2026年5月11日

基礎となるレシピ

佐々木俊尚氏の引用から、佐々木氏の著書である「名もなき料理」に関してレシピの必要性に関して。料理のレシピ(調理手順)に関しては、その必要性や重要性とか逆にレシピに捕らわれない考えとか、 有る程度の周期で現れて議論を呼んで自然消滅して、そしてまた時間がたつと再燃している気がする。まぁ、それだけ食べ物の話というのは自分達の生活の一部と言えるのだろうけど。ただ、大学生時代から自炊生活をしていた自分としては、「レシピに拘る必要は無いが、無視するものでも無い」と思っています。

勿論「レシピ通りに作る事」に捕らわれる必要は全く無いと思うけれど、だからと言って最初から無視して良い存在では無いとも思うんですよね。言ってみれば「料理の基本、勘所、要素」という部分を自分の「料理スキル」に取り入れて定着させる基本動作が「レシピ」だと思っています。例えば私は基本和食系を自炊することが多いけれど、それは「さしすせそ(砂糖、塩、酢、醤油、味噌)」の基本調味料で完結していて一番作りやすく、かつ子供の頃から口にしていて慣れていて毎日食べても飽きないからというのが理由。そのレシピに関しては、同じ「味噌汁」にしても何千何万種類も有るわけですが、基本的には「具材を準備して、出しを取り、具材を煮込んで火が通ったら、火を止めて味噌を溶き入れ、食べるときに温める」という手順が一番基本動作。その時に、例えば自分用の「味噌汁一杯」を作るときの出汁の量とか、お味噌の量とかを体感するというか会得するのが最初の「レシピ」の役割だと思っています。で、基本形が分かったら、例えばお味噌の種類が変わったら、その量をどの様に加減するかとか、具材に関してもどれくらい煮たら適切なのかとか、そういう部分はレシピの外の話だと思います。

「さしすせそ」にしても、レシピに書かれている内容では不足している情報も多いし、それ故にレシピ通りに作っても自分の期待した味にならないことも大きい。だから、何度かレシピ通りに作るけれど微調整して、自分用に「補正」することもレシピの役割だと思う。例えば、私は醤油は「薄口」と「濃口」を使うけれど、レシピにはそれを区別して書かれることは先ず無い。大体は「濃口」を使用するんだけれど、醤油メーカーによって味の加減が違うこともあるし、最近は「出汁入り醤油」とか「減塩醤油」とか醤油の加工品も多いから、それによってもレシピは微調整が必要になったりします。だから私は基本「さしすせそ」で使用する調味料は、それぞれ同一メーカーの同一商品に統一して、少なくともその基本部分での味のブレは最少化するようにしています。そこから「めんつゆ」を作って置いて、レシピで「めんつゆ大さじ3杯」とか書かれていたら、自分のめんつゆを使って期待値との差を認識して、次はそれを調整してと、そういう手順を何度か繰り返して味のブレを収束させて自分好みの「塩梅」を見つけるわけです。

レシピって、歌舞伎の中村勘三郎氏の名言「型があるから型破り、型が無ければ形無し」のまさに「型」に相当する物だと思う。じゃあ全ての料理を一度レシピ通り作る必要があるかと言われたら、それが可能ならばする方が良いと思うけれど、例えば和食だったら「同割り(酒:1、味醂:1、醤油:1)」を覚えたら、後はそのバリエーションと、出汁と割り下の割合の組合せを理解すれば、そこからは自分なりのアドリブでも良いと思う。ただ、いきなり出汁に調味料を投入して、甘い・塩辛いという微調整を繰り返し最後に迷走するのは駄目だと思う。そうならないために、まずは一度レシピを尊重して味の基本路線みたいな物を理解して、そこからレシピに無いアレンジをするのが「料理好き」になる一つの近道じゃ無いだろうか。で、その時には味のブレを最少化するために、使用する調味料も出来るだけ固定するのも一つの秘訣だと思う。醤油だけで何種類とか、塩だけで何種類とか、素材数はイコール変数の増加になるわけで、そうなると不確定要素は増えるし難しさも増加すると思う。塩は岩塩と海塩、砂糖も白糖ときび砂糖、お酢は米酢、醤油は特定メーカーの特定商品の濃口と薄口、味噌も特定メーカーの白味噌と合わせ味噌(私は基本赤だしが嫌いなので赤味噌は使わない)というのが自分の基本路線。中華や洋食も似たようなもので、「出来るだけ調味料は増やさない」事が自分のテーマ。それによって作れない料理もあるけれど、そう言うものって「家庭料理」と言うには手が込みすぎている場合が多いし、似たような料理でもそれこそ素材を変えれば同じ味付けでも食べた印象はどんどん変わるし、全然飽きないから日々の食事としては十分間に合います。だからレシピは軽んじるのでは無く、うまく活用することを考える事が重要なんだと思いますね。「名もなき料理」とは、だから名前もないつまらない料理という意味では無く、無意識に手が動いて作る事が出来日々食べても飽きない「無意識の料理・食事」という意味だと私は咀嚼しています。

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