2020年8月15日

暑い夏、熱い浜松

昨日も全国的に暑さが厳しく、浜松も最高気温が39度に達して全国ニュースでも「浜松市で...」という場面が何度も流されました。その、全国でもトップクラスの最高気温を記録する「浜松市」なんですが、実は政令指定都市を目指して大合併した時に統合された、旧天竜市の佐久間とか船明とかの地域が「浜松市」の中でも最高気温を記録する場所で、正直南北に長い浜松市の中でも、かなり北側の地域。自分は市街地に住んでいますが、そこから直線距離で40km以上も北側の山間部に入った場所で、実は「浜松市」と聞くとビックリするけれど「の佐久間地区で」とか聞くと「なんだぁ、佐久間かぁ」と安心するのは内緒(笑)。でも、12日には市の中心地区である中区で37.7度と佐久間などよりも最高気温を記録したようで、これはコンクリートやアスファルトの照り返しが相当厳しかったんでしょうね。

何度も書いていますが、高校生くらいまでは「36度」とか「37度」とか聞いた記憶が無いので、やはり何か気候が変わってきているんでしょうね。あの頃は、毎日陸上部の練習があったけれど、33度位まででも「高い」という印象で、34度とか35度と聞くと「死んじゃうよ」と言っていたように記憶しています。だから、夏の練習の時は、練習終わりに街中に出てきて(※バスで帰宅するためには、一度駅で乗り換える必要がある)、わざとデパートとかに入り、自宅には無かったクーラーの恩恵を十分に感じてから帰宅したものです。当時は、自宅の周りは田圃ばかりで、結構夕方日が落ちてから風が吹くと涼しかったんですよね。扇風機しか無かったけれど、そんなに今みたいに「暑い」という記憶は無かったなぁ。

考えてみたら、高校卒業をして、浪人時代は予備校の寮には行っていたので、始めてクーラーのある生活を一年だけ経験しましたが、その後大学時代は勿論、就職してからも最初の10年間住んでいたアパート時代は、クーラー無かったなぁ。その後に引っ越したマンション(ちょっと奮発した)では、クーラーが備え付けだったので、やっと文明の恩恵を受けることが出来ました。それ以降は、幸いにもずっとクーラーのある生活が続いていますが、もう夏の必需品ですよね。何なら、ガス、水道、電気と同じ「ライフライン」と言ってもよいくらい。うちは、プロパンガスなどの販売店を父親が経営していたので、暖房器具は潤沢にあったので、冬は寒くなかったけれど、夏は大変でしたねぇ。でも、やっぱり昔は今ほどの暑さでは無かったと思うなぁ...

そんなことを考えていたら、「そうだ、昔は夏は行水だったんだ」なんて言うことも思いだしてきました。家は、自宅内に井戸があったりしたので、結構夏でも冷たい水を使うことが出来、だから夏休みなどは、殆ど毎日庭先にタライを出して井戸水を浴びて汗を流す「行水」だったなぁ。流石に、中学生くらいになるとやらなくなったけれど、それでも暑いときにはさっぱりして良かった。昔は、行水用(?)の木枠のタライがあったけれど、あれって本当は何のためのタライだったんだろうか。何か干したり洗ったりするための物だったのかなぁ。いまでは、アメフトなどでは練習後にクールダウンするために水のプールに入りますが、可能ならあれをやってみたい。ビニールプール何て言うのも、昔自宅にあったけれど、いい年したオヤジがあんな物に入っていたら、一寸異様かな。庭先にサマーチェアーとか出していれば、今の季節なら何となく辻褄は合うかもしれない。ただ、ここ数年のような「酷暑」では、文字通り焼け石に水ですが。

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