朝日新聞に掲載された、「ブラック企業」という言葉が「黒人差別」という指摘に関しての記事(コラム?)何だけれど、この見出しからして矛盾していますよね。「ブラック企業」の「ブラック」が問題といいつつ、最近のアメリカでは「アフリカ系アメリカ人」と言い換えている「黒人」という言葉は使っている。 本文では「アフリカ系アメリカ人」と書きながらも、別の場所とか見出しでは「黒人」を何度も使っているのは矛盾していると思う。文字数の制限があるなら「アフリカ系アメリカ人(以下、ア系米国人)とか書けばいいわけだし。この部分だけ見ても、この記事の作者は本当に問題の本質を読者に問いたいと思っているのか凄く疑問。
記事に登場するアフリカ系アメリカ人の作家さんは存じ上げないけれど、この人がこの言葉を聞いていろいろな感情や考えを持つことは自由だと思う。それに、ご自身の出生に関係して、不愉快な気持ちになる事も理解出来る。「ブラック企業」という言葉が良い意味で使われないことも理解しているけれど、その「ブラック」という言葉が彼らの人種を意味して揶揄して使われていないことも事実。外来語であるから、オリジナルの"Black"と同等に感じてしまうことは仕方の無いことだと思うけれど、そこは「ブラック」と"Black"は、同じであるけれど異なる「言葉」であることも理解してほしい。
どんな言語のどんな言葉にも、ただ一つの意味しか持たない「言葉」は無いんじゃ無いだろうか。最初は一つの事柄を意味する「言葉」であっても、実は言葉は生きているから、その言葉が色々な場所で使用されて広がっていく(=成長する)とともに、いろいろな意味が加わり、あるいは反語や強調の意図で裏の意味や反対の意味が含まれるようになり、それによって元々の意味とは正反対の意味で使うことが主流になったりすることも。日本語で「黒」というのは、暗黒とか暗闇とか、元来「恐れ」とか「未知」の意味があったと思うし、それは「夜」から来ていると思うんですよね。で、昔は十分な照明や光を持たなかったので、夜というのはある意味「どうしようも無い」時であり、だから寝るしかないのだけれど、その睡眠は場合によっては「死」にも繋がる印象が生まれてくる。だから、「黒」には「死」という印象も生まれて、だから日本ではお葬式の時には白黒の幕を使うわけですよね。これ、アメリカだとお目出度いときにも白黒の幕を張ったりしていて、知っていないとちょっとぎょっとします。
その「黒」の英語の"Black"が、日本語化されて「ブラック」となり、日本語としてカタカナ語は、外来語の意味だけれど、強調するときとか少し目立たさせるときに使用する言葉でもあるから、「暗闇企業」とか「腹黒企業」とか言うよりも、「ブラック企業」という言葉が、よりキャッチーな印象を受けると思うんですよね。だから、各メディアもこぞってその言葉を使うようになった。この言葉が登場したのは、そんなに昔では無いし、その当時でもすでに"PC"的な話は知られていたはずで、それなのに自分ちの都合の良いときには積極的に使用して、都合が悪くなると「それは問題だ」というメディアの立場が一番問題だと思う。もともと、人種差別する意図は無いのだから、それはそれとして使えば良いと思うし、ただしアメリカに行けば環境が違うのだから、その時には向こうのルール・常識に従えば良いだけの話し。もし、自分が不愉快と思うのなら、その時にそう言えば相手も配慮するだろうし、自分も明らかに差別的な目的で使われていないのならば、気にせず無視すれば良いと思う。世の中には、そんなことは一杯あるわけだし、それをいちいち気にしていたら何も出来ない。自分に不利益が発生するとか、被害が発生するならちゃんと主張するべきだと思うけれど、全てにそんなことをしている余裕なんて無い。多数が「好ましくない」と感じれば、自然にそう言う言葉や意味は消えていくし、一部の言葉を無かったことにして辞書などから削除しても、それは見た目に消えるだけで、多くの人の心にはそのまま残って結局は以前と同じように存在するだけで逆効果だと思う。結局、それが「差別」として残るだけじゃ無いだろうか。
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