別記事の、爆笑問題・太田光氏の話を書いていて思いだしたんですが、数日前にジャーナリストの佐々木俊尚氏が、ご自身のインタビューのコツをコラムに掲載されています。この内容を改めて読み返すと、今回の「太田光舌禍事件」とは真逆の対応だなと思うんですが、その違いが生まれているのはインタビュアー氏の考え方の違いに有るんじゃ無いかという気がします。
勿論、有る程度時間に余裕がある佐々木氏の様な対面式のインタビューの場合と、決められた時間の中でぶっつけ本番的な状況で結果を出さないといけない太田光氏の場合では、内容的に大きく異なることは事実だしそこは割り引いて考えないといけない。けれど、それも含めて考えてみると、佐々木氏の場合は相手から「話を引き出す」事を目的にしているのに対して、太田氏の場合は相手をやり込めてぐうの音をも出ないように「黙らせる話」をしようとしているんじゃ無いかと思うわけです。
太田氏の場合は、時間も限られているテレビのしかも生放送という条件もあるので、兎に角欲しいのは自分達が「正解」と考えている「回答」。でも、普通はそんなことは口が裂けても言ってもらえないだろうという事も分かっている。仮に言葉にしてきたとしても、時間の制約もあるのでやり取りも最小限にしたいし、場合によってはそれによって話の流れが変わるのも困る。例えるならば、柔道の試合で接戦が続き、延長戦まで続いて最後に勝つのも良いけれど、出来れば開始早々適当な時間でスパッと一本勝ちをすると、テレビ局として一番嬉しいわけです。その時に一番画になる構図は「ぐうの音をで無いくらい相手をやり込める」という事じゃ無いかと。その為には、こちらの質問に関して、相手が回答できないような状況というのが一番分かりやすいと思うんですよね。つまり、痛いところを突かれて何も言えないと言う状況は、テレビという映像主体のメディア故に一番「画になる構図」では無いかと。それを狙ったかどうか迄は分からないけれど、でも結果的にそう言う事をメディア特に映像メディアは望んでいる気がします。
当然、そう言う方法だと、一回目はたまたまヒットを打てるかもしれないけれど、二回目三回目と続ければ相手だった準備してくるだろうし、場合によってはインタピュー機会すら無くなるかもしれない。つまり相手から信用されなくなったら、それはジャーナリストという立場では失格と言う事になるでしょう。それを無くすためには、都合の良いことは勿論都合の悪いことであっても、「相手に話させる」事だと思うんですよね。同じ事を相手から指摘されると「むっ」とするけれど、同じ事を自分の口から言えば「ほっ」とするみたいな違いかな。その為には、直接それを言わせる前に、色々な部分で相手から話しを引き出して環境整備する事も必要だろうし、その為にはこちらも事前に準備をして相手に水を向けやすくする努力も必要だろうし。その為には、相手も忘れているような話題を持ち出したり、自分とは異なる見解を披露するとか、相手にとってメリットが感じられる方向に向けないと、相手から話しを引き出す事は出来ない。これって実は仕事でも同じで、部下あるいはチームメンバーと話しをする時に、いきなり失敗の叱責から入ったら何も出来ないわけで、先ずは問題の原因特定と対策とか、それを回避するために出来る事出来たことの確認等、やはり引き出しの数がその後に影響してくることは経験済み。どちらが望ましいのかは言うまでもないけれど、事前準備や勉強量など努力による部分も大きいけれど、その人の性格というかやっぱりその人の資質に依存する部分が一番大きい気がする。
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