2021年3月23日

「変える」為に「変えない」事

本日の別記事を書いているときに、資料検索をしていて見つけた記事が「うんうん」と、むち打ち症になるくらい同意できる話だったので記録しておくことに。以前にも、こんな話や、その二年後にまた似たようなこんな話を書いていたんですが、まさに「我が意を得たり」という内容。でも、これが多くの人の思いだと思う。

婚姻とか夫婦別姓みたいな大きな問題で無くても、人間というのはどちらかと言えば余り変化せずに、安定した生活なり社会を望むものだと思うんですよね。「変化する」という事は、それが良い事であっても悪い事であっても、何か変化があるという事は、それなりのストレスになります。それが望む方向であれば、そのストレスは昇華されていくだろうけど、そうで無い場合は逆に拡大して重しになる事もあるだろうし、更なるストレスを生む結果にもなるでしょう。仕事でも、何か新しいやり方・ルールを採用するときに、いきなり今日から切り替えろと言われても困るわけで、ある程度の移行期間は欲しいし、その新しいやり方にしても以前との互換性や整合性は残して貰わないと、全く使えない状態から始めることになり混乱するだけ。ソフトウェアなんかその典型で、バージョンアップする度に新しいデザインや機能にして言ったら、どんどんユーザーは離れていくでしょう。以前のバージョンまでショートカットキーが提供されていたのに、新バージョンからそれが無くなる、となるとこれは言語道断。やるべき事は、以前のショートカットキーは維持しつつ、新しい機能のキー定義をする事だと思うし、どうしても以前のショートカットキーを削除する必要があるなら、新しいキーアサインの設定とは別に、以前のキー設定に戻るような仕組みを入れるべきで、それによって現ユーザーも新しいバージョンを受け入れるだろうし、そのうちに新機能・新設定にも馴染んでいくわけです。

「夫婦別姓問題」に関しては、以下略ちゃんが高市早苗議員の発言を文字おこししたものが公開されていて、その内容が現実的かつ網羅的と評価されています。私も、これが現実的な解決策だと思うけれど、仮に通名(通称)が広く使用出来るようになっても、夫婦のうち一方は「通名(=元々の本名)」と「本名(=婚姻後の名字)」の二つの名前を持たなくてはならず、場合によっては使い分けする必要が有るとしたら、それはやはりその人にとっての負担になるわけで、将来的には何らかの解決策が必要なんでしょう。でも、その「ゴール」のみ目標にしてそれ以外の事柄を認めないとなると、不幸な人はずっと不幸が続くわけで、それならば限定的・部分的でも満足出来る結果が得られた方が、まだ幸せなんじゃ無いかと思うわけです。それが既存のルールや法律との摺り合わせであり、段階的な改編に繋がる動きだと思うんですよね。でも、目立つ声の大きな人達はそう言う事を認めない人が多いように感じるわけで、それが記事にも書かれているように一番の嫌悪感を生んでいるのだと思う。大きな「戦略」を設定して、それはそれなりに意味があるのに、その戦略実現のための個々の戦術があまりに突拍子も無かったり、非現実的だったり、専横的だったりするから、戦術も失敗すると周りからも冷たい視線を受けるだけから、更に無視されるような存在になっていくんだろうなぁ。

多くの場合、多数派である「現グループ」に、少数派である「新グループ」が加わるときに摩擦が発生して、問題が生まれてくるもの。この場合、現グループは、数にものを言わせて相手の意見を無視するのでは無く、先ずは耳を傾けることが第一の責務。その為には、新グループとしても100%の要求を出すのでは無く、やはり譲れないところは何なのか、どこまで譲歩できるのか、優先順位をちゃんと示して、その上で自分達のゴールを示さないと、相手としても会話を始めようが無いでしょう。その上で、互いに妥協点を探していくのが現代社会なんじゃないかと。その時にも、「今すぐにでも必要」な事から、「多少の猶予が可能なもの」や「長期的に検討対話したいもの」など、その内容に寄って時間がかけられるものは保留して優先することから確定していけば、新グループにとっても利益が最大化されていくと思います。それって、仕事でも同じ分けで特にハード屋とソフト屋の対立なんかは似ている気がする。あるいは、新規にビジネスを顧客に売り込むことを想定したら、いきなり新システムの売り込みをしても聞いて貰えないわけで、現システムからどの様に移行するのか、それがどの様なメリットの最大化とコストの最小化で実現出来るのか、そう言う説明が必要なのと同じだと思います。それが、売る方は高飛車に自分達の製品の長所だけ述べて、それを押しつけるのであれば、買う方はその製品の性能や仕様吟味の前にその態度批判に終始して、いつまでたっても話が噛み合わない。例えば、夫婦別姓問題にしても、同性婚問題にしても、あるいはそれ以外の色々な問題も、当事者の代表者がそれぞれ逆の立場になってディベート対決してみたらどうだろうか。その後で、本来の立場に戻って再度ディベートしてみると、何か新しい妥協点が生まれたりして。まぁ、今の状況では、一番否定されそうなアイデアかな(笑)。

0 件のコメント:

コメントを投稿