2025年3月2日

Bye bye, Mino-san

フリーアナウンサーでキャスター、タレントの、みのもんた氏が亡くなったとのニュース。少し前に焼き肉店でタンが喉に詰まり緊急搬送されたというニュースがあり心配していましたが、それが直接の原因かどうかは不明だけれど、急な話でビックリしました。また、享年80歳ということで、まだまだ若い年齢なのにという気も。 

ここ数年は体調不良でメディアから距離を置いていたけれど、それまではテレビを代表するMC、というか「みのもんた」というスタイルで人気と知名度を持っていた人。ただ、私はどちらかと言うとテレビ以前のラジオのDJとしての印象の方が強くて、みのさんの顔よりは「声」の方が懐かしいし馴染みがある気がします。ですから、70代に入ってからかな、テレビ番組での話方がスローになり滑舌も怪しく成ってきた様子が流されるのが、すごく残念だったしちょっと残酷だなと感じました。

私が初めてみの氏に会ったというか「見た」のは、高校生くらいの時かなあ。まだ西武デパートが浜松にあった時代で、西武デパートの1F正面入口の横にSBS(静岡放送)だったと思いますが、公開放送用のブースみたいなものがあったんですよね。で、ゲストか何かでみの氏が来ていたことがあったようで、その西武デパートの入り口前のスペースで、何かのイベントをやっていた時に司会者の人が「今日はみのもんたさんが入らしています、みのさぁ~~ん」とステージから声を掛けたら、デパート入口で小さく手を振るおじさんがいて「えっ、あれがみのもんたなの?」と声しか知らない自分はビックリしたのが最初の出会い(笑)。当時はラジオでしか知らないから、顔も知らないし、だから最初に見たときには「小柄なクシャ顔したおじさん(失礼)」という印象でした。

自分が物心ついたときには、チャンネル数は限定されていたけれど、すでにテレビ放送も始まっていて、映像の影響は大きいかったのですが、一方で自作のゲルマニウムラジオ作りがハマったりして、真空管やトランジスターでラジオ制作する事に小学生位からハマり、地元の放送局(NHKとSBSのAM放送)だけで飽き足らず、とにかく土地だけは広かった自宅の庭中にアンテナを張り巡らして、何とか東京からの放送を聞きたいとか、あと短波放送にも挑戦していたので、その当時の記憶としてはやりラジオの「声」の印象が今でも強いですよね。あくまで想像ですが、当時のマイクや放送設備の品質は今ほどでは無かった事もあり、ある程度声質とか判断されてアナウンサー採用されたんじゃ無いだろうか。だから、結構中音から低音域に掛けてしっかりと通る声のアナウンサーが多かった気がするし、だからこそテレビ時代になっても「顔」ではなく「声」で勝負出来た人が多かったんじゃ無いだろうか。そんなことを感じた、みのさんの訃報でした。合掌。

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