人口43万人の町田。神奈川の相模あたりから見ると町田って東京の玄関口のイメージあるんですよね。昔住んでたことがあって、とても好きな街でした。/「西の渋谷」「西の歌舞伎町」「西の秋葉原」…すべて同じ市のニックネームです https://t.co/2vUq521T6S
— 佐々木俊尚 五刷出来!「フラット登山」絶賛発売中 (@sasakitoshinao) November 25, 2025
今日は全て佐々木俊尚氏の引用から(手抜きだ-笑)。 でも、就職とともに町田市(玉川学園)に引っ越しをして、それから12年間暮らした身としては、やはり「町田市」は思い出深い場所の一つなんですよね。
町田市は、良く「神奈川県町田市」と言われるけれどれっきとした「東京都町田市」(笑)。小田急本線とJR横浜線が交差するターミナル駅ですが、そのJR横浜駅を降りたすぐ西側の境川が文字通り神奈川県相模原市との県境なんですよね。私が住んでいた1980年代後半から1990年代に掛けては、本当のJR町田駅・小田急町田駅周辺は賑やかで、一方で西側の相模原市に入ると、途端に猥雑な飲み屋街みたいな感じの場所が広がっていて、駅の東側(町田市側)と西側(相模原市側)では、陰陽・明暗みたいな違いがあったように思います。
小田急駅横には小田急デパートが有り、JR町田駅の駅ビルには丸井が入り、そこから南に少し行くと109が有って、道の反対側には東急があり、本当に賑やか。当時浜松市と比べて人口や規模的にはそんなに変わらない町だと思うのですが、賑やかさは段違いで凄く羨ましかったけれど、その町田市から小田急で40分も移動すれば新宿だし、JR横浜線で長津田に移動して東急で移動すれば渋谷だし、そのままJR横浜線に乗っていれば横浜だし、兎に角日本を代表する繁華街や大都市への移動も便利で、浜松から出てきたばかりの地方出身者にとっては、都会の生活に順応するには丁度良いくらいの場所だったかも。
最寄り駅だった玉川学園駅は、各停で町田駅の隣なんですが、ちょっと距離があるし、少し山がちの場所なので駅からアップダウンを何回か上り下りをして20分位歩いてアパートに到着する場所。鶴川街道が目の前に見える小高い丘の上にアパートがあったので、町田で飲んで電車が無くなると、そのままテクテクと鶴川街道沿いに1時間位歩いて帰宅したことは数え切れないほど(笑)。その後町田の隣りの相模大野駅やその周辺が再開発されて凄く綺麗になり、伊勢丹まで出来てしまったので、買物には不自由しませんでしたね。記事にもあるように、一時治安が悪くなった頃は、実は引っ越しをして長津田に住んでいたので、余り町田へ行く機会は無くなったのですが、地元浜松以外では人生で一番長く住んでいた場所だから、やはり懐かしく感じます。隣りの相模原市が政令指定都市になったりして、規模感ではちょっと押され気味ですが、また賑やかになって欲しいですね。
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