先日、「壊れたレコード」の話を書いたんですが、 今の時代の人なんか「壊れたレコード」と聞いても、まず「レコードって何?」という人が多いだろうし、それが「壊れる」事でどう言う事象が発生して、それをどの様に比喩しているのかなんて事まで分かる人は、本当に一定世代以上の限定された人向けの言葉だなぁと思います。で、それを書いて思いだしたのが、一月程前にネットで見つけた、こんな話。「昭和世代」となると、平成が31年、令和が2年だから、大体今から40~50年位前の時代を想定すればいいんじゃ無いかと思うんですが、これは実は私も実感している話。
私がほぼ毎日聞いているiPhone 8の中の音楽タイトルは、就職してそれなりにお金が自由に使えるようになった頃、つまり1980年代後半位から、CDで買い集めた物を、最初にiPhone 4S (64GB)を購入した時にリッピングして聴いている物。だから、1980年代になって、中学生とか高校生くらいに聞いていたタイトル、つまり1970年代のタイトルを購入したりしていたから、それ位から一番新しい物で、1990年代前半位までが、今のiPhone 8のプレイリストの90%位を占めています(笑)。その後、暫く間隔があって、BABY METALに遭遇してしまい、彼女達のタイトルを集めだし、その時にそれよりもちょっと前の時代も買い始めたんですが、そこからはもうCDメディアではなく、ネット購入。それだけでも、時代の大きな変化を感じます。以前購入したCDメディアも、今の所保管はしているんですが、最後にリッピングしたのはもう10年以上位前かなぁ。基本iTunesでリッピングしていたんですが、最初の時はiPhoneの容量も64GBと少なくて、CD全タイトルを入れるとパンクする状態でしたから、タイトルを限定した状態で使用して居ました。その後iPhone 6を購入して、128GBまで増えたので、今度は全タイトルをリッピングして入れることが可能に。ただ、サンプリングレートを最高にすると収まりきらないので、標準のレートでサイズを小さくし、それでも溢れるので、英会話のCDとか幾つかは残したままだったような。この時点でCDの記録面の劣化なのか、リッピングできないメディアもあったりしました。そんなこともあったので、取りあえずデータだけでも最高レートでサンプリングしておこうと、再度全タイトルをリッピングし直したのが10数年前くらいかなぁ。で、iPhone 8に乗り換えたときには256GBにしたので、全タイトルをコピーして、それでも流石にまだ半分近く空き容量があるので、今後もBABY METALの曲は幾らでも入れられるんですが(笑)。
まぁ、そんなわけで、私がiPhoneで音楽を聴くときには、BABY METALが半分、残り半分は古いまさに「昭和の日本の曲」中心です。一部、MCハマーと、マイアミサウンドマシーンとかビリージョエルとか洋物もありますが、基本1980年代中心の物ばかり。で、記事にも書かれているように、当時の背景とか小物、さらには場合によっては「言葉」も今では無いものもあったりして、時々「この歌詞は今の若い人には通用しないだろうなぁ」みたいな事も。「言葉」の例だと、例えば「ポケベル」なんて、もう死語に近いですよね。後は、「電話のダイヤルを回す」とか「チャンネル回す」とか、「回す」という動作は今では使用しないし。あるいは、駅などの待ち合わせで、ちょっとしたすれ違いなんかも情景描写で良くあるけれど、今ならスマホで呼び出すかLINEで直ぐに連絡が取れるから、まぁ先ずそんなことは無い。そうそう、駅には「伝言板」があって、そこに「何時にどこそこby〇〇」みたいな事を一定時間書いておけましたが、今ではそんなことも無いですしね。所で、元記事の中では、いるかの「なごり雪」や、ちあきなおみの「喝采」、チューリップの「心の旅」に出てくる「汽車」を「蒸気機関車」と解釈しているんですが、これはちょっと理解の仕方が違うと思う。当時の国鉄が蒸気機関車の運行を廃止したのは、本州が1974年で、一番遅い北海道も1975年中には事実上廃止されています。それに対して、いるかの「なごり雪」は1975年リリース、ちあきなおみの「喝采」は1972年リリース、チューリップの「心の旅」も1972年と、いずれも蒸気機関車廃止前ではあるんですが、1970年代になるとディーゼル機関車が非電化路線で蒸気機関車を置き換えていた時代だから、実は「汽車=蒸気機関車」は元々の意味ではあるんですが、誤用的に「汽車=気車=気動車」という意味でも使っていたと思います。だから、「喝采」の「汽車」あたりは、本当にSLだったかもしれないけれど、「心の旅」とか「なごり雪」は、汽車=気動車をイメージしていたんじゃ無いかという気が、個人的にはしています。そのあたりも、リアルタイムで歌を聞いていた世代と、現在聞いた世代では、感じ方も大きく違うんでしょうけど。
半世紀くらい前だと、「軍歌」なんていうのは、結構歌われたり何かの時に聞いたものですが、今の時代となると「戦争礼讃」とか、「時代錯誤」みたいな言い方をされて、本当に当時戦争に行った人達の集まりくらいでしか演奏もされないし、歌われることも無い「昭和歌謡」の一つですしね。さらには、当時の人間関係とか歌でよく使われる悲哀=不倫とか、今では大問題になりそうな内容でも、当時はありふれたとまでは言わないけれど、「あるある」と納得出来るシチュエーションだったりしたわけです。以前の歌でよく登場した「タバコ」なんていうのも、最近では殆ど聞かなくなったし、ある意味古文書とか昔の有名人の手紙や書が、後の時代での時代考証の材料になるように、そう言う歌も後世に残して「昭和」という時代を後から振り返る貴重な試料と言って良いんでしょうね。だから、今の時代に当てはめてみることは、一つの「お遊び」としては面白いけれど、やはり元の意味は尊重されるべき何じゃ無いかとも感じるわけです。毎回自分のiPhoneに入っている、1970年代から1990年代の曲を聴いていると、何故か安心する気持ちになるのも、自分が多感な少年時代から、いろいろあった学生時代、そして社会人として仕事を始めて、初めて海外出張したり、製品をだしたりという、一番刺激のあった時代の思い出が、その歌詞の中にも詰まっているからじゃ無いだろうか。有る意味、自分の心の中の宝物であったりもする気がします。だから、あれから30年40年過ぎた今聞いても当時の思い出が蘇るから、実は現在とは全く違うような背景・情景でも、少なくとも自分の心の中には「すっ」と自然に入ってくるんですよね。それが自分にとっての「昭和の歌」の良さでもあると思う。
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