2023年3月11日

50%の真実

放送法に関しての、所謂「小西文書疑惑」について、小西議員が公開した48ファイルの内容を総務省が確認した結果が、ひとまず公開されました。 その結果、48ファイル中22ファイルは作成者が確認出来たが、26ファイルは作成者が確認出来ていないものとの事。さらに、高市氏が登場する文書中には不自然・不一致点が多く指摘されており、その信憑性も大きな疑問に。でも、会社(組織)で仕事をしていれば何となく状況は理解出来るんですよね。

今回これらの文書類は、総務省内の「行政文書」である事は確認されたけれど、それって「総務省内で作成されて、総務省内のサーバー(書庫)に保管されていた文書(ファイル)」という意味だけで、その内容に関しては総務省が担保しているとか承認しているとか、そんなものでは無い。そこまで内容が検証されているものならば、多分「公文書」という言い方をするんだと思います。会社活動に於いても、業務活動中に作成したファイルや文書類は基本「社内文書」という形で扱われるわけで、その中はに社長決裁まで行くような大規模なものも有れば、ミーティングのメモ書きとか「情報共有」という形で概要をまとめた物等も含まれます。ISOとかの監査の時には、そう言うものまで厳しく検査されるので、最近(ここ10~20年位)は、かなりその手の話は厳しくなっているはず。総務省のシステムが、この手のファイル群をクラウド出全て処理していたのか、共有フォルダーという形で個々に作成したファイルを必要に応じて保管していたのか分からないけれど、後者の場合は今後関係者のクライアントPCの内部まで検証するような事になるかもしれない。

クラウド式ならば、普通はファイルアクセスのログは残るだろうから、誰が何時どの様に作成してどの様に処理されたかはログが残っていれば分かるけれど、8年前の話だと微妙かもしれない。ファイル形式が、Word等ならその編集履歴を見れば少しは役立つかもしれない。作成者不明のファイルと言うは、例えばテキストファイルだからその手の属性が残っていないのか、履歴は残っているけれど作成者として特定出来ないと言う事なのか分からないけれど、それにしても半分のファイルが作成者不明というのは、言ってみれば今回の「行政文書」の多くが、その程度のメモ書きあるいは内輪での情報共有目的程度の意図で作成されただけのものだったんじゃ無いだろうか。文書の中でも、「取扱厳重注意」などの押印されているものに関しては、多分上位への報告も兼ねた正式なものだろうから、当然相互に内容確認だったり検証もされていて、それらの文書や内容に関しては「正しい」と言っていいんでしょう。問題は、特に今回指摘されている高市氏関連のものなわけで、誰が誰に呈して何のためにという基本的な部分すら曖昧なものは、ファイル化されているから「文書」とは呼ばれるけれど、内容に関してはまさに「呟き」程度の覚え書きとも言えないようなもの。それらを同列に扱い事も疑問だし、逆にそう言うものも含めて「行政文書」として保管するのであれば、編集履歴くらいはちゃんと保存しろよとは言いたいところ。

その公開文書の内容にも疑問がまだまだ残る中、メディアの興味は高市氏の辞任の有無にあるようで、小西氏との答弁内容の中で、高市氏は礒崎氏の放送法に関しての考えを今回初めて知ったという解答をしている部分を、をTBSが意図的に編集しているのか、礒崎氏自身の事を今回初めて知ったと回答しているように放送したと批判される場面も。放送する時の尺の問題から、実際の答弁の場面をそのまま流す事は出来ない事は理解するも、テロップなり解説なり、正しい情報提供する方法は幾らでもあるはず。それなのに、わざわざ誤解を誘発するような伝え方をするのは、まさにそういう部分に関して放送法からの逸脱が考えられるという証拠になるのでは。今回騒動を自分達の利益に誘導しようとして、わざわざ墓穴を掘っている気がする。高市氏がこれこれと答弁したと伝えた上で「放送の中立性が犯される事があってはならないと考えます」とでも言えば、自分達の正統性を主張しつつ、彼らが欲して居るであろう政権に対しての攻撃にもなると思うのに、ストレートに自分達の欲求を前面に押し出してしまうから、その意図が透けて見えてしまうんですよね。同じ捏造文書で騒動になった財務省の件では、もう少しスムースに文書の存在確認やその内容に関しての検証が進んだと思うけれど、今回は妙に時間が掛かっているのは何故だろうか。やはり、中に偽造・捏造されたものが混じっていたのか、あるいは総務省として相当不味い背景が分かってきたので慎重になっているのか。例えば、元々の礒崎氏の発案がそのまま通るような場合、放送局はかなり厳しい監視対象になる可能性もあるわけで、彼ら的には押しとどめたいところ。一方で総務省としても礒崎氏を無視するわけにも行かず、かといって何もしないで収まるとも思えない。そこで、礒崎氏の放送法に関しての答弁を高市氏にして貰うことで彼の顔を立てつつ、その内容に関してはこれまでの立場を再確認する程度にすることで、放送行政に対しての影響を最少化したかった、と言うようなことも思い浮かぶんですよね。それが、総務省内部の判断だけで行われたならば良いけれど、もし放送局側の意図も何らかの形で含まれていたとしたら、それは行政との癒着とも言えることになるわけで、そうなると大問題になると思うのだけれど、流石にそこまで行くかどうか... 

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