2017年2月11日

多文化共生・他文化共生

数日前の地元紙の記事ですが、ネットで結構出回っていてそれで気がついた「灯台下暗し」の情報。「宗教問題」というのは、日本人が一番苦手で弱点で気にしないテーマじゃ無いだろうか。勿論日本にも、神道と色々な宗派の仏教を中心に、キリスト教諸派とかその他の宗教(一応今回のテーマでは新興宗教は除く)もあるけれど、この日本の神道と仏教と、その他の宗教とはかなり違う物のような気がします。かなり乱暴な言い方ですが、日本人にとっての神道/仏教は、「宗教」というよりは、日々の生活の中に組み込まれた言ってみれば曜日とか四季のイベントみたいな「習慣」みたいなものじゃ無いかと。それに対して、例えばキリスト教はその人の人生に組み込まれた、指針というか使命というか、もう少し拘束力のある「義務」に近いものじゃ無いかと。で、イスラム教というのはそのキリスト教よりもさらに「義務感」が強い物じゃ無いかというのが、私の個人的理解。

例えば、小麦粉とか牛乳などの食物アレルギーを持つ子供に対しては、場合によっては命の危険にも関わるので、最近ではかなり注意してそういう食品を区別した給食を提供する、あるいは自分でお弁当などを用意して貰うことは、かなり一般的になってきました。ただ、日本人の宗教観では食物に関しての制限はないので、多分イスラム教で豚を排除する感覚というのは、なかなか理解しがたいところがあるのかも。あるいは、アルコールが食べ物の中だけでなく、食器などの洗浄目的にも使えないとかというところもあり、食事以外の場合にも該当する場合が生まれてきます。食物アレルギーのように、口に入れたら命に関わるという物理的な障害ではないけれど、強い宗教観による倫理的な縛りであるから、少なくともそれなりに尊重してあげる必要はあるでしょう。

一方で、日本も含めてイスラム世界以外の社会も多く有り、その中には彼らの宗教とは相容れない部分もあるわけで、仕事とか色々理由はあるだろうけど、自らの意思で渡ってきたのであれば、多少の不便とか制限は覚悟しないといけないのではないかと。だからといって、日本では禁止されている豚肉を食べろというのではなく、この日は豚肉が出るから食事は自分で用意してねと言うような、折衷案は受け入れて欲しい。例えば、毎週水曜日は「ハラールの日」として、ハラール対応の食事を全員に出す代わりに、それ以外の人は必要ならば個別に食事やおかずを準備するとか。一日5回の礼拝についても、確か海外にでた時にはそれを守らなくても良いという御触れがあったと思うのですが、そういうものを理由にして出来るときは実行するという位の気持ちになって貰えると、共存する事の可能性やお互いのストレスも少し軽減するのではないだろうか。「難民」みたいな形で、否応なく日本に来なければならないというような場合は別だと思うけれど、自分の意思で来日したのであれば、こちらも相手のことを尊重するし、相手もこちらを尊重して欲しいけれど、でもどちらも100%は出来ないと言う事は理解して欲しいですよね。

最近では「多文化共生」という言い方をするけれど、これって「他文化共生」でもあるわけで、その違いのあるところはどうしても摩擦が生まれるもの。日本の仏教だって、宗派が異なれば作法も違うところがあるわけで、そういう部分は日本人的な大らかさと言うか曖昧で住ます見たいな知恵でここまできたもの。そういう「知恵」という物が、日本以外の人達との付き合いでも必要になるんですが、だからとって日本側が全て譲るというのは困るわけです。給食にしても、それなりの人数が揃っていれば、施設に投資してたりして提供することは可能かもしれないけれど、一人二人のためにわざわざ準備するとなると経済的にも物理的にも無理。そこはお互いに知恵を出す努力をしていくことが大切でしょうね。最近では、イスラム圏からの観光客誘致という目的で、食べ物に関してはハラール認証なんていうことも普通に言われるようになってきたし、礼拝用の施設などもすこしずつ準備されてきています。そういう意味では、ビジネスチャンスという事でそういう理解やサービスを浸透させていくことで、結果的に在留しているイスラムの人達にも恩恵があると言う、色々な意味でのWin-Winの流れを作る事が、こう言う他文化共生の解決策じゃ無いだろうか。

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