2021年4月23日

トレードオフの論理

なぜUber配車サービスは日本で失敗したのか?」 という問いの答えが、「日本の法律を破らなかった」からという刺激的な話。確かにアメリカでは、基本的には法律遵守が優先されるけれど、仮にそれを守らなかった場合のコストと、それによって得られる利益を天秤に掛けて、前者の方が少なければ後者を優先する傾向はあるなぁと自分のささやかな経験からも感じます。

記事の中には、NapsterやRokuの事例が記載されていますが、SONYのビデオデッキ、βマックスが裁判になり、確か「著作権は侵害していない。単に視聴時刻をずらしている(Time Shift)だけだ」というロジックで勝利したんじゃ無かったかな。あと、我々世代なら随分とお世話になったレンタルレコードの先駆け「黎紅堂」のレンタルレコードをカセットテープに録音することも、確か裁判になったと記憶しています。多分、規模などは違うんだろうけど、日本にも例が無い事はない。ただ、アメリカのようにそれ自体が一つのビジネス戦術みたいな位置付けでは無い事は確か。

記事中段では、ではどうしたら日本で成功することが出来るのかというテーマになり、

「日本の社会実装に足りなかったのは、テクノロジーのイノベーションではなく、社会の変え方のイノベーションだった」

と言う、いかにも日本らしい結論に聞こえます。 AirbnbやMoney Forwardが記事に書かれているような地道な努力をしていたのは知りませんでしたが、日本人から見るとやはりそれが「正道」に感じます。言い換えれば、幾ら自国で成功しているからと言って、そのシステムをそのまま他の地域に持ち込んでも成功するとは限らない、現地化・ローカライズの一部として既存の仕組みやシステムを尊重することが大事というのは、ソフトウェアの更新にも当てはまる話だなと実感。個々でふと思いだしたのが、最近話題になっている駅のバリアフリー化に関わる一連の騒動。JRの駅で騒動を起こした側は、言ってみればアメリカ的考えで世の中を変えようと思ったと擬えることが出来るのでは。実際、同じ事をアメリカでやったらそれなりに評価されると思うし、BLMの一連の運動もそれに近い物を私は感じます。他方、あの行動が多くの批判を受けているのも同じ理由で、そう言う手法は馴染まないし、実はJR側はルールに基づいて対応しているのに、それを曲げろと言っている側が被害者として主張していることに、社会の多くの人は反発を感じているのでは。だから、彼女が本当にバリアフリー化を望み、それを第一義とするのであれば、もっとやり方としては別の方法もあるだろうし、必ずしも駅へエレベーターを設置することだけが解決策では無い事にも配慮するべきだったと、再度感じます。

Uberのビジネススタイルは日本では受け入れられなかったけれど、Uberのアプリは正直自分としてはもう手放せません。JapanTaxiのアプリは、幸いにも地元のタクシー会社も参加していたので浜松でも利用でき、もう昔のように電話でタクシーを呼び出すことは、ここ数年やっていないほど。Uber等のアプリでは、ライバルが増えたので乗合利用やポイントtoポイントではなく特定地点間の移動みたいな、サービスの多様性とコスト削減を進めているけれど、これに関しては日本人的にはどうかなという気はしています。ただし、例えば会社の帰りで、複数の人間が順番に降りていくような場合は結構あると思うので、そう言う複数地点での下車に対応するような改良は良いかもしれない。あるいは、過疎地域での利用を想定して、乗合バス的な運用をアプリを利用してやるのもいいかもしれない。日本の場合、一度決まったルールや仕組みを変えることはかなり難しいと感じるんですが、だからこそネットを利用して多くの声を届けることも可能だし、手法としては以前よりも多様性が生まれていると思います。その為、より過激な行動にも繋がるデメリットもあると思うけれど、やった場合の利益とやらない場合の不利益を見せて、そこで納得さえされれば後は結構スムースに行くのも、日本人気質の良いところ(流されるところ?)でもあると思うので、こう言う知見を生かしてくことがより快適な社会サービスを生み出す原動力になると思う。

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