1945年8月6日 8時15分に広島に原子力爆弾が投下されて、今日は78年目の「原爆の日」。今年はG7サミットが広島で開催されたこともあってか、数日前からテレビでは何度も広島特集が放送されています。あとこの時期になると「はだしのゲン」の話が色々な番組で取り上げられるけれど、今年は例年以上に回数もその内容に関しての言及も多い気がします。
「はだしのゲン」に関しては、自分も10年前にこんなことを書いているんですが、最初に読んだ最初のシリーズと、その後時間があいてからの二回目のシリーズは、自分は明らかに別作品だと思うし、二回目のシリーズに関しては「ノンフィクションを装ったフィクション」に近いものだと自分は思います。それは、実際に両作品をリアルタイムで読んでみての感想だし、近年色々なメディアで取り上げられて内容を再確認出来るけれど、その感想は変わらない。原爆被害は悲惨なもので、二度と繰り返してはならないものだという事には完全に合意するけれど、その主張の矛先が曖昧というか違うんじゃ無いかと言う違和感というか。
もう一つ「原爆の日」で違和感を感じるのは、先に来るからだろうか「広島の原爆の日」はかなり大々的にメディア等でも取り上げられるけれど、「長崎の原爆の日」は毎年かなり大人しめに扱われている印象を受けます。Wikiによると、長崎市は周りが山で囲まれていたため原爆の熱戦被害が限定されて、被害は広島よりは少なかった(小範囲だった)事も有るのかもしれません。いずれにしても、どちらも多くの人が犠牲になった訳で、被災者の多少では判断出来ない事柄である事は間違いないけれど。
最近福島復興の様子を見て感じるのは、同じ原子力関係の被害ながら、広島・長崎は直ぐに復興が始まり、5年とか10年とかで町並みなども戻ってきたのに、福島周辺は未だに以前の様子とは程遠い状況の場所も多いこと。福島の場合は、津波対策も必要なので時間が掛かるという事もあると思いますが、原爆が瞬間的なエネルギーを得るために一気に放出するから、その後の残留影響も少ないのだろうけど、福島第一原発の場合は緩やかな崩壊をする目的の施設なので、次官当たりの放出量は少ないものの放出期限(半減期)はより長くて、それも復興作業に時間が掛かる理由なのかなと言うこと。広島・長崎でも、物的な復興作業は直ぐに始まり、10年後位には町並みも戻ってきたけれど、今の福島同様、目に見えない「放射能」に対しての風評被害で苦しんだと言う事は聞きます。広島・長崎の人とは結婚できないみたいな風評被害は、未だに言われる福島産産物に対しての風評被害と同じ訳で、そう言う意味では原爆使用に対して批判とともに、その後の風評対策に関してもメディアはもっと伝えるべきだなと感じます。それが出来ないのは、自分達が当時も「風評加害者」だったからという認識があるからだろうか。
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