2020年10月12日

教養なるもの

 我らが川勝知事が、「教養」なる言葉を出してから、この日本学術会議関係の報道を見ているんですが、その言葉が必要なのは、メディア等で任命拒否に反対している所謂「学者さん」達の方では無いのかと、ますます感じるんですよね。特に今回任命拒否された6名の方のうち何名かの方は、結構積極的に報道番組やワイドショーなんかにリモート出演されたり、インタビューを提供しているみたいなんですが、先ずその言い方が「えっ?」と思うくらい乱暴。「上から目線」どころか、「超上から目線」みたいな言い方はどうなんだろか。

例えば、自分の研究結果が否定されたとか、その内容が間違って解釈されているなら、それなら有る程度熱を帯びるのも分かる。でも、今回はそう言うものとは別次元の話であり、推薦されたけれど何らかの理由で任命されなかったわけだから、まずそこで聞くべきは「理由ななんですか」では無いだろうか。それなりに、まずは「自分は崇高な研究をしているのに、何故否認する」というクレーマーレベルの態度。そう、例えばコンビニでごねているお客さんとか、役所なんかで延々と主張を繰り返している困った人レベルにしか見えないんですよね。ここの実績とか、これまで成果に関しての詳細までは存じ上げないけれど、でもこう言う代表修大のメンバーになるのであれば、話の通じない相手ともそれなりには無しをスルできる努力をすることが一番要求されるわけで、それを最初から否定するような態度を見ていると、「あぁ、任命拒否も当然かな」と私なんかは思ってしまう。

今回の任命拒否問題から、色々過去の履歴が発掘されていて、実は以前から同様の事はあったとか、学術会議側の運営内容に色々疑問が見つかるとか、どうも任命拒否をした日本学術会議側が、藪を突いて蛇どころか大蛇を出しつつあるような雰囲気。例えば、中国の人民解放軍と関係もある同様の会議体との協業にしても、「軍事関連研究とは協力しない」と言い訳をしています。でも、それが許されるなら、防衛省との共同研究だって、防衛省側は「非軍事研究にも協力する」と言っているのだから、同じ事が出来るはず。でも、彼らは「軍事研究には協力しない」と言って拒むわけです。私も以前聞いた記憶があったのは、北海道大学の研究で、船体の周りにバブルを放出して抵抗を減少させて、燃費を10%位改善する研究があったのに、これも軍事的に利用されるみたいな圧力で頓挫したらしい。そう言う意味では、今回官邸側が任命拒否した利用よりも、日本学術会議という会議体・組織体に対しての疑問がどんどん膨らんでいって、とうとう科研費とかその他関連予算の見直しにもなりそうですが、それはそれで良いんじゃ無いかと。

今の所の騒動を見ていると、日本学術会議という組織は「学者の国会」と言うよりも、「学者の中の一政党」と言った方が良いんじゃ無いだろうか。学問毎に派閥みたいなものがあって、そこから代表を選出して会員になり、その会員がそれぞの派閥を作っている。会員として選出されるのは、だから派閥の代表として何とか委員会みたいな感じで役職について、必要な予算なりを自分の学問に持ってくるのが仕事、とか。準会員は2000名だから、20学問くらいなら1グループ10名位。そひから200名余りの会員推薦をするわけだから、まぁ順繰りに内部で回していくことになるのは確実。となれば、本来の政治政党と同じような不具合や問題もあるはずで、そこから推測するとやはり今回の件は、何か大きな改革に向けた最初の口火なのかもしれない。個人的には、理系の人間だし科学技術の発達が人類の幸福に繋がると信じているので、是非もっと科学系への予算を大胆に投入して欲しいのですが。文系の予算を蔑ろにしろとは言わないし、例えば考古学とか歴史学などは、過去の災害経験をフィードバック出たりするし有効だと思うし、社会構造も変わる中、男女の区別とか、生物学的な性別と社会生活の中でのジェンダーなんていう話は、社会学とか思想にも関係するかもしれない。ただ、全体的にそう言う方向性とは外れて、どうも行きすぎたジェンダー論とか差別主義みたいなものも感じるし、そこには本来の目的とはことなる隠れた目的みたいなものも感じるんですよね。そこまで話が広がるかどうかは分からないけれど、でも何かの切っ掛けにはなって欲しい。

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