2015年1月18日

面子を守るだけの裁判

韓国で進められている、産経新聞元支局長の裁判。この関連記事を読む度に思うのが、「何で日本の新聞社が日本の読者に対して日本語で配信下記事が、韓国国内で問題になり韓国で裁判になるのか」ということ。例えば、日本国内の韓国代表なり、韓国の利益団体が、日本国内で裁判を起こすならまだ分かるけれど、公式には韓国では配信されていない内容について、何で韓国国内において争うことが出来るのか理解出来ない。それが出来るのであれば、日本国内において日本語で日本に対して誤解や不適切な内容の記事を配信している韓国のメディアに対して、日本人が訴訟を起こすことだって可能なわけですよね。「言論の自由」が尊重される日本では、仮にそう言うことがあっても棄却されると思うけれど、それにしても後半となる事が理解出来ないし、その為に延々と拘束されていることも、単に日本なり当人に対しての嫌がられ年か思えない。

結局、韓国内で理解されている記事の内容は、日本語の記事では無く「ニュースプロ」なる不明な団体がかなり意訳(異訳?)した記事を元にしているのも変な話で、当然日本の弁護側としてはオリジナルの記事の表記と翻訳された記事の表記との整合性を追求しているようですが、結局は問題となる部分は全てニュースプロが独自に追加・記載した部分だけになるんじゃ無いだろうか。

一連の流れを見ていて感じるのは、結局は大統領の名誉を守るためと言うよりは、体面を維持するため、面子を守るために反論したいのだけれど、本元のニュースプロが所在不明な団体のため、あえて加藤元支局長がスケープゴートにされた、と言う事。韓国、また中国もそうだけど、彼らにとって「面子」というのは日本人が考える以上に重要な要素で、その為には論理も曲げるし、他人の面子を潰すのもいとわない部分があります。彼らがしきりに「日本に植民地化されて酷い目に遭った」と主張するのも、ある意味自らの面子を守るための行為で有り、だから日本や日本人は常に敵役で無いと行けないわけです。でないと、自らの正当性、正統性が矛盾するから。昔はこういう話が出てくる度に、腹立たしかったり苛立ったりしたもんですが、いつの頃からかそう言う気持ち以上に、彼らが可哀想だなと思うようになってきて、その理由がそういった虚構の上でしか自らの「存在意義(raison d'etre)」を見いだせない人達なんだと感じるようになってきたから。だから取って不愉快な気持ちが解消されるわけでは無いですけど。

そういった行為を、不愉快ではあるけれど、直接日本に対してぶつけるなら、まだ許せます。当事者同士の話であるわけですし、そこから妥協点を見いだすことも不可能じゃ無いわけだから。でも、第三者の威光を利用して、自分達の手は汚さずに利益だけ得ようとする行為は、許容範囲を超える話です。結局面子を守る行為が、いつかしか守るべき面子波動でも良くなって、その行為自体が目的になってきているから、こちらも受け入れられないし理解も出来ない。仮に、世界中で彼らが展開している反日活動を全て政府の責任で停止、撤去するから、日本も直接誠意ある対応をして欲しいと言う話に持っていけば、それでも日本にとっては不愉快な事ですがまぁ何か前進する事もあるでしょうけど、結局彼らの目的は今は話をすることでは無く、現状を維持・拡大しつつ日本に対して嫌がらせをすることが目的になってしまっているから、元々の「所謂慰安婦救済」という事なんかどうでも良くなってきているんですよね。それが腹立たしいし、可哀想な人達なんだなといつも感じる事が、これからも続くのでしょうね。まるで無限の蟻地獄に嵌まったように。

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