2020年8月9日

独裁とリーダーシップ

「Go Toトラベルキャンペーン」で観光業などの活性化を要求しつつ、お盆の帰省は「自粛してください、慎重に」と制限を要求する政府に対して、「矛盾している」「無責任」と批判するメディアや一部界隈。どちらも「自宅から他所に移動する」事に違いは無いけれど、その目的も行動パターンも異なることだから、一方は推奨されて、他方は制限が求められているわけで、その違いがちゃんと認識されていない。同じ「道路」であっても、速度上限と共に最低速度も決まっている高速道路と、上限だけが決まっている一般道の違いみたいなものだと思うのだけれど、違うだろうか。いずれにしても、どちらも必要性があることだし、どちらか一方だけ許して他方は禁止すると言う事が出来ないから、100点では無いけれど、なんとか合格点となる60点、70点を目指して両立させるのが「政府」の仕事じゃ無いだろうか。

勿論、多くの国民がそういう事情をちゃんと理解して行動できるように伝えることも政府の仕事で、その部分も含めてまだまだ努力は必要と思う半面、その代弁者となるべきメディアは、相も変わらずイデオロギーに走って、都合の良いところだけつまみ食いをして報道をしている。特に、このキャンペーンと帰省のバランスに関しては「政府が決められない」みたいな事を言っているけれど、ちょっと前までの自粛要請に関しては「独裁政治」みたいな事を言っていたことを忘れているのだろうか。これまでも、都合良く「独裁政治」と「決められない政治」を繰り返して報道していて、一体今の安倍政権はどんな政治体制なんだよと、苦笑いすら生まれない。個人的には、これまで関係無い事象に関しても、一寸した切掛(多くの場合は「難癖」だと思うけれど)から騒ぎになって、それによって結果的に無駄な時間を浪費することになったことに懲りて、当たり障りの無い対応をしようとしているように見えるんですよね。それは駄目だと思う。そこは、もう少しキッパリと「やる・やらない」「出来る・出来ない」を明確に言うべきだと思う。そして、それに対して間違った解釈なり、曲解するようなことに対しては、厳しく対応するべきだと思う。

「独裁」と「リーダーシップ」って、やはり紙一重だと思うんですよね。良く「独裁」の代表として取り上げられる、ナチスドイツのヒットラーだって、最終的には恐怖政治になったんだろうけど、そもそもの成り立ちは国民の熱狂的な支持からなわけで、その時点では「リーダーシップ」が受け入れられていたんでしょう。その課程に於いて、メディアの存在は大きいわけで、そう言う意味ではメディア支配をする事が「リーダーシップ」からの「独裁」への遷移条件の一つと言えるのでは。中国などは、その典型だと思うし。そう言う意味では、政権に対して批判的な意見なり記事を自由に配信できる今の日本は、彼らが言うところの「独裁政権」とは全く程遠いものという証明にもなると思う。

SNSを代表するネットワーク情報伝達が、辛うじてそう言うバイアスの掛かったこれまでのメディア報道に対して補正する効果を生んでいるけれど、ネットはネットでバイアスの振れ幅が大きいわけで、こちらも「何が正しいのか」という、情報リテラシーがしっかりしていないと、返ってバイアスが間違った方向に増えていくことに。結局は、リアルタイムで伝達される情報、それもオリジナルソースからの情報だけが「正しいもの」としか言えなくなってしまいます。本当は、そう言う状況に陥らないように、本来の「メディア」がリーダーシップを発揮すべき所なんだけれど、結局は自分達の都合の良い「独裁」状況を維持しようとしていることも理由になっている気がする。まぁ、同じ人が、ある時は「独裁」と言われ、またある時は「リーダーシップの欠如」と言う割れるという事は、結局はどちらでも無い状態にあるという事だから、やはりもう少し努力はして貰わないといけないという事ですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿