立憲民主党の小西議員と、高市元総務大臣のバトルは、小西議員は自信満々のようですが、公開された資料を見ても「密約」みたいな物があったようには認識されず、強いて言えばその資料の中心人物でもある礒崎補佐官に対しての疑惑を言うのであればまだ分かるのですが。
資料の内容や解釈に関しては、やはりNathan氏のこちらの記事が分かりやすいのだけれど、その中で最後に指摘されている「森友学園の安倍総理の発言」を再現することになるのでは、という危惧は多分正解でしょうね。小西議員側、あるいは立憲民主党側としては、公開した資料自体が存在して、その内容が改変されていなければ、内容の正しさとは別に「総務省職員が作成した本物の文書」という意味で「捏造では無い」と言うでしょうし、資料内容を読めば最初からあの内容で高市氏を攻撃するには力不足だと分かると思う。一方で高市氏は、その内容が自分や周辺が理解している物のと異なれば「捏造」と言いたいのだろうけど、正直分が悪いと思う。何故なら、作成者本人が「捏造しました」と言わない限り、その文章が捏造されたかどうかを証明することは難しいと思うから。
最初にも書いたように、資料を読むかがりでは、元々の放送法に関して話にしても、高市氏から要求された物では無くて、礒崎氏が発案して総務省に指示し、それを高市氏と安倍氏に提示している流れだと思うんですよね。そう言う意味でも、最初に書いたようにその真意を問われるべきは、まずは礒崎氏であるはず。で、小西氏ではなく朝日新聞が「補充的説明=新解釈追加」と報じているわけですが、「補充的説明」って新聞で言えば脚注追加くらいの話だと思うのに、彼らはそれで新しい記事を一つ作成することに等しいと考えているのだろうか。今に始まったことでは無いけれど、本来「言葉」には厳密にかつ精確な扱いをするべきメディア、それも言葉で勝負をするはずの新聞メディアが、しれっと言葉の差し替えをすること自体、大きな問題だと思うし、これこそメディアが自分達の思想に誘導する事例だと思う。まぁ、それがメディアであり朝日新聞なんだからと言ってしまえばそれまでなんだけれど、まあこんな様子で「クオリティペーパー」なんて自称するのだからなぁ。
今回の事例では、放送法が取り上げられているけれど、免許制度である放送業者に対して、その利用内容を定めた法律(放送法)に関して所管の総務省の総務大臣が意見を述べることは問題無いと思う。その内容が、間違っていればあるいはおかしいのであれば、国会で討議すればいいわけですからね。国民の資源である「電波(周波数)」という公共財を使用しているのだから、当然そこには他のメディア以上に厳しい公共性が要求されてもおかしくは無いでしょう。一方で、朝日新聞などのメディアは、放送局のような免許制度で運営されているわけでは無いけれど、自らも公共性を謳い、さらには公共の利益だとして税金の優遇措置すら受けている以上は、一般の企業よりは厳しい行動規範というか規律が求められても不思議では無い。最近の話では、共同通信社に所属する記者が、twitterで匿名で問題有る行動を行っていたとして騒動なったけれど、いつの間にか有耶無耶に成りつつあるわけで、あれが許されるならこれまでメディアが追求していた例えば所謂「Dappi問題」は何だったのかという話にもなる。あれだけ騒いだ「モリカケ」だって、今は何も言わないし、所謂「赤木文書」が出されて安倍元総理の関与がなかったことが明らかになっても謝罪するわけでも、検証記事を掲載するわけでも無く、時折思いだしたように自分達の言い分だけを書き散らかしている。今回も、分が悪いと思いだしたら、そのままフェードアウトしつつ「高市議員が辞職を言った」と言う部分だけを切り出して、自分達は主張するんでしょうね。だからメディアはどんどん衰退していく未来が約束されたような話に見えます。
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