2023年5月14日

拙速な議論

読売新聞の社説に掲載された、G7前にLGBT法案を国会提出しようとする拙速な自民党の行為に対しての警鐘。この法案成立のためによく使われているのが「G7の中で日本にだけ関係法案が無い」という言葉。LGBTへの理解が進む諸外国特に先進国と言われているG7の中で、日本にはそういう法律が無いために遅れて居るし日本以外のG7諸外国から批判されるという、ある意味「脅し文句」みたいな言葉。でも内閣法制局は「それは違う」と否定しているんですよね。

私自身、こういう方面に詳しいわけでは無いし、今現在色々な意見を見聞きしつつ自分なりの理解や考えをまとめている段階なのだけれど、それでも確実に言えると思うのが、生物学的に「雌」で性自認も「女」である、多数を占める「女性(雌-女)」という存在が大きな影響を受けるだろうという事。生物学的に「雄」でも性自認は「女」という、「女性(雄-女)」よりは少数な存在が自分達の権利を主張して、摩擦が生まれて物理的な問題がこれから多発するだろうという事。実際、LGBTへの理解が進んでいると言っている海外では、「女性(雄-女)」がスポーツ競技会で「女性(雌-女)」よりも好成績で勝利したり(肉体的には雄ですからね)、トイレや施設の中で肉体的な暴力や暴行などの事件が発生したりと言う事例が問題視されています。

ネットで見聞きする色々な意見の中で、自分の乏しい経験からも同意できるのは、日本以外の国はキリスト教的な宗教観が社会生活の根底にある社会で、その中では同性婚や同性愛、あるいは性転換みたいな行為は禁止というよりは厳重な罪という意識があったと思うんですよね。いゃ、欧米でも昔から同性愛見たいなものは隠れていたけれど存在したとか、日本では大らかと言うけれど迫害もあったとか、個別には千差万別だったと思うけれど、やっぱりキリスト教の有無とその宗教による社会的な制限の有無というものは、日本とそれ以外の諸外国での大きな違いだと思う。そういう背景から今新しいルールを作ろうとしている諸外国とは、日本の場合は異なるアプローチが必要だと思うし、そうで無いと実状にそぐわない法律が生まれるだけだと思う。

このLGBT法案に関しては、推進を強く要望している一部団体とは別に、反対しているLGBT当事者の団体も多く、この手のルール作りにありがちな、声の大きな人の都合が通るみたいな「偏り」を感じたりします。個人的に疑問に感じるのは、憲法14乗には、

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、 信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係に おいて、差別されない

と規定されているわけだから、LGBT関連とか性同一例に関しての理由から何らかの差別を受けたら、憲法違反と主張出来る分けです。何故それをせずに、限定的な法律を作るのだろうか。例えば、〇〇地方の出身だから差別されたら「〇〇地方の出身者に対しては、××の行為をしてはならない」みたいな個別の法律を作らないと、その人の出生地差別は解決されないのだろうか。あと、LGBTに関して子供の頃から理解を深めないといけないので、小学生位から心と体の違いみたいな事も教えようとしているらしい。それならば、例えば多数を占めている異性婚がどうして社会の中心になっているのかとか、生物として子孫を残して生存を継続して行くことの意味とか、その方法とか、そう言う事をちゃんと教えた上で、「でも多様性の社会になり、〇〇という存在も認めていく必要が有る」という理解を進めるなら分かる。でも、いきなり「多様性社会だから〇〇を認めなさい」というのは単なる押しつけ教育だと思う。それよりも、子供に理解させる前に、その教える側の大人がちゃんとそう言うものを理解して実行出来る状態になるべきなのでは。素行の悪い失礼な大人が、子供に礼儀作法を教えているような矛盾を感じる。LGBT法案に反対するLGBT当事者の人達の発言で、自分達は静かに自分達の欲している生活を続けていて、差別も含めて何の問題も感じていないから法案には反対、というものがありました。多分彼にして見たら折角平穏無事に生活していたものが、変な注目を集めて知らないうちに周りに波風が立ち初めて、平和な生活が一気に混乱して迷惑を被っているのでしょうね。この手の話にはありがちなんですが、ごく一部の人達が騒いで自分達の権利を主張する時って、その背景に別の意図の運動なり勢力なりが隠れていることが往々にしてあるけれど、これもその手の話のような印象を受けます。

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