2020年5月14日

言い訳にならない言い訳議員

先日の立憲民主党福山哲郎幹事長(あっ、幹事長だったんだこの人)による、専門者会議の尾身副座長への国会での質問の様子に対して集まる非難。通常、オリジナルの動画を切り出したした場合は、意図的に部分編集されていたり、意図を強調したいが故にややバイアスが掛かったりしている場合が多いのだけれど、今回全体を見てみたら、切り出された部分以外も失礼な場面が幾つもあったり、いゃ切り出し部分以外も失礼じゃんという逆の結果に。身内も含めて、色々な場所から避難が集まる中、ご本人はこんな感じで釈明をしているのだけれど、これを見ても「あぁ、反省していないというか、何が間違っているのかという気持ちなんだろうなぁ」という事がよく分かる。

それが『「そうとらえる方がいたら申し訳なく思う」と釈明した。』の部分。これって、「(自分はそう思っていない、そんなことは無いはずだが)そう捉える方が(もし)いたら、申し訳なく思う」という意味ですよね。普通は「そうとらえる方がいらしたことを申し訳なく思う」と、自らの行為に対して謝罪するはず。TL等を見ていると、この立憲民主党議員特有な恫喝的な質問態度に非難が多いようですが、それはそれで失礼だと思うけれど、私が一番失礼だと思うのは、何度か繰り返した質問の最後で、尾身副座長が陽性率を例にして回答した後の「全く答えて頂けなかった」(38分15秒付近)の一言だと思う。これ、いつもなら与党の大臣とかに回答させて、ニュース等で切り出されることを前提に言う台詞だと思うんですよね。つまり、相手が説明してその内容にかかわらず、あるいはそれを理解しているのか理解していないのかに関わらず、最後に「全く答えて頂けなかった」と言えば、恰も相手の説明が悪い、相手の説明が不十分という印象を残して、自分達が頑張っているのに相手が悪い、という切り出し方が可能になるから。それをいつもの癖でやってしまったんじゃ無いのだろうか。そこに、大きな計算違いが生まれた、と。

考えてみたら、旧民主党が政権を取る前は、こう言う方法で支持率が低下してきていた与党自民党を攻撃することで、自分達への指示が高くなっていった「成功体験」を、未だに忘れられないんでしょうね。政権が転がり込んだ後も、「事業仕分け」で、はやり相手を厳しく追求して、どんどん「無駄」を削除した時にも、一部からは熱烈な支持があって、結局その時の記憶なのか、その芸風なのか、それを忘れられずに未だに続けている。でも、その時に感染症対策の予算が削減されて、今に至るみたいなことも逆に言われているけれど、多分殿御本人達はそんなことは忘れているんだろうけど。でも、今も昔も、彼らがやっていること「厳しい追及」ではなく「過激な物言い、強い口調での発言」なだけで、決して中身のある発言では無い。だから、そう言う発言から得られる物は、相手が我慢できなくなって野次を飛ばすとか、気に入らないからと退席とか審議拒否することだけで、相手の不備を明らかにして譲歩なり改善案を獲得することは、殆ど無い。まぁ、TLでは「ヤクザのみかじめ料」みたいな言い方もでているけれど、まさに言い得て妙な気がする。

さらに言えば、そう言う厳しい態度は「巨大権力与党に対する、正義の味方立憲民主党」みたいな意思というか思いもあると思うんですよね。巨大権力に対峙するには、多少の厳しさ、多少の激しさは許されるみたいな、勝手な解釈というか。だから、相手に対して針小棒大に騒ぎ立てて、何でもかんでも政局にするけれど、いざ身内に同じような事が発生すると、さっと知らない顔をして穏便にというか、どちらかというと「無かったこと」にして済まそうとしている。少し前の、高井議員の深夜の濃厚接触魅店利用とか、石川議員のやはり深夜の警察官への暴言騒ぎとか、ダブルスタンダード以前の適当さに、流石に多くの人が呆れている。それは、あれだけ与党を攻撃して、確かに色々不手際があるにもかかわらず、与党支持率は40%前後で大きく落ち込むことは無いのに対して、立憲民主党の支持率はどんどん下がっていき、調査元によっては4~3%程度まで落ち込んでいる場合も。支持率だけで見たら、維新の会に抜かれて「野党第二党」になってきているわけですからね。維新の会も色々問題は有ると思うけれど、それでもそれなりに是々非々での対応は良いと思うし、大阪の吉村府知事の存在が大きいとは思うけれど、「必要な事は何でもやる」という好印象がやはり大きな原動力なんでしょうね。それに対して、特定野党は旧態依然の「難癖政治」を繰り返すだけで、支持者も呆れて離れていっている。彼らがどうなろうと興味は無いけれど、普通ならもっと危機感を持つはずなんだけれど。最も、このまま自爆して消えてくれれば、それはそれで日本にとって良いことだと思う。

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