2017年7月31日

大臣待機組

8月3日と予想される内閣改造に合わせて、「大臣待機組」がそわそわしているという記事。一般企業感覚で言えば、とっくに年功序列制度は事実上撤廃されていて、今では企業生存競争に勝つために実力第一で職位や権限が与えられている世の中で、当選回数や在籍年数で優劣が決まる議員の世界は一番遅れていると言われても仕方ないような。ただ、派閥政治で一つ思うのは、その派閥から大臣候補者を指名してもいいから、その候補者の補償に関して一切派閥が責任を持つ、と言う事も確約させたらどうだろうか。例えばお金問題、不倫問題、舌禍問題、兎に角派閥の代表として、あるいは内閣の一員として、問題無くちゃんと仕事をするのが当然だから、それ以外の部分で問題を出したら、その大臣個人の責任ではなく、派閥の責任として処理するということにすれば、派閥としてもそれなりの人材を吟味して候補者にするだろうし、緊張感も生まれるような気がするけれど、どうだろうか。

で、仮に何か問題があれば、次回はその派閥からの立候補者は受け付けないとか、候補者数を削減するとか、言ってみればペナルティーを課していく、と。勿論、全部のポジションをそれで決めるわけではなく、例えば2/3位は派閥からの候補者で、残り1/3は首相独自に決めたり民間登用したりして埋めるとか。派閥後者の不祥事が続くようならば、その比率を1:1にしていくとかもいいかもしれない。確かに、昔の派閥政治というのは問題も多かったけれど、逆に言えば派閥の代表としての責任もあったわけで、それなりに重しにもなっていたように感じるんですよね。言ってみれば、大企業の組織が事業部制(=派閥)で構築されていて、それぞれの事業部がビジネスで競争をしているみたい感じかな。勿論、相互に競争をして結果を出しているうちはいいけれど、段々事業部間の亀裂が生まれたり、硬直化してくることもある。そんなときには、社外から招聘したり、ベンチャー制度を作ったりして、企業として新陳代謝を進めるわけですが、そういう左右とか前後に振れて新しい血を入れながらも組織として老化しないようにしていくことも重要なのでは。そう言う意味で、小泉政権の時のように自由奔放にやるのも一つの手だとは思うけれど、安倍総理のカラーとしてはそこまでの独自色を出したいとは思っていない気がする。少なくとも現在の二次政権においては。

大組織になって、人数が増えてくると、それぞれの実績評価をちゃんとしていくのも管理職の仕事で、でもポジションや報奨制度が無限にあるわけじゃ無いから、どうしても優劣は付けなくちゃいけない。企業が不振な時は、それを理由に制限することも可能だけれど、好調な時には誰も彼もが「自分が今度は」と思うわけで、そういう時が一番難しいんですよね。それでも企業なら、ある程度自由にポジションとか部門を作っていけるけれど、政治の大臣に関しては上限の人数が決まっているから、なかなか自由に増やしたり減らしたりが出来ない。大臣の椅子が足りななら、党内の要職を増やすしかないけれど、こちらの方が伝統に縛られているから難しいでしょうね。

厳しい言い方をすれば、「待機」させられているのはそれなりの理由があるからで、どうしてもポジションが欲しいなら、結果を出さないと駄目なのは、政治でも企業でも同じだと思う。で、結果を出しても認められないのであれば、見切りを付けて別の場所へ移動するのが、一番だと思う。まぁ、政治でも企業でも、なかなか大規模な組織から離れられないとは思うけれど。そこは、将来を信じてじっと我慢するのか、自ら新しい世界を切り開いていく気概を持つのか、その違いでしょうね。そういう人なら、まぁ最初からほっとかれないとは思うけれど。

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