2025年11月26日

AIが繋ぐ未来技術

 佐々木俊尚氏の引用ツイートから、欧米と日本での「科学」の成り立ちの違いに関しての推考。自分が比較的良き知っているのは「欧米」のうちの「米」の「開発」のやり方だけれど、彼らは科学というか考え方の構築や検証さらに実装に至るまで、「チーム」で仕事をする割合が大きい気がします。さらに「失敗することを許容する文化」が一番大きくて、一度失敗しても次の挑戦のシナリオがしっかりしていれば、以前の結果にかかわらず新規案件に投資してくれる機会も多い。それに対して日本は常に成功すること、失敗しないことが要求される事もあり、それ故に個人技術、つまり「匠」的世界観に収斂している気がします。

私は、どちらの考え方や仕組みもそれぞれ良い点・悪い点有るし、それを選択するのはそれぞれの人の自由だと思う。でも、科学技術や知識がどんどん発達してくると、次の段階へと進む閾値もどんどん高くなっていくんですよね。そうなると、個人で戦うにはよほどの天才や閃きが無いと難しくなる。例えば「家を建てる」という作業も、木材を切り出して組み合わせて作る日本的な手法の場合も、石造りブロック作りの西洋的な手法の場合もそんなに違いは無いのかもしれないけれど、それが高層建築だったり大規模建築、あるいは3Dプリンターのような自動化という段階に入ると、これはもうシステムというかチームでの作業になるわけで、そうなるとスーパーサイヤ人でも敵わないかもしれない。

じゃあ日本の仕組みも欧米式に変えていけば良いのかというと、短期的にはそれでも良いかもしれないけれど、結局欧米式の肝はコラムにも書かれているような歴史的背景みたいな物や地政学的な優位性みたいな物にも助けられてきたこともあると思うので、中々一朝一夕で買われる物では無い。情報共有だとか交通手段やテレワークなど、代替手段もあるけれど、それまでの蓄積みたいな物が桁違いだと中々追いつくことは難しい。一方で日本的な「拘り」というか「オタク」的作業というのも日本的魅力の秘訣にもなっているわけで、この部分を否定すると結局は欧米の二番煎じしか生まれてこないかもしれない。じゃあどうすれば良いのか。個人的に今感じているのは、だから生成AIに他の技術や分野との架け橋を担わせればいいのでは、と単純に考えるわけです。

勿論、どの様して生成AIを活用するかはまた別の課題だとは思うけれど、良くも悪くも世の中の事柄を広く網羅しているのが生成AIだとすれば、そこに自分の専門性を投げてどういう活用方法があるのか、あるいはどういう分野に近いニーズやユースケースが想定されるのか、そういう結びつきを問うのは、少なくともそこから何かヒントを得られる機会が広がる気がします。私がもう30年以上前にパソコンの開発をしていたときに、一つ気をつけていたのが「同じ価格帯の製品にはどんな物があるのか」ということ。当時のパソコンは、それまで会社向けの一台何十万円もする製品から、固定資産に引っかからない20万円以下の製品だとか、個人向けに10万円を切る製品が登場してきた時代でした。それでも、個人で10万円の品物というのは結構高価だったと思うけれど、ちょっとした貴金属は言うに及ばず、家電製品でもそれ位の価格帯の物は有りました。また当時はブランド物がブームで、もっと高い洋服だったり装飾品が売れていた時代。そんな中でパソコンとしてキラーコンテンツになったのが、FAXソフトだったり、年賀状印刷ソフトだったり、カラオケソフトだったり、インターネットがまだ黎明期だったこともあって、結構代替手段として活用されていた時代。そういう数多の切替が、今の時代は持って迅速に勝つ敏感にクルクル変わっているんだと思います。だからこそ、生成AIを活用する意味も機会も動機もあると思うわけです。

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