前者を議論と思ってる人多いけど。「ディベートは決められたテーマに『賛成』『反対』の役割にあえてわかれて批判的に意見を交わすこと。ディスカッションは意見を出し合いながら合意形成やアイデアを出すことが主眼」/御上先生問う「ディベート」日本で根付かない背景 https://t.co/lpucMEpI5m
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) February 7, 2025
以前も何度か書いていると思いますが、「ディベート(Debate)」って日本では「徹底討論」みたいな意味に誤解されていると思うんですよね。だから何かのテーマで議論をして、論破することを「ディベートで勝った」みたいな言い方をする。 記事にも書かれているけれど「ディベート」は、相手をやり込めることでは無く、あるテーマに関して「賛成」「反対」の立場から、どれだけ自分の主張が正しいかを説明するもので、普通は2開戦として立場を逆にして同じテーマで主張して、どれだけ周りから賛意を得られるかを競うもの。自分の考えや主義主張と正反対のことでも、それが「正しい」と考えて自分が情報や背景に論理を組み立てて、相手の反対主張を越えなければならない。これが日本人が一番苦手な部分だと思います。
また、ディスカッションに関しても、日本人は誤解している部分があると感じていて、それはやはりその場で自分の主張を通すことが「ディスカッションの目的」と誤解している節が多々あること。つまり、一度ディスカッションが始まったら自分の主張を通せば「勝ち」で、通らず他人の意見が採用されたら「負け」みたいな感じになるんですよね。本来のディスカッションは、多数の意見や主張の中から、最大公約数的な「妥協点」を見つけることだと思うんですよね。勿論時には幾つかある首長の中で優れたものがあり、その首長ならば他の首長の問題点や課題も解決出来るし、不利益も最小限に出来るみたいな本当な稀な場合も有るけれど、多くの場合は利益競合があったり、リスクが大きくて不利益も大きいみたいな事も多くて、そう言う雑多な中から以下にして妥協と強調を作り出せるかが、ディスカッションの本来の目的のはず。それが、日本の場合は上意下達の場になったり、声の大きな人が最後に残るみたいな場面が続くのが日本式ディスカッションで、誤解されているところだと思う。
自分の場合はアメリカ人相手の話合いが多いし一番経験があるけれど、何か討論するような場合に一番に要求されるのは具体的な数字・数値・時期で、それに対してどの様な対応・手法を適用してどうなるのか、というかなり具体的な話をしないと、相手は取り合ってくれない。日本人との付き合いが長い相手だと、多少は融通が利く場合も有るけれど、それでもきっちりと数字で話をすると言うことをやらないと相手に伝わらないし、理解もしてくれない。そういう場合、その数字を守れなかった時にどうするのかという心配が生まれるんですが、その場合どうしても安全係数を大きめに設定しようとするのも日本人の悪い癖で、そうなると本来の目標値からも大きく乖離した設定数値となり、相手も受け入れてくれない。そういう場合は、前提条件を明確に設定するんですよね。要するに、自責と他責を明確にして、自責の部分で失敗したなら責任を取るけれど、他責の場合は自分の責任ではないと、日本人から見るとある意味「居直り」みたいな風にも見えるんだけれど、そう言うドライな部分も日本人は2が苦手だと思う。だから、なかなかディベートの技術も身につかないし、ディスカッションにしても結局は無駄なことはやりたくないから、早々に妥協して流れに任せるか、やはり上から言われたことを確実に処理するのが楽という思考モードになってしまうのかもしれない。
日本の高度成長時代というのは、そういう上から下へのピラミッド構造が良くも悪くも堅固に確立されていて、それで上手く回っていたから何とかなったし、評価もされていたと思います。また、それ故にいろいろ「無駄」と思われる「余裕」もあって、そこからとんでもない製品や商品が誕生していたのも、1980年代の背景の一つだと思う。そこで必要なのは、ディベート技術でもディスカッションを成功裏にまとめるファシリテイターでもなく、とにかく言われたことをバリバリこなすそれこそ「24時間戦える人」みたいなタイプだったと改めて感じます。あの頃は、だからゴールに辿り妻で紆余曲折があって当たり前だったけれど、今は最短距離を最速で到達しないと生き残れない世界。ディベートとかディスカッション等すらやっている余裕もなく、とにかく強力なリーダーシップの元一丸となって行動すると言うのが一番望まれているし、乗りやすい仕組みなんでしょうね。最近になって、自分的にはカルト色の強い団体が、YouTubeとか政治とか社会の中で活動していて不思議な事に一定の評価も得ていることは、そういう背景があるからでは無いかと言う気もしています。ますます、ディベートとディスカッションから縁遠い社会に、日本は進んでいると思うなぁ。
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