐわない習慣と言えるのでは。だって、世の中ではダイエット目的でカロリーを落として、サプリメントとか飲んでいる人がいるわけだし。鰻だけで無く、日本の漁業全般に余りに漁獲量制限だけで管理しようとしているために将来親魚になる子供の魚や小さな魚まで取り尽くしてしまい、結果的に資源の衰退を加速させているという話し。これ、もっと真剣に考えるべきじゃ無いかと思いますけどね。

先日もテレビを見ていたら、「新子の鰻」というのが登場していて、これ養殖鰻なんだけど水槽に酸素を供給することで成長を加速させて、通常1年半くらい掛かる洋食期間を一年に短縮して出荷するもの。身が柔らかくて美味しいという話しだけれど、それってさらに鰻の流通を加速させるわけだから、ますます稚魚が足りなくなってくる話にならないか? 別のニュースでは、台湾では絶滅危惧種と言う事で稚魚の採取が禁止になったらしいけれど、そのほとんどを輸入している日本が何も対策しないに等しいのは大問題では。漁業関係のニュースでは、中国とか韓国の乱獲を批判的に伝えることが多いけれど、日本の漁業だって決して誇れるものじゃ無い。漁業というのは、工業製品製造と事なり、何もしなくても自然が自動的に魚を産みだして提供してくれる、一番効率が良い「産業」のはずが、どんどん漁獲高優先で進んできたために、その自然のサイクルさえも追いつかない状態になってきてしまった。世界で一番魚に詳しくて、一番魚好きな国民が、一番自然=海に対して冷酷なことをやっている、と批判されても仕方が無いのかもしれない。

私もお寿司は好きだし、魚も好きだけれど、だからといって好き勝手に獲ったり食べたりして良いとは思わない。日本だけで解決出来る問題では無くて、爆買い爆食の特に中国との連携も不可欠だけれど、鰻以外にも例えばマグロなんて世界的な問題に既になっているわけで、土用の丑の日は食べるだけじゃ無くて、どうしたらこの「習慣」を続けることが出来るのか、もっと真剣に考えないといけないのかも。そういう意味で、妙に安く販売されるスーパーや回転寿司の鰻っていうのも、個人的にはどうかと思うけれど。企業努力有っての事とは思うけれど、だから何でも良いというわけにも行かないだろうし。「土用の丑の日」ならぬ「土用の牛の日」で牛肉を食べよう何て言うこともTLに流れていたけれど、現代風に変えていくのも一つの手かも。将来的に鰻の完全養殖が可能になったらまた別かもしれないけれど、それでもだから自然のものを乱獲していいという話にはならないわけで、もう手遅れになりつつ有るのかもしれないけれど、でも真剣に考え直す時期にしても良いのでは無いだろうか、「土用の丑の日」を。

仙台市市長選

昨日投開票が行われた宮城県仙台市市長選。結果は、民進、共産等野党共闘の支援を受けた新人の郡和子氏が、自公支援の新人菅原裕典氏などを押さえて初当選したという。新聞各紙などは、支持率低下が著しい安倍内閣の影響が、先の都議会議員選書に続き、東北の主要都市仙台でも現れたみたいな伝え方をしているけれど、事前のニュース等ではもともと郡氏が優勢で、菅原氏が劣勢だったけれど、途中から大いに巻き返して接戦に持ち込み、投票日まで優劣付けがたい状況、というのが前日土曜日に聞いた話。得票数を見ると、どちらも15~16万票位で票差は得票数の10%の1万5000票位ですから、やや引き離された感は有るけれど、多分これ、戦前の予想よりもかなり接戦となったと言える結果では無いだろうか。実際、全体の得票率で比べると、郡氏43%で菅原氏38.7%ですからね。

実際、不破雷蔵氏のまとめニュースを見ても、元々革新系が優位だった土地柄も有り、民進党有利な状況だったことは確からしい。まぁ、だから選挙前から郡氏有利の話しも流れていたわけだろうし。で、先の都議会議員選挙もそうだけれど、地方自治の選挙に全く国政の状況が影響しないとはいわないけれど、それでもやはり地方自治と国政は別物。これが、国会議員の補選とかだったらまた話は別だろうけど。それに、都議会議員選挙に関して言えば、勝利した都民ファーストの会の事実上の代表である小池氏は安倍総理と仲が良いわけだし、政党間競争には敗れたかもしれないけれど、政治闘争という意味では勝ったと言えるのでは。

勿論、色々な意味で国政があるいは与党の状況が地方にも影響することは事実。そういう意味で、安倍政権への不満と言うよりも、自民党に対しての不満不信が、郡氏への投票に繋がった可能性もあるでしょう。ただ、この仙台市市長選挙で個人的に見るべきと思うのは、世代別の投票先動向じゃ無いかと。30代までは菅原氏優勢、40~50代は拮抗しているけれど、60代異常となると郡氏が優勢。多分実際の投票者数をマップすると、高齢層になるほど投票率は高いだろうから、それがこの差になったと考えるとスッキリします。東北地方は、元々革新系が強い土地柄だから仕方ないとは言えるかもしれないけれど、これを今の国政と絡めて報道するのは一寸違う気がする。強いて言うなら、逆風の中でも当選を脅かすくらいまで拮抗した自公支援の菅原氏の法に注目するべきでは。

2017年7月23日

無害化撤回

あれだけ引っかき回していた、豊洲市場の無害化宣言を「撤回」した小池都知事。結局オリンピックの会場問題と同じで、自分で勝手に盛り上げておいて周りを散々引っかき回して、結局結論は元の案に戻るという、既に「お家芸」になりつつある感じ。豊洲市場の無害化も、説明を聞いても何を言っているのかよく分からないけれど、結果的には豊洲市場移転を破棄したわけでも無いし、豊洲市場の土壌改良や地下水対策だってこれまでやってきたことをそのまま追認するだけで、自分達が勝手に行ってきたことに対しての責任も反省も無い。不思議なのは、その点について追求するメディアもいないわけで、何の仕事をしているのだろうかと小一時間。

石原元知事が、回りからの圧力から基準値以下を宣言し、しかし舛添氏がそれを一旦取り消したのに、それを自分で基準値以下を宣言した小池都知事。結局それが出来ないから、また仮に達成しても現状に対して意味があるものでは無いから、あの舛添氏ですら撤回したものを勝手に独り相撲で争点化して自ら白旗を揚げる結果になったのに、何か自分は凄いことをやったんだみたいな説明というのは腑に落ちない。森友学園、加計学園、そして防衛省の問題で、あれだけ集中砲火をしているメディア界隈ですが、その重要度不審さでは輪を掛けて怪しい話しのこちらには、ほぼ沈黙状態。何か裏で握っているんじゃ無いかという気さえする状況。蓮舫氏の話しもそうですが、メディアは自分で取捨選択している気がするけれど、その必要性とか重要度は読者で有り視聴者が判断するもの。メディアは結論を表明するものでは無く、事実を提供して行くもののはずなのに、

ところで、この豊洲市場移転に関しては、共産党は反対していたし、無害化するという前提で小池都知事を支持していた集団や組織もあったはずで、彼らは今回の件をどう受け止めているんだろうか。見事に裏切られた事になるんだけど、そういう声も特に聞こえてこない。少なくとも、意義なり何なりを表明しないと、彼ら自身のこれまでの行動も疑問を持たれることになるはずなんだけど。結局は、彼らの行動も「訳あり」だったんでしょうね。政治の世界は、ある意味魑魅魍魎感がある世界なのは分かっているけれど、そこに無責任まで加わったらもう何でもありの混沌の世界。世の中を混沌に導くものは、大体は悪人の役目なんですけどねぇ...

UA MP 1K 2018最後の詰め

まだ折返し地点にも届かない、UA MP 1K 2018。それでも、8月に今年2回目のSingapore旅行で6万PQMを超える予定で、その後は9月にやはり今年2回目のGuam旅行に、さらに久しぶりのHonolulu旅行と夏の終わりに暑い場所に行くというなんか変な予定を既に設定済み。ここまでの試算で、PQMは83,350PQMとまだ足りない。米国本土へのフライトも考えたんですが、9月からフットボールの国内線リーグが始まり、既にGUM/HNLと予定を入れている9月は無理で、10月は毎週末試合でこれも無理。11月は、リーグ戦後のトーナメントが始まるので、どの日に試合が入るかも未定で、予定が立てづらい。で、12月の月末には、いつものように特典チケットを既に発券しているので、これも予定を入れづらい。

1K(100,000PQM)に対して、残り16,650PQMというのも微妙。仮にANAの国内線を振り返るとすると、一番効率が良いHND-OKAが、プレミアムクラス往復で3936PQMですから、4往復ともう少し必要な距離。実は、4回のうち1回を例えばOKA-CTSのようにより長い距離のフライトに入れ替えると4回分の往復で1K到達出来るんですが、これが比較的取りやすいOKA-SDJだと2回にしないと足りない。新千歳を利用するにしても、仙台にするにしても、どうしても一泊二日の工程になるので、上手く往復でフライトを取る必要があるのと、まず一度早朝に羽田から沖縄へ移動する必要があるので、それが大変。金曜日に仕事で都内に出てきて宿泊して、土・日とフライトするなら理想的ですが、特にOKA-CTSなんて中々取れない。

一番簡単なのは、3回目のTYO-SINをして、それでも足りない分を一回HND-OKA往復して満たすこと。実はそのつもりで先にHND-OKAの予約を入れてしまったので、HND-OKA-SDJという経路を取るのが難しくなってしまうことに後で気が付きました。HND-OKA-SDJ往復を2回やらないといけないので、先にHND-OKAの往復だけ入れると、OKA-SDJが繋がらない。それならそれで、HND-OKA往復を残り3回すれば良いのだけれど、この時期台風もあるので、それもちょっと心配。まぁ、TYO-SINを飛ぶ場合も10月の予定になるだろうから、やはり台風の影響はありそうですが。

AMC 2018 Diamondは、9月の始めに国内線(HND-OKA, HND-FUK)を往復すれば10万PPに到達するので、一応今季の目標は達成。ですから、残りは全てUA MP 1Kに集中出来ますが、そこはやはりそれなりに「飛ぶこと」も楽しみたい。そういう意味では、国内線利用よりは国際線利用の方が、色々な意味で「楽しい」のも事実。ただ、手間と時間とコスト(料金)の面で言えば、国内線の方が有利なんですけど。ただ、HND-OKAを4回飛んでも、まだ906PQM足りない。まぁ、こう言う旅程を組むのは、ジグソーパズルを解くような面白みでもあるんですけれど、なかなか思い通りに行かないというのも歯がゆいもの。時々、宝くじでも当たって潤沢に資金があればなぁと思う時もあるけれど、それで自由に旅程が決まったら、それはそれで一寸つまらないだろうし。勝負事もそうだと思いますが、最後の詰めが一番大切で一番大変なのは同じですね。

報道が宣伝になる時

朝日新聞が「加計審議、14時間空費」なる記事を掲載して、TLで袋だたきに遭っている件。最初に大々的に取り上げた朝日新聞は、この加計学園問題が本当に「疑惑」だったと思っているのだろうか。火の無いところに煙を立てて、無い事の説明を要求し、無い事だから説明のしようが無いのに「説明責任を果たしていない」と要求していく。文字通り、メディアが自ら事象を捏造して、それを「事実」として報道した悪質な行為だと思うのだけれど。そういう意味では、開会中も閉会中も、この加計学園に関しての話しは全て「空費」な訳で、まぁ始まりは仕方ないとしても、背景がちゃんと分かって時系列に事象を並べていけば何も問題無いことが分かってからも、ひたすら煽り続けて事実を報道しないメディアや野党側の責任の方が重大だと思うのだけれど。

もう一つ、この朝日新聞の記事が恣意的だと思うのは「14時間空費」と言っているけれど、それは全体何時間のうちの14時間なのか言っていないこと。私は朝日新聞の有料会員では無いので、読めないところに記載しているのかもしれないけれど、でも「真実を伝えるメディア」というのであれば、少なくとも乱し部分では誤解を招かない内容を公開すべきだといつも思う。で、記事に添えられている図表を見ると5月17日から7月10日の衆参予算委員会、内閣委、等々かなりの委員会を対象にした積算値らしい。それぞれ7委員会、衆参両院で14委員会が、この約二ヶ月の間にどれだけの時間開催されたのか、先ずはそれを示して、可能ならそれぞれの委員会ごとの全体の時間に対しての空費時間を示さなきゃ、客観的報道とは言えない。さらに言えば、野党側の無意味な質問時間も是非別途積算して欲しいところですよね。一体どれだけ下らない質問で税金を無駄にしているのか、そっちの方がよっぽど大問題だと思う。

さらに図表を見ると「何々が発端」と書かれている。これ、彼らが「これはおかしい」と勝手に感じた答弁なりは、仮に途中からちゃんと説明したとしても、全部が「空費」と計算していると言っているように聞こえるんですが。仮に何か不十分な説明から始まり、それで空費した時間が有るなら、それは計算して胃もいいと思うけれど、途中から、あるいは初めからちゃんと説明内容が正しいのであれば、それは空費では無いだろう。しかも「説明の食い違いや根拠を示せないことが発端」って、元々無い事を「あった」と朝日新聞が言っているわけだから、最初から食い違いはあるわけで、さらに根拠ば「無い袖は振れない」なんだから、これこそ悪魔の証明。朝日新聞側の根拠だって、それこそ前川氏が持ち込んだ「怪文書」なわけですからね。

中国のメディアは、基本中国共産党の代理人なわけで、だから共産党の中に「宣伝部」という部署もあるくらい。最近のメディアは、「報道」という名の下に、その「宣伝」をする一機関になってきたような印象を受けますねぇ。怖い怖い...

2017年7月22日

記憶が記録に優る

今朝朝食を食べながら、いつものように点けられていた朝の番組を見るとも無しに聞いていたら、とあるコメンテーターが山本大臣が獣医師会側が公開した会議のメモの内容を否定して書かれていることは言っていないと説明していることを「記憶が記録に優るのはおかしい」と言っていてビックリ。ワープロで体裁良くまとめられて、それを印刷して「議事録」と呼んでも、それは単なる記憶を書き留めた「メモ」で有り、出席者全員が同意したもので無ければ正式な議事録では無く記録でも無い。単なる「記憶」を紙に印刷したもので、そういう意味では山本大臣の発言と同じレベルのこと。仮に、獣医師会のメモが正しいというのであれば、山本大臣側も同様の体裁で当時の内容をまとめて印刷した「議事録」を出したら、この人はどう言うのだろうか。

この話がややこしいのは、今回の「議事録」を公開しているのは獣医師会の政治団体である「獣医師連盟」の北村委員長。で、その話しを山本大臣だけで無くその席に同席した日本中医師会の蔵内会長も否定している。少なくとも、別の立場の人間二人が「違う」と言っているのに、一人の言い分だけを、その言い分が「印刷されている」から優勢というのは濃いに事実を曲げているとしか感じられない。さらに言えば、「獣医師連盟」は獣医師会の要求・要望を通すための政治団体だから、獣医会として獣医学部新設に反対することを主張するのは当然で、だから岩盤規制突破を目的とする山本大臣とは違うニュアンスになる事も想像出来ます。そうなれば、今治を突破口に京都も、と考える山本大臣に対して、今治すら許せないのに京都なんて論外、と考える獣医師連盟の「理解・記録・記憶」がずれるのは当然でしょう。だからこそ、議事録として正式に残すのであれば、その「ずれ」を埋める「検証(Review)」をして、双方納得出来るないよう・言い回しにして了承して最終的に決定するわけです。

予言者でも無ければ、記憶よりも先に記録することは出来ない訳です。人が何かに「記録」するというのは、自分達が何かを経験して記憶したものを書き写しているわけで、そこには当然どんなに配慮しても主観が反映されるし記憶違いもあるでしょう。場合によっては、色々な目的のために意図的に書き換えることだって有るだろうし。となると、「記憶が記録に優る」というのはある意味真実でもある。ただ、その「記録」が、一人のものなら色々なノイズやバイアスが掛かって曲げられる可能性も高いけれど、同じ記憶を持つ人間複数が集まり、それぞれの記憶を突き合わせて統一した記録を残せば、それは遥かに信頼性の高い「記録」で有り、普通はそういうものを「議事録」というもの。仮に、今回の「議事録」が作成されて、当日の参加者に回覧(メール送付)して、それで反論が無かったのであれば、それは「議事録」と言ってもいいけれど、それならそのメール迄ちゃんと示さないと裏付け出来ない。

「記憶が記録に優るのはおかしい」と言ってのけたメディア側の人物は、結局はメディアの中にいるからこそ、自分達に都合の良いもの利用するだけなんですよね。これが別の案件、例えば前川前文科省事務次官の援交疑惑のケースなどは、ちゃんと本人の行動記録も、何度も注意されたことも記録に残っているのに、本人が「貧困状況の調査」と言っていることを「正しい」と言っている。その調査の調査結果も残っていないし、それが一度や二度の話しでもないのに、この時は「記録が記憶に優るのはおかしい」とメディアは言っているわけです。まぁ、そんなことは毎度のことで都合の良いことしか伝えない、報道しないメディアは昔から有ったけれど、最近それが頓に偏向してきているように感じるのは気のせいだろうか。なんとなく、民主党に政権が移動する少し前くらいから、何かメディアが特定の意図を持って報道をするようになったように感じるんですよね。で、民主党が敗退しても、それが続いているような。そっちの方がよほど気味が悪い。

疑惑のパスポート

蓮舫氏の二重国籍問題について、会見をしてスッキリするどころか、ますます疑問や懸念が生まれているような気がします。その中で、公開された日本国籍取得時のパスポートにも不思議な事が。池田信夫氏が指摘されているように、私も写真を見た時に「駐韓国台湾大使館の東京事務所(?)」というようなスタンプの意味がよく分からなかったんですが、丁度この時期の前に日本が台湾との国交をやめて中国との国交を始めた頃で、まだ台湾との国交を維持していた韓国の台湾大使館を利用した、と言う事らしい。ただ、確かに国交は中国に付け替えられたけれど、実質的には台湾の出先機関もあったはずで、何故そこで手続きしなかったのか疑問。

で、写真を見ていてもう一つ思ったのが、「これは更新されて無効化(VOID)されたパスポートじゃ無いのか?」ということで、パスポートの左上が切られていることと、左側のページに「X0024435」と穿孔されていること。これ、日本だと「VOID」と穴が開けられて表紙にも「無効」のシールが貼られるけれど、それと同じ処理のはず。仮に、この時期に日本国籍を取得して自動的に台湾籍が放棄されたと誤解して、そのままに放置していたならこんな処理はされないはずで、そういう意味から少なくとも一回はパスポートが更新されたことを示しています。

疑問なのは、それがこの写真のパスポートの有効期限「1984年7月15日」に続けて更新されたのか、今回の国籍離脱鉄津で必要なので、直前にパスポートを更新(再取得?)して手続きしたのか、それは分からない。ただ、当初この二重国籍疑惑が出た時に、台湾当局に国籍離脱の手続きをしているという説明をして、その後実は手続きにパスポートが必要な事が言われると、「自宅を探して以前のパスポートが見つかった」というような説明をしていたはずで、そうなるとその時点で手続きの必要上更新したと言う事を言えば良かったはず何ですね。それは、自分では離脱済みだったと誤解していたという彼女の説明にも反しない。自分では離脱していたつもりだったが結果的に手続きされずに国籍が残ったままだったことが「今回判明した」ので、台湾当局に申請すると共に、手続きに必要なパスポートも今回更新して処理を進めた、と言う説明は決して不自然なこととは思えない。それならそれで、直前に更新されたパスポートを提示すれば、逆に説明補強になると思うのに、何でこんな国籍取得当時のものを出してきたのか不思議。

そうなると、池田氏が説明しているように、1984年から1994年の10年パスポートを申告して取得していたならば、当時蓮舫氏が雑誌等で話をしていた「日台のハーフ」とか「二重国籍」という説明にも合致する(本人は、勘違い、編集ミスと言っているけれど)。そういう意味では、ちゃんと疑問点は追求して解明するべきだと思うのに、メディアはやれ加計学園だ、稲田防衛省がと、本当に矛先ずらしをしているようにすら感じる。また、池田氏は今回の特例措置を台湾政府が民進党、蓮舫氏に恩を売ったと言うけれど、それは変だと思う。少なくとも今の民進党が将来的に与党になる可能性はほとんど無いし、蓮舫氏にしても今後も政治家は続けるかもしれないけれど、総理大臣になることも無いでしょう。将来への投資と思うなら、まだ小池氏に恩を売った方が可能性は(どっちも低いけれど)あると思うのに。そういう意味では、自民党の方から手を回したような気がする。一つは、蓮舫氏が引き続き民進党の代表として存在して貰う方が、色々な意味で都合が良いのは自民党だろうし、もう一つは今回の二重国籍問題であぶり出されることを良しとしない議員が、他にも沢山いるからじゃ無いかと。だから、自民党としては台湾政府に特例を要求し、だから台湾政府も今後のことを考えて了承したのでは無いかと。

問題なのは、それを蓮舫氏も承知していたのかどうかと言う事。案外「駄目元でお願いしたらラッキー」程度の理解だとすると、そっちの方が大問題だと思うけれど。仮に自民党と台湾政府がコミットしたとすると、良くも悪くも今後の対中国問題に対しての影響が大きくなるわけだし。策を弄して溺れると言う事にならなきゃいいけれど...

右からの風

毎度お馴染み「金曜日の新幹線」シリーズ。今週もいつものように新幹線通勤。梅雨が明けて一段と暑さが厳しくなったと思う半面、小中高校生は夏休みに入ったのか余り見かけなくなりました。ただ、その分家族旅行のグループが増えていて、車内は子供の声が一寸五月蠅い(笑)。さらには、4人なら2列席を、6人なら3列席を一列対面に回転させて向かい合わせで座るグループがあちこちに見られるようになるのも、この時期の風物詩か。

そんな中、いつものように2列席窓際に座っていたところ、右隣の席に私より一回りくらい若いような感じの男性が座ります。で、座ると直ぐに扇子を取りだしてパタパタ扇ぎ出します。暑い中、少し急いで乗り込んできたのか気持ちは分かるんだけど、その扇子の風、こっちにも届いてしまうから困りもの。何が困るって、まず欲しくも無い生暖かい風が顔のあたりを撫でていくのが気持ち悪い。そして、この男性の汗臭い匂いも一緒に運んでくるからさらに困るし不愉快。本当なら、こちらに風が来ないように左手で扇いで欲しいけれど、日本人の場合は右利きが多いから右側に人が座るとこう言う事がこの時期はありがち。よくよく考えると、進行方向に向かって私は左側の席に座ることが多いからこう言う場面に遭遇するのだろうか。

顔を撫でていく生暖かい汗臭い匂いが気持ち悪くて、座席の位置を少し変える振りして背もたれを少し動かしながら座り直して、かつ体の向きを反対側に向くようにして顔も窓の外を眺める振りしてそらしましたが、暫くこの生暖かい風攻撃は続きました。それでも20分位したら多少は落ち着いたのか、扇子で扇ぐのは終わったけれど、それも暫くするとまた再開。失礼ながら、私よりも少し小太り体型で暑さに弱いのだろうか。まぁ、そういう人が大概この時期扇子を持ち歩いていて、パタパタしているのを時々見るけれど。

子供の頃、まだ電車にしてもバスにしても車内冷房なんて無い時代は、よく見かけた光景ではありますけれどね。当時は、畳める扇子所か、丸い団扇を持ち歩いてパタパタしている人も多く見られました。今なら、お祭りとか花火大会でしか見られないような光景だけれど。あっ、屋外の野球なんかでも見ることがあるか。あの頃は、冷房なんて無い時代だったから、逆に風が来るとありがたいと思ったものだけれど。それと、暑いのが普通の時代だったから、多分暑さに対しての耐性も今よりもあって、今ほど汗をかいたりしなかったんじゃ無いだろうか。汗をかいても、今ほど汗臭いと言うか生臭い感じの匂いがしたような記憶があまりないんですけどね。冷房が普及して汗をかくことが減り、だから外に出て一気に汗をかくと変なものまで一緒に発散するように体質が全体的に変わっているのかも(本当か?!)。まぁ、「扇ぐ」という動作は、多分利き腕でもそうで無い腕でもできる動作だから、一寸回りに気を遣っていつもとは違う方向から扇ぐくらいの気配りが出来るかどうかで、やっぱりその人の仕事とか行動の内容を反映しているんじゃ無いかと、一寸感じる新幹線車内の出来事でした。

2017年7月21日

出国税

数日前にたまたま点けていたテレビニュースで「出国税」とか流れてきたので「なにぃ~」と驚いた話し。その件についての観光庁長官のインタビュー記事ですが、今のところ「検討段階」で実際に施行するかどうかは未定とのこと。

実は海外への資産移転対策で、海外移住するような場合は既に「出国税」が適用されているんですね。特に富裕層対策で、まぁ自分には関係無い話しだからこっちはいいけれど、今回は出国の度に毎回課税される話だから一寸困る。ただ、今でもチケットダイキン以外にも、いろいろな「税」や「手数料」が付加されていて、結構な金額になっているのも事実。試しに8月のSingapore行きのチケットでも、チケット代に燃油サーチャージやら施設利用料やら結構チケット代以外の金額が上乗せされていていて、改めてガッカリします。多分ここにそれっぽい名前で新しい税金が追加されるんだろうけど。で、他の国はどうなっているのか一寸調べてみたら、結構あちこちの國や空港でもお金が掛けられているんですね。アメリカは比較的良心的だと感じられるけれど、ヨーロッパは結構馬鹿にならない金額。特にイギリスは酷いなぁ...

そのお金が空港整備とか観光整備に使われるなら、それは利用者の一人として嬉しいし歓迎するけれど、ちゃんと目に見える形で使って欲しいですよね。あと、施設だけでは無く、やはり利便性を高めるためにも離発着枠を広げて、個人的にはもっと北米線を増やして欲しいのだけれど、それはまた航空会社の問題でも有るからなかなか難しいのだろうけど。それでも、今のスロットでは利益が見込めない場合でも、空港が拡張されてスロットが増えて、都合の良い時間帯に利用出来るようになれば、そこで損益分岐点が逆転すれば、航空会社だって考えるだろうし。

まだ決定した話しでは無いだろうけど、そのタイミングと金額によっては、順調に伸びている訪日観光客の伸びを抑えるかもしれませんね。それは日本人の出国熱を冷やすことにもなるかもしれない。上手く、燃油サーチャージが下がったりして、トータルの金額が同じか安くなればまた別ですが、なかなか予想できませんしね。いずれにしても、ベースの航空券の値段も上がり気味だなぁと感じるだけに、ますます上がる要素が増えるのは勘弁して欲しいところです。

Pepperとスマートスピーカー

Softbank傘下のPepper事業が、300億円以上の赤字というニュースが先日流れたばかりですが、そのPepperの企業導入に関しての記事。この記事を読んで改めて思ったのは、Pepperというのは結局は早すぎたスマートスピーカーだったのかなと言う事。

Pepperが初めて紹介された時に「あぁ、日本では駄目だろうな」と思ったのが、その移動性能。確かフランスの会社が原型を作っていたと思うけれど、フラットな床を移動することを前提にした駆動機構は、幾ら最近の住宅でフローリングや平らな床が増えてきていても厳しいだろうなと先ず思いました。次に感じたのが、手や顔を動かしたりして「雰囲気」は作れるけれど、取って付けたように胸についたタブレットがI/Fの中心になること。勿論音声認識や発声機能も内蔵されているから、対話型のI/Fも可能何だけれど、あの胸のタブレットが「ロボット」としてのデザインを全て壊している気がしたものです。せめて内蔵するとか、蓋がついていて、隠すことも出来るようにするとか。あれがあるから、少ないけれど手振りや顔の移動で作られる、ジェスチャーコミュニケーションが薄れてしまって、結果的にはロボットの形をした音声対話型I/Fと認識されてしまうことの方が多い気がします。だから、受付業務とか案内みたいな仕事に向くんだろうけど。

で、それって、最近各社から登場している「スマートスピーカー」とほぼ同じ話になると思うんですよね。Pepperみたいなフローリングの上を移動したりすることは無いけれど、元々はリビングなどに置いてあちこちから呼び出して使用することを想定しているから、対話が出来れば別に身近に無くても良い。かえってPepperみたいなでかいものが部屋の中をウロウロされるよりは、文字通り「スマート」じゃないかと。それならば、KIROBOみたいな小型のロボットデザインにした方が、愛着も沸くんじゃ無いかと思うんですけどね。あるいは、それこそAIBOに今のPepperとかスマートスピーカ程度の機能やAIを搭載したら、もっと面白くなるんじゃ無いかと。別に本体に全てを内蔵しなくても、充電器をマスターステーションにして、そこにDBを置いて知識を蓄積し、本体には必要最低限のデータを転送しつつ動作してもいいわけだから。

将来的には、飼い犬の散歩みたいな感じで、室内から室外へ連れ出すタイプのロボットも生まれるんだろうけど、基本今のロボットは、室内モデルは室内で、屋外モデルは屋外での利用を想定しているから、その範囲で以下に機能や動作を最適出来るか考えればいい。その中で、ロボットが何か動作して解除してくれることを期待すると、これは結構敷居が高い。最近では関節機能とか進んでいて、柔らかいものを持ち上げたり、それなりに荷重のあるものを持ち上げるなど、火なり機能的には向上しているけれど、それでも自宅の中で何か解除して貰うには不足。多分自分が生きている間には、アトムみたいなものは無理だと思うけれど、だからロボットは駄目と言う全否定では無くて、今でもスマートスピーカーがさらに賢くなれば、もっと便利なことは可能だと思うんですね。例えばリモコンが見つからない時、理想はそれを取りに行って渡してくれることだけれど、常にモニターしていて「xxxにあります」と教えてくれるだけでもいい。まぁ、リモコンだったら、スマートスピーカーが代わりに機能代替して操作してくれるだろうけど。ロボットというとどうして日本人だとアトムタイプのものを想像するけれど、実は目には見えないけれど存在する「仮想的ロボット」みたいなものが実は一番実用的かも。まぁ、それとAIがどう違うのか、という事はあるけれど。多分、どちらも併走しつつ関連しつつ収斂していく気がする。

メモはメモ

加計学園問題で新たな展開がぁ~、と例によって文春が花火を打ち上げたけれど、その根拠になっているのは獣医師会側の会議メモであって、会議の議事録でも無いし、獣医師会・官邸双方が了解した公式の記録でも無い。まあ、週刊誌である文春が販売部数を伸ばすためにある程度花火を打ち上げるのは、まぁ仕方ないとしても、それにNHKやら民放やらさらには一部新聞社まで乗っかって「事前に家計ありきの」とか言うのは、もういい加減勘弁して欲しい。

最初は、何か新しい資料でも出てきたのかと思ったら、獣医師会側が作成したメモと言う事で、当然獣医師会側のバイアスが係マックテイルものと評価するのが普通。少なくとも、会議の公式記録として双方が同じものを承認して補完していたものが、これまで表に出てこなくて今回初めて公開された、と言うならまだしも、いかにもは退路が悪い獣医師会側が起死回生の一打という事で、丁度都合の良さげな言葉が入っている「メモ」を公開したに過ぎない。公開したものはワープロで印刷されたものだったけれど、元々は若しかしたら個人の手書きのメモかもしれないようなもので、さらに勘ぐれば複数のそういう覚え書き・メモを集めて作成したものかもしれない。だから大筋としては記録として参考には出来るけれど、そこに書かれている内容は双方が「正」として同意したものでは無ければ本質とは言えないわけで、それを今回一方の官邸側は「獣医師会の思い込み」とまで言って否定しているわけだから、証拠能力としてはゼロ。こんなこと、普通の企業間取引でやっていたら、即刻出入り禁止取引停止ですよ。

メディア側は「官邸が悪い、加計学園が怪しい」というバックボーンを崩したくないのか、加戸前知事の話しとか、獣医師会が当時の民主党議員や石破地方再生担当大臣に陳情していたこと何てけんもほろろの扱い。もう、自分達が描いているシナリオに沿っていない情報は一切扱わない報道しないという協定でも結んでいるかのような状態。某漫才コンビのネタじゃ無いけれど「どうかしてるぜ」と言いたくなりますよねぇ。最初は、それぞれのメディアの考え方・方針から、そりゃぁ左より、右よりの報道にはなるかなとは思っていたけれど、最近の左寄りのメディアの報道はもう何か裏の目的があるんじゃ無いかと言うくらい偏向と言うよりも偏屈した内容になっている気がする。で、そういう報道をSNSでしきりに持ち上げる自社記者とかジャーナリストの気持ち悪さと言ったら...

今回の様な話しが許されるなら、例えばどこからか「獣医師会と文科省が裏取引をしていた」とか「文科省内部で斯く斯く然々の密約があった」みたいなメモが出てきたら、それも取り上げないといけないのだけれど、そういう場合は「無意味な単なるメモ書き」とか言って無視するんでしょうねぇ。まさに、自分の都合の良いようにと言うより、自分の都合の良くなるように内容を動かすメディアの怖さ。で、最近富みに不思議なのは、これまでもそういう傾向はあったことは事実だけれど、ここまで酷くないしあからさまでも無かったはず。一体彼らを突き動かしている動機は何なんだろうか、それを逆に知りたいですよね。自分達の利益と言うか、あるいはジャーナリストとしての使命とか、なんかそんなものとは全く異質な別の大きな理由が彼らを突き動かしているように感じるんですが... それを探る、明確にすることの方が、今問題になっている経済とか外交とかも含めて、日本の全ての問題を解決するよりも重要じゃ無いだろうか。そんな気さえ起こるような異常さを感じますね。

2017年7月20日

プーさんを探せ

中国では、習近平主席がディズニーの人気キャラクター「くまのプーさん」になぞられることを不快として、ネットから画像や言葉が削除されているというニュース。プーさんだけで無く、ドラえもんのジャイアンや、ジャスミン革命、さらには先日亡くなられた作家の劉暁波氏等、中国のネットには「存在しない事柄」が幾らでもあります。それは、彼らの社会体制がそう言うことを前提に統制を維持しているから必要悪という説明も出来るだろうし、国民が納得しているならば、それは外野がとやかく言うまでも無いという意見もあるだろうけど、でもその中国から年何何百万人何千万人という人が出ていくわけだし、多くの人が外からも入るわけで、そういう状況の中でも均質化同質化せずに独自的な「システム」を維持することを最優先する事って、やはり独裁だと思うけれどなぁ。

日本では、首相をヒットラーになぞらえても批判されず、逆にそれを問題視すると非難される。届出をすればデモをする事も可能だし、そこで何を言おうと基本的には許される(と言うか、無視されるという方が正しいのか)。そんな自由な社会にいてひび生活しているのに、一寸したことで相手に白か黒かを迫って強いる。でも、それを政府がやっている中国やその他一部社会主義国に対しては何も言わない。プーさんですら許さない社会に生きることが幸せと感じることは、本当に幸せなのだろうか。一方で、何でもかんでもヒットラーになぞらえれば批判になると考えてそれが許される社会というのも異質なわけで、ちゃんとこれはこれあれはあれという是々非々の境界線が共有されていない社会も、またある意味自由を振りかざした独裁独占の社会じゃ無いかと思う。

ネットの名言に「(都合の悪いことなどを)消せば、増える」というのがあるけれど、結局一つの言葉や事象を削除して無かったことにしても、その存在自体が抹消されない限り、それを代替する言葉や事象はどんどん変化して生まれてくるんですよね。プーさんが駄目なら、カバになるかもしれないし、太った猫が代わりに登場するかもしれない。逆にのんびりしたプーさんの反対で、キリッとしてテキパキした筋肉ムキムキのキャラクターが反語的に登場するかもしれない。そうやって、どんどんキャラクターを削除していくと、とうとうオリジナルの習近平氏の存在自体も削除しないと辻褄が合わなくなってきてしまうしれない。そんな社会のとっかかりみたいなものを、最近のいろいろな所謂「リベラル」とか「左派」と呼ばれる人達の過激な活動を見聞きすると感じるわけですが。それでも、中国のように強大な権力で統制されているわけでは無いので、日本では彼らも好き勝手出来るけれど、それが続くとやはり社会的な揺り戻しというか反動が起きて、彼ら自身が非難される逆の立場になる時期が遠からず来ると思う。民主主義というのは、良くも悪くもそういう左右の振り子を経験して、みんなが望ましいと思うところに収斂していくものだし、暫く収斂した後にやはり変化を求めて再び左右に振れ始めて、時には大きく乱れて、でもまた収斂していく。それを繰り返していくものだと思うから。中国のように、振り子は存在しても、それが左右に振れることも動くことも許さずに常に一点に固定しておかなければならない状態は、ある意味「安定」であるけれど、別の見方をすれば「硬直」でもあるし「固定」でもあるわけで、それを望む人は決して多いとは思わないのですけれどね。

訪日3000万人時代

政府観光局(JNTO)が発表した2017年上半期の訪日外国人数が、1375万人余りだったという記事。単純に倍すると、2750万人となり、JNTOの2016年の記録と比較すると、前年上半期の比較では約200万人のプラスで伸び率は17.4%。三年の通年訪問者数が2400万人余りでしたから、それに単純に当てはめても2680万人余りになるから、2018年には3000万人を突破し、2019年には無理としても2020年には目標の4000万人を達成できそうな勢い。今年も昨年同様後半の伸びが大きければ、最終的には2800万人位には到達しそうですよね。

日本の場合、陸路での出入国が無いから基本的に空路で入るのが普通。成田、羽田、関空、中部の四空港に、新千歳、福岡、那覇といった地域の中核空港が所有ゲートになるんだろうけど、静岡空港を筆頭に国際線(主に、中国や韓国)が就航している地方空港が、主要空港への参入が厳しくなるにつれて重要になるのは確かで、そう考えると昔は全国に地方空港をばらまくのは歴史的無駄と言われていたけれど、その状況が一寸変わってきたのかも。

地元にお金は落ちないのは問題だけれど、今の静岡空港はエントリーゲートとしては良いと思うんですよね。静岡から入って、その日のうちに東京とか大阪・京都へ移動出来る。問題なのは、帰国時には前日移動してきて帰るだけという無駄な旅程になるので、そこを改善しないと厳しいかも。少なくとも、空港周辺で最後の買い物とか観光とか出来るような対策は必要でしょうね。

一方で出国している日本人の数は訪日外国人の半分強。色々な理由はあると思うけれど、まぁ日本の住み心地がいいというのもあるだろうけど、昔のように団体旅行でまとまって観光地に行くというようなスタイルが消えつつ有り、個人や少人数で旅行する人が多いというのも理由じゃ無いだろうか。勿論、LCCを筆頭に安く簡単に海外に出て行ける手段が増えているから、昔と比べれば実数的には増えていると思うけれど、訪問客2に対して出国日本人1と言う割合は、やはり日本人の引っ込み思案というか、「出不精」の正確があるような気がする。海外から多くの人が日本を来るからこそ、日本人も外の世界を見聞きして、知識や経験に文化的背景が対等になっておく必要があると思うのだけれど。

いずれにしても、外の世界の人が日本に来て日本のことを知ってもらい、それによって日本人が外の世界のことを広く知り自分達の経験知を広げてさらに自らも外に出ていくことは決して悪いことじゃ無い。勿論、良い事・悪いことどちらもあるから、注意しないといけないこともあるけれど、ある意味活性化した社会維持のためにはやはり人の流れは必要だし、それがお金の流れを生んで経済だって活性化するわけだし。その為にネックになりそうなのが、空港や飛行機の便数だけれど、今のようにLCCばかり増えるのも困るし、訪日客の多い中韓ばかり増えるのも困るんですけどね(笑)。なかなか難しい。

比較できない情報

蓮舫氏の会見の情報が色々で回っているんですが、台湾籍離脱証明書に対しての疑念が多々挙げられています。台湾の方が細かく指摘されているんですが、ここでふと思いついたんですが、多分ほとんどの人って今回問題になっている「(台湾)喪失国籍許可證書」の正しい様式、サンプルであっても正式なものって見たことが無いから、比較しようが無いんじゃ無いかという事。例えば日本国パスポートなら、多くの人は自分も所有しているから比較できる。戸籍謄本にしても、そのパスポート申請も含めて何回か取得して見る機会があるから、これも実物はどんなものでどんな様式なのか分かる。でも、台湾の書類、しかも台湾籍を喪失した証明の書類なんて、多分日本国内ではほとんど該当する人はいないんじゃ無いだろうか。でも、そうで無くても実は個人的に疑問を感じる部分が多々あるんですよね。

先ず疑問を感じたのが「出生地 日本」と成っていること。普通国名を書く時には「出生地 日本国」となると思うのですが。そして、その下の「住所」が「日本國」で終わっているところ。住所なんだから、何々県の何々町の何番地、迄普通は書くはず。例えば、現住所を公開したくないから隠したいのであれば、その部分を消せばいいだけ。少なくとも「日本國東京都」くらいまでは公開しても問題無いはずですよね。さらに、生年月日(出生日期)では「民國56年」と記載されているけれど、一番下の発行年月日では「中華民國105年」と表記されている。これ日本だと、本来は「平成29年」と書くべきところを「平29年」と書いているようなもので、正式な書類でそんな省略をするのだろうか。さらに、使用している写真が民進党の代表就任後にポスター使用するために撮影したものと同じものらしく、でも申請用写真としては正面を向いていないなど実際には使えないものらしい。また、公開されている蓮舫氏の離脱証明書には他の書類には見られる背景の透かしのようなものが見えないのですが、これは一部では薄らとあるという話もあり、カラーコピーしたから画見ないのではという説明も有り一寸不確か。でも、本文とかがあれだけ鮮明にコピーされているのに、背景が消えるというのも不思議な話だけれど... また、鮮明な写真が無いからなんとも言えないのだけれど、使用されているフォントが微妙に違う気もするんですよね。さらに詳しい比較が、Uemuraさんの所に公開されていますが、僅か一月違いでかなり様式が違うし、8年前の物の方が似ているのって非常に不思議。

また、証明書に記載されている日付けと、これまで蓮舫氏が色々な手続きを実行した完了したと説明してきた日時と一致しないこともあるようで、どうも日付けが遡及している可能性まで言われている。少なくとも、昨年9月の時点で国籍喪失していたのに、その後の説明も不確かな部分が多いし、その時点で今回の様な公開説明が可能だったのに、結果的にここまで伸ばした理由も不明。一応お子さんが成人したからとは言っているけれど、今回公開された情報の中に家族の情報は含まれていないわけで、仮に何か記載があってもそこを隠せば良いだけの話しなわけで、何というか公開された情報の信用・信頼性が全く感じられない。日頃他社に厳しく要求しているのに、自らには大甘で済まそうという態度はやはり批判されるべきだと思うし、そこが一番の問題では。二重国籍とか差別とかではなく、国会議員としての公人としての役目を果たしていないことが批判されていることは明らかだと思うのですが。

2017年7月19日

NRT-HNL/-NRT (1) - 日サロ計画?

UA MP 2018 1K到達までの道のりはまだまだ遠く、現時点ではまだ必要な10万PQMの半分(48,482PQM)にも届かない状態。年末に北米行きの予定は入れている物の、それらは特典チケットなのでPQMはつかない。それらの予約に付帯してPQM購入する事も可能何ですが、今のところ1PQM当たり18円位とかなりコスト高でちょっと手を出す気になれない。それでも、来月8月にはSingapore行きを、9月初めにはGuam行きを、それぞれANAのSKYコイン利用や格安チケット(P-Class)等で手配していますが、それらのフライトを完了しても、まだ68,026PQMとやっと2/3を超える程度。残り1万PQMを切るような状態になれば、最後の手段のHND-OKA往復で何とかなるんですが、流石に32,000PQMをそれで埋めるのは一寸キツい。

理想はやはりUAで予約して飛んで、PQM獲得と共にLifetime Mileもそれなりに伸ばしていきたいのだけれど、コスト(料金)的な事や快適性を考えると、ANAでANA便を予約して、支払にSKYコインを利用してコストを押さえつつUAよりも快適な気ない環境は満喫したい(笑)。で、残り距離(PQM)から言うと、TYO-SIN二往復すると、26,624PQMで68,026+26,624=94,650PQMとなりますが、となるとTYO-SINを一年間で4回往復することになり、これはちょっと不味いだろうという気も。過去最大でも3回程度ですからねぇ。そろそろ飽きてくるし(笑)。日本と北米の往復なら、一度に2万PQM以上、上手くすれば3万PQM位一気に獲得出来ますが、この場合は旅行日数が最短でも4日から5日掛かるので、これがスケジュールを凄く限定する原因にも。日程的に何とかしても、料金がやはり高いんですよねぇ... もう少しして、夏のシーズンが終わりかけたら少しお得な料金が出てくるのかもしれないけれど。

で、数日色々探してみていたんですが、9月の後半くらいからハワイ行き料金がぐっとお得になっていることを発見。SKYコインを少し足せば、1PQMで9円位にまでコストも落ちます。成田発だけれど、金曜日の夜発のフライトもまだ少し残っていて、金曜日のお昼前にホノルル到着。現地滞在は土曜日一日だけだけで、日曜日の朝のフライトで日本に戻り月曜日午後着という慌ただしい日程になりますが、まぁ目的はPQM獲得なので問題無し。獲得可能なPQMはNRT-HNLでは15,324PQMと少し物足りないんだけど、予定しているSingapore行き、Guam行きと合わせて、83,350PQMまで行きます。残り17,000PQMをどう埋めるかだなぁ... 3回目のSingapore行きを入れれば96,662PQMまで届きますから、後はHND-OKAを1往復すれば10万PQM達成となります。これが一番楽かな。秋になると、台風のシーズンでもあるから、沖縄行きのリスクも一寸高くなるし。実は、今回決めたHonolulu行きに、HNL-SFOとかHNL-LAXとか組み合わせてみようかとも思ったんですが、その為にはもう一日Honolulu滞在を伸ばさないと一寸面白くないし、肝心のHonoluluからのフライト、Honoluluへの戻りフライトでなかなか都合の良いものが空いていなくて、まぁここで無理しなくてもまだ時間は有るから何とかなるかなと考え直して、別途頑張ることにします(笑)。(続く...)

本質は二重国籍じゃ無い

やっと「説明責任」らしき事(No1, No2, No3, No4, No5, No6, No7)を果たした民進党代表の蓮舫氏。「二重国籍状態」であったことは以前から滉中なわけで、問題なのは公党の代表でありながら途中での説明に「嘘・虚偽説明」が含まれていたかどうかという事だと私は思うんだけど、会見の質問内容を見ると質問するメディア側は余りその点を追求していないみたい。蓮舫氏は「手続きを怠っていたことは事実だが故意では無い」と言って説明完了みたいだけれど、それなら様々な問題に関して「故意では無い」と説明したらOKなのか?

しかも今回の台湾籍(中国籍)離脱手続きに関しても、提出された日付けを時系列に並べていくと、どうも不自然なことが伺える。今回提出されたパスポートは、1984年に失効している台湾のパスポート。先ず一つは、国籍離脱には有効なパスポートが必要との事で、そうなるといつどの様に有効なパスポートが手配されたのか、その説明が必要

説明不足以上に、その釈明会見の中で本来は今回の疑問とは関係無い話を入れることで、議論の矛先を変えて拡散させようとしているところは、まるで加計学園関連の質疑での前川氏の説明を聞いているような雰囲気も(笑)。彼女は自分自身を多様性の象徴とか自ら言っているみたいだけれど、それならちゃんと自分のアイデンティティを説明すればいいだけで、それを怠けているから誤魔化しているから周りから疑問を呈されているわけですからね。誰も、二重国籍だからと非難しているわけでは無いし、ましてや台湾籍だからと問題にしているわけじゃ無い。ちゃんと正直に説明して謝るところで謝罪していないから、みんなが不満と疑惑を呈しているわけで、それを自分が悲劇の中心に有るような良いわけは止めて欲しい。

結局メディアはこのままフェードアウトを狙うのかもしれないけれど、それを許すならもっとちゃんとした証拠が出ている加計学園や森友問題もちゃんと経緯と事実を報道して、結論を出すべきでは。言い方は悪いけれど、野党と一部メディアは結託している、と言われても不思議は無い状態だなと言う疑問しか残らない会見だったような気がしますねぇ。今回の件、台湾でも話題になっているようだけれど、台湾から何か爆弾が出てこないだろうか(をぃ-笑)。

2017年7月18日

納得できない理由

加計学園問題で、これまでの同様の話と比較して、かなり色々な一次資料は公開されているし、国会などの場でもその内容はともかくとして何度も質疑も行われているのに、一向に国民は納得していないという事ばかり伝えられます。二言目には「内閣の丁寧な説明が求められる」と言うけれど、元々そんなことは無かったのに丁寧な説明ってどうやればいいのか。先日の閉会時参考人招致の様子を見ていても不思議だったのは、与党側はそれこそ誘致に奮闘した前知事とか、当時の厚相担当者など、直接JIA引火変わった人を参考人として招致していたのに、野党側は今回の騒動の中心人物の前川氏のはつげんをよりどころとして、彼の発言が「絶対正解」という前提でしか話を進めていない。でも今証拠として出されている内部文書は別に彼が書いたわけじゃ無いし、彼自身も例えばその文書に対して決済したわけじゃ無くて「当時のふん以下から正しいと思われる」と第三者の憶測でしかものを言っていないわけですよね。

そんな状態なのに、メディアも伝える時は「前川氏の発言を覆す証拠は無い」とか「判で押したような回答」のような、その内容を比較精査しての報道では無く、もう印象操作と言うよりも下手な政治ドラマでも見せられているようなワンパターンの報道と言うか報道バラエティを連日放送しているわけです。先日の内容でも、多くの放送局では加戸前知事の発言内容は取り上げずに、逸れ以外の前川氏の話中心に放送しているけれど、これまでと同様の発言を繰り返す前川氏よりも、今回新規に登場ししかも当事者として発言しているかと前知事の内容の方が伝える意味があるんじゃないの? まるで、加戸前知事の発言が広まると困るから隠して置いた、戸勘ぐっても不思議では無いような構成です。

流石にそういう内容は酷い感じる人が多かったのか、日頃安倍政権、自民党等に否定的な人達からも、少なくとも事実は伝えるべきと言う意味の発言が出てきたりして、まぁ普通はそう考えるよなと今更ながらそっちの方に驚いていたりして。大体、生中継していたはずのNHKの番組ですら、全く加戸前知事の発言は取り上げずに、「これで内閣の問題がはっきりしました」みたいな事を平気でいっちゃう、NHKのコメンテーターなんて、もう最初から筋書きありきかよほどの被害妄想なのか...

だから感じるのは、ここまで普通の国民や市庁舎が「納得できない」と言っているのは、説明する政府・内閣の責任と言うよりも、それらを伝えているメディアの責任の方が大きいのでは無いかと思うんですよね。例えば納得したかどうか聞く場合に、ライブで流れた前場面を見た上でそう感じるのか、情報ニュース等の間接的に伝える番組からの情報だけで判断したのか、そういうものは知らなくて一般的な雰囲気の中での判断での回答なのか、そういう属性を調べてみたら凄く違う結果になると思う。その中で、実際の様子をストリーミング等で見た上で判断した内容と、メディアの番組経由での内容が明らかに反転していたり乖離していたら、それってメディアが意図的に何か注入したと言うことも言えるわけで、そういう部分は実は放送法でしっかり検証する必要があるのでは。よく説明責任という言葉をメディア使うけれど、メディア自身にも「伝達責任」「報道責任」という同じくらい重い責任が有る事をもっと自覚するべきだと思う。

内閣支持率

最近の加計学園などの問題から、直近の内閣支持率調査では30%を割るものも現れているなど、急速に支持率を落としている安倍内閣。個人的には、内閣の問題と言うよりは、意図的なあるいは恣意的な報道による物が大きいと思うけれど、その行為者であるメディアが調査して支持率急降下と伝えて、だから加計学園問題はと、自らメディアの無限ループを作るのはいかがなものか。でも、「支持しない」がイコール野党への支持率では無いわげて、それは政党ごとの支持率を見れば一目瞭然。

同じ記事にある政党支持率では、自民党が前月の36.4%から30.7%と5.7ポイント落としているけれど民進党なんて、7.9%から5.8%と2.1ポイントの下落。これ、元々の支持の割合から見たら自民党の倍以上の下落と言えます。民主党が政権を撮った時には、自民党と民主党、それぞれ支持率が20~30%台で拮抗していたことを考えると、確かに自民党への圧力は増えているけれど、あの時とは全く状況が違う。大体、野党四党(民進党、共産党、自由党、社民党)の合計が10%に届かず、さらに前回からも減っていることを見ると、国民としては今の与党に不満はあるけれど、決して野党にその大体を期待していないという事を表しているのでは。支持無しや無回答が増えていることを思うと、ある意味今のドタバタに嫌気がさしているという見方も出来る気がします。

あと、設問の書き方にもよるけれど「支持しない」=否定だけでなく、「不満」「いじらしさ」みたいな、消極的に否定しつつも絶対的な反対では無い、と言う意味も含まれているんじゃ無いだろうか。そうなると、良く設問であるように中間的な意思状態の人数も考慮すると、実は今の与党で良いと思っている人の数自体は全体では変わっていないけれど、その程度は積極的支持が大きく減って消極的支持に移動した、と考える方が自然かも。だからこそ、野党の指示だって増えていないわけですし。

例えばアメリカの二大政党の支持率なんかなら、結構はっきりとどちらを支持と言う聞き方も出来るし答える方もそう答えやすいと思うけれど、日本のように多党政治の場合はなかなかそうはっきりと線引きは出来ないでしょう。また日本人的な気質というか考え方も含めると、なんとなく否定する要因があればマイナスの方向に行きがちな事も多いだろうし。そういう意味では、調査方法や抽出方法も含めて、もっと分かりやすく、また実状を反映するような内容を使用して欲しいし、それらの事柄も公開した上で「こう言う結果です」と全体が読者にも分かるような情報提供をしてほしい。単に結果だけ投げられても、それなら支持率が60%の時には問題無かったのか、と言う話になるわけですからね。

Sheraton Miyako Hotel Tokyo

前回からほぼ一月振りの滞在。金曜日の仕事終わりに、会社のある横浜から目黒まで東急の東横線-目黒線と乗り継ぎ、丁度タイミングが良かったので目黒駅からは15分間隔で運航されているホテルシャトルバスを利用しましたが、珍しく満席状態。

満席なのは、この後チェックインして部屋に荷物を置いていった2Fのラウンジも同様で、周知されてきたからか広い3部屋もあるラウンジがほぼ埋まっていました。何か落ち着かないので、ワインを1杯飲んで直ぐに退散。いつもの1Fのレストランへ行きましたましだ、こちらでの料理もちょっとなぁなレベルに。以前は結構美味しく感じられて気に入っていましたが、ここ最近は何か変に捏ねくり回して焦点が自分の欲している場所からずれている感じ。

翌日、遅めの朝食でラウンジへ行きましたが、この時も結構混雑していて、やっと見つけた一番奥の部屋の席では、一つテーブルを置いた隣に、かなり目立つ格好の20代前半の女性二人が座っていて、「私、結婚したいんだよねぇ」と朝の雰囲気には余り馴染まない話を真剣にしておりました。いゃ、そういう話は部屋の中でした方が良いんじゃ無いのか... 夜も朝も、一寸ざわつく感じのラウンジになってきましたね。

2017年7月17日

撤退戦

加戸前愛媛県知事の発言や、京都産業大学の会見などから、加計学園問題は当初言われていたような「お友達関係の優遇策」という疑惑が晴れつつある、と言うか、元々無いものを疑惑と言って騒いだ騒動がやっと沈静化しつつあるここ数日。いつも朝食時に母親が点けているTBS系列(地元ではSBS静岡放送)の「朝チャン!」では、相も変わらず加計学園が怪しい論調を展開していて、今度は「平成30年4月開校は事前に加計学園に配慮したもので、京産大はそれによって事実上選択肢から落とされた」というシナリオをしたり顔で解説している。でも、今回の戦略特区は1枠を狙っての競争じゃ無いし、今治市がかなり先行して何度も準備して却下されて、を繰り返してのやっとの採用なわけで、言い方は悪いけれどここ1~2年で申請に回った京都府・京産大よりも、何事も先行していることは当然。だから、特区提案にしても指定にしても、加計学園は1年以上も京産大に先行していたわけだから、逆に後から準備不足で提案してきた京産大が加計学園を押しのけて採用されたら、そっちの方が何か裏があったんじゃ無いかという気がするのが普通では。

で、逆に厳しい条件の特区に採用されたなら、それは規制側だけで無く申請した運営側にも様々な条件が要求されるのは当然で、だから申請が通ればそこから可能な限り早い時期に開校をしてちゃんと教育をスタートさせなければならないのも当然。公開されている資料から、加計学園の特区指定と獣医学部新設が確定したのが2015年12月だから、そこから同様のケースである成田国際医療福祉大学の例を参考に最短なら2018年(平成30年)4月開校という線を出してくるのも当然でしょう。この場合は、今治市の場所も決まっていたし、それなりに誘致計画も事前に進んでいたからそういうスケジュールを双方飲んだわけで、仮にそういう誘致場所も詳細も決まらずに決定(する事は先ず無いと思うけれど)したならば、当然それなりの猶予期間も含んだスケジュールが提示されるだろうし。「早く決まったことがおかしい」とテレビの中でしたり顔で言う自称ジャーナリストの皆さんは、本当に公開資料に当たることすらやらずに、自分の都合の良い情報のみつまみ食いして、その背景調査どころか正誤に関しても調べずに堂々と虚偽報道に等しいことを拡散している。

それでも、以前と比べて大分トーンが落ちてきている気がするのは気のせい? 以前だと、例えば日付けのことを言うにしても「安倍総理とお友達で無いとこんな日程は出ない」とか、首相との深い関係に疑惑を挟むようなことを言っていたのが、現在では事前に加計学園が知っていた、京産大は被害者だと、両大学の競争が不公平に行われたような論調に今朝は成っていて、総理との関係は言葉にせずに暗に加計学園や今治市と官邸の距離の近さ故に、不公平な競争が行われたというような感じに印象操作をして変化させている気がする。なんとなく振り上げた手の落としどころを探している感じで、最終的に加計学園問題が解決しても「政府はこう言う疑惑を持たれないように、もっと公明正大な対応をするべきで、かつ丁寧な説明を今後は気をつけるべきでしょう」と自分達の不作や怠慢を棚に上げて政府が悪いという結論で終わらせる気なんだろうな。こう言う事こそ、BPOに掛けて、本当に調査しているのか、放送局や担当者の怠慢が無かったか、ちゃんと調べて欲しいですよね。特にNHKなんかは、こちらの事実上の税金みたいなもので運用されているわけだから。

民放に関しては広告収入がメインで、その為にどんな番組にも基本スポンサー企業がついているわけで、最近では気に入らない番組のスポンサーに抗議して間接的に圧力を加えるという方法がとられることが多々あります。個人的にはそう言うことはこれまでは好きじゃ無かったけれど、最近の特に報道関係の意図的な偏り歪みを見ていると、やはり放送局やメディアに対して何かするべきじゃ無いかという気持ちに変わりつつあります。例え、初期は色々な事情で間違ったことを報道していたとしても、段々と状況が明らかになってきたら、そこはまずは事実をちゃんと伝えることに修正すべきで、それすらもせずに自らの主張だけを「正義」とか「真実」という錦の旗を振り回して報道するのは、単なる「扇動行為」だと思う。さらに言えば、単なる「宣伝行為」でもあるわけですよね。それはもはやメディア、ジャーナリズム、とかではなく、プロパガンダシステムでしか無いんじゃ無いかと。それがよく分かるここ最近の騒動ですよね。

COSTCO 浜松店

「2017年夏オープン」との表示が出されていたCOSTCO浜松店(元のイトーヨーカドー宮竹店跡地)。今年の春頃までは、まだ更地の状態で、本当に夏にオープンできるのか、秋ならまだ良いけれど冬にずれ込むとか結局撤退とかじゃ無いのかと個人的に心配していたんですが、G.W.頃に通りかかると鉄骨が組み上がっていて、さらに最近みたところではもう「COSTCO」の看板が上がった外壁も出来ていました。

COSTCOと言えば、大容量の商品を大量購入するシステムですから、自家用車でアクセスして買い物するのが前提条件。だから、全国のCOSTCOは大体郊外にあってだ規模な駐車場が併設されているのが普通。ところがこのイトーヨーカドー宮竹店跡地は、郊外ではあるけれど周辺は昔の工場地帯が住宅街に変わりつつあるそこそこの密集地。それなりの広さはあるけれど、他のお店との兼ね合いも有りそんなに敷地面積としては広くない。だから、COSTCOにしては多分初めて建物上部にも駐車場を設置して、自動車でのアクセスを確保する予定。

このCOSTCO浜松店の予定地域ですが、昔は東綿紡の工場があったところで、"A"の交差点は、いつも渋滞。だからイトーヨーカドー宮竹店が有った時も、ここで渋滞していてどうしようも無い状態でした。数年前から道路の拡張工事が始まり、今では片側2~3車線になったので、南北の行き来は良くなったものの、"A"の交差点で西(左方向)に入る・出るのは一苦労。COSTCOが来たらもっと酷くなるんだろうなぁと思っていたら、"B"のところに取付道路を作っていることを最近発見。これで、地図南(下)になる浜松の市街地方向から来る車は、"A"の交差点手前で迂回されてCOSTCOの南側から入店することが出来ます。多分こちらからだと、店舗の上に出来るだろう駐車場に誘導されるんじゃ無いだろうか。黄色の道路"C"(国道152号線)が東名高速道路の浜松ICから接続しているので、市街からのアクセスはこちらの"B"の道路に誘導されるんだろうなぁ。北(上)から来る場合は、"A"の手前に出入り口があるはずなので、そっちから誘導されるのではと予想しているのですが。

調べてみると「2017年夏オープン」は、どうも予定9月1日オープン予定で場合によっては少し遅れるかもしれない、というのが今の状況らしい。まぁ、ぎりぎり「夏」と言えば夏だけれど... (笑)。一番近いCOSTCOは、中部空港店か、神奈川の座間店なので、豊橋辺りから静岡三島当たりくらいまでは十分商圏としてカバー出来そうですが、その分渋滞がますます酷くなりそうですね。特に週末とか祝祭日は、これまで以上に混雑しそうだけれど。それだけが気がかり。そうそう、この交差点"A"の直ぐ先にバス停があるんだけど、このCOSTCO停車のバスとか増便されるんだろうか。そうなると、うちの方向に行くバスが増える事になり、個人的にはありがたいけれど、イオンモール市野みたいに、浜松駅とCOSTCO往復だけになりそうな予感も。さてあと二月、どうなることか。

聴く"VR"

ヤマハが開発している「聴く"VR"」の記事。得意なサラウンド技術を利用して、ヘッドホン視聴時に効果的な音響効果モードを生成する技術。従来のサラウンド技術との違いは、多数のスピーカーを利用せずに2スピーカーのヘッドホンで際する時に、「"超"多チャンネル拡張技術」を活用して、より効果的な音場再現をすることらしい。

こう言う技術も面白いと思うけれど、個人的に欲しいと思うので、家の中何処にいても自然な感じで音が伝わる技術。それも、移動しながらでも位置関係が維持されるようなもの。

例えば、コンシェルジュ機能みたいなものがあった場合、リビングで仕事の予定とかリクエストなどの相談をしつつ、そのままリビングから玄関に移動しながらでも、対話している仮想的な位置関係が壊れること無く、そのまま移動に追随して音の再生をしてくれるとか、音楽を聴いている時も、途中で一寸リビングからキッチンに移動して飲み物を撮る間も、体の位置や向きが変わっても再生音の音場が変わらないようにダイナミックに変更してくれるとか。さらに言えば、映像とも合わせて、例えばコンシェルジュ機能の時には、移動する本人を追随する形で空間映像も移動させ、だから音の位置もそれに合わせて移動させるみたいな。

多分、この技術を追求していくと、一種に「ホロデッキ」みたいなものに繋がるんじゃ無いかと思うんだけど、それはまだまだ先かな。ただ、空間に自由に音場の再生空間を構築出来るなら、人の会話I/Fとして恰もそこに人が居るように、あるいはその音場空間と自分の位置関係が、どんなに移動しても維持されるような「音再生技術」っていうのがあると、ちょっと面白い気がする。それも、ヘッドホンとかイヤホンなどを利用しなくても、自宅とか限定された空間で良いから、空間に再現されると良いなぁ。仮に、自分が自宅を新築する機会が将来有ったとしたら、そんなスペースをちょっとつく伝みたい。ヤマハは地元の企業だし、協力してくれないだろうか(笑)。

2017年7月16日

報道責任

不破雷蔵氏のまとめコラムから、報道関係者のSNSでの「無責任・無法発言」について。
新聞などのメディア関係者がソーシャルメディアを利用すると、馬脚全開モードに突入する呪文がかけられてしまうのではないかという感を覚えさせるのが現状。
の最初のまとめが全てを表している気がするんですが、個人的に感じるのは「記者・報道関係者」という情報を扱う仕事をしているくせに、SNSでは延髄反射というか直情的な言葉を書き込んだり、検証など無く自分の欲している意見をそのまま掲載したり、およそ一般ユーザーと同等以下の反応しかしないこと。勿論中には上手く利用されている人も要るわけですが、かなり乱暴な言い方をすると、自分や自社の記事などの宣伝(リンク)をするか、自分が気に入った意見をそのまま垂れ流しているかしかないような気がする。

例えば一般ユーザーであっても、適当な情報を流したりしたら非難されるわけで、それがそう言うことを生業としてかつ公共の利益を重視しているはずの人達がその程度の事も分からないのかと、小一時間。結局、その程度の人間が書いている記事だから、その程度のことしか掲載されないという理解で、最近では信用できない情報の一番初めになるくらいの某新聞とか某新聞とか某通信社とか(笑)。

今回の少なくとも加計学園関連の報道に関しては、全くの思い込みあるいは提供された情報をちゃんと検証もせずに公に記事として配信しているわけで、それは遺物購入の製品が市場に出る場合と全く同じはず。記事の訂正は勿論だけれど、それ以上に何が間違っていて何が正解だったのかを、ちゃんとそれなりの紙面(情報量)と期間を費やして報道するべきでは。そうで無ければ、「報道」を名乗るべきでは無いと思う。

例えば何かの事件を扱う記事の場合、最初は不明な点が多々あり真実に行き着かないこともあるだろうし、場合によっては当時の情報不足から誤報してしまう場合も有るでしょう。でも、今回の加計学園問題に関しては、最初から全ての情報は公開されていたわけだし、メディア側が論拠として「文科省の文書」にしても、その出所は不審点が多いわけで、それを根拠にあたかもそれが正義として伝えたことは、今回の責任だけで無く、将来的にも同じ手法で自分達が欲する方向に誘導する可能性があることの方が重大だと思いますね。

報道機関を「第四の権力」とか「権力の監視者」と言うのであれば、今回の事件を参考に我々がもっと報道の監視者としての役割を強めないといけないのでは。フェイクニュースは論外だけれど「怪しげな情報(Suspected News)」もに関しては、もっと厳しく監視しないと、結果的にそれが事実になってしまう経験を我々は一度経験しているわけですからね。報道に対しても、まず疑って掛かる、事を忘れないようにしないと。

ネット配信

動画ビジネスや動画マーケティングに関してのカンファレンスイベントに関しての記事。フットボール中継でお世話になっている、リコネクトTVも出席していて、現状などを話し合った様子。

その内容にも寄るけれど、今の「電波」に縛られた放送では、地域が限定される(電波の到達距離の範囲)、免許など様々な手続きや送信装置など大規模な設備が必要等、火なりハードルが高いもの。でもネット配信なら、サーバーとネット回線があれば基本配信に関しての設備は完了。免許もいらないし、最大のメリットは日本だけで無く世界中で視聴可能と言う事。

一番の問題は、記事にも書かれているように収益性をどう担保するかと言う事。個人的には、ライブ中継は無料にする。但し、回線への負担も考えて解像度などは少し落としても良いと思う。で、それとは別にアーカイブは有料にして、後日視聴したい場合は何からの登録制にして、そこから収益を確保する。例えば記事にもあるように、ファンクラブなどと連動して、メンバーになると録画された試合を再生出来る。さらに追加料金を払えば、高画質の映像を視聴できたり、場合によってはダウンロード可能な事も良いかもしれない。

例えばフットボールの場合、フィールドには明確にラインが引かれており、選手の番号なども分かりやすい。しかもプレーの方向も分かっている。だから、AIを利用して自動的に撮影することが可能なんじゃ無いかと。勿論、人間が操作するカメラも入れて、ダイナミックな映像も撮影出来れば良いけれど、AIによる自動撮影のカメラを何台も準備出来れば、例えば通常はバックスタンド側にカメラを設置して、ホームチーム中心に試合の様子が撮影されるけれど、逆にホームスタンド側に瓶を置いて、ビジターチーム中心の映像撮影が出来る。そうすると、どちらのチームに対しても訴求できる映像が残せるから、有料配信の時には一つの付加価値になるんじゃ無いかと。

NFLの場合、長く地上放送が独占していて、しかもホームゲームの場合はスタジアムを中心に一定地域ブラックアウトして観戦に誘導していたりしていました。それが、衛星放送になり各チームごとに放送されるようになると、火なり視聴者が増え、結果的にビジネスにも貢献している。そして、バーチャルラインのような技術も登場して、見やすさ理解しやすさも発展していきますしね。デジタル合成技術とAIによって、省力化しつつも魅力有る映像が可能になるわけで、しかもそういうものを民生用のデジタルカメラとかパソコンでも技術的には可能なわけで、ネット配信の技術的な部分というのはかなり成熟している気がします。後は、その見せ方の問題なわけで、そこはAIではまだ到達出来ない分野。そういう閃きを人間がどれだけ出していけるかが課題なんでしょうね。既存の放送は、過去の経験に縛られすぎて、中々そこから脱客出来ない訳で、そういう柵がない分ネット配信はもっと大胆なことをやって欲しい。とは言っても、その為にはそれなりの財政基盤も必要なわけで、逆にネット配信の弱点でもあるわけですよね。そこが最大の課題なんだけれど。

京都産業大学の会見 (2)

一昨日の京都産業大学による会見について、読売新聞による内容の文字おこし。こちらの内容を読み返しても、加計学園との競合とか優先順位争いをした事実は無いわけで、純粋に京都産業大学が提案してから実現するまでのスケジュール感を読み間違えて準備期間が取れなかったことが理由のよう。敢えて言えば、想像ですが、加計学園は10年以上も前から準備をしているから、例えば課題となる教員確保などについても、公立大学を体感する教員をある程度確保していたのかもしれない。また、「広域に存在しない地域」という括り関しても、少なくとも京都産業大学側は自分達がそれによって制限されるとは考えていなかったわけで、それも含めてますますどちらの大学も独立事象として申請作業を進めていた異なるわけで、唯一の違いはスタートしたタイミングだけと言えます。

ここで個人的に疑問点として浮かぶのは、その広域に存在しない等の条件付けが、獣医師学会側とと当時の地方再生担当大臣だった石破氏によって準備されたという点。「地方再生担当大臣」であれば、地方活性化のためにはこう言う規制事項は無くすべき、あるいは制限を減らすべきだと思うのに、逆に制限を作るというのは何故だろう。しかも獣医会側は、一校だけに制限できたと「勝利宣言」までしているわけで、何か本末転倒な気がする。また、この事案の急先鋒だった民進党の玉木氏は「石破四条件」を盛んに強調しているけれど、それ自体自分が関わって作成されたと言っても良いような状況では無かったのだろうか。最も今治市と掛け学園側は、その四条件もクリアーしての申請という事は、ワーキングブループの議事録にも明記されているわけで、そういう意味では玉木氏の発言には何の力も無い。

最近メディアに露出している石破氏だけれど、結局地方再生担当相として何かやって来たのだろうか。結果的に記憶に残る実績って無いように思うのだけれど。その上で、既得権益側と裏で握るようなことをやっていたとなると、彼の政治家として、あるいは与党の担当大臣としての責任問題にも関わるような気がする。今後、民進党や獣医師会へ責任追及の矢面が向くとしたら、当然石破氏の行動についてもちゃんと検証されて評価されないと駄目でしょうね。

で、すこしずつこの問題の風向きも替わってきた気がするけれど、今治市とか加計学園側は損害賠償なり名誉毀損なりの裁判とか起こさないのだろうか。学校法人として火なりの影響があっただろうし、今治市としても、余計な労力やお金も掛かっただろうし。いゃね、最初にこんな疑惑があると提起するのは、それはまぁ良いでしょう。でも、先ずはちゃんと残っている公式の議事録なり資料を確認した上で、その上で何が問題なのかちゃんとせずに、出所不明な「怪文書」だけを理由にここまで騒ぎを大きくした罪は重いと思う。早速netgeekは「タマキード事件」と名付けているけれど、まぁ今回の件は石破氏とこの玉木氏の二人をちゃんと証人喚問なり参考人招致して、きっちり当時の状況を説明して貰わないと、「獣医師学会利権疑獄事件」は解決しないですよね。総理も出席しての国会審議も、羅最終のタイミングとなると民進党自身が引っ込めてくるかも。それだけ、来週中に色々なことが動き始めるんじゃ無いだろうか。

2017年7月15日

ノイズキャンセリング

最近移動中にiPhone6で音楽を聴く時には、ANAの機内販売で購入したBOSEのQuietComfort 20iを使用しています。ノイズキャンセリング機能もさることながら、イヤーパッドが耳穴に挿入するという要理くっつける感じで負担が少ないのが凄く良くて、それで最近のお気に入りになっています。もう一つは、リモコンがついているので、iPhoneのプレーヤーを手元で操作出来ること。これ、移動中特に絶って電車などに乗車している時には凄く便利。

で、昨日の金曜日の出社時に、たまには変えてみようかとふと思い立ち、かなり昔に購入したER-6iを引っ張り出してきて試してみました。これは、もう10年位前になるかなぁ、フライト中に外部のイズを遮断しつつ、子守歌代わりに音楽を流せるようにと思って初めて購入したカナルタイプのイヤホン。最初のその温室の良さに驚き、以後ずっと使用しているもので、その後ER-hf5とかER-4Sなんかを購入する切っ掛けになったもの。イヤホン部分が小さいので、装着しやすいというのも気に入っていますが、密閉度が高いので外部の音がほとんど聞こえなくなり、だから気をつけないといけ異な事もありますが。で、BOSE購入前にはER-hf5とか中心に使用していたので、本当に久しぶりのER-6iで、音が出るか心配でしたが相変わらずいい音を鳴らしてくれます。密着しているから、新幹線の雑音も気にならない。というか、BOSEを購入直後に感じた、ノイズキャンセリング機能故に実際の再生音の輪郭が甘くなる感じを再認識してしまいました。この輪郭のクッキリした音を聞くと、やはりBOSEの音はぼやけている感じがします。

まぁ、BOSEには装着感というカナルタイプには出来ない機能があるし、リモコンもついているので、それは毎回充電しないといけない手間を補って余り有る機能だと思うけれど、事温室に関して限定すると、やはりノイズキャンセリングタイプは不利だなと。だって、ノイズを相殺するためとは言え、再生する音楽の音以外の音を被せるわけですからね。イヤホン・ヘッドホン作成者は、どれだけ外部の音をシャットダウンしようかと苦労してきたことと、ある意味真逆のアプローチなわけですから。BOSEの場合は、イヤホン部分が密閉されていないことも、再生音の輪郭不足さを感じさせる理由なのかもしれませんね。ここの密閉度がアップすれば、例えば私は余り好きでは無いけれど耳を覆うタイプのヘッドホン利用なら、もっといい音が聞けるかもしれない。

いずれにしても、その使いやすさからBOSE購入後はほぼ移動時に使用してきたものですが、やはり音に集中できるという意味では、其れ以前に購入したカナルタイプのイヤホンには勝てないなと再認識。今後は、併用することは勿論、少しはこの奥で眠っていたイヤホン君達を、少し活用しようかと思っています。ER-6iについては、流石にもう古いモデルで開発元にも掲載されなくなったので、そろそろ使い潰しても良いかなと思うようになってきましたから。でも、このサイズでこの音というのはなかなか魅力的なので、暫くは使い続けると思うけれど。消耗品でもある、イヤーパッドとフィルターを今のうちに少し買い込んでおかないと(笑)。

高度プロフェッショナル制度

民進党最大の支援団体である連合が、民進党や共産党が「残業ゼロ法案」と名付けて反対している「高度プロフェッショナル制度」を盛り込んだ労働基準法改正案の修正について政府と合意したというニュース。最大の支持母体から、反対している政策について相談も無く合意されては、もう民進党としては立場が無い。まぁ、それもこれも政党としての役割を果たしておらず、だからいつまで経っても支持率も上がらず実績も残せず、支援団体としてもいい加減見限ったと言う事なんでしょうね。

この「高度プロフェッショナル制度」、これまで所謂「裁量労働制」と何が違うのかよく分からなかったんですが、どちらも基本的には残業代は計算され無いものの、裁量労働制では「休日・深夜割増賃金」と言う形で一部残業の時間管理が適用される一方、高度プロフェッショナル制度ではそれらも含めて時間管理をしないという事で、だから「残業ゼロ法案」という名称が生まれてきたんですね。で、連合としては、心身に一番負担が掛かるであろう休日・深夜労働に対しての歯止めが無くなることが反対要因だったけれど、代わりに業務終了から次の開始までのインターバル休憩の確保や労働上限時間の設定に年間休日の確保など、過剰労働に対しての歯止め措置を追加する事で合意に向けて進んでいるという話らしい。

全ての職種がそうなるとは言えないけれど、仕事の内容によっては「量=時間」よりも「質=成果」で評価された方が、企業にとっても労働者にとってもメリットがある仕事も多くあります。実際、自分ももう10年以上も裁量労働制で仕事をしていて、まぁ首にもならずに仕事が出来ていて、それなりの給料(年俸制)も貰えているから、それ自体が問題のある制度だとは思わない。実際、会社だけで無く業界全体だったり、日本の経済自体がどんどん厳しい状況になり世界との競争状態になってきている現在では、効率化とか生産性というのは急務の課題。その中で、量よりも質を求めるのは当然のことだろうし、今後人口が減少していく日本にとっても必要な措置でしょう。さらに言えば、量で評価される仕事のうち、例えば単純作業的なものとか、時間での作業が必要な職種は、多分どんどんロボットとかに置き換わっていくはずなんですよね。だから、量で評価できるような仕事から質で評価される仕事に人は変わっていく必要もある。これって、火なり大変なことだと思うけれど、結果的にそれがより豊かな仕事に繋がるだろうし社会生活にも繋がるはずなんですよね。

とは言っても理想通りに進まないのも現実社会。休日取得や労働時間の上限設定などで歯止めを掛けるけれど、これも勘ぐった言い方をすれば健康診断だけ導入して後は好き放題なんていうブラック企業が生まれるかもしれないし、ある程度量での仕事が必要なのに、無理矢理質の労働を言われて、結果を出せずに評価が下げられて給与が下がり、という負のループだって生まれるかも。でも、今の量の仕事に問題があるから「過労死」とか「サービス残業」という弊害が長く言われているわけで、そういう環境を変える一つの切っ掛けになれば良いんですけどね。いずれにしても、本来なら民進党が支持母体の意見を集約して、ちゃんとそれを実現する仕事をしなきゃいけないのに、結局それが出来ないから愛想を尽かされたのがこの結果。自民党だって、例えばTPPのように反対された法案でも、苦労しながらも落としどころを探して結果を出しているわけで、そういう意味では「格の違い」みたいなものを改めて感じる話です。

京都産業大学の会見

加計学園と同じく、獣医学部新設を目指していた京都産業大学が、その新設を断念することを発表した記者会見。その様子を伝える主要四紙の記事が、明らかに違いがあって面白い。
  • 読売新聞
    • 教員確保が難しいことを理由に断念する方針を発表した。
  • 産経新聞
    • 「教員の確保などを考えると、タイトなスケジュールだった」と申請を見送った理由を明らかにした。
  • 毎日新聞
    • 広域的に獣医師系養成大学等が存在しない地域に限り新設を認める方針を決めたことで事実上、除外される形になった。
    • 京産大は学部を開設する事業者への応募を見送り、加計学園が事業者に認定されていた。
  • 朝日新聞
    • 加計学園と競合していた。
    • 特区の事業者には、安倍首相の友人が理事長を務める加計学園だけが応募し、認められた。
    • 野党は、政府が意図的に京産大を外したのではないかと追及している。
読売、産経は、京都産業大学が新設を断念したのは、教員確保などの準備時間が足らなかったからと書いていますが、これは加計学園が今治市などと協力して10年単位で準備してきたことを考えれば、理解出来る理由。ただ、加計学園が以前から開設準備をしてきていて、それはよく知られた話出会っただろうから、最初から教員確保が難しいことは分かっていたはずで、その読みの甘さの理由が一寸疑問ではありますが。あくまで推測だけれど、新規の加計学園に対して、知名度と実績で勝る京都産業大学なら教員は集まるだろうという目論見だったのが、採用条件の良さなどで掛け学園側に流れてしまったのかもしれない。いずれにしても、京都産業大学側の理由で申請断念していることは分かります。

方や毎日、朝日は、火なりバイアスを感じる言い方。毎日は「事実上、除外される形になった」と書いていて、この「事実上」というのが嫌らしいですよね。でも、大学側は教員確保の難しさから降りたと説明しているから、毎日の書いているように地域性云々の理由から除外されたわけでは無いので、これは嘘。また、京都産業大学の応募見送りと加計学園の認定が対のような書き方をしているけれど、別に二者択一の話では無いわけだし、これも加計学園が優遇されたという意識を植え付けるような誘導的な書き方。

一番酷いのが朝日で、別に競合していたわけでは無いのに「競合していた」と言い切るし、紙面の文字数が限られているだろうにわざわざ「安倍首相の友人が理事長を務める加計学園だけが」と飾り言葉の方が長いし、さらにはこの会見の趣旨自体が京都産業大学自身の判断で申請断念したと説明しているのに、「野党は、政府が意図的に京産大を外したのではないかと追求している」と、ここでも政府側の優遇措置があったかのような言い方をして読者の判断を誘導しています。まぁ、元々の「前川文書」を掲載したのも朝日新聞だし、この件以外でも内閣というか安倍総理追求の急先鋒でもあるので、この位は書くだろうと思うけれど、それにしても酷い内容。朝日新聞の記事の冒頭では、
安倍晋三首相は、加計学園以外にも獣医学部新設を認めていく方針を6月になって示したが、教員数が限られる中で、そもそも実現性の低い方針だったことが浮き彫りになった。
と書いているけれど、新設する機会範囲を広げていくことと、今回の京都産業大学が申請断念したことは別事象の話。もう一つ、新潟大学も新設準備を以前していたわけで、そう言う機会が今後増えていけばいい話で、問題なのは今回の加計学園が最後になってしまうことでは。また、記事の最後にも「加計学園の影響で断念することになった。」と、あくまで加計学園ありきの結論というような誘導を見せているけれど、それは教員の確保の話でありそれならば実績のある京都産業大学の方が有利だろうし、新規の加計学園に出来て居ることが何故出来ないのか、その理由をちゃんと説明すべきでは。結局は、以前から準備してきた加計学園が教員を確保したので、京都産業大学まで手当てする余裕が無くなったのだと思うから、それは確かに加計学園の影響かもしれないけれど、それは巷で言われている優遇措置の話とは別の理由なんだから、こう言う誘導的な書き方はおかしいでしょう。

いずれにしても、京都産業大学の会見の様子を見ると、そもそも京都産業大学は申請の準備はしていたけれど実際には準備期間の短さから申請辞退していなかったわけで、そういう意味では「加計学園優遇」以前の話。さらに、広域的地域に一校と言う話も、京都産業大学側は断念の理由では無いと否定しているから、その点を強調しているメディアは少なくとも「嘘」をついていることになる。また、今回の決定に関しては京都産業大学側は不透明では無いと明確に否定しているわけで、結局一部メディアが煽った疑惑自体が「大きな疑惑」に変わったと思うのは私だけ?!

2017年7月14日

旅館革命

東洋経済のサイトに掲載された「外国人が心底ガッカリする日本の旅館事情」というコラム。最初の長期滞在に不向きというのはそうだけれど、長期滞在する人は昔ながらの「旅館」には宿泊しないのでは無いだろうか。星のやに代表されるような、今風の「日本式旅館風ホテル」に宿泊するようなきがする。逆に言えば、既存の旅館で会っても、そういう部分を意識して回収すればビジネスチャンスが広がるという事でも有るけれど。

一番納得するのは二番目の、宿泊費が「一部屋幾ら」では無く「一人幾ら」の計算になっていること。記事にもあるように、旅館の場合は食事代込みになっているから人数で計算する必要があるのは分かるんだけど、海外のほとんどのホテルでは部屋が品分けで、その部屋の定員内なら料金は変わらない。これが一番外国人から見たら分かりにくいシステムだと思う。

食事に関しても、ホテルとことなり何種類ものレストラン等を整備するのは大変だろうから、例えば近隣のフレンチとかイタリアンのレストランと提携して、食事はオプションで旅館なら和食、逸れ以外の食事は周辺への送迎サービスも含めて対応するなどして、幅を広げるといいかも。これは、日本人にとっても嬉しいサービスだと思うし。逆に、旅館の敷地にそういうレストランを誘致して、レストランはレストランとして独立したビジネスをしながら、ある程度旅館側と連携してビジネスするというのも良いんじゃ無いだろうか。

三番目のルームサービスとか四羽目の夜のエンターテイメントに関しては、これはその旅館のある地域やコンセプトにもよるだろうけど、一寸微妙な感じがする。元々このコラムが、富裕層の外国人観光客が長期間滞在する前提で話をしているけれど、何もそういうところだけ狙わなくても言い訳だし、逆にそういう風輸送の長期滞在を中心にするなら、そういうホテル形式の旅館にして、逆に逸れ以外の宿泊客は減らすようなビジネスモデルにするという事も有るわけですから。その当たりも、別に旅館自体が人や物を配置してそう言うことをしなくても、例えば地域の中でそういうサービスを提供する共同利用可能な会社を作って、夜はそちらがマネージするとか、共同の施設で例えばカラオケとかミニシアターとか、そう言うことをやったらどうだろうか。

で、最後の老朽化に関しては、確かに段々と旅館利用者が減少していって設備投資が出来ないのでじり貧で老朽化していくのはありそうですよね。私も、最後に「旅館」に宿泊したのは、もう20年位前で、それ以降はほとんどホテルに宿泊しています。そのホテルにしても、それなりに有名なところでも、大手チェーン店でも、ある程度耐用年数が過ぎてきているところの部屋は結構アラが見えるもの。大手でもそんな状態だから、ある意味個人経営みたいな旅館はもっと厳しいでしょうね。このあたりは、設備投資が先か、集客が先か、鶏と卵の話にもなりそうですけど、旅館コンセプトを高級路線の不要そう長期滞在型とするのであれば、やはりそれなりにお金を掛けないとリピーターには成ってくれそうも無いですよね。

自分くらいの世代が「旅館」からイメージするのは、家族三世代くらいで訪れて、一泊二日とか2泊3日くらいで、海とか山の自然を満喫しつつ、旅館の両機を楽しむという、一寸した贅沢な時間をそこそこの料金で楽しめるかなと言うもの。それを外国人観光客のしかも富裕層ターゲットにするのであれば、考え方をがらっと変えて、外観の見た目や内部の様子、あるいは名称は「旅館風」だけれど、実際は高級ホテルのシステムというような「改造」をしないと駄目でしょうね。まぁ、その第一人者が「星のや」だと思うし、最近増えつつある滞在型の旅館風ホテルかなと思います。で、考えてみると、浜松なんかでも、浜名湖当たりのある地域全体を「旅館エリア」みたいにして、徒歩圏内に色々な種類のレストランを集めて、温泉とか浜名湖のレジャーとか、そういうものを集約してみたらどうだろうか。「道の駅」ならぬ「宿の駅」(何か意味が変か-笑)みたいな施設はどうだろうか。結構、面白い気がするんだけど...

宅配ロボット

歩道を走る宅配ロボットの実証実験を、宅配寿司の「銀のさら」が始めるという記事。具体的に、どう言う場所にどの様に配送するのか分からないけれど、例えば一軒家だとすると入口から玄関まではどうするのだろうか。アプリか何かと連動して、この宅配ロボットが配送先の家の前に到達したら、スマホで知らせるとか。さらに困るのはマンションなどの場合も有りますよね。

地形によっては坂のある場所だと登坂能力の問題も有るだろうし、段差があるような場所は無理だろうし、ある程度の地形認識機能は備えていて回避機能もあるんだろうけど、一寸難しそう。

今回は法律の事も有って程を走る様にするらしいけれど、歩道の場合は交差点があるとどうしても段差が生まれそうだし。その点一般道路なら、まず水平でなだらかな道が続くから、歩道よりも走りやすいことは確か。ただ、こう言うものが普通の自動車の中に混じって走ると大変そうなのは確かですよね。歩道よりを自転車が走っていたりすると、結構自動車から見るとイライラするけれど、それよりもゆっくりと移動する物体が出現するわけだから。将来的には、一般の自動車も自動運転機能が内蔵されて、それぞれが連携して移動するようになると、逆に安全性も高まって使いやすくなるんでしょうけど、それも法律でも変わって一斉にある意味強制的に移行しないと無理でしょうねぇ。

いずれにしても、こう言うものがすこしずつでも試されて社会の中に出ていかないと、なかなか実用化されないことも事実。でも、そのまま実用化されることもなかなか無いのも事実。個人的には早く実用化して欲しいところだけれど、道路事情を考えるとドローンによる配送の方が早いんじゃ無いかという気もしますね。あるいは、両方を組み合わせて、例えば無人運転トラックでタワーマンション前まで移動し、トラックの荷台からドローンが飛び出して配送先のベランダに荷物を配送して行く、みたいな。なんか、サンダーバードかSFの話になりつつあるなぁ...

説明責任

民進党の蓮舫代表が、18日に自身の二重国籍疑惑に関して、台湾籍を離脱していることを証明する書類等を18日に公開することを発表。何か微妙にトーンが変わってきている気がするのは気のせい?! 彼女は、「日本国籍はある」とか「問題無いように処理している」という言い方はしているけれど、決して「二重国籍では無い」とか「台湾籍は放棄済み」という確定的な事は言わない。結果、これまで何度も釈明会見はしているけれど、その内容は二転三転しているわけだし、その発言を裏付ける客観的証拠は示されていない。加計学園関係では、ちゃんとした公式な資料や議事録があれだけ公開されているのに、まだ「説明責任を果たしていない」とせめるメディアが、この件に関しては何も言わないに等しいのは不思議だなぁ(棒読み)。

彼女の場合、意図してかどうかは不明だけれど、議員になってからも台湾籍を持っているような言動をしていて、それは雑誌インタビューなどにも掲載されているわけです。まぁ、ハーフタレントとしての「付加価値」として敢えて言っていた可能性も勿論あるだろうけど、それらも含めてちゃんと説明をするべき。仮にも野党第一党の党首であるわけで、国会議員でもあるわけだから、国民から疑念を指摘されたら、それに対して真摯な説明が必要な事は彼らも何度も指摘していることですからね。

問題なのは、ちゃんと納得できる内容の資料が公開されるかどうか。それによっては、逆に国民の疑念は増すことはあっても決して解決しないわけで、そうなると彼女自身の問題よりも政党としての問題にもなりかねないわけで、そうなると一騒動かも。ただ、メディアは野党に対しては盲目ですからね。何があっても、「はい、解決、解決」で終わり、逆に政権に対してまた固めつぶったままのような報道が増えるのかも。さて、どうなることやら...

2017年7月13日

潮目は変わるのか

窪田順生氏のコラムから、先日の閉会中参考人招致に関しての大手メディア、特に朝日新聞の「偏向報道」に関して。放送メディアは免許制で、放送法でその内容に関して公正中立をうたわれているのだから、これは疑う余地無く変更した放送はするべきでは無いし、場合によって免許停止剥奪すら有っても良いと思う。一方で、新聞などのメディア企業は、あくまでそういう情報誌を発行する出版社ではあるから、また私企業として売上げを伸ばして利益も上げないといけないから、その記事内容にバイアスやフィルターが掛かるのは仕方ないと思う。ただ、そういう内容でありながら、自ら「真実」とか「正義」とか言うのはおかしいと思う。あくまで、そのメディアの主張であり、それが正しいかどうか、真実かどうかは読者が判断するべきもの。そういう意味で、窪田氏の内容には大方同意できるものの、途中一寸個人的には「???」となるところもあるんですが、ただ最後の結論に関しては大いに同意するところで、実は今一番危ないのが「大手メディア」だと思う。そして、主に新聞メディアの影響で、それに倣えをしている放送メディアも、場合によっては道連れになるかもしれない。

最近の支持率低下を見て、大手マスコミ等は「一強支配の終焉」とか「潮目が変わった」とかと、現在の安倍政権に対して批判的な意見を掲載しているけれど、確かに支持率と言う数字では低下しているけれど、実は安倍政権、自公与党以外の野党に対しても、支持率がアップしているわけでも無く、場合によっては更に低下しているところもあるわけで、言ってみれば「安倍政権一強の構造を維持したまま、政治に対しての支持率が低下している」と言えるのでは無いだろうか。特に民進党に対しては、それだけ与党の支持率が下がっても、支持率が上がることは無く、今でも低迷したまま。これが2009年の民主党政権誕生時の政権構造と大きな違いだと思う。あの時は自公与党に対しての支持率低下が、そのまま真民主党への支持率アップに繋がったわけで、だからこそその直後の選挙にも勝利することが出来た。でも、実際にやらせてみたらどうしようも無くて、三年半で再び与野党が交替したわけですが、あれが東北の震災が無く、管政権の政権にしがみつく態度が無ければ、もっと速く民主党政権は終わっていただろうと思うし。あの時も、多くのメディアは自公与党に対してはあれだけ厳しく批判していたものが、民主与党には全くと言って良いほど批判せずに三年間を過ごし、やっと野田政権末期でどうしようも無く経済が疲弊してきた時にはやっと民主党政権を批判しだしたけれど、それでもアサヒや毎日は「もう少し時間が有れば」みたいな、何か悔しそうな意見を掲載していた記憶があります。

多分、今の視聴者読者が持っているメディア・マスコミに対しての不満・不信感は、最近の森友学園・加計学園に端を発しているのでは無く、あの2005~6年頃位の小泉政権末期頃から芽生え始めた「何かおかしい」という気持ちが徐々に大きくなってきて、それが今ピークを迎えつつあるんじゃ無いかと思う。では、その「マスコミ崩壊」の引き金は何になるのか。個人的には、今回の加計学園問題の一番の問題点である「内部文書の流出元」が分かった時に、これまでそれを取り上げていたメディアは一気に信用を無くして衰退するんじゃ無いだろうか。実際に、あの文書のネタ元は前川氏が持ち込んだもので有る事は確実だと思うので、その自作自演を知りながら「客観報道」の様なスタイルで取り上げ続けた朝日新聞は致命的だと思う。じゃぁ、どうしたらそのネタ元が判明するのか。これがなかなか難しいけれど、一つはあの元文書を作成した女性文科省職員が何か発言すれば、一つ突破口が開かれるかもしれない。あるいは、何らかの理由で朝日新聞社内部の情報が漏れてくれば、これも一つ突破口になるかもしれない。いずれにしても、恣意的に準備された「情報」が、今回の一連の騒動の発端になっているわけで、それが意図的に仕組まれたものであるならば、それを利用したメディアの責任は非常に大きいことは確実。言ってみれば、嘘を真実と言って大衆を扇動したわけですからね。それこそ報道独裁、メディア全体主義とでも言えるような暴挙だろうし。ただ、過去の政権が色々な意味でお灸を据えられて正されてきたように、メディアも本当に一度痛い目に遭って反省することが必要なのでは。その日は、結構近いような気がする。

日本人がカードを使わないわけ

日本人がカードを使わない理由をアメックスが調べたけれど、良く理由が分からない、という結論になったらしい。まぁ、記事と言うよりは半分Amexの勧誘を兼ねたPR記事みたいなものだから、話半分と思った方が良いけれど、以前も書いたけれど欧米には「Personal Check(個人小切手)」が有ったから、玄関からカードへのトランジションとして有効だったことは、やはり最大の理由としてあると思いますね。ただ日本でも「売掛帳」というシステムがあって、まとめて支払うシステムが結構私の子供の頃まであったから、決して現金だけの社会では無かったはず。ただ、売掛帳ではまとめ払いで金額も大きくなるし、年度が替わればちゃらになるからそれを狙って逃げる人も多いわけで、逆にそれが都度現金払いという「性質」を日本人に植え付けたのかもしれない。

あと、この記事を読んでいて思いついたんですが、例えばスーパーのレジなどで精算する時に、少し前まではカード払いをすると、カードを預かり、カード面のプリントを取り、かーど会社に照会をして、さらに自分のサインをして、という手順がいろいろありました。あの「手間」が、日本人は嫌なんじゃ無いだろうか。日本人の場合、現金なら釣り銭無くぴったり払う人は多いし、お釣りが有る場合でも、多分世界で日本人だけだと思うけれど、端数を調整して、100円とか500円とか、切りのよいお釣りを貰うようにして、できるだけ買う方売る方時間短縮することを「美徳」と考えている気がする。それが、カード払いでは伸びるのが嫌なんじゃ無いかと。

勿論最近のカード端末も進歩していて、カードに登録されたデジタルデータを読み込んでPIN入力で精算出来るように、結構手間は簡略化されてきたけれど、それでもまだまだ時間掛かりますしね。理想は、電子マネー同様に金額を確認したら端末にカードをタッチして支払終了、位のスピーディーさは欲しい。欧米でパーソナルチェックを使う人が前に居ると、先ずバッグから個人小切手帳を取り出し、金額を確認して書込、そこに署名をして、それを破って渡すという作業に結構時間が取られてイライラしますが、やはり日本人は時間に敏感と言うか、ああいう部分は受入難いんじゃ無いかなぁ。電子マネーでも、既存のPOS端末とは別に電子マネー用の端末を準備している場合には、まずPOS端末で入力し、その金額を電子マネー端末に入力して精算して、さらにそれぞれのレシートを準備してと、買う方にも売る方にもまだまだストレスが溜まります。全部込みのPOS端末が出来てくれると一番良いけれど、でも全てのお店で電子マネー対応するわけでも無いですしね。その分コストダウンしてくれた方が、嬉しいだろうし。

さらに言えば、買い物のためにカードを、場合によっては何枚も持ち歩く必要があるのが苦痛。「現金だって、もっと多くの量を持ち歩く」というかもしれないけれど、カードが利用出来ない場合は有っても、現金が利用出来ないことはほとんど無いわけで、そういう意味では「持ち歩く意味」が有るんですよね。例えば「スーバーカードデバイス」みたいな、今のカードサイズのデバイスが生まれて、そこに手持ちのカード情報全部が保存でき、安全な方法で必要なカード呼び出して恰も本物のカードのように使えるようなものが生まれるとか、もっと進んで、例えば自分の指紋とカード情報を紐付けして、買い物した時には指紋認証一発で承認されるとか、そういう「利用時の手軽さ迅速さ」というものを考えないと、リンク先ページ最後のAmexへの勧誘も一寸魅力を感じませんね(笑)。

ミニマリストよりオプティマイズィスト

佐々木さんのところで話題になっていた「ミニマリスト(Minimalist)」の話。すでにTLで言い尽くされているように、しっかりとした社会基盤があるから、自分自身で保有しなくても代替機能や代替サービスを利用して生活できるわけで、言ってみたら「LaaS (Life as a Service)」とでも言うべきか。自分自身、そんなに所有欲は無いし、どちらかというと自分で保有するもの派できるだけ少なくしたい性分。例えば衣類にしても、一度購入したら数年所から10年20年30年使用しているものもあります。例えば、大学受験の時に母親が買ってくれたセーターなんて、火なり擦れてヨレヨレになっているけれど、今でも現役だったりするし(笑)、流石に下着類は消耗が激しいので定期的に買い換えるけれど、Tシャツなどはそれなりに枚数を持っているから、昔作ったTシャツなんかは結構まだ現役だったりします。

でも、例えば半分趣味も兼ねているオーディオ系とかビデオ系のソフト等はある程度揃えていたい気持ちがあるし、旅行するための道具(バッグとか)はちゃんとしたものが欲しい。あと、仕事の兼ね合いもあるからパソコンなどのデジタルデバイスに関しても譲れない。不要なもの、無駄なもの、我慢できるものをどんどん捨てていって、必要最小限のものだけで生活する「ミニマリスト」には多分なれないけれど、不要なもの、無駄なものは捨てて、その分自分の欲しいもの楽しみのものはそれなりに保有したり楽しんだり出来るように、自分の生活を最適化していく「オプィマイズィスト(Optimize-list ?)」みたいな方向性なら自分も納得できるし、多分最適だったりするように思います。

「ミニマリスト」という行き方を否定するつもりは全くないし、良い・悪いと言うつもりも無いけれど、それが恰も正解であるとか正しいであるとか理想的であるとかという事は一寸違うと思う。あくまで自分のライフスタイルの一つとして、自分が勝ちを置く部分がどこで、不要なところや我慢できるところはどこというところで留めて欲しいですよね。そこから先の話で、やれ経済がどうとか、思想主義が何たらとか言い出すと、折角自分に合わせて最適化したライフスタイルが、どんどん変質していくと思う。

「資本主義」というのは、結局は一般消費者が物を買って消費してくれることで、産業や経済が循環してお金が動き豊かになっていくもの。だから、末端の消費者が「消費することをやめる」事は、このシステムの死活問題。だから、単にものを捨てていくだけだと尻すぼみになるだけだけど、自分としての取捨選択をして、どこを最少化してどこを最適化して集中していくかという風に考え方を変えると、自分にとっても豊かさが濃縮されるだろうし、背景の社会経済システムにしても、主戦場が替わるだけで全体としてのパイが大きくなっていく分には経済成長という意味でも良いはず。勿論、その為には産業自体も、旧態依然のシステムから脱却する必要があるし、産業構造も変化する必要があるけれど。結局、末端だけのミニマリストというのではなく、社会全体がそういう方向性に向くべきで、その一つとして例えば再生可能エネルギーの話が出てきても良いと思うし、ものの主有から共有へと遷移する社会というのも頷けます。大切なのは、無駄を省いて終わりでは無く、そこで生まれた「余裕」をもっと別の物に向けることもやらないと、どんどん無駄がだけが無くなる、面白みの無いデフレ社会だけが続く世の中になっていきそう。それって、まさにバブル崩壊やリーマンショック後の厳しい時企業が必死にやって来たことなわけで、そう言うことを忘れちゃいけないなと思いますね。

2017年7月12日

「千客万来」撤退か?!

豊洲新市場周辺の活性化の鍵となる施設「千客万来」の運営会社が、小池都知事の「築地再開発」方針を不満として、撤退も含めて再検討するというニュース。もともとは、別の会社が周辺施設運営を予定していたけれど、小池都知事以前に周辺道路の整備に対しての不満や、大江戸沿線物語等競合店の営業延長などの約束違反から契約を破棄。再度の入札で、この万葉倶楽部が「千客万来」の運営を受託したけれど、今度は完全に競合するだろう「築地再開発」なんて言う話が突然出てきて、しかも豊洲移転はほぼ確実なんだろうけど時期がまだ確定せずに、会社としても設備投資も出来ない状態が続いては仕方ないかも。本来なら、2020年の東京オリンピック・パラリンピック前に施設を開業して置きたいところだけれど、それすら厳しくなってきては、ここで新規に営業開始するメリットも無くなりますからね。

まぁ「築地」というブランドを守りたいという気持ちは分からないでは無いけれど、でも結局「築地」が残っちゃったら「豊洲」という今後のブランドが伸びないと言う事にもなるわけで、そういう意味では完全に築地からは「魚市場」臭さは無くした方がいいはず。勿論、来年から一切消すというのは無理だけれど、「元築地市場」という事で、魚介類等を中心とした「グルメタウン」的なエリアにするのは、有りかなと。一時はタワマンの開発の話も出ていましたが、個人的に感じるのは近くに歌舞伎座も有るわけだし、銀座とか華やかな街にも近いわけで、大きなアリーナとかイベントスペースみたいなものがあの場所にあると、例えば朝から夜まで一日滞在して、食や娯楽等を満喫できる「文化とグルメの街」みたいなデザインが出来そうな気がするんですけどね。

逆に豊洲市場の周辺は、海に面していることもあるから、どなたかもTLで書かれていたけれど、「フィッシャーマンズワーフ」みたいな感じで整備したら面白いかも。TBSが、確か直ぐ横に劇場をオープンさせているけれど、TBSとしても元々は市場が去年オープンして、周辺の娯楽施設も出来ていて、人出も見込めるところに新しい劇場で集客万歳、と目論んでいたんじゃ無いだろうか。その割には「豊洲問題」とかでかなり騒いでいたけれど、それは自業自得と言うべきか。選挙前に小池都知事が「豊洲移転、築地再開発」と一応立場を明言したからか、今では以前ほどメディアに登場せずに沈静化したような感じてすが、これでまた一波乱生まれるんだろうか。まぁ、これでますます最初の独善的延期宣言の影響が拡大していきますよね。今の築地の状況がどうなのかよく分からないけれど、多分豊洲移転とか築地再開発ということで、結構心ここにあらずというか集中力が分散しているんじゃ無いかと個人的に危惧しています。で、そういう時には得てしてつまらないトラブルが大きくなったり、一寸したことで大事故が発生したりするのが「世の中の常」。別に築地で問題が生まれることを期待するわけじゃ無いけれど、色々な問題があって良くも悪くも気が張っていた時には良いけれど、その気持ちがフット緩んだ時に何か起きるのが現実。これから暑くもなるし、そういう意味では振り回されて一番迷惑を被った築地の人達が、今が踏ん張り所と思って欲しいですよね。そういう意味でも、東京都が平日休業保証を十分準備して、できるだけ早く平日でも良いから移転するべきでは。来年のG.W.なんて悠長なことを言っていたら、結局は終戦設備は出来ない、築地を2020年用に準備することも出来ない、期待していた道路も開通しない、出来ない・間に合わないで、気が付いたらその張本人は任期満了で消えていた、ということになりそう。

二重国籍

民進党の蓮舫代表が、やっと自信の戸籍謄本を公開して、かねてから疑問を投げかけられていた自身の「二重国籍問題」に関して公表すると発表。党内からの突き上げも有り、これ以上この問題を残しておけないという判断なんだろうけど、でも今の問題点は彼女が二重国籍であるかどうかと言うよりも、本来正直に説明すれば多少の批判はあっただろうけど、そのまま不問に付された話が実際は虚偽の説明でかわしていたと言う「信頼」の話に既に変わっていることに気が付いているのだろうか。つまり、最初は単に手続き上の問題で合ったものを、下手に隠そう・回避しようと画策したので、今ではご本人の信用・信頼と言う「人としての問題」に変わっていることに気が付いていないんだろうなぁ。

意固地になって公開を阻んでいた理由は、実は公開することで知られたくない事実が記載されているからと言う話がまことしやかに流れていたけれど、どの程度まで分かるのか不明。案外日頃民進党が批判する「のり弁状態」で出てきて、結果的にはご本人の名前くらいしか分からない状態の資料が「これが証拠です」と出される可能性も大きい。まぁ、「公開する」とは言ったけれど「いつ、どのように」という説明は無いので、本当に公開されるのかも今は不明ですけどね。結構、また暫く店ざらしにされて、気が付いたら都議選の責任を取って代表を「辞任」して、そのまま有耶無耶なままで終わる可能性も。だって、公開してこれまでの説明との矛盾があれば、その説明責任は問われるだろうし、本当に問題があるようなら、やはり説明責任とその道義的責任が問われるわけで、結果的には今よりも状況が悪くなることはあっても、良くなる要素は無いんじゃ無いだろうか。

安倍政権の支持率が31%位迄一気に急落して「一強崩壊」みたいな事をメディアは言うけれど、その「一強」はあっても、逸れ以外の存在感が全く感じられないから、結果的に規模は変わるかもしれないけれど「一強」は一強のままなんですよね。2009年の民主党政権への交代時は、良くも悪くも自公への不満と共に民主党への期待感が膨らんでいたから、政権交代も出来たわけです。でも、今は自民党への批判は増えているかもしれないけれど、それに対して置き換える事が出来る勢力は無い。特に都議選では、不人気な民進党に砂蹴れて都民ファーストの会へ移籍した議員が多発したけれど、そういう忠誠心の無さも周りから支持が得られない理由の一つでしょうね。それが国会議員レベルにまで蔓延しているのが最大の問題点でしょう。

結局は、元々は蓮舫氏個人の問題で有り回復可能な程度の影響力しか無かった「二重国籍問題」が、プライドの問題なのか別の利用なのか分からないけれど、隠したり曖昧な説明で逃げ切ろうとした「説明責任の欠如」が信頼を失わせ、それ故に個人の問題が既に党の問題にもなって、やっと重い腰を上げる気になったけれど、現実は既に回復不可能な状況にまで悪化していることには気が付かないだろうなぁ。そういう意味では、都議選で民進党が大敗した直後に、自分の選挙区域内でもある東京での敗北を理由に、潔く一度代表を降りて、その時に「実は...」とカミングアウトすれば、ある意味影響を減じてかつ説明責任と反省を表したと、多少は勘違いして評価して貰えたかもしれない。何か、毎度のように、風を読んでいるようでその風向きを間違えている気がする。

誘導報道

盛会中参考人招致の様子がメディアで伝えられるけれど、ほとんどは「前川氏 vs 官邸」という対立構造を見せるだけ、伝えるだけで、本当の意味での戦略特区の必要性やその手続きに関してはほとんど報道されない。特に、今回の獣医学部誘致の中心人物の一人である加戸前愛媛県知事が、10年以上も掛けてやっと実現にこぎ着けた説明をしても、それがほとんど報道されない。逆に、10数年前に今治選出議員と加計学園事務局長が友人だったから、その伝で加計学園を中心に提案をまとめたという説明の「お友達」という部分だけ切り出して「やはりお友達特区」みたいな伝え方を、NHKがしているのは問題では。総理と加計学園理事長が「お友達」という事象と、この加戸前知事が言う「お友達」は、全く別の話なのに、あたかもそれが同一の事象のように誘導するのは、報道機関の仕事では無く放送作家の仕事になるでしょう。

例えば、今治市の特区申請の話が進んでいて、でも認可直前にそれまで提案の中に含まれていた大学(例えば地元の愛媛大学)が、突然特区認可の条件として「加計学園」が事実上指名されてきた、と言うのならまだ今回の様に官邸の説明や理由を要求するのは分かる。でも、元々は今治市や愛媛県の地域活性化目的というか生存競争のアイデアとして、地元への大学・学部誘致の話なわけで、それは昨日今日始まった話しじゃ無いのは、既に色々な資料で示されていること。しかも、それを獣医学部の新設という目標設定をして、かつ既存の獣医学部や獣医系大学からは相手にされなかったので、新規に加計学園とタッグを組んで10年以上も努力しての結果。さらに言えば、民主党政権時代にも与党の当時の民主党は関わっているわけだし、かつその周辺地域選出の民主党議員も、加計学園側、獣医学会側、それぞれの利益代表として活動していたわけで、その状況を全く知らない振りをしての今の民進党の行動は余りに無責任。

当時誘致に奔走していた岡山選出の高井議員は当時の様子を綴ったブログ記事を削除して無かったことにしようとしているし、「一校のみ認可」という落としどころに収めた事を伝える獣医学会の会報もサイトから削除されるなど、都合の悪い事の隠蔽工作が進むけれど、ネット時代の現在ではそんなデータは既に幾らでも複製されていて、「消せば増える」の名言通り、どんどん拡散していく。墓穴を掘っているのは、獣医学会や今回の件を無駄に騒ぎ立てている人達なんだけど、メディアはその反対のことを伝えるばかり。流石に身内のメデイアからも、今回の件で最終的に敗北するのは自民党では無く、メディア自身では無いかという危惧が出てくるようになったけれど、もう遅いでしょうね。さらに、朝からお昼過ぎまで続く、各局の情報ワイドショーのほとんどが、実は一つの製作会社が作成しているのも初めて聞いてびっくり。いゃ厳しい世の中、キー局とは言えども外注してコストダウン出来るものはそうするのは、言ってみれば製造業のOEM/ODMだと思えば不思議は無いけれど、それにしても8割とは酷い話。当然各局、各番組で独自色を出すために、独自コーナーとか情報の取捨選択をするんだろうけど、そう言えば結構ネタが時期をづらして被ることがあるよなぁと、妙に納得できるところも。そうなると、もう情報バラエティーであって報道番組じゃ無いですよね。

結果的に、その製作会社に特定の意見に集約する、あるいは誘導する意図があったかどうかは分からないけれど、それぞの番組ごとに個別の内容を準備するよりも、ある程度味付けを変えて同じ素材を使った料理を準備する方が効率的だしコストも掛からない。だから、どの番組も判で押したような内容になるのだと、実感できました。ただ、それならなんでNHKまでが民報並みなのか不思議なんだけど... 実は裏で孫請け、ひ孫請けで外注されていたりして(笑)。「報道」というのは「報道芸能」とか「報道ドラマ」だと思っていた方が良さそうですね。そのうち「ホードー」とカタカナ書きにされる時代になるかも(笑)。

2017年7月11日

Amazon Primeday (2)

現在絶賛開催中の、今年のAmazon Primeday。昨日スタートした時から、今朝の時点まで、時々セール品を除いたりしているんですが、どうも自分が欲しいなと思うものは登場せずに、段々飽きてきました(笑)。Kindle端末にもなるFire 8HDとか安くなっているんだけど、じゃぁ買ったからこれからKindleとかバンバン読むかというとそうでも無いだろうし、タブレットが増えても、今の自分のデジタルライフの中では無用の長物になりそうな気がして購入には至っていません。

デジタルデバイスだけじゃ無くて、例えば保存の利く食品とかアルコール類とかでも良いんだろうけど、そんなに購入しても消費しきれないし、基本的には欲しくなった時に欲しいものを買うと言うのが自分のスタイルだから、単に安くなっているからと言うだけでは購買意欲には繋がりません。それだったら、まだ購入時にポイントとか発行して貰って、それを必要な時に利用出来る方がまだ自分にとっては使い勝手は良いなぁ。

カテゴリごとにちょこちょこ見ているんですが、何かいかにも「セール品」って言う感じのアクセサリーとか追加の補助品みたいなものが多くて、例えば、カメラなら一眼レフのボディとか、スマホならiPhoneとか最近のスマホ本体とか、一番メインの主役は出てこない雰囲気。既に、Primedayスタート共に完売してしまったのかもしれないけれど、それならそれでやはりもう購買意欲は消えていると言って良いのかも。

これって、一年に一度なんですよね。半期に一度とか、出来たら四半期に一度とかやれば良いのに。今回の様に全体的なものは一年で一度でも良いけれど、例えば4月には新学期に合わせてカバン類とか文房具類、6月とか9月は季節の変わり目に合わせて衣類中心とか。勿論、好きな人にとっては掘り出し物とか格安で手に入れたと言うものも多いんだろうけど、自分で見て「おっ、これは」と感じたのがFireタブレットだけだったというのが、やはりこのPrimedayは自分向きでは無いんだなと言う事を端的に証明している気がする。まあ、何か格安で掘り出し物を手に入れると言うより、その騒ぎの様子を見て楽しむ、と言うのが自分的Primedayなのかもしれない。

閉会中参考人招致

昨日開催された、閉会中参考人招致。結論として、新規の話は出てこず、前川氏、官邸側、それぞれがこれまで主張を展開して平行線で終わった感じ。ただ、前愛媛県知事の加戸氏がこれまでの経緯を説明して、10年以上前から当時手を上げた加計学園と誘致活動を展開してその結果として現在の状況にあると説明しているのに、既存のメディアは相も変わらず前川氏の発言を「正」として、それに対してのこれらの発言に関しては「説明が足りない」「不十分」というような論調を展開しているように見えます。

前川氏の発言を聞いても、例えば直接総理の言葉があったという録音なり、第三者の証言などは無いわけで、直接今回の獣医学部新設関わらない課長補佐の職員が作成したと思われる文書に関して、自分は正しいと思うという事を言っているだけ。一方で、前知事はその当時の当事者で有り、また多くの議事録などの公式文書がその経緯をちゃんと説明しているのに、それに対しての反論は「当時は発言を控えた」とか逃げているだけ。疑惑の怪文書の出所にしても、前川氏本人が持ち込んだのかという質問に対しても、否定も肯定もせずに否認するだけ。自分が持ち込んだもので無ければ正々堂々と否定すれば良いだけだから、それをしないという事は自ら持ち込んだネタでメディアや世間を騒がせていることになるわけだから、否定しないことで自らが描いた筋書きだという事を言っていることになるはず。でもその点は、メディアは追求しないんだよね。

もう一つ、森友学園問題も何故か一緒に扱われたらしいけれど、正直見た目もその後の行動も胡散くらいアノか語い消しだって、質問に回答する時はあれだけ堂々としているわけで、となると参考人が正しい・正しくないとは別に、その見た目の正々堂々差というのはあてにならないという証明にもなっている気がするんだけど、メディアは「質問に対応する態度は立派だ」みたいな事を言うわけで、いゃ態度じゃ無くてその中身だろうと、小一時間。

追求したい野党側の意図は、この加計学園にしても森友学園にしても、その疑義を明らかにすることでは無く、兎に角何でも良いから官邸側のミスを生ませて、それを政権批判の種にしたいだけ。だから、質問する前提の証拠や証言にしても、これまでの話から進んでいないし、新しい事が出てきたかなと思っても、既にネットなどで指摘されている情報だったりして、本当にこんなことをして何を明らかにしたいのかよく分からない。「証拠」という意味では、参加者全員が合意してまとめられたはずの公式の議事録や文書が幾らでも存在しているわけで、それが一番の証拠のはず。前川氏は、それは共用された圧力があったと言うけれど、その根拠となるのは出所も不明な怪しい文書だけ。しかも、それが前川氏が作成したならまだしも、部下の女性職員が作成したものらしいのであれば、その職員を参考人として呼び出してその背景なりを説明させて、どう言う経緯で作成されどう言う経緯で生涯に流出したのか、それをちゃんと明らかにする方が先でしょう。

いずれにしても、政務次官の時には何も言わずに、辞職してからその合意したはずの意見をひっくり返すのであれば、それなりの証拠なり説明をする責任が前川氏にはあるはずなのに、何故か世間(=メディア)は前川氏の発言は正しい、それが違うというなら官邸側がそれを証明しろ、と言う逆の話をしているようにしか聞こえない。途中の経緯はどうあれ、正式に決定したことを覆すなら、その説明をするのは覆す側の立場で有り、今のところ説明として言われてるのは「私はそう理解した、そう聞いた」という程度の事ばかり。文書の内容だって、明確に誰それが具体的にこういったと言う話は無いわけで、その言葉からどうとでも判断出来る範囲の話。それは、その文書を作った人間が役所の人間として、最終的に自分に責任が降りかからないようにするためであって、そういう意味ではあの流出文書は省内説得の材料であっても、官邸側から文科省へ圧力を掛けたと言う証拠にはならないはず。結局は、既に退職金も貰い、老後に不安の無い前川氏が、どう言う理由かは和辛い無けれど、自分の古巣をネタに散々好きなことをやっているとしか見えないのだけれど、それを面白可笑しく取り上げているメディアや野党が一番無責任であることは確かですね。

NRT-SIN/-NRT (1) - 夏休みのフライト予約

先日のBoston旅行のマイルが登録されたんですが、まだ5万PQMに少し届かない。UA MP 1K 2018に向けて一寸後半戦加速を掛けないといけない状態になってきました。UAのプロモーションに誘われて(笑)、9月にGuam行きを予約したけれど、これでは6000PQM一寸の増加なので今のところ焼け石に水。で、色々旅程を探していたら、8月の山の日の祝日を挟んだ日程でも、NRT-SINのZ-classが出ていて、SKYコインと組み合わせると、それなりにお安い価格まで下がりそうなので、えぃやっと予約してしまいました(笑)。但し、羽田発とか午前遅めの帰国便は選択できずに、NRT-SINの往復で、成田発は夕方発深夜着のフライトで、Singappre初は深夜発か早朝の出発便のみ対象。まぁ、仕方ないかなと自分を納得させつつポチッとしてしまいました。まぁ、祝日の金曜日出発で、土曜日は現地滞在で、日曜日の夕方成田着ですから、有休を使わずに済むし夏休み中に一寸息抜きできるかなと言う感じ。

この8月のSingapore、9月のGuamを消化すると、MP PQMは68000余りに。まだまだ足りないですよねぇ... 一回東海岸への往復が出来れば、2.5万PQM近く獲得出来ますから、あとは国内線のHND-OKA往復を2回位すれば賄えます。9月から12月までは、週末にはチームや大学の試合が入ってくるから、なかなか上手いタイミングで休みが取れなかったりして、さらにスケジューリングに苦労します。となると、最低でも四日とか五日必要になる米国行きはなかなか厳しいですよねぇ...

もう一つの悩みは、UA MPのPQMを獲得するためには、上位クラスで倍になるANAとかUA本体の利用が効率的。さらにUAのLifetime Mileも少しでも伸ばしたいから、出来ればUAのフライトを利用したいところですが、すでにアジアからの路線撤退でUA便は基本太平洋路線のみ。Guam行きも有るけれど、これも最後に少し足りない分を埋めるなら良いけれど、メインのPQM獲得には辛いですしね。で、ANAだとフライトも豊富だし、一番のメリットはANA便で通す必要があるけれどSKYコインを利用することでコストダウン出来ること。UAも同じような事、やってくれないだろうか。まだ使い決めないUAのマイルが貯まっているのに(笑)。

年末にまとめて休みを消化して、いつもは特典チケットで旅行しているところを有償フライトにすれば結構助かるんですが、ここ最近諸般の事情から年末にフライト出来ないケースもあるので、それで10万PQMは目指すのは一寸リスキー。昔ほど自由にスケジュールを決めて、あちこち飛べる状態では無いのでなかなか大変です。まぁ、色々旅程を考えて悩むのも、これも楽しいのだけれど、選択肢が減ってくるとそれも少し苦しみに変わりつつあるかも。(続く...)

2017年7月10日

バニラエアの金塊騒動

台湾初関空行きのバニラエア機のトイレに、何十キロもの金塊が隠されていたというニュース。その中身が金塊で無くても、何十キロもの金属を国際線搭乗のために保安検査場を抜けて機内に持ち込むだけでもかなり難しいと思うし、さらにそれを二箇所のトイレに隠すというのも、搭乗から離陸までの間の時間で可能かどうか凄く疑問。バニラエアのCAが自ら持ち込んでそこに隠すとか、それこそ台北の機内整備業者が清掃の時に置く位しか一寸考えられない。さらに疑問なのは、関空に到着後どうやって日本国内にその近海を持ち込むのか、ということ。その金塊が入っていた布袋がどの程度のものか分からないけれど、かなり目立つんじゃ無いだろうか。普通なら、日本入国時の通関検査で引っかかる気がする。ここでもやはり、乗客が持ち出して国内に持ち込むのは難しいんじゃ無いだろうか。可能性はあるのは、搭乗した協力者が機内持ち込み可能な程度のキャリーバッグに詰め替えて持ち込むことくらいだろうけど、多分LCCじゃトイレも機内も狭いだろうから、何十キロもの金塊をバッグに入れるだけでも一苦労だと思うんだけど。そうなると、国内に持ち込む場合も関空の業者の協力が無いと難しそうだけれど、仮に清掃員が機内から持ち出したとしても、それを自分の懐に隠して外に出るわけにも行かないだろうし、どう考えても持ち出し方法がよく分からない。

大体LCCだと機内持ち込み手荷物は厳格に重さを検査されて、それで追加料金が発生したりするわけで、レガシーキャリアで持ち込む方が遥かに簡単だと思うのだけれど、わざわざ難しいLCCを使う理由は何だろうか。あくまで個人的な推測だけれど、やはり乗客よりは空港関係者とかCAとか、関係者の方が可能性は高い気はしますよね。で、それ以上に分からないのが日本国内への持ち込み方法。

私も昔は大きなスーツケースで海外出張とかしましたが、それでも一番重い時でも20kgはいきませんでした。最大でも15kg位かなぁ。当時のスーツケースでも、そこに車が着いていたから移動時には転がしていくことも可能だったけれど、会談の上り下りとか路面が悪時に持ち上げて運びますが、その時には相当しんどい思いをしました。あれを考えると、仮に今回の金塊が10kg程度であったとしても、かなり大変だったと思うんですよね。何か、ミステリー小説を読むような感じにもとらわれる事件ですが、これからどうなるんだろうか。結構深い闇が暴かれたりして。

余りの無い世界

暫く前に、とあるTLで未だに現金に固執するお店や利用者に対して何故電子マネーに移行しないのかという話題で盛り上がっていたことがあります。既に中国などでは多くの地域で現金利用では無く、電子マネーサービスに移行していることは有名な話で、だから放置に観光客狙いで日本でもどんどん中国系の決済システムが導入されている。で、その議論の中でなるほどと思ったのが「電子マネーを利用すると、お釣りが無くなる」という意見で、これは自分も常々感じているので思わず「膝ぽん」した次第。最も自分の場合は「お釣りが無くなる」と言うよりも「小銭を持ちたくない」から電子マネーを優先して利用するんですけどね。

実はお釣りを貰って小銭が貯まっても、それが10円以上なら問題無いんです。街中の自販機で何か飲み物でも購入すれば、あっと言う間に消化できるから。困るのが、1円と5円な訳で、これも消費税が5円の時にはそれなりに切りのよい端数になるからまだ良かったけれど、3円の時とか8円になってからは大変。一寸油断すると、直ぐに1円と5円が小銭入れに貯まってきます。最近では、コンビニでは大手のチェーン店なら100%何かの電子マネーが利用出来ますし、大手のモールとかデパートなどもそう。あと、駅ビルなどに入っている店舗でも、多分契約条項に入っているんだろうけど、JRならSuica、私鉄ならPasmoと利用可能だから、これも困らない。浜松当たりだとまだまだだけれど、都内だとJRが多分推進しているからでしょうけど、結構色々なお店でSuicaが最近では利用出来るようになってきました。

電子マネーが利用出来なくても、クレジットカードなら個人商店とか中小のお店を覗けばほぼどこでも利用可能なわけで、電子マネーが利用出来なくても「キャッシュレス」生活は可能なんですが、サインが必要な場合は面倒なんですよね。例えば西友とかイオンとか大手のスーパーで買い物をすると、レジでスキャンして終わりなのでそんなに不便じゃ無いけれど、そうでは無い場合もまだまだ多い。アメリカでは、以前は担当者がカードを持ってバックヤードに行き、そこでスキャンしてサインしていたから、時間も掛かるしスキミングの危険性もありました。最近では、端末がレジの前に準備されていて、そこに自分でカードをスライドさせたり挿入して、自分でサインとかPINを入力して完了。電子マネーでタッチするだけよりも手間は掛かるけれど、まぁ昔と比べれば結構スピーディーになりました。

ただ、中国で何であれだけ電子決済が進んでいるかと言えば、偽札の問題とか現金を持ち歩く危険性の問題とかも関係しているわけで、そういう心配が無い日本では現金決済はまだまだ主流。それを時代遅れという事はたやすいけれど、やはりそれなりに理由があるからまだ重宝していることも事実なわけで、余りそこに突っ込んでも仕方ないような気がしますけれどね。クレジットカードや電子マネーでの決済に、給与振り込みなどの収入管理に例えばマイナンバーを紐付けして、それで全ての周氏決済が管理されて、だから税金の精算作業も不用とか言うレベルになるなら、全面的に移行しても良いと思うけれど。これまで慣れ親しんできたレガシー経済を捨てるためには、やはりそれ相応のメリットも必要なわけで、単に小銭が無くなると言うくらいでは、まだ一寸なぁと言う気がしています。きっちりやるならきっちりやることでのメリットをちゃんと示して欲しいし、そういう意味では今の現金経済というのは多少の余りを許すことで、歯車のバックラッシュじゃ無いけれど「余裕」を持たせてくれているのかもしれない。