佐々木俊尚氏のmondで、先日のフジテレビの2回目の会見に関して問われた事に対して、佐々木氏が回答していて、1回目の反省からフルオープンにしたから「自称・ジャーナリスト」なる怪しげな参加者も紛れ込む、と言う説明をしています。それも正しいと思うのだけれど、実は不正規発言みたいな事をやっていた「自称・ジャーナリスト」の中には、例えば以前の官房長官会見で一人芝居をして顰蹙を買っていた某女性記者とか、最近では国民民主党の幹事長会見を出禁にされたフリーランス記者とか、それ以外にもネット界隈を中心に「悪名」高い人達も含まれているんですよね。だから、決してフルオープンにして玉石混交状態が混乱を招いたわけではなく、最初から(無意志に)混乱を招く原因となる人物がいるという事が、いまのメディアの問題だと再認識されたと思います。
その佐々木氏は、当日の会見の様子を見て呟いたのが、こんな話。「対消滅」とは言い得て妙というか、思わず膝ポンしてしまいましたが、いゃ本当に消えてほしい。
フジテレビという巨大マスコミと、末期的な本邦ジャーナリズムが長時間会見という世紀の舞台でぶつかり合って、対消滅しつつあるなこれは……。どっちも信頼性が地に墜ちた。
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) January 27, 2025
今回の事案では、1990年代数多くの人気番組を放送していた当時のフジテレビの社長だった日枝久相談役に関しての質疑も多かったけれど、どういう根拠というか理由から彼が話題になるのか、業界に疎い自分は良く分からない(笑)。役職の地位なる物にも疎いけれど「相談役」って、ある種の名誉職というか慰労金を渡すためのポジションじゃないのだろうか。そこでどれだけの影響力を、配下のフジテレビ等に及ぼすとしても、時代も人も変わっている現在どれだけの物があるんだろうか。今回辞任した港浩一前社長などは、その日枝氏の元で人気コンテンツ作成をしていた人だから、確かに上下関係というか先輩後輩みたいなものは存在しているでしょうし意識しているかもしれない。でも、当時の番組は、今ではほぼ全て終了しているし、正直現在の規準というか視聴者の興味の対象からは、かなり外れても居ると思うんですよね。つまり、世の中ではInstagramとかTikTokで動いているのに、そこに昔流行ったパソコン通信を入れても駄目なことと同じだと思う。それに、仮に日枝氏の存在が問題ならば、先日亡くなられたけれど読売新聞の渡邉恒雄氏なんて、読売新聞はもとより日本テレビにだって影響力があったと思うけれど、今回の様な話にはならいのは不思議。
さらに言えば、準大手新聞とはいえそれなりに知名度はある東京新聞の某女性記者なんか、コンプライアンスやルール無視の好き放題やっていて、回りは勿論同僚の記者からも批判を受けているのに、会社側は忖度しているのかそういう行為が知名度アップしていると思っているのか、単に誤解して人気実力があると思っているのか、全く対応する様子が無い。しかも、東京新聞所属の記者なのに、それとは別のネットメディアの肩書きを使い分けて、講演会に出たり記者会見では別枠で入場したりと、会社に対しての論理感とか倫理観はどうなっているのか、そっちの方が大問題じゃないのか。以前から「迷惑系YouTuberとどこが違う」と言われているこういう人達が、これまでのようにつまみ食いみたいな形で露出するのでは無く、全て公開される形で可視化されることで、多分これまで以上に彼らの様子を知って評価を帰る人も増えるんじゃないだろうか。でも、心酔しているというか、コアな支持者やファンは、ますます喝采を与えて評価するんだろうけど。そうやって、乖離だけが大きくなっていく様子が、色々な場面や場所で見られるのが、現在の課題の一つなのかな。
ところで、会見が始まる直前に文春がしれっとこれまでの報道内容を訂正していたらしい。
【続報あり】先ほど、文春電子版に「訂正とお詫び」が追記されました
— 楊井人文 Yanai Hitofumi (@yanai_factcheck) January 28, 2025
→https://t.co/K8CuCTIbEO https://t.co/S0jK7vlCSz pic.twitter.com/iuTcVBkrzn
しかも、今回フジテレビのガバナンスが批判される理由の一つである、同局の局員が関わっていたという重要な部分が「誤りでした」と訂正しているのだから、これって詐欺みたいなものじゃない? で、その後のニュース等でも訂正前の情報でフジテレビの対応批判をしているコメンテーターとかいるわけで、これって意図的で無かったとしても悪質なのでは。例えばフジテレビが文春に対して立場が逆転したような報道で「○○でした」と言ってきた後に「△△でした、訂正します」と言ったら、多分彼らは激怒しますよね。全部が全部走だとは言わないけれど、今言われている色々な事柄には本人からの直接の言及は無いわけで、それは第三者委員会の調査と公開があるまで何も分からない。周辺取材で確認という言い方もするけれど、伝聞された情報が元の情報を100%再現しているとは確証は無いし、同じ内容でもその発言者が異なればニュアンスも変わるでしょう。それって、元の情報の変質なんだからやはりそういうノイズ込みの情報はそこで止めるべきで、元情報としては信用できない。でもいまはその信用できない情報が「正しい・正義」として何となく裏付けされていて伝搬しているわけで、その責任は毎度の事ながら大きいと思う。週刊誌がメディアとしてその存在感を増していることは事実だけれど、本家の事象ジャーナリストの凋落を見ると、やっぱり週刊誌は週刊誌なんだなと再認識する事象だと思いますね。
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