2025年2月17日

メディア不要論

PRESIDENT Onlineに掲載された、東京新聞元編集局長による「東京新聞が『空気を読まない記者』を作り続ける理由」なるコラム記事。一部界隈では有名(悪名?)な同社の望月衣塑子記者に関しての擁護記事みたいな感じなんだけれど、まぁ編集局長にもなった人としてメディアに関して軽い考え方というか、大きな勘違いをしているようにしか感じない。 特に最初に書いている「新聞の使命」に関して、完全に権力の監視者としてしか認識していないのは間違っているのでは。それならば、政治監視団体なり政党活動なりで、直接政治と対峙すれば良いだけの話し。

そもそも新聞の使命とは何でしょうか。人々の代弁者として権力を監視し、「本当のこと」を伝えて世に警鐘を鳴らすことです。究極の目的は「かけがえのない命」を守ることであり、ひいては国に二度と戦争をさせないことです。東京新聞が空気を読まない相手は権力であり、空気を読まない理由、読んではいけない理由は、使命を遂行するためです。

この「言い訳」を読むと、彼ら的には過去の戦争に自らも荷担して国内や諸外国に大きな被害や迷惑を掛けた片棒も自分達も担いだという「罪悪感」は感じているのかな。その点は評価するとしても、「可愛さ余って憎さ百倍」じゃないけれど、自分達が反省をしていることだけを考えているから、自分達の使命として「人々の代弁者として権力を監視」と言ってしまうんだろうな。「代弁者」だと思っているのは自分達だけで、私達は新聞社やメディアが代弁することを依託したことも、そう理解したこともない。彼らの使命は「事実を伝える事」だけだと思う。但し、その事実を伝えつつ、自分達の論評なり評価、あるいは批評することは必要だと思うし、それがメディア各社間の差別化を図る「付加価値」でもあると思うんですよね。メディアと言えども私企業なのだから、どうしてもより多くの購買数を獲得しないといけない。あるいは、そういう取材や記事から、二次制作物等を出して、利益を獲得する事も大切。当然社風というか社の方向性として、「対政権、政治」という視点から見ると、政権より(右より)とか、反政権(左より)みたいな傾向が生まれることもあるでしょう。それは、あくまでそのメディアの会社あるいは組織としての「個性」であって、そこに魅力を感じる人もいるんだろうけど、今のメディア特に東京新聞とか朝日新聞などは、そう言う事が自分達の「正義」と勘違いしている事が大きな間違いだと思う。

途中幾つか事例を出して自分達の正統性を説明しようとしているけれど、どうしても取って付けたような印象しか受けない。そこで感じるのは、「今を批判している」のは良いのだけれど、昔は自分達はどうであってそこから何があってどう考え方を変えて今に至るのか、そう言う「反省」は絶対説明をしないし、表にも出してこないんですよね。何か問題があって、その原因を明確にして再発しないように対策しないといけないのに、その問題を起こした当事者が、「大丈夫、ちゃんとみてますから、これからは○○に集中して問題発生しないように対策します」と一生懸命説明しても納得出来ないのと同じ。「彼らがこうしているから、自分達は監視しています」と言うけれど、「自分達は斯く斯く然々だったから、こう変更してだからこうなります」というその前の説明が無いから、何度読んでも納得出来ないし結局は自分達のやっている事を正当化するための詭弁のようにしか感じられない。

最後のページでは再び「新聞の購読費は権力監視の代行費」と、自分達の使命は権力監視だしそのためにお金を頂いているとと明言しているけれど、だから新聞離れがどんどん進んでいくんだなと感じる内容。権力監視は、あくまで彼らの使命の一部でしかなく、それ以外にも社会問題だったり国際関係、あるいは日々の生活に必要な情報なり、国民の情報補完が彼らの使命なのでは。だからこそ、東京新聞だって紙面全部の記事が「権力監視の記事」で埋まることはないでしょ?! そこからして矛盾している発言だと思う。仮にそうであったなら、なんで先日のフジテレビの10.5時間会見にも望月氏が参加して、持論展開するようなことを許しているのだろうか。あそこに何か政権との繋がりがありね、それを明らかにするために彼女はいたというのだろうか。あるいは、その時の彼女は東京新聞所属記者では無く、オンラインメデイアのアークタイムズ所属スタッフとして参加していた、とでも言うのだろうか。自分達が作りだしている記者が「空気を読まない記者」ではなく、「空気を乱す記者」だということを強く認識しない限り、どんどん衰退していくのだと思う。個人的には、もっとその衰退速度が加速して消滅してくれても全く問題無いと感じるなぁ。

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