2019年1月30日

何が無責任なのか

嵐の活動休止会見で出された「無責任」発言。世間的には批判する声の方が多い気がするけれど、その回検討実の夜の番組で、当事者の桜井君が有働キャスターの質問に答える形で、「言い切っ掛けになった」みたいな用語とも取られる発言をしたからか、翌日の番組では批判する人もいるけれど、業界関係者は「あの質問は良かった」論に傾いている気がする。まぁ、桜井君本人にしたら、折角自分達の大切な発表の場で、いくら頭にくる質問であってもそれなりに対応しないといけないだろうし、そこは曲がりなりにも報道番組のキャスターを務めているくらいだから分かっているはず。ただ、どうしても引っかかるのが、「何が無責任」なのかという質問者の意図が明らかになっていないのに、その無責任の勝手な解釈が広まっていて、さらにその手法が「そのまま流されて終わりそうな会見をぴりっと締めた」みたいな事を言っていること。

あの場面を見ていれば、質問者の「無責任」は、今回の活動休止の発表というか5人で決定したことが「ファンに対して無責任」と言っていることは確かでしょう。でも、終わり方は色々あるとしても、いつかは「アイドル」「タレント」ととして終わりは来るわけだし、その選択権に関してはタレント側にあることは事実。さらにその場で説明したように、今回は異例とも言える2年近くも前倒しでの発表なわけで、そこは十分に考慮されている話。元々、2016年に大野君が言い出したことが切っ掛けなわけで、そこから3年近くも内部で話し合いをして、さらに実際に休止を実行するのも2年物余裕を持たせているわけで、無責任どころか最後までファンのことや関係者のことを考えての行動と言えるでしょう。単に「ファンが悲しむ=無責任」という図式を押しつけるだけの質問に意味があるとは思えない。せめて言うなら「長い活動履歴もあり、日本でもトップクラスのグループが、余りに突然の休止に説明がまだたりないのでは」あるいは「ファンのために、通常のコンサート、20周年イベント以上のものが必要だと思うが、何か考えているのか」とか、無責任と考えるなら、どう言う責任の取り方があるのかという聞き方をしなきゃ、メディアとか記者とか言う以前の、単なる野次馬としか見えない。

さらに言えば、質問の仕方も一寸高圧的で、少なくとも嵐に取って最大の事象が進んでいるときに、それに対しての敬意とか、相手を思いやる気持ちが感じられない。「厳しい質問」と「威圧的・恫喝的質問」は全く違うわけで、少なくとも後者に関しては「パワハラ」とも言われることのはず。今回の「無責任」質問は、ファンの名前を借りた威圧的対応みたいなもので、それが出てきた理由は質問者が単に感情的に発した自分の技術や経験不足なのか、元々そう言う威圧的な対応で相手のミスを誘う手法をとっているかなのだろうか。確かに感情的に揺さぶりを掛けて、秘めていたものを表に出すという方法もあると思うし、それは場合によっては有効なのかもしれないけれど、それって一度相手に悟られたらもう二回目は使えない方法なわけで、そういう「その場凌ぎのやり方」で、映像的に面白い、メディアとして話題を取れるような回答は得られるかもしれないけれど、本当に聞かなければいけない深く掘り下げた回答は絶対出てこないでしょうね。そう言う意味で質問者には、未熟とか知識の浅さとかと同じくらい、悪意を感じるなぁ。

結局いつも自分達からは「圧力を受けている」「威圧的だ」みたいな事を言っているのに、実は自分達がその実後者であり、もしかしたら彼らの発言は現実を反転させた勘違い何だろうな。実は加害者が被害者の振りをしてるだけなんだろうな、と言う事を感じさせる「無責任」発言じゃ無いかと。テレビやメディアの業界で生活するため、生き残るために、そう言う言い方をしないといけない人達が多いのだろうという事は想像されるけれど、だからこそどんどん信用されなくなって行くのでしょうね。

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