2020年8月10日

クラスターフェス

この週末に、渋谷駅前で「クラスターフェス」なるものが開催された様子。「三密」や「マスク」「ソーシャルディスタンス」なんてしなくても、新型コロナウイルスには感染しないし、仮に感染しても風くらいな程度、と言う主張らしい。新型コロナウイルスに対して、どの様な意見を持ち、それによってどの様な行動をしようとも、今の日本では「自由」ではあるけれど、だから取って無限の自由行為が許されるわけでは無い事は明らか。確かに、昨日時点での東京都の要請者数は約16,000人で、都下の人口1400万人で割れば感染率は「0.1%」。仮に100人集まっても、0.1人が感染している確率だから、それをどう判断するかではあるんですが...

でも、実際の所は無症状感染者が何倍も入ることは推計されているし、「0.1%」の感染率であっても、100人の集会を10回開催すれば、そのうちの一人は感染している計算になります。その一人から複数人に感染すれば、次の100人の中にその人が紛れ込む可能性もあるわけで、ひとたび感染者が含まれてしまうと、後は加速度的に感染拡大して行くでしょう。さらには、そのフェスの後マスクもせずに山手線に乗り込んで、車両ジャックをしようとしたことで、これも迷惑行為以外の何物でも無い。というか、アメリカだったかな、同様のクラスターフェスを開催して、そこで感染した青年男性が死ぬ思いをして反省したというニュースが配信されたのは、結構前の話だったと思うのだけれど。

自粛や、色々制限が続く生活に閉塞感を感じて、何か「開放されたい」という気持ちになる事は分かる。でも、そう感じているのは彼らだけじゃ無くて、多分日本中の殆どの人が同じ気持ちになっているわけで、そんな中でも多くの人は早く感染拡大を終わらせるために出来る努力をしているわけです。そう言う多くの努力を、彼らの行為は一旦止める、あるいは場合によっては無駄にする行動な訳で、それならばそれ相応の理由を聞かせて欲しいところだけれど、そう言う話は無いんでしょうね。勿論、お盆シーズンで帰省したら地元住民から嫌がらせの書込を投げ入れられたり、理由無く差別されることは排除されるべきだけれど、例えば都内でこう言う事が行われているという話が回り回って地方に伝わると、「だから東京からの人間は排除しろ」という理由無き差別を肯定してしまう理由の一つになってしまうこともあるんだろうなぁ。

これまで10回、このようなイベントを開催しているそうですが、その参加者から感染者とか問題になるような人は発生していないのだろうか。「誰も感染していないから問題ない」という理屈で、ずっと開催を継続しているのかもしれないけれど、ひとたび陽性者が発生したらどれだけの反発が生まれるか。それに、こう言う事が「自由」の名の下に無差別に続けられると、結局は多数の安全を守るために、その「自由」に制限が掛けられたり、今は慎重に判断されている「個人の権利」に関しても、一気に制限が当てはめられて、中国とか韓国みたいに強制的に管理することで感染の拡大阻止が実施されるかもしれない。そうなったときに、彼らは責任は負えないだろうし、そうなればなったで又「自由」と叫ぶのだろうか。こう言う行為が出来るのも「自由」ではあるけれど、無差別に与えられているわけでも無い「自由」を振りかざすことによって、自らその権利を放棄していることを理解して欲しいなぁ。

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