知識は単なる情報だが、知識をどう見るか、どう世界観に当てはめるかという能力が「知」という考えかたをとってみる。↓
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) October 22, 2026
佐々木俊尚氏のVoicyから、知識とそれをどの様に自分の世界観当てはめるかという能力に関して。1年半くらい前にやはり佐々木俊尚氏のVoicyで取り上げた「知識はあるのに薄っぺらい」という話の続きだと私は思います。どちらも共通しているのは、膨大な情報・データがAIで処理されるようになってきても、それをどの様に処理するのか使いこなすのか人間側も進化しないと、結局はAIに「使われる」用な社会になるという話だと私は理解しました。
これって私なのに同じ認識を持っていて、それを昔聞いて凄く納得した「データと情報の違い」に当てはめたんですが、今回も同じ内容だと思います。「情報」という言葉が複数の意味で使用されるのでちょっと紛らわしいのですが、私のイメージの中では、
- 所謂「データ」と呼ばれるような、数値情報だったり高い低いのような、要素的な情報というか「無機的情報」と勝手に呼んでいる基本的なもの
- 「情報」というよりは、自分の中で咀嚼できるような、有る程度流動的変動的不定形な要素を持つ、一般的には「認知」と呼ばれるようなもので個人的には「有機的情報」とでも感じるもの
数学や物理の世界で、色々な法則だとか公式を証明するのに、唯一の場合もあるし複数の方法・アプローチがあるように、自分の中で組み立てられている「連立方程式」も複数存在していても構わないはず。それによって、ある数値を挿入すると、例えばそれが政治的話題だとしてら、本来は保守的な人も場合によってはリベラル革新的な意見に納得する場合も有るだろうし、その逆もあるでしょう。でも、頑として一つの方程式しか受け入れず、かつ挿入する変数にしても限定するような状態になると、当然得られる解も多少の変動はあっても毎回に多様なものしか生まれないわけで、そういうのが知識や行動の硬直化へと繋がるのだと思う。
生成AIが誕生してどんどん進化してくると、いつかは人間に並ぶような思考過程をする時代が来るかもしれない。でも、人間だから文字通り自然に生まれる知識や経験の揺らぎとか無意識の認知みたいな部分は、多分相当未来においてもAIから見たらブラックボックスじゃないだろうか。だから良くSFの世界で見られるストーリーとしては、AIがそういう部分を人間の不完全さとして排除しようとするみたいな話が有るけれど、逆に言えばその不完全さを再現できないから彼らは計算処理では大きく量が出来るけれど、情報処理と言う部分では人間に敵わない部分も多く存在している気がしますね。多分「失敗の美学」とか「敗者の美学」みたいな発想って、彼らは説明する事は出来ても理解することは出来ない気がする。ただ、生成AIの学習では何故か日本に関する情報へとか頼りが見られるそうで、それは色々な理由が有るらしいけれど(現在の日本の情報でも多言語に比べて過去への言及が桁違いらしいし、その過去の情報も多数残っているから学習しやすいというのが理由らしい)、となると「失敗の美学」とか「敗者の美学」みたいな発想って、いかにも日本人が好きそうな考え方なので、もしかしたらAIは日本への傾倒からそういう部分を理解する時代がくるようなシンギュラリティが案外近い将来突然知らないうちに生まれてくるかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿