2023年6月13日

急ぐ理由は何だろう

時代の変化とともに、様々な考え方が生まれたり消えたりしていくことや、色々な理由からそれまではタブーだったり隠れた存在であったものが、社会的に認知されたりして行くことも、また「時代」という不可逆な流れの中の必要な変化だと思うんですよね。その一つが最近色々なところで議論や意見が生まれている「LGBTQ」に関して、特に所謂「LGBT法案」に関しては、その必要性は有る程度理解するものの、余りに拙速に決めようとしているように感じていて、過去同様の措置で成立した法案でその後問題が生まれてきた事例の轍を踏んでいる気がします。

今回色々な意見が出ている中で、個人的にもちょっと奇異に感じているのが駐日米国大使の一連の発言。個人的にLGBTQに関しての意見を述べたり、米国の事例を示すことは問題無いと思うけれど、日本国内の状況に関して干渉するような意見を出したり、例えば「G7の中で日本だけが関連法案が無い」というような事実誤認の意見等も拡散していて、ちょっと立場上問題があるんじゃ無いかと感じるくらい。LGBTQ関連では先行しているそのアメリカですが、極端なLGBTQ対応もあって全米で様々な軋轢や衝突が続いている様子もメディアから報じられています。この手のテーマにありがちなんだけれど、少数派の人達を保護する考えに異論は無いけれど、それはこれまでの状況に対しての拡張なり追加であるべきで、それならば多くの人が受け入れられる内容になるはずなんですよね。それが、その少数派の立場の人に向けての対策が全ての規準みたいな話になってくるから、多数派の人達からは反発が生まれたり、異論が生まれてくるのは仕方ないと思う。例えば車と道路の関係だと、右ハンドル右側通行の日本の自動車社会に、左ハンドルの車でも運転出来るようにして欲しい、と言うのが多分「LGBT法案」に相当すると思うんですよね。ですから、左ハンドル車でも例えばパーキング利用時には左側にも端末を設置するとか、高速道路通過もETCにするとか、相互に利益がある形で環境整備していく分には、既存の右ハンドルドライバーも文句は無い。でも、「左ハンドル車を導入するのだから、それに都合の良いように左側通行に変更するべき」と言われたら、既存の右ハンドルドライバーはやはり反対するでしょう。差別とか弱者救済という話に関しては、往々にしてそう言う事に近い話が多いような気がする。

LGBT法案で問題になっている事例の一つに、例えば体は男で心は女の人が、銭湯とかトイレを利用するときに「女性用」に入ってきたらどうする、というものがあります。生物学的な「男・女」で区別するか、汎用トイレ見たいな第3の選択肢を作るしか無いと思うけれど、それでも生物的な性別で区別出来るならまだまし。例えば「心は女性」の人が、自分は女性だからと女性優遇制度を利用したらどうなるんだろうか。男女機会均等法で女性の雇用を50%まで強制的に増やす、と言う事が行われた場合、じゃぁ生物学的には男だけれど、心は女の人がその枠に応募するような場合はどうだろうか。銭湯の時のように生物的な性別では区別できない領域だから、かなり問題になる気がする。それこそ「嘘発見器」みたいな装置で「性別判定機」みたいなものを作らないと判断出来ないけれど、じゃぁその判断の基準はどうなるのか。そこで判断出来るのは「トランスジェンダー」の人達だけで、「LGBTQ...」の「Q」以降の人達はどうなるという議論が次は生まれてくる気がする。結局は、「心の性別の整合性は判断しない」というような決定になると、元々救済するべきだと考えられていた「女性」の人が救われずにそのまま苦しい立場に置かれたままになる気がします。「LGBT推進」の議員さんは、銭湯やトイレの使用問題は、既存の法律やルールで対応可能と言っているらしいけれど、それだってじゃぁ自分の心の性を否定されたと訴えられたらどうするんだろうか。LGBTQ...に合わせて、それぞれの性自認に応じた施設を準備する事は物理的にほぼ不可能だろうから、どこかで妥協点を引かないといけない。でも、例えば公衆浴場・温泉等は、時間制で属性を変えるとかの対応は可能かもしれないけれど、公衆トイレ何かは「今使用したい」事が殆どだろうから、そういう時間制は困るでしょう。また、学校とかモールとか施設の中のトイレだって、時間制にしたら困るだろうし。モール等はそれなりに設置数があるから、場所に寄って属性を変更すると言う事も可能かもしれないけれど、どこの場所をどの様に変更して管理するか難しそう。

浴場施設に関して言えば、「男湯・女湯」のスタイルは、伝統的なカテゴリーと言う事で、案外そのまま残るかもしれない。一方で、最近流行のスパ施設「〇〇の湯」みたいな所は、水着や浴衣みたいな着衣前提で、施設の共同利用(ある意味「混浴化」)が進んでいくかもしれない。温泉旅館なんかも、これまでの「露天大浴場」から、「露天個室浴場」みたいな施設を複数準備して、個人やグループで貸し切りで利用する形態が流行るかも。社会形態が変化するとともに、社会システムや社会サービスがそれに対応して変化していくことは当然だと思うし必要な事だと思う。ただ、その変化は可能な限り穏やかに、多数の理解を得ながら進むべきで、幾ら民主主義の世界だからと言って法律を作れば解決みたいな事は無理があると思う。以前も書いたけれど、その人の性自認に関係無く、差別は差別と明確に決まっていることなんだから、それを徹底することで多くの人への理解も広がる気がする。で、その「理解」の中には、そういう性自認の人が居ることを了解した上で、あえて関わらない、意識しない、と言う事も含まれることも「理解」して欲しいですよね。LGBTQの人は、例えば身長が3mもあって必ず分かるとか、何か明確な特徴があるなら別だけれど、外から見ただけで分からないことをあえて詮索する必要も無いでしょう。それはLGBTQ以外の事であっても「プライバシー」という範囲に入る話だと思う。もし何かの時に相手が「私はLGBTQの××です」と言えば「そうなんですか。私はシスジェンダーです」と言って、その話はそこで終わりで良いと思う。LGBTQの全ての人がそうだとは言わないけれど、それでも日本の曖昧さを許す緩い相互理解みたいなものが、欧米なんかと比較してLGBTQとの共存を案外上手く包含している気がします。そこが日本と欧米との違いなのだから、わざわざそれを崩して未だに問題が燻っている欧米方式に乗り換える必要性は私は無いと思う。

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