カツカレーから転じて、カレー味のソースがかかった肉をカツと呼ぶようになったらしい。文化の伝播って面白いですねえ。/イギリスで売られている『Naked Katsu Chicken』、衣がないチキンカツはもはやカツではない事を教えたい→なぜ茹で鶏をカツと呼ぶのか聞いてみた https://t.co/88woUvtrJh
— 佐々木俊尚 五刷出来!「フラット登山」絶賛発売中 (@sasakitoshinao) November 11, 2025
佐々木俊尚氏の引用から、英国では「カレー風味の茹で鶏」が「Katsu」と呼ばれる不思議な話。既にコメントが付いているように、「Katsu=カツ」と言えば基本パン粉、あるいはそれ以外のものでも「衣」を付けて「揚げた」ものが「カツ」。その一番の原則である「衣」が無いものを"Katsu"と呼ぶのは、日本人としては納得出来ないでしょうね(笑)。
この記事で思いだしたのが、海外へ出て行った日本の食材や食べ物が、その最初の製品・商品がその種類や分類全てを代表する「名称」になる現象。有名なところでは、メキシコでしたっけ、インスタントラーメンがヒットして、最初の製品が「マルちゃん」だったので、今では全てのインスタントラーメンが「Maru-chan」になっているのは。あるいは「カニかまぼこ(カニカマ)」も、欧州では「Surimi」と呼ばれていますよね。確かにカニカマの材料は蒲鉾で、それは魚のすり身から作られるけれど、あくまで「すり身」は魚のみをすり潰したもので、ああいう商品化されたものを指す言葉では無いし。
アメリカで似たような事例を思いだすのは、"Teriyaki"かな。日本で「照り焼き」と言えば、味醂と醤油ベースのつけだれを塗ったり付けたりして焼いて、照りがある「焼き物料理」。それがアメリカだと、甘いソース系は何となく"Teriyaki ○○"みたいな言い方をしているものが多くて、あれって"Teriyaki"と付けるとそれだけで和食っぽいものとしての付加価値が付くというか、まぁある種の欺瞞詳報みたいなきもするけれど。最近はもっとちゃんとしたものが売られていると思いますが、昔30年位前にアメリカ出張して、スーパーで日本の味醂みたいな調味料が合ったので買ってみたら、全然甘くないしかもアルコールも飛んでいるようなもので「???」となった事がありました。真っ当な味醂すら無いのに、なんで照り焼きがあるのか不思議でしたね。
言葉というの「生き物」だから、誤解から始まろうが何だろうが、その土地で使われて一般化して仕舞えば、それは「言葉」として完成(=定着)したとも言える気がします。「そうは言っても」と反論もしたいだろうけど、それを言い出したら日本の中華料理なんて、「天津飯」とか本家に無いものから、「酢豚」にはパイナップルもピーマンも入っていないし、ラーメンだって別物だし、半分以上消えそう。言葉と食べ物は、一番日々の生活の中で必要な要素の一つなので、どんどん変化していくんだろうなぁ。
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