確かに、今はネットや様々なメデイアを通して、世界中の情報が日本に入ってきて、また日本から出ていき、色々な情報共有が生まれています。その中には、互いに相反する認識や表現がぶつかることもあるわけで、そう言う場合はそれまでの「ローカルルール」とは異なる、「共通ルール」みたいなものを設けないとその後が続かない。でも、その共通ルール作りが、さらにねじれてややこしい話になる可能性も。例えば、日本語で「サラリーマン」という言葉は、和製英語で本来の米語・英語には無い表現。で、本家の方で「〇〇-man」というのは表現(例えばbusiness man)は男性に限定していて差別的だという理由で、「〇〇-person」(business person)にするべきと言う意見が生まれると、何故か日本語(和製英語)の「サラリーマン」も「サラリーパーソンにするべき」という、ちょっと意味不明な話しが出てきたりします。勿論、日本語の「会社員」と言えば、男性女性関係無い話で、本来はそうあるべきだと思うけれど、和製英語まで英語の習慣に合わせるというのは、何か変な話。それだったら、LGBT+に配慮して、性別を含む表現は避けるべきとか言われた方がまだ納得出来るけれど。
件の記事を書いた女性記者氏も、色々突っ込まれて言い訳をしているうちに、何かしどろもどろになってきて、最後は「女性だから批判される」みたいな所にねじ曲がっていて「何だ、やっぱりそんな薄っぺらい理由だったんだ」とガッカリ。いゃ、女性・男性関係無く、「記者」という職業だから、自分の書いた記事=製品に責任を持てよと言うだけの話なのだけれど。で、もう一度彼女の記事を読み返してみたんですが、最初の段落の2行目の文章に改めて引っかかるものが。
悪質な職場を分かりやすく共有・追及する上で役割を果たしてきた言葉ですが、黒人(Black)などから不快に受け止める声が上がっており、意図はなくても差別を助長しかねないとの指摘も出ています。と書かれているけれど、ここで言っていることは、
- 「ブラック企業」の「ブラック」という言葉は、悪質な状況を上手く表現する役割を果たした
- "Black"と呼ばれる黒人から不快な声があがっている
- 意図は無くても差別を助長しかねない
今回は、外来語だから生まれた問題だと思うけれど、結局人間一人一人は色々な個性を持ち、それが異なるから互いに新しい発見や可能性が生まれていくもの。残念ながら、その「差」は時に「優劣」というものに変わったり、さらにそこから「差別」に変わることも多いので問題ではあるけれど、違いがあることが問題では無いはず。アフリカ系アメリカ人の人達が、自分達が"Black"であることに誇りを持つのであれば、おかしいと思うことに意見を言うことはどんどんやれば良いと思うし、それに対して日本人の考える「ブラック企業」はこう言う意味という説明にも耳を傾けて欲しい。そこで「納得」出来ない事もあると思うけれど、「理解」はして欲しい。少なくとも、日本での意味はアメリカでの意味とは異なると言う事は、理解して欲しいと思う。
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