2026年5月6日

味噌とAI

佐々木俊尚氏の引用から、Claude Codeの生みの親であるBoris Chernyは、Anthropic入社前に日本の奈良で味噌造りを氏ながら農村生活をしていたという記事。「えっ?」の100乗位疑問符が付くくらいの話。記事の中では、味噌造りに掛ける(掛かる)数ヶ月から数年という年月と、一瞬で目的のプログラムを生成するClaude Codeを対比しているけれど、なんだろう、もっと突っ込んだ記事を読みたいなぁ...

私も老後のたしなみ(?)で、生成AIの世界を少しずつ囓り出しましたが、やはり難しい。コマンドプロンプト自体には抵抗感は無いのだけれど、なんて言うかその場その場で思いついたアイデアをブラッシュアップさせていくやり方にまだ慣れていないというか。最近ではアジャイルも時代後れなのかもしれないけれど、「走りながら車を作る」みたいな感じの開発手法は、昔ながらの「ウォーターフォール方式」で開発のイロハを叩き込まれた自分としては、なかなかしっくりこない(笑)。ただ何度か書いているけれど、「対話形式」にはそんなに抵抗感は無いので、そこは良いのだけれど、「巻き戻し」というか、「あっ、失敗した」という時にリセットするんじゃ無くて、幾つかの分岐点に簡単に戻って別の方法を試すような、そんな「やり直しのきく手法」みたいなものが中々見つからなくて、自分の中で悶々としています。

記事中、味噌とコーディングの関係を説明する部分で、

これは味噌の論理だ。

と書かれているところは、少し辻褄合わせというか強引な気がする。多分、今開発しているソフトの結果では無く、そのソフトが使われるようになった後に次に求められる事柄を想定しつつ、今のソフトを完成させるみたいな思考を言いたいのだと思うけれど、そうすると今のソフトが作られたときの前のソフトはそのようにして作られたのだろうかという、無限の負のループが始まってしまいそうな。多分、そのソフトの性能・機能に責任を持つことは当然としても、それによってどの様な世の中の変革が生まれるのか、そう言う事を想定して開発作業することが重要と言いたいんだろうなぁ。これは、そのソフトウェアが世の中にどの様なインパクトを与えるかとともに、人間がそれをどの様に活用するのかという部分も重要なわけで、日本現側もAIが与えてくれるであろう便利な世の中を口を開けて待っているだけでは駄目という話だと思う。

「味噌」というのは、それ単体で食べることもあるけれど、多くの場合は調味料として他の食材や調味料とともに使用して、寄り幅広い味覚や栄養を提供していくもの。AIが色々変化していくように、味噌だって白味噌、赤味噌に素材の違いや地域によっても異なる味噌があるのと似ていますよね。また、味噌から醤油も生まれるし、納豆や日本酒も大枠として似ていると言えそう。そう考えてみると、日本の発酵食品というのは全て同じ様に言えそうな気がしますね。最近では、強制的に発酵加速させたり調味液を浸透させた「発酵食品風」のものも増えているけれど、原理は自然の営みからの産物。案外その「発酵期間」ってAIの「学習期間」に相当して、AIが熟成していく事とも類似性がありそうな(マテ)。もしかしたらBrois Cherny氏がAGI(汎用人工知能/Artificial General Intelligence)誕生後再び味噌造りにもどったら、今度はその味噌から「バイオAI」が生まれたりして(笑)。SFの読みすぎかな。

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