今年も靖国神社参拝で、良い悪い喧しい1日でした。閣僚が参拝した・しない、議員が参拝した・しない、そんなことにどれだけニュースバリューがあるのか。「戦犯が祀られていることが問題」とよく言われるけれど、でもA/B/C級戦犯は、その後名誉回復されているんですよね(現在の民進党野田佳彦議員による質問趣意書と政府回答)。罪は犯したかもしれないが、(その正統性は別にして)裁判で判決が下され、必要な刑期を満了しているわけだから、当事者の気持ちは別にして社会的にはそれで罪は償われた、と言う事になる。確かに、許せない人もいるだろうし、疑問もあるだろうけど、そう言うことを言い出したら、全ての犯罪人は一勝罪を背負って社会から弾き出されないといけないし、そこは100%の満足ではなく、50%、60%でも納得して次の人生を誰もが始めないと、社会は回らない。
別の当時の戦犯と言われる人達を褒め称えようとは思わないけれど、一番重要なのはそういう人達の記録や人生を後世の人間が参考にして、同じ間違いをしないように努力して実現していくことなわけで、今声高に彼らの責任を言い、それを理由に現在の人間の行動を縛ったり制限することは正しいとは思えない。それに、行く言われるのは、A級、B級、C級というのは、罪の重さのランク付けではなく、犯罪の種類分けの話しな訳で、そう言う意味ではAはBよりも悪い、とは一概には言えない。Aは「平和に対する罪」、Bは「(通常の)戦争犯罪」、Cは「人道に対する罪」で、場合によっては人道に対しての罪の方が罪深いこともあるだろうし。それに、これは英語の文書では「A/B/C」となっているだけで、日本の文書では「イ/ロ/ハ」何だからなぁ。
翌戦前戦中の日本と旧ドイツのナチスを比較する話が出てくるけれど、ヒットラーというある意味際立つ他「ヒーロー」的存在が当時の日本には居なかったわけで、内容的にはかなり異なる気がする。さらに言えば、良くも悪くも「ナチス」という一つの集団が扇動していた旧ドイツと事なり、日本の場合は日本全体がそれまでの戦争での勝利もあって、いけいけという雰囲気になっていたわけで、そう言う意味では仮に反省するのであれば全員の反省が必要なわけで、その当たり最近の反戦を言う人達は都合の良いことを言っているだけの気がする。で、そういう日本全体の雰囲気作り方向性の醸成には、当時のNHKとか朝日新聞とか毎日新聞というメディアが大きな役割を果たしたことは明らかで、そう言う意味では彼らこそが毎年この時期に限らず「自らの反省と謝罪」を繰り返すべきだと思うのだけれど、何か彼らは自分達が正義と言うから腑に落ちない。
いつから、騒ぐ比ではなく静かに過ごす日に変わるのだろうかと、最近の妙な盛り上がり方を見ていると不安と心配しか生まれてこない。
0 件のコメント:
コメントを投稿