2017年7月13日

ミニマリストよりオプティマイズィスト

佐々木さんのところで話題になっていた「ミニマリスト(Minimalist)」の話。すでにTLで言い尽くされているように、しっかりとした社会基盤があるから、自分自身で保有しなくても代替機能や代替サービスを利用して生活できるわけで、言ってみたら「LaaS (Life as a Service)」とでも言うべきか。自分自身、そんなに所有欲は無いし、どちらかというと自分で保有するもの派できるだけ少なくしたい性分。例えば衣類にしても、一度購入したら数年所から10年20年30年使用しているものもあります。例えば、大学受験の時に母親が買ってくれたセーターなんて、火なり擦れてヨレヨレになっているけれど、今でも現役だったりするし(笑)、流石に下着類は消耗が激しいので定期的に買い換えるけれど、Tシャツなどはそれなりに枚数を持っているから、昔作ったTシャツなんかは結構まだ現役だったりします。

でも、例えば半分趣味も兼ねているオーディオ系とかビデオ系のソフト等はある程度揃えていたい気持ちがあるし、旅行するための道具(バッグとか)はちゃんとしたものが欲しい。あと、仕事の兼ね合いもあるからパソコンなどのデジタルデバイスに関しても譲れない。不要なもの、無駄なもの、我慢できるものをどんどん捨てていって、必要最小限のものだけで生活する「ミニマリスト」には多分なれないけれど、不要なもの、無駄なものは捨てて、その分自分の欲しいもの楽しみのものはそれなりに保有したり楽しんだり出来るように、自分の生活を最適化していく「オプィマイズィスト(Optimize-list ?)」みたいな方向性なら自分も納得できるし、多分最適だったりするように思います。

「ミニマリスト」という行き方を否定するつもりは全くないし、良い・悪いと言うつもりも無いけれど、それが恰も正解であるとか正しいであるとか理想的であるとかという事は一寸違うと思う。あくまで自分のライフスタイルの一つとして、自分が勝ちを置く部分がどこで、不要なところや我慢できるところはどこというところで留めて欲しいですよね。そこから先の話で、やれ経済がどうとか、思想主義が何たらとか言い出すと、折角自分に合わせて最適化したライフスタイルが、どんどん変質していくと思う。

「資本主義」というのは、結局は一般消費者が物を買って消費してくれることで、産業や経済が循環してお金が動き豊かになっていくもの。だから、末端の消費者が「消費することをやめる」事は、このシステムの死活問題。だから、単にものを捨てていくだけだと尻すぼみになるだけだけど、自分としての取捨選択をして、どこを最少化してどこを最適化して集中していくかという風に考え方を変えると、自分にとっても豊かさが濃縮されるだろうし、背景の社会経済システムにしても、主戦場が替わるだけで全体としてのパイが大きくなっていく分には経済成長という意味でも良いはず。勿論、その為には産業自体も、旧態依然のシステムから脱却する必要があるし、産業構造も変化する必要があるけれど。結局、末端だけのミニマリストというのではなく、社会全体がそういう方向性に向くべきで、その一つとして例えば再生可能エネルギーの話が出てきても良いと思うし、ものの主有から共有へと遷移する社会というのも頷けます。大切なのは、無駄を省いて終わりでは無く、そこで生まれた「余裕」をもっと別の物に向けることもやらないと、どんどん無駄がだけが無くなる、面白みの無いデフレ社会だけが続く世の中になっていきそう。それって、まさにバブル崩壊やリーマンショック後の厳しい時企業が必死にやって来たことなわけで、そう言うことを忘れちゃいけないなと思いますね。

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