2017年9月19日

自分の売り出し方

昨晩見ていたバラエティ番組に、最近話題(炎上?)しているモデルの水原希子が出演していて、その様子を見るとも無く見ていて、「あぁ、やっぱりこの子は自分の行動に無頓着な性格なんだろうなぁ」と納得。彼女に対してのヘイト騒動は、それを国籍とか出生になぞらえて批判しているものが多いけれど、このコラムに書かれているように、そんなことでは無くて、それが無意識か意図的かは別にして、彼女自身の行動パターンに共感を覚える人も居れば反発する人も居ると言うことなんだなと再認識した次第。

コラムの後半にも描かれているように、彼女に対しての印象が極端になったのは、やはり中国での騒動に対しての釈明方法が不味かったことだと思います。「やっていない」事を主張し、軽率な行動ととられたならばそれを謝罪すれば済む話なのに、何故かそれらの事柄を補強するために自分の出自を理由にしてくるところに多くの人は違和感を感じるところでは。彼女の場合は、芸名も日本人風だし日本語だって普通に話をしているから、普通は日本生まれの日本人なんだろうなと思うでしょう。ただ顔立ちが少しエキゾチックな感じがするから、若しかしたらハーフとかクォーターかなと言うことくらいまでは感じるでしょう。ただ、それは彼女の魅力の一つ一部なわけで、それは目が大きいとかスタイルが良いとか、普通にタレントが自分を売り込む特徴の一つ。だから、なんとなく彼女のファンは美しい誤解をして彼女を応援していたんじゃ無いだろうか。そこに、そういう夢というか想いが壊されるように、自分は日本人じゃ無いからという、ファンの世界観を壊すような発言をしてしまうところに、判断ミスというのか戦略ミスがあったように思う。

日本の社会は、最近では大分変わってきていると思うけれど、やはり調和とかあうんとか、波風立てないことが「良し」とされてきた気風があるから、どうしてもこう言うタイプの人は目立つし叩かれる。そんな中でも、彼女の場合はそう言うことに対しても自分を貫くというか、我関せずと言う精神が強いのかもしれない。ただ、芸能界あるいはメデイアという世界の中で彼女が仕事をしている以上、どうしても服区呈多数の人が彼女の振る舞いや行動を見て様々な印象を持つわけで、そこは特別な目的が無い限りはやはりプラスの方向性になるように努力はするべきでは。そういう意味で、彼女のタレントとしての資質を善し悪し評価するのは問題無いと思うけれど、そこに国籍とか出自を理由に勝手な理由を付けるのは、やはり問題だと思う。

結局は、彼女自身が今回の騒動(と、彼女は思ってないかもしれないけれど)を逆に武器にして、自分の自由奔放さみたいなところを魅力として売り出して芸能界で生き残れれば、それはそれで才能だと思うし実力だと思う。反対に、変な対応をしてますます良くも悪くも社会からの圧力が高くなり消えてしまうかもしれない。そこは、やはり自分として筋の通った、納得出来るような説明が出来るかどうかで、ファンも増えるだろうし余計なノイズも消えていくんだろうけど。さて、どうだろうか。

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