戦中の窮乏食への記憶からイモ天ぷらを拒絶。サザエさんはこういう戦後の生活文化の時代背景がよくわかるので、現代史の理解には欠かせない。わたしは書棚に全巻揃えてます。/『サザエさん』で波平とマスオが夕飯を拒否する四コマが戦後の時代背景を知らずには理解できない https://t.co/dfVukeKAaK
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) January 28, 2026
佐々木俊尚氏の引用から、サザエさんで知る現代史の一場面。この4コマ漫画の掲載日は、1963年10月30日。終戦は1945年8月15日なので、戦後18年目の様子と想像出来ます。マスオさんの年齢設定は「28歳(固定)」なので、育ち盛りの10歳の時に終戦を迎えて、その後暫く続いたであろう食糧難の時代をしっかり経験していることになります。となれば、スレッドで説明されている「不味いサツマイモ」を散々食べさせられた経験も、深く記憶に残っているんでしょうね。
実は私も似たような記憶があって、それが「干し芋」。今では食物繊維豊富な健康食品として広く利用されている「干し芋」ですが、私は子供の頃に散々食べさせられたので、今では口に入れるどころか見るのも嫌。理由は、その子供の頃におやつとして毎日食べさせられたから。当時の家はそんなに裕福でも無く、でも家族は祖父母に両親に結婚前の叔父叔母が同居していたりと、結構カツカツの状態。父親は勿論、母親も自宅で仕事をしたり父親の自営業の配達を手伝ったりと、朝から晩まで働いていた状態。子供だからお腹も空くし、何か食べたいというと、ほぼ毎日のように自宅で作っていた「干し芋」を出されて、それを食べさせられていました。兼業農家でもあったから、サツマイモは栽培していたのかな。でも当時のサツマイモは今のものほど甘くは無く、でも吹かしてから皮を剥いて乾燥させると、甘さが凝縮されて糖分補給にもおやつにもなった時代でした。多分最初は喜んで食べていたと思うんですが、毎日同じものが出されて、それが毎年続くとなると、流石にウンザリしてきます。そのうちに、灰色の「干し芋」を見ると食欲も失せるほど。以来干し芋を口に入れることなく、もう半世紀以上かなぁ。
実は干し芋だけでなく、同じ様な理由から口にしないものが他にもあって、例えば「おぼろ昆布」もその一つ。理由は、大家族故にお味噌汁とか足りなくなると、お椀におぼろ昆布入れてお湯を注いで飲まされたり、後は味付けとか色々な理由でよく食事に出されていたこと。元々「ぬるっとした食感」が苦手なこともあり、昆布料理自体得意では無かったところに、やはり毎日のように出されて段々と食べなくなり、今でも先ず手を出しません。そんなんじゃかなりの変食だろうと言われますが、確かに偏食の傾向はあるけれど(ヌルヌルしたもの、どろっとしたもの、ねばーねちゃぁーとしたものは基本食べない)、同じ様に毎日出されていた削り節に醤油をかけた「おかか」は今でも大好物。家では、毎朝鰹節削りで鰹節を削るのが私や弟など子供の仕事。削り節は、お浸しに振り掛けたり色々使うんですが、少し残ると小皿に取りだしてそこに醤油をたらして 「おかか」にして食べるのが大好物でした。これは今でも変わらない。特に、鰹節削りで削ると、薄く削れたものとは別に、最後に粉状の削り節(かき粉)がそこそこ鰹節削りの隅に堪るんですが、この「かき粉」に醤油をたらした「かき粉のおかか」が特に好物。好物になるかならないかの理由は分からないけれど、子供の頃の体験と記憶は、もう相当の年齢になっても変わらないことは事実ですね。
時間と共に世の中の事柄はどんどん変化していき、終戦当時は拙いものの代名詞みたいな「サツマイモ」は、今はスイーツの代表的な素材だし、海外からのインバウンドでも人気の食品の一つ。「サツマイモの天ぷら」は、野菜の天ぷらの中でも人気のあるものの一つじゃないでしょうか。私も、他の天ぷらは塩や天つゆで食べるけれど、サツマイモの天ぷらはウスターソースで食べるのが好きです(マテ)。これは、父親がやはりサツマイモの天ぷらが好物で、何故かサツマイモの天ぷらだけはソース(当時は「ソース」と言えば「ウスター」で、今の中濃とかトンカツソースは無かった気がする)をつけて食べるのが好きで、それをマネしているうちに移ったような気がします。でも、干し芋は勿論、甘い「石焼き芋」とか「サツマイモスイーツ」は嫌いで、決して食べない(笑)。子供の頃の記憶や経験は、中々頑固です。
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