2026年10月18日

記事の恥は書き捨て

日本経済新聞が掲載した片山財務大臣に関する記事内容に関して、御本人がその記者に対して直接否定したり、城内経済財政担当大臣がやはり自身に関する毎日新聞の記事内容をわざわざ会見を開いて否定したり、これって二つの意味で画期的だと思うんですよね。一つは、政府要人がその為にわざわざ時間を作り直接内容に関してコメント(否定)すること。もう一つは、どちらの否定会見に対して「実際取材をしてこれこれこういう事実がある」という反論がメディア側から無く、どうも記事自体が所謂「飛ばし記事」と呼ばれる、十分な裏付けや事実確認が無いままに、憶測や推測で構成された記事を、もう隠す事無く平気で「報道」してしまう時代であると言うこと。

前者に関して言えば、これまではやはり立場上明確にしかも直接的に反論したり意見したりすると「権力の圧力・乱用」みたいなまた別の攻撃材料になったりしたわけです。「政治権力の監視役」と自分達の事は言いながらも、自分達に対しての意見や批判は「攻撃」と言い換えて封鎖するような傾向が、最近富みに大きくなったのは、後者の理由もあるんでしょうね。つまり、本来の仕事モードで埋まる「報道内容・報道量」では、「メディアビジネス」としてのビジネスモデルが回らなくなってきた、と。多くの人の目に触れて、自分達に対しての注目=購買行為が増えるように、その内容や事実とは別により刺激的により重大性を臭わせるような言い回しの表現を好むようになってきていて、それこそゴシップ化しているのが現状だと思う。

紙メディアの衰退はもう確実に迫ってきているわけで、多くのメディアはオンライン化で次のビジネスモデル構築をしようとしている。でも日本国内で今の所何とか成功しているのは「経済」という独自コンテンツを持つ日経くらいと言われています。その日経も、経済問題に関しても本来の経済動向では無く、何となく政府の経済政策に対してやや感情的な意見が散見されるように感じるのは、日経の政治関連記事が現政権に対して批判的な色合いが強いのと関係するような気もしますね。毎日新聞なんかも、反政権・反与党という立場が強いメディアとして知られているけれど、だから取って嘘誇張を含む記事を報道して良いわけでは無いわけで、でもそれって今に始まったわけでも無いんですよね。

全てのメディア人がそうだとは言わないけれど、それでも結構自分達は特別な存在であり「メディア」という場であれば自分達は誰からも批判される理由は無く無敵な存在である、みたいな大きな誤解をしているようにしか思えないときがあります。誰かを騙そうとするときに、100%嘘だとばれるけれど、その中に10%でも「事実」が含まれていると相手も疑心暗鬼になり、嘘も本当のように見えてくると言う話を聞いたことがあります。それは騙す側のある意味「戦術」なんだけれど、今回の話はその嘘90%の話を10%のもっともらしい「事実」から信じ込んでしまい、自分が騙されていることに気がついていない逆のケースのような気がします。質が悪いのは、それなりに情報リテラシーがあれば、まずは核となる部分や重要な部分に関して裏取りなり背景取材をするのが普通なんだろうけど、それをせずに自分が欲する部分さえ一致していれば、それを「事実」あるいは「事実に近い推測」と勝手に良さげに解釈するんでしょうね。それって彼らが常日頃批判している「ネットメディア」と同じ事というか、それ以下の行為でしかないように感じます。日経は片山大臣から指摘があった後、しれっと当該部分を削除したらしいけれど、それに関しての告知なり注記はないらしい。既に信頼性はネット情報以下と思うけれど、劣化が進むレガシーメディアの具体的な兆候の一つだと思えば、不思議はないですよね。「旅の恥は掻き捨て」ならぬ「記事の恥は書き捨て」なんだな、と。

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