2015年3月12日

お気楽なメディア

「あの」東京新聞(=中日新聞)の「【私説・論説室から】」に昨日掲載されていた『「不安倍増」略して「安倍」?』なるコラムから。先ず最初に言いたいのは「私の知り合いの、某安倍さんに謝れ(笑)」。もう、安倍首相に対してのネガティブなことしか書かないと思って書いているから、「安倍」と言えばあの人しかいないと思ってるんでしょうね。これ、名誉毀損とか非難されたらどうするんだろうか。

さらに、素人が偉そうに言ってしまうけれど、言論人であるならば、言葉を略すときにはその略語に元の意図が膨れなきゃダメでしょ。「不安倍増」を略すのであれば、「不安」の「不」の字を取り込まなきゃ、略した言葉が否定語なのか肯定語なのか分からないじゃ無いの。

また、「そんな詭弁は子供の教育に悪い」と言った直後から、自ら[詭弁を弄している」のは良いのだろうか。悪いこと、ネガティブなことを想定することは必要だけど、その妄想が全て真実だと思い込んで持論を展開するのは、それって個人が意見するならまだしも、仮にも[公共の報道機関]と言っている組織がやることだろうか。

先の総選挙は「消費税増税延期選挙」と言う名目で解散したけれど、当時のメディア各社は、論点はそれだけでは無く、安倍政権を信任するかどうか=アベノミクスへの賛意であり、集団的自衛権への賛意であり、原発再開への賛意であるから反対すべき、と言う論調では無かっただろうか。それが選挙結果では多数決で信任されたわけだから、「あの時の解散事由ではなかった」と今言っているのは、メディアとして卑怯ですよね。

別にこの新聞が初めてでは無いし、逆の話も産経とか読売とかでもあるわけで、どっちが正しくてどっちが嘘と言うつもりはありません。でも、自分の主義主張を無理繰り通すために、それこそ理由にもならないことを大層に取り上げたり、状況が変わると昔の話は無かったことになったり、[論理]とまでは言わないけれど、それなりに筋の通る論拠ならまだ納得するのに、単なる語呂合わせや嫌み・皮肉しかない話だったり、それって[文章]や[記事]を売ってお金をもらっている立場として恥ずかしくないのか。多分、現場は悲鳴を上げていても、こういうコラムを書く立場の人はそれなりの地位なりに居て困ることは無いから、自分の好き勝手をお気楽に書き居てマス目を埋めるのが[自分の仕事]と勘違いしているんでしょうね。でも、良くも悪くも溢れる情報が24時間365日世界中を飛び待っている現代では、そう言う薄っぺらな[情報]は直ぐに裏を見透かされて無視されて、物笑いの種にもならずに消えていくことを真剣に認識しないと。

まぁ、言うだけ無駄だとは思うけれど。

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