2017年7月26日

共謀罪を創造するメディア

昨日開催された参議院での閉会中集中審議。まぁ、内容的に変わるものは無いだろうというのと、結局はメディアは自分達に都合の良いところしかつまみ食いしないだろうからと、そんなに熱心には見ていなかったんですが、流石に民進党の蓮舫議員が質問している様子を見ていると、「をぃをぃ、全部鏡に映る自分に言っているのか」とお約束のツッコミを入れたくなったのが衆議院の時とは違うことか(笑)。

昨日のニュースや今朝のニュース・新聞などは、安倍総理の日付け違いを大きく取り上げて「虚偽」みたいな事すら言っているメディアもあるけれど、それを言ったら前川氏だって日付け間違いを何度もしているし、大体政府側は「記憶に内」「記録に無い」と断定確定しているのに、前川氏は「私はそう感じた」「何々のことだと思った」と自分の推測しか話していないのに、それを「正しい」という扱い方しかしないんですからね。本来なら、双方の意見の食い違いを比較・検討して、さらにそれらに関連した情報、裏付ける情報も精査して、どちらの意見がより最もらしいのか判断しなきゃいけないのに、そんなことは気にも掛けずにただひたすら野党の質問者は相手を恫喝して自分達がより優位で有る事を論理では無く力関係でしめそうとしているだけ。以前も思ったけれど、これって痴漢冤罪の無実の証明と同じだよなぁ。

さらに言えば、これも以前から何度も感じて書いているけれど、これこそ野党やメディアが声高に主張していた「共謀罪」のケースですよね。山へキノコ取りに行けばとか、居酒屋で上司の悪口を言っていれば、それで共謀罪が成立する、みたいな事を言っていたけれど、まさに思い込みと恣意的解釈で自分達の好きな主張のみを通そうとする態度や姿勢は、その「共謀罪」の主犯とぴったり一致します。結局彼らがあれだけ反対していた理由は、実は自分達がその行為や立場になる事を知っていたから反対していたわけですよね。

例によって当事者の一人である加戸前知事の発言やその内容はほとんど一般のメディアでは取り上げられない。元々は、今治市の特区としての申請が本来審議されるべき内容のはずなのに。以前も書いたけれど、元々の申請が例えば地元の松山大学が獣医学部新設と言う事で進めていて、その後旧に加計学園に変わったならば、それは疑問が生まれても不思議では無い。でも、元々加計学園を前提に今治市が話しを進めていたわけで、それが通ることに疑問を感じる方がおかしい。しかも、その特区審査のプロセス自体が文科省の抵抗で長引いていたから、最終的に期日も区切り、特区の元々の目的である「スピード有る改革」を進めていたはず。仮に、今回の今治市、加計学園の承認・開学がおかしいというのであれば、その設定の前提、参考にされた成田市の国際医療福祉大学についても疑問が生まれるわけだけれど、こちらには朝日新聞やら文科省やらから天下りしているからかなのか、何も言われない。朝日新聞などは、前の社長が天下っているわけですからね。ダブルスタンダードと言うよりも、最初から恣意的な報道を目的にしていたと言っても良いくらいじゃ無いだろうか。

与野党の立場が逆だった、2009年から2011年の民主党政権時代も随分酷い国会運営や暴言・不正確な発言が与党から相次ぎ、随分批判も生まれたけれど、結局メディアは当時の与党よりで追求は甘く、場合によっては擁護するような内容すらあったわけで、あの時にメディアは与党(=民主党)と握っていたのかと思ったけれど、今回の様子を見ていると、そうでは無くて当時の与党側についていたもっと別の勢力と握っているのでは無いかという気持ちすら生まれてきます。当時よりも、現在はネットが発達していて、特に若い世代もこれまでのように雑音の多い情報を鵜呑みにするのでは無く、複数の情報を比較精査するネットリテラシーを獲得しつつあるから、あの頃とは様子はかなり違うのは不幸中の幸いかもしれない。今回の件がこの後どうなるか分からないけれど、何らかの形でメディアの活動について第三者がレビューして必要ならガイドラインをちゃんと設けることが必要では無いだろうか。テレビのBPO見たいな、身内のお手盛り検証期間では無くて、独立して客観的に意見を集約出来るような組織にして。今や、第四の権力として、それまでの権力を上回るような力を持ってきた「メディア」という権力をちゃんと監視して、必要ならば指導する仕組みが生まれないと社会が壊れる気がしてきますね。まあ、それは「第五の権力」を生む切っ掛けになってしまうかもしれないけれど、それも新陳代謝の一つ、あるいは産みの苦しみと思うしか無いのかも。

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