先の兵庫県知事選挙で、失職した斎藤知事が当初優勢だった対立候補に結構な票差で当選した事で、一部メディアではSNSの偽情報で既存メディアの正しい情報が混乱した、みたいな事をまだ言っているらしい。既存メディアとしては、自分達の法堂していた内容と反対の結果になってしまったわけで、先ずはそれが許せないのだろうけど、それをSNSと言う別の矛先に向けるのは間違っているし、そういう所が今では既存メディアが信用されず信頼されない事実に繋がっている事を認識していないことが、一番重症だと思う。
既存メディアの言い分としては、自分達は法律で指定された指針を遵守して、裏付け取材をして、正しい情報を帝京しているのに対して、SNSでは虚実判断出来ない大量の情報が拡散されていて信用できないのに、多くの人がそれを信用する事態になっているのがおかしい、ということらしい。先ず矛盾していると思うのは、その既存メディア事態が最近はSNS発の情報を情報源として扱う事が増えていること。SNSを切掛に、そこから独自取材をして自分達の結論なり報道内容を決めるのであれば、それは取材活動として言えると思いますが、酷い場合には内容も映像もSNSをそのまま持ってきて「こう言う事が起こっています」というだけみたいな「報道」も最近は増えてきていると思う。それに、SNSはよくも悪くもリアルタイムに情報が投稿されて、それがよくも悪くも変異しながら拡散して行く「量のメディア」なのに対して、既存メディアテレビや新聞・雑誌等チャネルは限定されているけれど、圧倒的に太い情報供給量で特定の視聴者・読者に情報を送りつける「密のメディア」だと思う。それ故に、既存メディアの影響力はまだまだSNSを越えている部分が多いと思うし、影響力もよくも悪くも大きい事も事実。
ただ、インターネットが普通に社会インフラとなり、その上を流れていく情報に接する機会が増えてきていると、どうしても既存メディアとSNSが伝える情報内容に乖離が感じられる事態に。また、SNSは様々な種類の情報が流れていくから、多少の偏りはあるとしても、情報の内容としては左右とか上下とかそれなりにフラットに流れてくると思うんですよね。でも既存メディアの場合は、その担当者や会社の方針や思惑で情報がフィルタリングされるから、提供される情報にはバイアスが掛かっている。昔は、それしか入力されていないからそれを信じていたけれど、SNSが広がりよくも悪くも色々な情報が流れてくると、ある意味既存メディアの情報にキャリブレーションがかかり、それで多くの人が「あれ?」と思うようになってきたのが、ここ数年の社会情報環境だと思うなぁ。既存メディアの情報と反対する内容の情報が増えてきたと言う事も重要だけれど、既存メディアの情報を更に誇張するというか、既存メディアを応援支援しているつもりで自らハレーションを起こしているような「応援情報」も逆に疑念を生む材料になるわけで、そう言う意味ではSNSというのは壮大なリトマス試験紙と言えるような存在でもあるとおもう。
ただ、それぞれがどういう情報を長そうと、結局はそれを受けた一人一人がそれをどの様に咀嚼して理解するかが最重要要素なので、そこがこれまでは問題だったわけですよね。既存メディアに依存する所謂「情報リテラシー」の欠如がSNSからの情報供給を無視するような構造が続いていたわけだけれど、既存メディア自体がある部分ではどんどん変質していって、これまでと違うと言うことを感じさせるような状態になってきて、やっと疑問を持つ人も増えてきていてSNSとの比較で補正することを覚えた人が増えてきたことが、今回の県知事選挙の要員でもあると思う。其れ以前の都知事選挙も、そう言う要素が多分にあったように思いますよね。それでも、既存メディアの持つリソースは、特定の部分に集中しているけれどだからこそまだまだ脅威な訳で、そこをどの様に解釈して利用するかが課題なのかな。自分的には「このメディアの言うことは話半分どころか千三つでもいい」とか「このメデイアは、○○分野は信頼性高いけれど、△△分野は素人レベル」とか、そういう自分なりの透過フィルターを持っていると、まだまだ利用しがいがあると思う。それに対してSNSは、とにかく量の勝負だから、まずは自分なりに信頼出来ると思うソースと、出来れば信頼出来る反対意見のソースを並立されて比較するという事が出来れば、かなり有益だと思う。課題なのは、量のメディアなのでそれなりの情報量に接して迅速にスクリーニング出来る能力が要求されることで、それはやはりネットの中で揉まれて苦労して学習するしか無いだろうなあ。そうやって、自分としても自分と180度異なる人からでも「ここは信頼出来る」と判断出来るような情報ソースを見つけられるかどうかが、SNSと共存していく一番のスキルだと思う。既存メディアも、その情報品質を中立化・公正化・信用性を高める事で、まだまだ存在意義は高いと思うし、そういう存在があることで、キャリブレーションを取る意味も出てくるわけだし。ただ、もう遅いかなあ、心を入れ替えるのは。