次のローマ法王を決める「コンクラーベ」が行われて、結構早く二日目で「レオ14世」となる、プレヴォスト枢機卿がアメリカ出身初の法王に。 以前のコンクラーベでは、2/3以上の得票が集まる候補がなかなか出ず、何日も続いた記憶があるんですが、今回は結構すんなり決まった印象。しかも、アメリカからというのもちょっと不思議な気がします。
コンクラーベが盛り上がってますが、欧州では宗教離れが加速。なぜかを考えました。/教皇選挙コンクラーベを入口に宗教の意味を考えた | 佐々木俊尚「毎朝の思考」/ Voicy - 音声プラットフォーム https://t.co/j5XnYZPS7L
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そんな中で佐々木氏がVoicyで指摘していてなるほどと思ったのが、欧州の枢機卿の人数が、以前は過半数を占めていたのが今回は30%位になり、アジアやアフリカに逆に拡散していると言うは無し。それは、欧州では若者世代を中心に「宗教離れ」しているのに対して、そういう地域では拠り所として宗教が受け入れられているから、という理由らしい。
佐々木氏の話では、宗教なる物は混沌とした社会・世界の中で秩序をもたらす存在であるので、そういう時代には宗教は「社会安定」の重要な存在として受け入れられて拡大していくという話。今でも、何となく感じる不安や危機感に対して、特に理由は無いけれど心の拠り所みたいな存在を人は求める物だけれど、それが昔は「○○教」という宗教で合ったかもしれないのは腑に落ちる話。しかし、現代のように社会が(不満や不備はあるけれど)それなりに安定して、安心して生活出来るような状態になると、拠り所としての宗教の存在感は薄れていき、宗教離れが生まれるのではという説明はなるほどなと感じます。
最近の一部政党って「宗教っぽさ」を感じるんですが、となると彼らとしては社会が混乱している方が有利であり、「貧困」とか「差別」とか声高に叫んで社会の矛盾や混乱を招くことで、彼らの存在感は注目されて高まるんじゃ無いだろうか。彼らの能力不足もあるだろうけど、具体的な政策なり提案をするのでは無く、扇情的に「○○が悪い」という敵を作る言い方にしても、何となく納得出来る気がします。更に感じるのは、日本の場合は神道とか仏教にしても、「宗教」と言うよりは、地域や日常生活の中の一部にかなり近い存在になっていて、「身近なもの」以上に「何となく生活の一部」的存在という、かなり欧米の宗教観と異なるもの。だから、逆に「宗教」というものを全面に出してくる場合には、かなり免疫が低くてついそこに陶酔してしまう人も多いのかも。どうやって宗教や宗教的な活動にと付き合っていくのは、こちらは「根比べ」ですね(マテ)。
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