今日は長崎に原爆が投下された日で、三日前の6日は広島に原爆が投下された日。それぞれ、厳粛に異例の人を迎えたんですが、同時にそれを利用して(?)いろいろな主張も。その中には核軍縮とか核廃絶言うものもあれば、全く見当違いなものも有るわけですが、そんな中で今回一寸心に引っかかったのが、当時の広島市民、長崎市民が、原爆投下後にその放射能による影響を恐れて、色々な差別にあったという話。戦後75年が過ぎて、未だにそう言う差別も残っているみたいな話には、ただただ呆れるしか無いけれど、よくよく考えてみたら現代ですらそう言うことはあるなと感じます。
同じ「放射能」と言う意味では、福島原発の事故直後から福島に対しての「放射能デマ」は未だに続いています。卑近な例では、発電所内に溜められている汚染処理水が飽和する前に、再処理をして海中廃棄するという話に、一部界隈から猛烈な反対が。中には「汚染水を流すな」と見当違いな理由もあるけれど、広島、長崎の当時もこんなものだっただろうなと想像出来ます。戦争当時は、今のようにネットワークも無いし、戦時中と言う事で情報統制もされていただろうから、その情報内容や伝搬速度に問題があったことは想像出来ます。それ故に、不正確な情報が蔓延してしまうことも理解出来るんですが、でもそこから何年、何十年過ぎてもその状態が変わらなかったのは、人間の弱さだけで無い他の要因の影響が大きいんじゃ無いかとも感じます。本来正しい情報を伝えるべき、当時の新聞、テレビ、ラジオといったメディアが、結局は必要な仕事をしていなかったというのが、大きな問題では無いかと。
それを現代において再現したのがまさに福島での例で、東京電力批判はまぁ許せるとしても、そこから原子力発電と原子力爆弾を結びつけたり、水素爆発で飛散した放射能の影響を言うのはよいけれど、そこには非科学的な検証や感情的なものを優先した、客観的報道とは程遠い行為をずっと続けている。あるいは、新型コロナウイルスに関しても、全国の感染者の状況を伝えるのは良いけれど、中にはプライバシー違反や行きすぎた報道もあり、それ故に全く本人には落ち度が無いのに感染を非難されたり、それが家族や周りにまで広がってしまう。本当ならば、そう言うことを正す役割もメディアでは必要なはずなのに、そう言うことは殆ど伝えず、単に陽性者数が増えたとか、政府のキャンペーンがとかしか言わない。
勿論、全ての責任がメディアにあるとは言いません。メディアだって、それを続けて行くのはよほど会社的にその件に関してのイデオロギーを持っているか、消費者からの引きがある時だけですからね。そう言う意味では、自分達に理由があるから、そう言う事柄がいつまでたっても改善も解決もされない。そこはこちらも反省しないといけないと思うけれど、あえて自分達のビジネスを諦めても「事実を伝える」という本来の役割を思いだして戻る勇気もメディアはもっと自覚するべきでは。例えば、核廃絶に日本政府の努力を要求するのは良いけれど、根本である「核保有国の核廃棄」を目指すのであれば、もっと核保有国に対しての圧力も実行するべきでは。その場合、特にアメリカが対象になるんですが、ロシア、中国、インド、欧州の国々、さらにはパキスタンに北朝鮮と、何カ国も存在しているのに、それらに対しては殆どメディアから何か聞くことは無い。年月が経過するにつれて、人々の関心が薄れていくことを憂うのであれば、それはメディアの責任も大きいことを自覚して欲しい。
0 件のコメント:
コメントを投稿