2019年9月20日

思い込みコラム (2)

TLで話題になっていた、元朝日新聞記者・稲垣えみ子氏のコラムから、「夏でも冷蔵庫なんていらない」という内容。台風被害で、未だに停電で厳しい生活を送らざるをえない人が多く残されているのに、こう言う刺激的な話を、それが連載のコラムとはいえ掲載してしまう、AERAというか朝日新聞系メディアの気配りのなさ。

で、この方のコラムは何時も自分中心というか思い込みで話をしている気がするんですが、今回もそんな感じ。以前も書いたと思うんですが、この方は冷蔵庫やその他インフラは殆ど不要と言いつつ、
基本、当日食べるものしか買わないからなんだが
と、多分近くのお店を利用しているわけで、それって間接的に電気などの社会インフラを利用しているんじゃないのか? さらに、残った野菜をざるに置いて乾燥させている事を、
徐々にしなびては行くが「干した」と言い換えている
と言っているけれど、いゃそれが「干す」ことじゃないのか。さらに、その事を「太陽によって火を入れた」と言っているけれど、それも一寸疑問な意見。太陽光を集中させて、虫眼鏡の容量で調理するならまだ分かるけれど、干すことを「火を入れる」というのはどうだろうか。

さらに、八百屋でビニールには言っている野菜は仮死状態で、ビニールから出すと生き返ると言う話は、確か密封して窒素だったか充填したものは、野菜の腐敗を防ぐ目的であったと思うので、あながち間違いでは無いと思うけれど、一般的にビニール(と言っても千差万別だと思う)に入っている場合は、たんに小分けして売りやすくしているだけじゃ無いだろうか。それに、本当にビニールに対して問題意識を感じるなら、それこそ昔ながらの量り売りしてくれるようなお店を開拓すれば良いだけの話しだと思うし。

で、ビニールに入れたままだと窒息死して腐ってしまうというければ、それはビニールに入れても出しても、腐敗するまでの時間が違うだけで、結果は同じはず。乾燥させれば、水分が飛ぶから保存に向くようになるだけで、それは最後に「老い」と言っていることとは違うと思う。さらに「野菜に老いという時間を与えて」いて、それが「味わい深くて案外美味い」というのは意味不明。「老い」という事を言うのであれば、それは旬を過ぎた野菜でも美味しくいただけるという意味だろうし、逆に冷凍してしまえば鮮度は変わらず長期間保存することも可能なわけで、それが人生経験豊富な人と若者の比較とどう関係するのか分からない。

結局は、自分がやっていることに自己満足して、その良い点だけを自分が良いように解釈しているだけじゃ無いだろうか。そう言う生活をするのは個人の勝手だし、どうぞお好きに、としか言いようが無いけれど、それならそれでもう少し世の中の事も考えてタイミングなり時期なりという事も案配するべきでは、とつい言いたくなってしまう。

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