最近の右・左の意見の衝突というか、所謂リベラルと呼ばれている(自ら呼んでいる?)人達の発言を見ていると感じるのが、「情報発信みたいな時にも、たまにはキャリブレーション(較正)をかけて調整するなんて事は出来ないのだろうか、ということ。確かに「発言の自由」「言論の自由」は担保されるべき物ではあるけれど、その意見の裏付けも論理もなく単に罵声に近いだけみたいな物も多いし、自分の主張を通すためには実力行使も辞さないという雰囲気がムンムン。
「キャリブレーション」と言っているのは、そういう意見の左右の違いを修正するという意味ではなく、例えばその意見の中には論理的な組み立てがあるのか、ちゃんとした理由・原因説明があるのか、相手の気を引くために感情的になりすぎていないか、というような感でしょうか。「キャリブレーション」は、電気機器で使われるけれど、どれも同じ値にするわけではなく、基本となる親機に対して一定の範囲に収まっているかどうか確認して調整するもの。その中で以上に高い電圧とか急激なノイズが入るとか言う場合には、キャリブレーション以前に弾かなきゃいけないわけで、今のメディアはもしかしたらその状況なのかもしれないけれど。
昔だと、大手メディア同士がお互いに牽制し合うことで、凸凹が補正されていたんだろうけど、今ではそれもなかなか期待出来ず、ネットでの情報がある意味その補正作業をしている気がする。でも、圧倒的に情報伝搬の基盤にしてもこれまでの実績による読者・視聴者の数から言っても、やはり大手メディアの「バイアス」はなかなか高い物。これを是正する以前に「適正値範囲内」なのか検証するだけでも一苦労ですよね。でも、ネットワークの世界に流れる様々な良くも悪くも雑多な情報が、言ってみれば「ホワイトノイズ」のような感じでそれら既存メディアの凸凹を強調させることで、余りに異質な部分とか余りに突出した部分は、一般の人にもよく分かる時代になってきたと思う。
トランプ大統領がtwitterを徴用して既存の報道メカニズムを壊しつつあるけれど、あれだってある意味キャリブレーションを取っているようなもの。勿論、その補正をするためには親機が適正値に収まっていることが絶対的な前提条件だけれど、twitterという方法(機種)を使用する事で、全ての発言が全ての人に公開されるわけで、そういう意味で「ぶれ」はあるかもしれないけれど「明確」な事は事実。そういうキャリブレーション方法もあるんだなと言う考えが、ちょっと最近浮かんでいます。もっとも、同じ事を悪意のある人がやっても悪い方に振れる可能性もあるわけですが、それを見逃さない我々の資質=情報リテラシーが一番の基準になるんでしょうね。その為にも、自分自身を研かなきゃいけないという難しい結論になりそうな。最近流行の「AI」というのも一つの選択しになるかと思うけれど、でもそのAIが何を持ってして「正しい」と言えるのか、その補正に関して誰も正解を持っていないんですよね。SFの世界では、AIが人間の歴史を全て精査して、結論として「人類は居ない方が良い」とする話はあるけれど、「人間は思想を持つべきではない」という事をAIが判断したら... そうならないためにも、意見の左右はあっても相手を説得できるだけの説明が出来る話を、それぞれしないことには、単にデータの無駄遣いをするだけで延々と今の無意味な言論が続くんでしょうね。そして人は無関心になっていく、と。
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