2025年6月15日

キャンセルカルチャー

佐々木俊尚氏が引用している、「キャンセルカルチャー」の是非に関しての議論(なのかなぁ...)。 GoogleのAIによる回答では、

キャンセルカルチャーとは、著名人や企業などが不適切な発言や行動をした際に、SNSやメディアを通じて批判し、社会的に排除しようとする動きのことです。不買運動や出演作品のボイコット、解雇・解任などを求める声が広がり、対象となる人物や団体は、表舞台から姿を消すこともあります。

と回答されるけれど、法的根拠は持たない組織やグループが自分達の正義感だけで相手を排除するような情報拡散をする、みたいな理解だろうか。 

これまでは、「強者」に一方的に攻められるだけだった「弱者」が、「キャンセルカルチャー」という武器(手法)を持つことで、「強者」に対して反論というか反攻することが出来、あまつさえ「弱者」故に世間の同情も得られるという構図があるのは事実だと思う。しかも、SNSが発達してきてその影響力は大きい事は事実だけれど、やはりそれ以上に強大な力を持つ既存メディア(レガシーメディア)の影響はまだまだ大きく、彼らが「キャンセルカルチャーは自分達に与えられた権利・義務」みたいな考え方を持っているから、常に相手を攻撃する武器というか根拠みたいに使われている気がする。

だいたい、「弱者」と「強者」が存在している世界に置いて、「強者」がいなくなったとしても、今度はその残った「弱者」の中で「弱者vs.強者」みたいな関係が生まれてくるんじゃ無いの。「いゃ、弱者は団結している」みたいな反論もありそうだけれど、仮に全員が同じ考えや理解や行動をするのであれば、それって自分の考えを持つな、と言う事でもあるんじゃないだろうか。多少の凸凹はあっても、共通認識や理解で繋がる事で、是々非々の社会が維持されることが、多くの人が幸せだと思うだろうし、それによって自分の個性も維持されると思う。だから本当に必要なことは、「弱者」と「強者」がそれぞれ妥協点を見つけられるように歩み寄る事だと思うのだけれど、どうも「弱者」を声高に言う一部の人達は、自分達こそが最も優遇されて尊重されるべき存在で、それに反対する事は間違っている、位の認識じゃ無いかと感じることも。

ネットの拾い読み情報ですが、海外の論文で所謂「右派/保守」と言われているグループの方が多様的な考えを共有する傾向が大きいのに対して、「左派/リベラル」と言われる人達の意見はかなり固定化されていて、変化を求めない見たいな書込がありましたが、それって凄く自分の肌感覚にもあっている気がする。例えば「多様性」とか「多文化共生」という考え自体に反対意識無いけれど、それを要求している一部の人達は「多様性」の名の下に固定された考えを是として押しつけてきて、それ以外の考えを否定してくるし、「多文化共生」と言いつつも、やはり特異な文化認識のみを優先して、それ以外の「多様な認識」は無視されてしまう。本来「多様性」とか「多文化共生」とは、今存在しているグループ「X」に対して、新しいものが加わる「X+1」の構造になるべきなのに、「+1」のみを許すような考えには賛成出来ない。同じ「CC」でも、"Cancel Culture"ではなく、例えば"Compromise Culture (妥協文化)"みたいな方向に変わらないものだろうか。

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