2026年6月22日

「おつり」が消える日

産経新聞のコラムから、「おつり」が死語になる日。現金決済の場合は、「硬貨・紙幣」は固定値のために、実際の支払額との「差分」が「おつり」として発生するわけですが、クレジット決済や電子マネー/QRコード決済では「おつり」が発生しないわけで、そう言う時代がもう直ぐ到来するだろうというのは納得出来る話。社会システムが、機械化・情報化されるとともに、どんどん既存の仕組みが変化していくのは「必然」でもあるわけで、それは仕方の無いことなんですよね。

「おつり」は、現金から電子決済への移行に伴い消えゆく概念ですが、現金決済が一般化する以前は「信用取引」が多くて、その時代にも今のように「おつり」という概念は無いとは言わないけれど希薄だった時代も有りましたよね。私が子供の頃は、近所の酒屋さんにお使いに出されましたが、その時には現金を持っていって支払うのでは無く、「○○家の誰それ」と分かっているからお店側で販売履歴を記録して、月末とか年末とかにまとめて決済していました。現金の供給量が少ない時代の名残だと思いますが、ある意味クレジットカードみたいな感じのシステムの時には、あまり「おつり」という概念は無かった気がします。

似たような話は、例えばテレビのチャンネルを変更することを、自分などは未だに「チャンネルを回す」と言ってしまうけれど、現在の様な電子チューナーはボタンを「押して」変更するわけです。当時のアナログ回路で周波数を固定していた時代は、それぞの設定位置にチャンネルダイヤルを回して選局していましたからね。電話だって「ダイヤルを回す」という意味を今の若い人は理解出来ないでしょうね。「ジーコ、ジーコ」と、丸い穴に指を掛けて透明な円盤を回した経験のあるのは、もう50代後半から60代の以降で無いと理解出来ないだろうなあ。自分のiPhoneは、1980年代から1990年代の楽曲が殆どだけれど、その歌詞を聴いていると2000年代以降の人には理解出来ない事がどんどん出てきますよね。例えば「ポケベル」なんて分かるだろうか。「レコード」は勿論「音楽CD」だって「何それ?」かもなぁ。もう少し時代が進んだら、電子たばこしか残らなくて「たばこに火を付ける」という意味が不明になるかも。「手紙を書く」も「メールを打つ」だろうし、それももしかしたら音声入力に変わっていき、さらにAIエージェントがそういう伝達作業をするから「メール」という言葉も消えるかも。

 「寂しい」という気持ちは、当然湧いてくるけれど、それは社会構造や社会システムが変化して生活が便利になっている証拠でもあるわけですからね。例えば、蒸気機関車の旅は情緒溢れるものになることは確かだけれど、だからと言って新幹線や高速鉄道が無い旅は現在では耐えられない。自動車だって、自動運転が実用化されたら「運転する/ドライブする」という概念も消えるでしょうし。ただ、その利便性と引換に、例えば位置を把握する能力だとか、どの様に道を選択するかというスケジューリング機能みたいなものが退化する可能性はあるわけで、そう言うものをどの様に埋めていくかは重要な課題でしょうね。パソコンが普及して、直筆で文字を書く機会が激減したから、漢字を読むことは出来ても書くことが出来ない時代に素手になっているわけで、そういうトレードオフをどの様に上手く埋めていくか、技術と個人の努力というか「気持ち」の要素が大きい気がします。まぁ、それがボケ防止にも成るなら喜んで努力するけれど(笑)。

0 件のコメント:

コメントを投稿