海外では「となりのトトロ」が宗教映画だと誤解されてるという話。でも道ばたのお地蔵さんや古びた神社のご神木に手を合わせる、日々の生活のなかでのああいう感覚こそが日本の宗教心なんだとわたしは捉えています。一神教の価値観とはまったく違う。↓ pic.twitter.com/Au2Xk79Ap7
— 佐々木俊尚@新著「フラット登山 日本を歩く旅60」絶賛発売中! (@sasakitoshinao) July 16, 2026
佐々木俊尚氏の引用から、海外では「となりのトトロ」が宗教映画だと誤解されているという話。日本人なら普通の事一般的な行為と感じる「お地蔵さんを拝む」みたいなシーンが、宗教行為=キリスト教などの一神教での祈りの場面、と感じるらしい。確かに「お地蔵様」は、子供の神様だから、似ていると言えば似ている気はするけれど、ここでの「祈り」は「先日は助けてくれてありがとうございました」とか「雨宿りさせてください」というような、ごく一般的な「挨拶レベル」の行為だと日本人は感じるのが大きな違いなのかも。
欧米の人と日本人との一番の違いの一つは、やはりこの宗教観だと自分の細やかな経験からも感じます。「キリスト」という一神教に対して、「存在する全てに存在する八百万の神」という多神教との違い。「多神教」というのも一寸違う気がするんですよね、八百万(凄く多くの)の神様が存在していると言うよりは、「何となく雰囲気や気配は感じるけれど自分周りが神様的要素で埋まっている」、みたいな感覚の方が近いんじゃないだろうか。それだけ、自然というか社会や生活の中に透過的に存在しているものと、一つの象徴として崇拝するものは、やはり大局的な存在だと思う。
現代日本は驚くほどの秩序に支配されている。これを混乱と無秩序に戻すのは馬鹿げているけれど、ある程度の無秩序さを包含しなければ社会は前に進めない。フィナンシャルタイムズは「理論上は、日本のような工業大国が安全・親切・清潔であり続けながら、同時に果敢にイノベーションを起こし、自信を持… pic.twitter.com/etQL7potS8
— 佐々木俊尚@新著「フラット登山 日本を歩く旅60」絶賛発売中! (@sasakitoshinao) July 16, 2026
別の投稿で佐々木氏が取り上げているCourrierの記事では、秩序の国ニッポンには「丁度良い混沌が必要」との事。その「丁度良い混沌」の一つが、この「八百万の神感」じゃないだろうか。人それぞれ自分が好きな神、必要な神、見つけた神を信用する場合もあるし頼りにする場合もあるし、それぞれが都合の良いようにカイシャして成立している世界観が「丁度良い懇篤」と言えるのかも。もう一つ個人的に感じる「混沌」は、アニメとか推し活みたいなものに象徴される「副次的な熱狂」というか、表には見せない出せない自分のもう一つの「主役」みたいなものへの熱意というか。それに熱が入りすぎて表面化すると「匠」なんて言う、表の称号が生まれるのかもしれないけれど、「匠」に対しての「オタク」が、秩序の「匠」に対しての「オタク」なる混沌なのかもしれない。
少ない海外生活経験(=アメリカ経験)ではあるけれど、向こうの人達の様子を見ていると、やはり「プライベート」とか「パーソナル」みたいな、自分の周辺空間を一番重要視する傾向があり、それを守るために色々な摩擦や軋轢も生まれていて、そこから自分の「世界観」を守るために、場合によっては争いも辞さないみたいなものがあるように感じます。一方で日本は、良くも悪くも狭い場所の中に家族や親類やご近所さんが共存しているわけで、そこには有る程度の我慢という秩序は必要。出る杭は打たないと、そこから秩序が乱されるみたいな考えが、一番無難な社会構造が日本の生活様式だと思います。だから、そこに収まりきれない感情や行動は、隠れて発散していくしか無いのかな、と。でも、それが「アニメ」という表現方法、さらに昔ならば「漫画」みたいものに昇華できるようになると、適切なガス抜きになっているような気がします。そういう感覚を受け入れられるかどうかが、日本で日本人と共存可能かどうかの分かれ道になと思うなぁ。
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